みなさん!知ってますCAR?

2022年3 月 1日 (火曜日)

ぼくの本棚:五木寛之著『雨の日には車をみがいて』(角川文庫)

雨の日には…

  じつは、この本、長いあいだ恥ずかしながら“積ん読”状態の一冊だった。
  この本を避けてきた気分を分析すると、おもに2つの理由が。そもそも和製フォークソングのような受け狙いのタイトルが気に入らない。それにもまして“車を磨く”という表現が生理的に受け付けられない。車との接し方にはいろいろなタイプがあることはわかるが、車を磨くことを無上の喜びとする気が知れない。しかも、それもわざわざ“雨の日”という限定している点が、わざとらしくて気に食わない。
  第6話にこんな箇所がある。「ぼくの唯一の生きがいは、夜中に自分の気に入った車を走らせ・・・・」。ここまでは大いに賛同できるが、そのあと「帰ってきて車庫でその車を磨くことだった」となると、グっと引いてしまう。さらに「BMW2000CSは、エンジンルームの中まで銀の食器みたいに輝いていた」となると、何をか云わん。
  物語は、9個のショートストーリーで構成される。シムカ1000から始まりアルファロメオ・ジュリエッタ、ボルボ122S、BMW2000CS、シトロエン2CV、ジャガーXJ6、ベンツ300SEL6.3、ポルシェ911S、そしてサーブ90Sの9台と9名の魅力的な女性が登場。主人公、クルマ、そして女性、このいわば3角関係でそれぞれの物語に彩(いろどり)が添えられる。
  1970年代、学園闘争が一段落し、世の中が平穏に戻りつつあった。主人公は、作詞家、放送作家、CMソングライターの3つを掛け持ちする青年。となれば、若いころの五木寛之氏の自画像。流行作家になる前の駆け出し時代と重ね合わせられる。
  当時の“日の丸”乗用車はまだまだ発展途上。欧州車のあとを追いかけていた時代。輸入車は、舶来品と崇められていた時代。そのガイシャを次々に乗り換えている主人公は、当時の若者から見れば羨望の的。
  かくゆう不肖広田は、当時横浜の外れの公団住宅に住み、ようやっと5万円で手に入れた中古のホンダZ(リアビューが水中メガネ)と格闘していた。エンジン不調に陥り、路上でディストリビューター内のコンタクトポイントをばらしてしまい、途方に暮れていた、そんな時代。
  すでにそのころ五木寛之氏は、サイン会を開けば長蛇の列を形成する流行作家の地位を確立していて、雲上人(うんじょうびと)の文化人。・・・・となると、車を磨くことへの嫌悪とは別にして、この洒落たタイトルの小説を長い期間敬遠していたのは、嫉妬心のなせる業だったかも。反省。
  「これほど楽しみながら書いた小説はない…」と五木さんみずから、あとがきで告白している。「だから読者は作者よりもっと楽しんで読んでもらえる……」。
  通読してみると、この手の小説にあるバグを見いだしづらい。当時の都会の空気をとらえた、実によくできた高得点のエンタテイメント小説。クルマ好きの読者にも満足を与えられるし、とくにクルマに興味のない読者でも、十分に楽しむ工夫を凝らしている。自信と不安をのぞかせる主人公の微妙な心理描写の匙加減は見事。
  小説の主人公との距離感でいうと、小説は2つに分けられる。読者がべったり主人公に重ね合わせられるタイプの小説と、主人公との距離感をある一定の距離で保つタイプの小説。この本は、後者に違いない。主人公の心情は、矛盾を抱えながらもどこか冷めていてクール。だからなのか、五木さんの出自からくる根無し草、デラシネの思想がこの物語全体に薄膜のように覆っている。この陰影を溶かし込んだところに、この小説が時代を越えて長く読み継がれている秘密がありそうだ。五木さんの長編小説「青春の門」の主人公伊吹信介の別人生の物語としても読めなくはない。(初出は1988年の単行本)

2022年2 月15日 (火曜日)

ぼくの本棚:神林長平著『魂の駆動体』(ハヤカワ文庫)

魂の駆動体

  赤い二人乗りのクルマが、空を飛んでいる。よく見るとハンドルから、シート、タイヤ、エンジン、サスペンションなどありとあらゆる部品がボディから外れバラバラになりかけている。人は誰も乗っていない。でも、そのうえにはなぜか猫が一匹飛び出している……そんなシュールで絵本のような表紙の文庫本。しかも本のタイトルが意味ありげ、逆に意味不明とも言えなくもない『魂の駆動体』である。表紙からして、まさにSF小説だ。
  目次を眺めると、過去、未来、現在の3部構成。トータル500ページ近い大作。
  読み始めて、いきなり場違いなところに連れていかれた気分となる。「過去編」の世界は、実は近未来なのだ。読者の頭のなかの時系列が大混乱! でも読み進めると、止まらない不思議さが!? さすがSF界の大御所だ。
  ところで、「過去」とは、たぶん2040年あたり? その時代、人間はデジタル社会が進み、“人格をデータ化し、仮想空間で管理。肉体は処分する”そんな時代に突入していた。これってディストピアの世界。
  平成に青春を送っていたとおぼしき主人公の2人のジイさん。社会的には、まったく無力。正面から社会変革こそできない。せいぜい隣の果樹園からリンゴをちょろまかすぐらいが関の山。でも“最後のあがき”とばかりある情熱に熱中する。自動車はそのころすべて自動運転化されている。ゆりかもめの電車とかエレベーターのような≪無人運転車両≫になっている。ジイさん二人の情熱とは、自分の手でハンドルを握る乗り物「クルマ」を自分たちの手で作るということ。チカラおよばず、実物のクルマこそできなかった。それでも、二人の魂が生み出した設計図が完成する…‥。
  それから何世代のち、というからたぶん100年後…‥人類はすでに地球上から忽然と消えていた。原因はどうやら、大多数の人間が人格だけを仮想空間に管理することを選択し、肉体を放棄したからだ。でも、その選択をしなかった人間が、亜種を生んだ。翼人(よくじん)だ。背中に翼を備え、空高く飛び立ち自由に移動することができる空飛ぶ新人類。
  その翼人のなかに滅び去った人間を研究する青年がいた。2つ目の「未来編」の主人公キリアだ。キリアは、研究のため、あえて翼をなくし、人間の身体に変身した。人間研究のためにつくられた人造人間アンドロギアと暮らすうちに、かつて自転車という移動手段があったことを知り、職人集団の翼人たちが営む工場で自転車を製作してもらう。滅んだ人間たちが残した遺跡から発掘した設計図をヒントに作り出した自転車で人間世界を見直し始める。そしてキリアとアンドロギアは、自転車だけには満足できず、次に「クルマ」の企画に乗り出す。人造人間アンドロギアのデータのなかに、「過去編」で登場したジイさんのデータ(記憶)が残されていたのだ。
  自転車づくりではキャスター角のうんちくが縷々述べられ、メカに興味のある読者の心をおおいに揺さぶる。自動車づくりの場面では、その100倍ほどテクニカルタームが登場し、モノづくり、クルマづくりの場面が出てくる。物語のなかで、読者はクルマづくりのプロセスをたっぷり味わうことができる。このへんが、長岡高専卒の筆者神林長平の真骨頂。ちなみに、高専とは中学から、5年間学べる工業系の専門学校で、1962年にスタートしている。ちなみに筆者(広田)の中学からも8人ほど受験し、わずか合格者1人! 不肖広田は不合格者の仲間でした! せっかく合格した彼はそこを振り地元の進学校にいき京大に進んだようです。
  …‥クルマづくりのなかで、なぜ人間が破滅したかの理由がおぼろげながらわかってくる。人間の身体を獲得したキリアは、ようやく完成したクルマを前に工場長の翼人に、ドライビングシューズを作ってほしいと要求。すると翼人の工場長は「裸足ではだめなのか? 人間というのは生まれたままの身体では何もできないんだから」と呆れられ、「ひとつのモノを作ると、それに倍する付属物がどんどん必要になる。だから人間が大量にものを作らざるを得なくなったわけだ」と。どうやら大量にモノを作ることで、地球温暖化が進み、人類が死滅した! そんな暗示が読み取れる。
  でも、一方でキリアは、できたばかりのクルマのハンドルを握り、エンジンをかけるとクルマの魅力に取り付かれる。「アクセルペダルを踏み込むと、エンジンは生き物のように吠える。その息吹きを駆動輪に伝えるべくクラッチをつなぐと、まるでエンジンは“あなたに従う”といった感じで、少し回転を落として唸り、乱暴にクラッチをつなぐと“嫌だ”とばかり止まってしまう。機嫌をとるようにうまくやると、クルマはずいと前に進む。人間が出せる力とは比べ物にならないほどの巨大なパワーを秘めた物体が動く。これを操っているのは自分だ。この瞬間、人間は身体のイメージが拡大し、大きな快感を得る」
  こうした二律背反の近代社会。ディストピアの世界に陥らざるをえなくなった人間の過去を振り返る…‥。人間と機械、意識と言語、現実と非現実をえがく神林長平(1953~)の世界は、こんなところにあるようだ。門外漢には刺激的な1冊。(2000年3月発売)

2022年2 月 1日 (火曜日)

ぼくの本棚:デービッド・ハルバースタム著『覇者の驕り』(新潮文庫:翻訳/高橋伯夫)

覇者の驕り

  アメリカのフォードと日本の日産、この2つの自動車メーカーをテーマにした自動車をめぐる男たちの一大叙事詩というべき超ロング・ノンフィクション作品。文庫本で上下2冊、トータル1250ページの大河ドラマだ。正直、読むのに10日間ほどかかった。
  筆者デービッド・ハルバースタム(1934~2007年)は、ニューヨークタイムズの元記者で、ベトナム戦争の報道でピューリッツア賞に輝いたジャーナリスト。アメリカの巨大メディアの歴史に迫った『メディアの権力』(原題:POWERS THAT BE/朝日文庫で全4巻)など硬質な傑作が多い。
  単純に作品の長さだけを比べると、わが邦の日本にも足掛け30年にわたり新聞で連載した長編小説がないわけではない。中里介山(1885~1944年)の『大菩薩峠』は全41巻。でも、これはあくまでも想像力で書き継いだ物語。いっぽうハルバースタムの作品は、5年の歳月をかけあらゆる手を尽くして関係者にインタビューを展開。鍵となる人物が故人の場合は、その周辺人物を探し出し、知られざる行動や言動、その人の好みや癖みたいな事柄を探り出し、造形していく。日本人だけでもざっと70名、欧米人を含めると300名にくだらない人物(有名人、無名人を含めだ)から直接話を聞き出している。
  だから既知の事柄はなるべく排除され、“美は細部にやどる”という言葉通り、物語はチカラ強く立ち上がり、リアルに読む人の胸に迫ってくる。
  たとえば、ヘンリー・フォード(1863~1947年)の晩年の真実は衝撃だ。若いころの“進取の精神”があとかたもなく消え去り、嫌悪すべき老害をまき散らしながら、まわりを巻き込んでいく。そのことがやがて息子のエドセルを苦しめ、短い一生を終えさせたことを読者は知ることになり、愕然とする。
  半世紀ほど前ホンダが資金調達に苦しんでいた。フォードの子会社になるという提案が持ちあがった。金融・証券企業のゴールドマン・サックスの投資部門のシドニーワインバーグ(1891~1969年:のちゴールドマン・サックスの父と呼ばれる人物)が、その提案者。本田宗一郎は、ヘンリー・フォードを崇拝していたので、心が動いたようだが、フォードの財務部が東洋の吹けば飛ぶような2輪メーカーに歯牙にもかけなかった。もしこのM&Aが成り立っていたら、シビックもないし、ホンダジェットもアメリカの空を飛んでいない。
  米国防長官ロバート・マクナマラ(1916~2009年)を覚えているだろうか? ハーバード・ビジネススクールで学んだのち、わずか20代で、統計学を活用して対日戦線の指揮系統に参画。3月10日の東京大空襲や広島・長崎への原爆投下にかかわった。その人物が、戦後ウイズ・キッド(WHIZ KIDS:若手の天才集団)のひとりとしてフォードに乗り込み、事業を立て直し社長に登り詰める。そして国防長官への足掛かりとしていく・・・・。
  つまり、フォードは半世紀たたないうちに、モノづくりなどちっとも知らない計算に強い人材が自動車メーカーの主役に躍り出る事態となった。
  同じように、日本の日産も、初めはモノづくりにも習熟した鮎川義介(1880~1967年)は、例のお雇い外国人ウイリアム・ゴーハム(1888~1949年)の力を借り、日産の基礎を構築。ところが、戦後になると銀行マンの川又克二(1905~1986年)が実権を握り、そこへ労働貴族の異名をとる塩路一郎(1927~2013年)が絡んでくる。この油の匂いなどまるでしない二人は、モノづくりの世界からは、遠いところで、日産を牛耳っていく。ネクタイ組は、あくまでも数字の世界でクルマをとらえようとする。
  でも、ハルバースタムは、出世から外れた、いわばネクタイが身につかない“傍流”の人物もしっかり視野に入れている。日産ではミスターKこと片山豊(1909~2015年)。フォードではムスタングのアイディアを生み出したドン・フライ(1923~2010年)。二人とも、どちらかといえば「自分でクルマの不具合を直したい!」と考える人だし、「機械にはどこか神聖さが宿っている!」と心の隅で信じている人物。
  原書のタイトル「THE RECKONING」はもともと「計算、生産」という意味。となると、マクナマラや川又などを代表する計算に長けた人物をイメージしたタイトルだと思いがち。ところが、RECKONINGにはもう一つの意味があった。「報い、罰」という意味。計算高い男どもはことごとく、自動車の神様に罰せられる!? 作者のハルバースタムは、どうやら後者の含みで、日本人には分かりづらい、このタイトルを選択したと思われる。(1990年9月刊)

2022年1 月15日 (土曜日)

ぼくの本棚:三本和彦著『「いいクルマ」の条件』(NHK出版)

いいクルマの条件

  1976年(昭和51年)は、雑誌編集記者1年生の駆け出しで、右も左も分からなかった頃だった。「間違いだらけのクルマ選び」が本屋に並び、業界に一大センセーションをもたらしたのは、その年だった。
  これまで予定調和というか、癒着状態というか、自動車業界と自動車メディアが仲良し関係であったのが、筆者徳大寺有恒(1939~2014年)の登場で大きな波紋を広げたのだ。
「本当の筆者は誰だ!?」ということで、犯人探しがはじまり、その時いち早く名前が挙がったのがミツモトさんだった。三本和彦氏(1931年~)。歯に衣を着せずズバズバと発言をしていたからだ。強く記憶しているのは、新車発表会で「(今度の新車は、従来車にくらべ)変わった変わったとおっしゃいますが、一体どこが変わったんですか?」とストレートで毒のある質問がいまでも耳に残っている。評論家としての存在感を示していたようだ。たしかに、当時のフルチェンジにしろマイナーチェンジにしろ、フロントデザインを少し変えたぐらいの変更でお茶を濁していた(そのことで販売攻勢をかける!?)ことが少なくなかった。
  あれから半世紀近くたったいま、同じ日本を代表する大先輩の自動車評論家だが、ソーカツすると三本さんと徳大寺さんはまったく違う。まず文体が異なる。それにもましてクルマを見る視座が違う。
  “間違ったクルマを手に入れ、失敗するのも面白い! それもその人のクルマへの思い、人生観を広げる!”という余裕が三本さんには、ほとんど見当たらない。クルマは人間の自由さと結びつき、日常生活の冒険を意味するゆえに価値がある。このことに気付いていないのか、あえて無視しているかに思える。
  人はやはり時代の子供である。若いころ「クルマなど持てる時代が来るとは思えなかった」そんな世代に属するので仕方がない面はあるが。
  今回取り上げる本は、三本和彦さんのバイアーズガイドである。クルマを購入するときの、手引書だ。
  だから家を買う場合に次いで人生最大の買い物としてとらえてのクルマ購入ガイドである。ものすごく慎重だし、けっきょく≪自分のアタマで考え、自分の責任でクルマを選ぶことの大切さ≫を説いている。そのためにはとにかく、試乗してみて実感として捉えることの大切さをひたすら説いている。
  200ページの新書なので、なぜ、トヨタのクルマがよく売れ、日産があえいでいるか? とか、若者のクルマ離れは、むしろ日本のクルマ社会の正常な進化だ、ということも縷々説いている。そして、なるほどと合点するのは、「建設省(現国土交通省)のデータによれば、日本の全道路の84%が市町村道で平均の車道の幅が3.5mに過ぎなく、国道や都道府県道を含めても、4.0mだ」というのだ。これは1998年のデータだが、いまもさほど変化ないハズ。つまり、全幅1480mmの軽自動車が一番理にかなっており、1700mm未満のコンパクトカー(5ナンバー)がぎりぎりセーフ。全幅1800mmの3ナンバーなどこれから見ると国賊モノと言えなくもない。
  とにかく三本さんは、良き市民という目線から一歩も出ない自動車評論家なのである。休日にはゴルフに興じる市民のひとり。普遍的な自動車への愛があまり伝わってこない。失礼ながら、三本さんの文章に退屈さがにじむのは、読者にも良き市民であるべしという教訓めいた制約が透けて見えるからなのかもしれない。(2004年11月刊)

2022年1 月 1日 (土曜日)

ぼくの本棚:中部博著『和風クルマ定食の疾走-日本的自動車づくりの発想』(JICC出版局)

和風うクルマ定食

  『自動車伝来物語』でユニークなノンフィクション作家の地歩を固めている中部博(1953年生まれ)の国産自動車メーカー訪問記である。メカには詳しくはないが、めっぽうクルマが大好きな筆者の中部氏は、ふと「クルマはどんな考えでつくっているのか?」という好奇心がむくむくとわいてきて、地道にカーメーカーを訪ねまくり、その答えを求めようとする。
  そもそもクルマのことを詳しく語ろうとすればするほど、他者に伝わりづらいものだ。頭を冷やして考えれば、ただの個人的な移動手段に過ぎない乗り物。でも、ふだん足として使うクルマを“愛車”(すでに死語!?)と称したり、なかには愛玩動物のごとくニックネームを付けたり(私の友人はゴンタという名前を付けていた!)、あるいはかつての電車のように○○号と名付ける御仁までいる。そこまでいかなくても、クルマというカタマリのなかに人格が宿っている、と心の隅で思いがちである。たぶんそれは“自分の手足の延長”ということ。だから、クルマは人に語りかけたり、ときには支配までしてしまう。
  この本は、日本のクルマづくりにかかわってきたエンジニアや商品企画担当者、営業マンに素朴な疑問をぶつけ、ときには筆者が子供の頃から積み上げてきた自動車へのあこがれや価値観のなかで自問自答を繰り返す。
  ともあれ、この本のインタビュー時期は1980年代中頃。いまから35年前ほど。登場するクルマは、かなり古い。マークⅡGX81,ソアラ、ホンダ・インテグラ、7thスカイライン、デボネア、マツダ・カペラ、スバル・エルシオーネVX,ダイハツ・リーザ。どんなクルマだったのかにわかには思い出せないクルマが大半。
  当時のクルマはようやくキャブレターから電子燃料噴射にシフトしていった時代。現在のクルマのように、自動ブレーキも付いていない。1台のクルマのなかに10個も20個ものコンピューターを搭載して、エンジンだけでなく、ブレーキ、シャシーの緻密な制御をおこなってはいない。安全性という切り口で比べてみても、隔世の感がある。でも、それは逆に言えば失っているものもある。
  失くしたものの最大級のものは、モノづくりの現場とユーザーの距離感かもしれない。80年代までのクルマは、ちょっとしたメカ知識があれば、手持ちのハンドツールで、自分のクルマの修理が楽しんでやれた。もっとも、イマドキのクルマもメンテナンスだけは、DIYでやれちゃうのだが、手が入る余地の見えないエンジンルームをのぞいただけで、いまどきの若者は門前払いを食らった思いをするのではないだろうか?
  本のタイトル自体が、なんだかゲテモノ風に思えるが、ごくごく普通の感覚のインタビュー記事だ(単行本のタイトルは筆者の手を離れ編集サイドが決めるから)。
  そして読了してみての感想は、けっきょく個々のクルマをあれこれ考えることは、ハンドルを握る自分を見つめることだと気づくことに。「自分は何をクルマに求めているのか?」という問いに始まり、「自分とは何なのか?」「何を人生の目標としていくべきなのか?」そんな哲学めいた問いかけをし始める。(1988年12月発売)

2021年12 月15日 (水曜日)

ぼくの本棚:アーサー・ヘイリー著『自動車』(永井淳訳/新潮文庫)

[自動車」

  前回は「自動車小説」を取り上げたが、ズバリ『自動車』(原題「WEELS」)である。アメリカの流行作家アーサー・ヘイリー(1929~2004年)の手によるGMを舞台にした自動車をとりまく人間模様を描いた小説。
  1971年発表で、2年後の1973年に邦訳されている。そして1978年に新潮文庫に収まっている。物語舞台は、ちょうど大気汚染防止のマスキー法による高いハードルが自動車メーカーに課される少し前、GM,フォード、クライスラーのビッグ3がピークをまさに迎えていた時代。
  ……さすが名うてのストーリーテラーだと感心させられたのは、冒頭で、GMの社長の朝の度肝を抜く光景だ。夜中に電気毛布(たぶんGE製)が不具合になり、地下にある作業室まで工具を取りに行き、高いびきを掻いている妻のベッドの横でブツクサ言いながら分解し修理を始める。これってクルマをふくむMADE IN USAアメリカ工業製品の信頼性の不確かさを暗示しているともいえる。それにしても・・・・身の回りの機械ものをDIY精神で修理する日本のモノづくり上場企業経営者は何人いる?
  この小説、50年前だからといって、すでに風化した事実の羅列に過ぎないのではと思うのは早とちり。瑞々しさを失ってはいない。記憶形状金属を使ってニューモデルを試作する場面が出てきたり、組み立てラインの非人間的な単純作業を強いられる世界を克明に描く。筆者もかつて日産の村山工場でプレスライン臨時工として仕事をしたことがあるので、この抜き差しならぬ精神的苦痛はよく理解できる。GMの開発陣が、競合会社のクルマを手に入れ、部品一つ一つをとことん分解し、研究し尽くす場面も出てくる。銘柄こそ明らかでないが、ある日本車も分解され「4輪のモーターバイクみたいで、こんなクルマを万に一つも知人に乗り回してもらいたくはない!」と酷評。当時アメリカでは歯牙にもかけられなかったジャパニーズカーの立ち位置が分かる。でも数年後にはがぜん頭角を現し、ビッグ3を脅かすのだが。
  この当時のアメリカの小説は、事実を紛れ込ませている。具体的には、GMが1960年代発売したシボレーコルベアというスポーティカーがある。空冷の水平対向6気筒を搭載したRR方式。これがコーナリングで転覆事故が起きる危険なクルマとして、消費者運動家のラルフ・ネーダー(1934年~)の『どんなスピードでも自動車は危険』(1965年刊;邦訳未完)という著書のなかで、大々的に標的にされ、発売中止に追い込まれた事件を描いている。
  小説『自動車』は、文庫で600ページの長編。系統だった教育を受けてこなかったヘイリーは、いぶし銀的職人気質物語作家の印象が濃い。松本清張を思わせる好奇心を燃え滾らせ1年かけて綿密で愚直な取材を敢行し、そこに独自の想像力をまぶし、比類なき表現力でマス目を埋めていく。アルファベットだから、タイプライターのキーを打ちまくる、そんな迫力が紙面からビシバシと伝わる。“調査・取材に1年、構想に半年、書き始め、加筆訂正し入稿まで1年半、合計3年を要する”と制作のプロセスを吐露している。取材対象にどっぷりつかっての手抜きなしの大作だけに、古典とまではいかないまでも長い風雪に耐える作品となっている。
  ちなみに、筆者のアーサー・ヘイリーは、1920年に工場労働者の息子として英国で生まれ、小学校を終えると給仕や事務員として働く。英国空軍のパイロットとして第二次世界大戦を経験、その後カナダに移住し、トロントにある出版社の編集者などを経験、TVの脚本書きをしたのち1956年から作家活動に入っている。総合病院を舞台にした医療小説『最後の診断』、カナダの政界を舞台にした政治小説『高き所にて』、ホテルを舞台に人間模様を描いた『ホテル』、国際空港を舞台にして保険金目当ての犯罪を活写した『大空港』、銀行内部の実態をえぐり出した『マネーチェンジャー』、それに今回取り上げたデトロイトを舞台に自動車業界のあらゆる側面を描いた『自動車』とヒット作を次々に世に送り出した流行作家である。『自動車』を書いたのち、電力会社を題材にした『エネルギー』、大手製薬会社をテーマにした『ストロングメディソン』、事件と報道を主題にした『ニュースキャスター』などを上梓。ちなみに妻のシーラ・ヘイリーも『私はベストセラーと結婚した』(1978年刊/加藤タキによる翻訳は1981年)という著作を残している。

2021年12 月 1日 (水曜日)

ぼくの本棚:沢村慎太朗著『自動車小説』(文踊社)

自動車小説

  『自動車小説』というのがタイトルである。筆者は1962年生まれの気鋭の自動車ジャーナリストである。経歴を見ると、早稲田で美術史を専攻し、自動車雑誌の編集を経験したのち現在自動車の評論に携わっているという。
  それにしても、タイトルが奇妙というか面白い。私の理解だと、そもそも小説という形態は、明治期に強烈な西洋のイブキに触れた文人がある意味自我に目覚め(覚醒?)、自分の体験や見聞を軸に読者のココロに刺さる物語を書き連ねた。それが、読者を獲得し市場を形成して、雑誌文化や映画文化、演劇の世界にまで広がった。ざっくり言えばだ。
  いまやその小説のジャンルは、幅広い。思いつくままに書き連ねると‥‥推理小説、恋愛小説、青春小説、経済小説、政治小説、歴史小説、ホラー小説、冒険小説、SF小説、官能小説などなど、人間が人として動きまわるフィールドだけ小説の種類はあるともいえる。
  だから、自動車をテーマにした小説も、さほど数は多くはないがなかったわけではない。たいていは産業スパイ小説やSF小説にカテゴライズされていたケースである。
  ところが、この本は、『自動車小説』とわざわざ謳っているぐらいだから、自動車のことがざっくり8割がたを占めている。木でできたピノキオ人形が命を吹き込まれ、活躍するように自動車そのものが主体性を維持して主人公となるわけではない。あくまでも元気のいい青年がもっぱらスポーツカーやスーパーカーをあやつる世界。
  これを11個の短編集で描いている。たとえば、『辻褄(つじつま)』という作品では…‥「電装系を確認する。後輪デファレンシャルの作動制限装置は電制。おそらくXKRのそれと同じGKN社製の電制LSDだろう。4輪に適宜ブレーキをかけてクルマの姿勢を整える挙動安定システムは、アクセルを踏みすぎて駆動輪が空転したときにエンジンを絞ることでトラクションコントロールと協調して制御されていて、これはコンソール上のチェッカーフラッグ印スイッチを押せば、通常モードよりも割込みが遅れ、わざわざ姿勢を崩すような運転を許容する辛口モードに切り替えることができる。ここも以前と同じだ。ディメンジョンも1810キロの車重もXKRと同じ。その一方で機械過給されるV8は、排気量も圧縮比もXKRと同じままで馬力が一割ほど盛られている」
  難しい! よほどのマニアでないと理解できないと思う。しかも、息の長い文章だ。野坂昭如もたまげるほど。短文を肝としている新聞社のデスクなら、複数の文章に分解され、赤入れされるに違いない。
  なかには男女の微妙な心のやり取りを織り込んではいるが、こうして切り取られてしまうと、オートメカニックやかつてのカーグラフィックの記事のような特定のマニアにしか通じない世界観。しかも登場するクルマは、ジャガーXKR-S(上記の例文)、ランボルギーニ、フェラーリ、ロータスエラン、ベントレーコンチネンタルGTCなど、生活感のない、とてもじゃないが庶民には手が届かないクルマ。その意味では「トップエンド・ブランド小説」ともいえる。だからか登場人物の造形は、クルマの陰に隠れている。
  たしかに、こうした文章が色濃く表現した小説はこれまでなかった。その意味ではチャレンジングで、筆者の野心が伺える。小説は、人間を描かなければだめという強迫観念が支配的な読者には受けないが、いまや、ケータイでの「ライトノベル」というカテゴリーもあることだし、な~んでもOKなのかもしれない。ともあれこの書物、40~50歳台のクルマ好きには受けるんだろうな。
  ……たとえば、阿部公房の代表作「砂の女」のような一種の幻想小説という器に自動車を投げ込んだ、そんな小説はありうるか? あるいは、70年代にキャブレター(気化器)のパイロットジェットの調整を通して哲学を論じたロバート・パーシングの小説『禅とオートバイ修理技術』のようないっけん親和性のないハイテク機械と哲学の融合など……。大きく飛躍することで新しい物語の地平が開ける。『自動車の小説』のページを閉じて、ふとそんなことを考えた。

2021年11 月15日 (月曜日)

ぼくの本棚:三好俊秀著『テストドライバーのないしょ話』(山海堂)

テストドライバーの

  日ごろあまり表舞台に登場しないテストドライバー。その知られざるお仕事の内容と内面を克明にまとめた一冊である。
  ひとつの項目を見開き計4ページ。それが38個、トータル152ページでまとめている。いわば読み切りコラムを38個集めたページの構成である。編集者(横田晃さん)が悩んだすえの紙面構成であることがうかがえる。文章もよく手が入った感じで読みやすい。通常の本は、4つ5つの章を立てての構成だが、あえてパラレルにぶつ切りにすることで、この特殊な仕事の隅々まで光をあてたい、そんな意気込みが感じられる。だから読後感は悪くなかった。
  自動車メーカーのテストドライバーは、新車の試乗会でもあまり見かけない。と思いきや、実は、我々ジャーナリストが無茶をして壊したクルマの修理(というか主にブレーキパッドの交換が多いが)。これをバックヤードで担っているのもテストドライバーであることを、この本で知った。
  試乗会でジャーナリストに説明する役目は、ほぼ主査やエンジニアたちだ。
  ところが、わずかだが例外もある。スバルの試乗会では、実験屋と呼ばれるテストドライバーに話をよく伺ったものだ。エンジニアよりはるかにハンドルを握る時間が長い彼ら。クルマの挙動を説明するコトバは、常に目から、うろこがボロボロ落ちる感じ。理論だけでなく、日ごろ仕事で身に付けたリアルな世界がにじみ出る。
  テストドライバーの仕事を一言でいえば「クルマの味付け」をおこなう仕事人である。つまり、意のままに扱える気持ちのいいクルマに近づけるかが、おもな仕事。高性能なだけでは、いいクルマにはならない。最高速や加速性能、ハンドリングなどなど数値的には目標を達成しているクルマでも、必ずしも「気持ちのいいクルマ」とはならない。
  数値はOKでも、官能評価ではNGというケース。乗っていて気持ちのいいクルマとは、“過渡特性の優れたクルマ”だというのだ。過渡特性とは、ピークにいくまでのプロセスでのスムーズさ。
  分かりやすい例でいえば、一昔前の過給機、アクセル踏んで一呼吸おいてターボの強い加速が始まる“ドッカンターボ”を思い出してもらえばいい。いきなりパワーが出るようでは、気持ちよさとは逆行だ。リニアにパワーが出るほうがずっと気持ちがいいよね。過渡特性のスムーズさの重要性はエンジンだけでなく、ステアリングやサスペンションにも同じこと。ベテランのテストドライバーは、高い経験値と積み重ねてきたデータをもとに、こうした「気持ちよさへの味付け」をしていくのが仕事なのである。まさに職人のスキル!
  筆者の三好俊英さんは、1949年生まれで、1971年に日産に入社。スカイラインやローレル、それにFF車の開発の黎明期からテストドライバーの仕事に携わってきた超ベテラン。日産が欧州車を越える操安性を目標にしていた黄金期を知る人物だ。この本は、2006年のデビューだから、カルロス・ゴーンが“セブンイレブン”という異名を冠されるほど猛烈に仕事をしていたころでもある。

2021年11 月 1日 (月曜日)

ぼくの本棚:ケン・パーディ著『自動車を愛しなさい』(高斎正訳:晶文社)

クルマを愛しなさい

  『自動車を愛しなさい』と聞くとなんだか、言外に「わたしを愛しなさい!」と恫喝されているような年上女房を持った男の悲哀を思い描いてしまう。
  そもそもタイトルからして、なんだか押しつけがましく、変な匂いのする本だ。しかも1960年にアメリカで出版されている。邦訳された単行本(写真)が日本の本屋に並んだのは、12年後の1972年のことだ。半世紀前! はっきり言って相当古く、それこそトウの昔に忘れ去られていた感じの本である。ひょっとするとエルビス・プレスリーの「LOVE ME TENDER」(やさしく愛して:1952年リリース)に影響を受けたのか?
  ところが、読書家ならわかると思いますが、本の世界は芋ずる式というか、互いに細い糸でつながっている世界。古本屋でふと手にしたリンドバーグの創業者が著した書籍「私のとっておきの本棚」(CGブックス:2007年刊)のなかで、この本を見出したのだ。原題は、『WONDERFULL WORLD OF THE AUTOMOBILE』。そのままの邦訳「自動車の素晴らしき世界」より「自動車を愛しなさい」の方が、本屋の店先で手に取ったときのインパクトは大きい。本のタイトル(映画もそうだが)を付けるのは、結果論でしかないが、本当に難しい。あまり知られてはいないが、タイトルは実は筆者ではなく、チカラ関係から編集者が独断に近いかたちで決められることが多い。だから、ときどき内容とは裏腹な頓珍漢なタイトルが世に晒されることになる。
  いささかこの毒を含むタイトルのおかげで、営業的にはあまりよくなかったと推理する。
  しかも、この本の序で、筆者(KEN PURDY:1913~1972年)みずからが「毛色の変わった本だ」と告白。「私の興味をそそったものだけを書き連ねた、いままでの本の書き方とは異なったものだ」。エッセイだと思いきや短編小説が登場したり、自動車メーカーの辛辣な寸評だったり……。いわば予定調和なしの著者好み120%の構成!? 
  世は、カタチでつくられているとなれば、破綻に限りなく近づく。そんな絶望的な本!? 
  ところが、数ページ読み進めてみると、そんじょそこらのクルマの雑学本とはまるで違うことがわかる。余人をもって替えがたい独自性というものか。一筋ならではいかない、複雑なクルマをめぐる歴史や社会、人間とのかかわりを分かりやすく腑分けしていく。なかでも、伝説的な公道を使ったカーレース「ミレ・ミリア」(1927~1957年:イタリア語で1000マイルの意味)の常に死と背中合わせな世界がよく描かれている。この本で、当時のレースの実態があらためて理解できた。
  この本の底に流れるものには、凡人にはとてもうかがい知れない教養と知性、それに人生の深い悲しみがまじっている。筆者パーディのモノを見る視座が、たんに独自性だけでなく、緻密な取材で構築された強固な背骨を持つのだ。自動車が現在とは比べ物にならないほど“危険な乗り物”だったがゆえに生まれた、触れると血が出そうな、そんな引き締まったシャープな文体も魅力だ。
  彼のプロフィールを眺めると、6歳で父親を失い、地方の大学でまなび、そしてニューヨークに出て3流雑誌(低俗マガジンPulp MAGAZINEの類)への寄稿から始まり、「プレイボーイ」誌など一流雑誌の執筆陣の仲間入りをし、1972年、59歳で銃による自殺を遂げている。一語一語かみしめる価値がある、すぐれた自動車ジャーナリストの仕事ぶりを味わえる一冊だ。自動車関連書籍の≪古典≫と位置付けていいと思う。

2021年10 月15日 (金曜日)

山川健一著『快楽のアルファロメオ』(中公文庫)

快楽のアルファロメオ

  いきなりだが、イタリア経験を冷静に呼び覚まし指折り数えてみる。
  90年代にベータ(BETA)というイタリアのトライアルバイクに乗っていた時期があるし、観光先のニューヨークのアルマーニ店でTシャツを手に入れた。それにイタリア在住だった須賀敦子さんのエッセイや小説にはずいぶんのめり込んだ時期もある。同業者である日刊自動車新聞社の知人のアルファロメオ164Lのオイル&オイルフィルター交換をやったこともある。
  アルファロメオ164Lのオイル交換作業は、強烈に記憶している。このクルマFFのV6エンジンだが、オイルフィルターエレメントがどこにあるのか、上から覗いても、下にもぐり探したが、見当たらない。徐々に不安げな表情が濃くなるオーナーを尻目に、ときどき水中から出て息を吸うアワビ取りの海女さんのように、何度も何度もクルマの下にもぐって、30~40分たった頃ようやく見つけた。ロアアームの上のごく狭い隙間に収まっていたのだ。門型リフトならいざ知らず、フロアジャッキと馬(リジッドラック)で持ち上げたわずかな空間では自由に横を振り向けず、発見が遅れたわけだ。しかも、不思議なことにフィルター自体は手でも回せるほど初めから緩んでいた。フィルターレンチを潜り込ませられないほどロケーションが悪く、前任の整備士さんが手抜きしたに違いない。はっきり言ってヤバい状態だったのだ。
  かつてのイタリア車は、しょっちゅう壊れるので、走っている時間よりも整備工場に入院している時間の方が長い、なんて悪口をいわれていたが、最近はドイツ車に迫る信頼耐久性があるという(アルファロメオの整備士コンテストを取材した際に、耳にタコができるほど聞かされた!)。
  少し前のイタリア車のオーナーは、腹を抱えて大笑いするほどの奇想天外なトラブルを体験しているはずだし、ジャパニーズ・インダストリーとは異次元のイタリアン・インダストリーの醍醐味を感じているはず。
  ところが、筆者山川氏はどうもメカニズムに関心が薄く、不具合を追求して言葉にする好奇心が薄いと見受けられる。そこが少し残念。それでも、活字の世界や映画に登場するイタリア車を紹介したり、独自の取材力でイタリアの、言うに言いがたい魅力に分け入ろうとする。つまりはアルファロメオ車に恋した日本人の一人の男のエッセイなのだ。(文庫版発売は1998年6月)
  筆者のイタリアへの偏愛具合は、大いに興味が持てる。イタリアは、中世のヨーロッパの田舎の臭いがするし、季節でいうと秋なのである。どこか投げやりで、それでいてフレンドリーなアルファロメオの良さがぐいぐいと伝わってくる。数年前ジュリエッタのステアリングホイールを数時間握って横浜の街を走ったことがあるが、そのとき窓外の景色がイタリアンデザインに縁どられた錯覚に陥った。同時にアダージョ(緩やかに)、フォルテ(力強く)、カンタービレ(歌うように)、クレッセンド(だんだん強く)、ダカーポ(曲の最初から繰り返す)、それにフィーネ(曲の終わり)といった音楽の世界の用語が、頭のなかをかけ巡ったのだ。
  コメの飯を食っている日本車オーナーも、懐(ふところ)とパーキング事情が許せば、イタリアン・フードを食べている人がつくるクルマを所有したい。

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