みなさん!知ってますCAR?

2010年12 月15日 (水曜日)

TOP NEWS

小型トラック・キャンターの先進性はデュアルクラッチ

DUONIC  ふだん乗用車ばかりに目を向けていると、乗り物の世界の全体を見ていないことにもなりかねない!?
  トラックの世界も意外と面白いのである。このほど8年ぶりにフルモデルチェンジされた三菱ふそうの小型トラック・キャンターは、1963年に初代誕生以来、なんと8代目に当たるという。小口配送はいまや世界的な潮流で、小型トラックの需要はグローバルな市場だという。乗用車感覚で運転できるトラックという理由で、採用されたのは、デュアルクラッチ式のトランスミッションだ。VWのDSG(ツインクラッチ)、ランサーエボリューションⅩ、GT-Rなどに採用されているのと基本的に同じ手法。マニュアルトランスミッションの好燃費性とATの利便性(2ペダル)を兼ね備えた理想により近いトランスミッションである。
  と言葉にすると簡単そうに見えるが、ゼロからの設計だったという。
  トラックはFR(フロントエンジン・リアドライブ)なので、縦置きのトランスミッション。マニュアルトランスミッションの製造ラインを生かすために、ハウジング(ケース)は共通で、通常のクラッチが占める部分にバルブボディ(油圧制御部)とアウター、インナー各3枚ずつのデュアルクラッチ(湿式)を巧妙に収めている。モノづくりではゴミを異常に嫌うのでクリーンルームでの組み立てだという。DUONIC(デュオニック)の愛称を持つこのトランスミッション。従来型のAMT(MTの電子制御タイプ)に比べ変速ショックが劇的に小さくなり、変速時のトルク抜けも限りなくゼロになり、燃費向上とスムーズな走りが実現できている。先日河口湖で試乗した限り、乗用車とまるで同じで退屈!? なほどだった。ちなみにキャンターの価格は418万円台からだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

三菱自動自動車の光と影 知られざるスリーダイヤモンド物語 第10回

三菱500  こうした三菱の習作ともいうべきクルマ造りの経験を基にして、三菱は戦後初の自社製作の乗用車をデビューさせた。1960年発売された三菱500(写真)がそれだ。三菱A型乗用車から数えて、43年目のことである。全長3140ミリ、全幅1390ミリ、全高1380ミリ、ホイールベース2065ミリ・・・・現代の軽自動車より一回り小さい軽自動車サイズである。
  このクルマは、よく知られているように1955年に通商産業省が打ち出した≪国民車構想≫に応えたものである。この国民車構想というのは正式には「国民車育成要綱案」というもので、この中身は以下の3つに集約される。

1. 最高速度100キロ以上で、乗員が4名。燃費はリッターあたり30㎞/ⅼ以上走行可能。
2. 月産2000台の場合、工場原価が15万円以下、最終価格が25万円以下。エンジンの排気量は350~500㏄。
3. 通産省はこの条件を示し、一定期間までに試作を奨励する。試験したうえで量産にふさわしい1車種を選定し、財政資金を投入し育成をはかる。

  現在インドのタタ(TATA)のナノ(NANO)というマイクロカーが話題にのぼっているが、昭和30年ごろの日本にもちょうどそんな空気が充満していたのである。当時の技術力を考えれば、これはかなりハードルが高い。この条件を満たすクルマをつくるのはとうてい無理があった。いわば通産省の音頭とりというカタチで、日本の自動車メーカーが国民車をイメージしたクルマをつくったのである。三菱500だけでなく、トヨタのパブリカ(1961年10月デビュー)もそうだし、少し前のスズキのスズライト(1954年10月)もそうした背景で誕生したクルマだった。

カーライフ大助かり知恵袋2

侮るなかれ! 台湾のカー用品

台湾用品  一昔前なら≪台湾製品は安かろう、悪かろう≫の世界であったことは事実。
  ところが、ここ数年の台湾製品は、バカにできないクオリティを持っている。先日、台湾に出かけ、自動車部品工場8つを立て続けに取材したのだが、想像以上に確かなモノづくりを展開している企業が多かった。中国は現在「世界の工場」という存在だが、台湾はその雛形を30年前につくったともいえる。日本車の部品の多くも台湾製が少なくないし、工具や用品も日本の企業のブランドを持ったOEM製品が少なくない。世界的に名乗りを上げている台湾ブランドも徐々にではあるが、注目されている。
  そのひとつが、台中(たいちゅう)にある「KING ROOF(キングルーフ)」。この企業は、1977年創立。30年以上バイクキャリアやスキーキャリアを製造販売しており、従業員が80名。6名の製品開発スタッフが、つねにオリジナル豊かな製品づくりに励んでいた。風洞実験や耐久試験風景を見せてくれた。より軽く使いやすい、耐久性にすぐれた製品が結局は信頼を勝ち得ることを十分承知しているのである。
  この企業は数年前からBN‘B RACK(ビーエンド・ビー・ラック)という新ブランドを立ち上げ、ノバ(NOVA:写真)という商品を提案した。これは世界初のカーボンファイバーとアルミボディのハイブリッドタイプで、空力にすぐれ、飛び切り軽い(4kg)という。巧妙な設計でバイク(自転車)とフレームと干渉しないデザインだという。www.bnbrack.com

愛車メンテのプラスアルファ情報

グリップを回すことで締め付け緩めができるラチェットハンドル

ストレート  ハンドツールは文字通り≪手に掴んで使う道具≫なので、たいていは持っただけで使い方がイメージできる世界。ところが時々、「えっ!なに、これ?」とつぶやきたくなる部類の工具が世の中には存在する。
  今回見つけてきたラチェットハンドルもこの仲間。商品名「3/8インチ・ラチェットレンチ・ツイストタイプ」である。左右の切り換えレバーがないのである。ソケットを取り付け、ふつうに使えなくはないのだが、面白いのはグリップを回すと差し込み角部が回転する。つまり振り角度が十分に取れない狭いところにあるボルトを脱着するのに実に便利。しかも左右どちらに回しても同じ方向に締め付けることができる点だ。では左右に切り換えはどうやるのか? 差し込み角部を指で押すと逆側に押され、その状態で逆回しができるという仕掛けなのである。
  言葉で説明するのが実にもどかしくなる工具である。一度使うと「なるほど!」と思わせる。そんなラチェットハンドルなのである。価格は、2980円。(株)ストレート https://www.straight.co.jp で扱っている。

2010年12 月 1日 (水曜日)

TOP NEWS

軽自動車専門のエンジンリビルト基地を発見!

BRE関東 「東日本にはエンジンのリビルト(再生)事業会社というのはないのです。ですからうちはBRE関東と命名したのです」
BREというのはベスト・エンジンエンジニアリングの略だそうだ。埼玉県越谷市大松にその工場はあった。設立が平成17年というからまだ6年ほどしかたっていない成長著しいリビルト工場。注目したいのは、この工場の扱うエンジンの大半は、軽自動車のエンジンだということだ。タイヤの径が12インチ(13インチもあるが)にもかかわらず軽自動車は普通乗用車同様ハイウエイを時速100キロ、120キロで走行している。これを考えるとタイヤが受ける負荷だけでなく、エンジンだってつらい。しかもエンジンオイル容量が普通車に比べ1リッター近く少ないし、かてて加えてユーザーの意識も下駄代わりの感覚。しっかりエンジンオイルの管理を励行している向きも少ないようだ。しかも低収入時代で、いまや維持費が安いことが受けて軽自動車はどんどんシェアを伸ばしている。
この工場は約20数名の作業員は分解、洗浄、機械加工、組み付け、テストの各工程で活躍中だ。出来上がったエンジン1機1機に責任者の手書きのメッセージを添えて、全国に送られていた。このエンジンリビルトのマネージメントをしているのが面白いことに、10数年前までF1エンジンの組み付けやメンテナンスで、世界を回っていた山浦靖雄さん(39歳)。当初は、レーシングエンジンのノリで、過剰なオーバーホールで採算が合わなかったが、徐々にF1で培った独自の許容領域でのリビルト技術を完成され、他では真似できないという滑らかで高い信頼性のリビルトエンジンを提供している。https://www.bre-kanto.co.jp

カーライフ大助かり知恵袋1

三菱自動自動車の光と影 知られざるスリーダイヤモンド物語 第9回

ヘンリーJ 1950年に、東日本重工がアメリカのカイザー・フレーザー社と1950年に提携。翌年の1951年6月から川崎工場で4気筒エンジン車のヘンリーJをノックダウン生産したのである。カイザー・フレーザー社とは社名がコロコロ入れ替わったこともあり、あまり聞きなれない自動車メーカーだが、第2次世界大戦の終了直前の1945年にグラハム・ペイジ社(日産が一時提携していた企業)の経営をしていたジョセフ・フレーザーと≪アメリカ近代造船の父≫といわれたカイザー・インダストリーズのヘンリー・カイザーの2人が組んだ自動車会社。当時、アメリカの自動車市場はビッグ3に牛耳られていたが、それにチャレンジした自動車メーカーだが、結論から先に言えばこころざし半ばで不発に終わっている。日本で1951年からノックダウン生産されたヘンリーJは、当初4気筒OHV2.2リッター搭載車だけだった。途中、排気量2638ccの直列6気筒エンジン車も追加され、1954年(昭和29年)1月まで計509台をラインオフしている。フレーム付きボディである。生産数509台のうち、200台近くは当時米国保護領だった沖縄やタイへ、さらに一部はアルゼンチン、ブラジル、ウルグアイなどの中南米諸国にも輸出された。
当時は、日本経済はいまだ戦後の混乱期の中にあり、とても庶民が自動車を手に入れる空気ではなかった。日本での販売会社・東日本カイザー・フレーザー株式会社を設立したが、もっぱらアメリカ軍属を目当てに作られたため、この程度の生産数で終わった。当初2ドアで左ハンドルという形態も販売に結びつかなかった要因のようだ。だが、この事業で三菱としては生産のノウハウ、プレス技術や塗装の技術の向上に結びつけることができたという。
ヘンリーJの組み立ての関しては、米国からスポット溶接機を導入するだけでなく、塗装は赤外線と焼き付けをおこなうなど、当時としては最先端の生産技術を取り入れ、同業他社からの見学者が引きもきらなかったという。ちなみに、その後、日産が英国オースチン社と、いすゞが英国のルーツ社と、日野ヂー-ゼル工業がフランス・ルノー公団とそれぞれ技術援助提携を結び、ノックダウン生産を始めたことを思えば、三菱はこの面では一歩先をリードしていたともいえなくもない。

カーライフ大助かり知恵袋2

手の込んだ整備士コンテストの世界とは?

VWコンテスト風景 秋になるとインポーターのサービスマンコンテストがあちこちで展開される。要するに日頃実力を培っている全国の優秀なメカニックやアドバイザーと呼ばれるディーラーの現場のスタッフのコンテストである。
例年、何かひとつ感心させられることがあるが、今回はVWのアドバイザーのコンテストだった。「20キロ離れた自宅から不満をぶつけに来たお客様で、その不満とは外気導入にすると車内のニオイが酷いというもの」だった。お客様は、TVにも出てくるという俳優さんだ。そのクルマちょうど車検を前にしていたタイミングだったこともあり、選手は異口同音に「エアコンのフィルターが交換次期に来ています」という説明。つまりエアコンのフィルターが駄目になったからニオイが酷くなったというステレオタイプの発想をした選手がほとんど。このお客さんのクルマは普段木の下に停めていて、落ち葉がフードとフロントガラスの根元に溜まり、それが腐ってニオイを発していたことを突き止められなかった。VW車の多くは、溜まった落ち葉を除去しづらい構造になっているのだ。だから、役者であるお客様は、開いた口が塞がらないというわけで極端に言葉少な目。車検プログラムの提案をしても「検討します」というばかり。この場合の、「検討します」はほかのディーラーに行くよ、に限りなく近い!? だから、「いつご返事いただけますか?」とお客様に切り返すべきところなのであるが・・・10名の選手の誰からもその言葉は聞けなかったという。わずか15分間のコンテストだが、中身がいっぱいだった。

愛車メンテのプラスアルファ情報

コストコで手に入れたアメリカ発台湾製ラチェットハンドル

MASTERGRIP 「これほどてんこ盛り機能を満載したラチェットハンドルなど聞いたことがないぞ!」
このツールを手にした人はたぶん全員、異口同音にそんな言葉をつぶやくに違いない。今回も前回同様に台湾ツールである。ヘッドを見ると、両サイドに差し込み角3/8インチと1/4インチの2つの差し込み角を持つ、いわば両刀使い! 面白いというか、笑えるのは、これだけではない。グリップの根元のリングを前方に押すと、まるで望遠鏡のごとく、テレスコピック機構があり、あっという間に全長が短くなる。スケールで正確に測るとノーマル時の長さが220ミリあったのが、縮むとわずか160ミリになるのである。
手に持った感触は、通常のラチェットハンドルに比べずいぶん重い感じ。秤で測定すると、322gもある。ふつうの3/8インチのラチェットハンドルが200g台の前半なのにくらべ、約5割り増しの重量アップ。多機能ぶりを仕込んでいるだけにある意味仕方のないところ。
振り角度を左右するうえで、気になるギア数は、72ギアとかなり多い部類。わずか5度の振り幅で使える。切り換えレバーの軽やかに動く。ただし、機構上仕方がないが、グリップと軸のガタが大きく、使用フィールは重量級ということもあり、あまり好ましくない。
このツールの入手先は、アメリカからやってきたメガスーパーマーケットCOSTCO(コストコ)。価格は、正確ではないが、ほかに3つのラチェットハンドルが付いて、4000円前後だった。だからこれだけなら1本1000円ちょっと。パッケージを見ると製造元は台湾だが、販売はLAのロングビーチにあるMASTERGRIP(www.alltradetools.com)である。


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