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2012年3 月15日 (木曜日)

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福山市にある自動車時計博物館の不思議

福山自動車時計博物館  かつては博物館といえば≪すでに死んでカビが生えた物体の陳列場所≫というイメージだった。そんなものを見ても、何も聞こえてこないし、語りかけてこない。生きている世界こそ、一番だと思っていた。未来はたとえ過去の延長であっても、未来への見通しは現在から見るだけで手いっぱいだったからだ。
  ところが時間の経過で、人の思いも変わるものだ。
  いま自分があるのは過去がある・・・親父やオフクロ、それにお爺さんのお婆さん、そのまた親父やオフクロ・・・考えれば当たり前のことだが、自分が人の親や、人の祖父になりつつあると、考えも変化するもののようだ。そんなわけで博物館ほど、面白いものはないと思うようになった。
  ぼんやり眺めるのみいいし、写真を撮ってあとであれこれ調べて楽しむのもいい。とりあえず、博物館に出かけると、何かしら収穫物があり、インスパイヤされることが少なくない。
  広島県の福山市に「福山自動車時計博物館」というのがある。
  1989年設立だから、かれこれ4半世紀ほどたつ。迂闊にも広島に出かけたおり、その存在に気が付き、はじめて伺った。ボンネットバスとボンネット消防車のリストアやマツダの三輪乗用車のレプリカ、それに日野自動車の「コンマース」というFFレイアウトのワンボックスバンなど、ほかの博物館では見ることができないシロモノに対面できる。展示車両を乗ったり触ることもできる。いつ完成するか分からないダイハツの三輪乗用車「ビー」も専属リストア職人の手でただいま再生中だった。この博物館の多くのクルマが映画やTVで出演していて、そこからクルマやそのクルマが活躍した時代を知るのも面白い。クルマだけでなく和時計やタワークロックも見ることができる。館長の能宗孝(のうそう・たかし)さんは、マンションを11棟持つ地元の不動産王だが、商店街を活性化するプロジェクトを進めたりの異色の経営者。主任学芸員の宮本一輝(みやもと・いつき)さんも学生時代古墳の研究をしていたユニークな人物。http://www.facm.net

カーライフ大助かり知恵袋1

大正100年 日本人のクルマはじめて物語 第2回

フランス人技師  われわれの祖父母が少年もしくは青年時代を送った大正時代とは、どんな時代だったのか? 
  ひとつは、大衆文化が誕生した時代であった。日露戦争(1904~1905年)後すでに義務教育が徹底して1940年(明治40年)には、これまでの4年以内だった義務教育が6年生となり、ほとんどの人が文字を読めるようになった。識字率の飛躍的な向上というやつだ。庶民の手紙も、いわゆる候文から言文一致体の文章も徐々に広がりつつあった。都市を中心にインテリ層が増加し、活字文化を支えて側面もある。新聞が100万部を超え、岩波文庫が誕生し、講談社の前身である大日本雄弁会講談社の雑誌「キング」が100万部を越えたのも大正期である。活字だけでなく、大正の末には、ラジオ放送が始まり、レコードの販売数がうなぎのぼりとなり、歌謡曲が全国に流行したのもその頃だ。流行歌の誕生だ。
  都市を中心にライフスタイルが大きく変化したのもこの時代だ。
  洋服の普及、和洋折衷の食生活、鉄筋コンクリート造りの公共建築、家庭のおける電灯の普及、水道・ガス事業の発展など現代の生活につながるモダンライフの萌芽が都会では見られている。だが、こうした大衆文化や近代化は、当時多数派だった農村にまでは普及せず、都市と農村の格差が際立ち始めたのもこの大正時代からだ。
  自動車という乗り物が、日本に始めてやってきたのは明治31年(1998年)。フランスの技師のジャン・マリー・テブネという青年が日本に工作機械を販売しようという野心を秘めて来日したのがキッカケ。パナール・ルヴァソールを携え、フランスの機械技術を近代的な工業製品である自動車で伝えようとしたらしい。ところが、日本はまだ人力車、大八車の時代。当時の日本人には、はるか雲の上の乗り物。現代でいえば自家用ジェット機をみる眼差しだったようだ。

カーライフ大助かり知恵袋2

次世代型電気自動車の技術革新が加速中!?

インバーター一体EVモーター  三菱のアイミーブと日産のリーフ。ジャパニーズ製電気自動車は、とりあえず出揃った。
  車両価格は今後量産が進めばある程度解決するが、大きなハードルがある。1充電の航続距離が実用上100キロあたり、充電時間がクイックでも数時間もかかるという宿痾(しゅくあ)ともいえる足かせだ。充電設備というインフラの整備を数えると、計4つの大きな課題が横たわる。今後電気料金が高騰する予測もあるの、ランニングコストに夢を託せなくなる恐れもある。
  だが、限りある化石燃料の現実を突きつけられれば次世代のパーソナルモビリティは、電気自動車しかないというのも共通した見通し。こうしたことを背景に自動車メーカーだけでなくさまざまな企業が次世代電気自動車の技術革新に心血を注いでいる。
  自動車のオルタネーター、産業用モーター、鉄道のモーターなど多岐にわたりモーター技術を培ってきた三菱電機は、このほど電気自動車用のモーターの開発をお披露目している。電気自動車の主な構成は、モーター、インバーター、電池、それに制御システムだが、電池の直流を交流に変えるインバーターをモーターと一体化したモジュール化に成功したのだ。これにより容積比を半分に重量を10%減となったという。しかもモーターの集中巻構造により巻線密度を高め、インバーターのパワー半導体素子をシリコンカーバイト〔SiC〕にすることで、モーター出力を5%改善し、従来のインバーターに比べ損失を半減。
  今後電池の性能向上も進み、車体の軽量化も平行しておこなわれる予測なので、5年後10年後の電気自動車は、たぶん見違えるほど性能向上するはず。でも、こうした進化も、いま販売している電気自動車が売れなければ現実とはならないわけで、技術の進化も一筋縄では行かない!?

愛車メンテのプラスアルファ情報

『ねじとねじ回し」という翻訳本の評価

ねじとねじ回し  2003年に早川書房で出版されたヴィトルト・リプチンスキというスコットランドのエジンバラ生まれの大学の先生の書いたネジにまつわる歴史物語が、昨年文庫に収まったのを期に手にとって見た。
  ネジの話ですぐ思い出すのは、1543年に種子島に流れ着いたポルトガル人から手に入れた火縄銃。この火縄銃が戦国時代を変え、やがて織田信長の天下統一につながるのだが、尾栓(びせん)と呼ばれるオスネジの相手つまりメスネジの製作が長くマル秘事項だったという逸話。それと、終戦直後フォードの工場を見学した本田宗一郎氏が、工場内の床に落ちていたネジをポケットに入れて持ち帰ったという逸話。フィリップス・ネジだ。
  この本はそんなエピソードとはほとんどかすりもしない。西洋で発明されたネジのルーツはどうやら甲冑の蝶ネジ(ウイングナット)だったらしい。自動車製造を支えたフィリップネジのライバルにロバートソンネジがあり、そのネジのほうが実は性能が高かったという話・・・・著者自身が建築学や都市学の専門家で機械屋さんでないこと(21世紀を迎えるにあたりミレニアムの記念でニューヨークタイムズの編集者からの依頼がキッカケ)、翻訳者も女性のためもあり、特に機械やねじに強くはないこともあり、まるで油の香りはおろか機械の音も聞こえてこない。靴の上から痒いところを掻いている感じは避けられない。ボルトとナットに思い入れを抱く人には少々お高く留まった本に見えるかもしれない。
  でも救われるのは、元旋盤工にして小説家の小関智弘さんの解説。少し昔のねじきり職人の姿が活き活き理解でき、リアリティ溢れる。これだけ読むだけで幸せな気分になれる。早川ノンフィクション文庫。600円だ。


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