みなさん!知ってますCAR?

2012年5 月15日 (火曜日)

TOP NEWS

メイド・イン・東北のカローラの期待値

新型カローラ  新型カローラが世の中に船出した。
1966年の誕生以来、11代目にあたるという。驚くべきことに世界販売台数の累計が、3900万台を数える、文字通りの世界のベストセラーカーだ。コロナという小型車が消えて久しいが、カローラは、クラウンとともにトヨタを代表する車種のひとつであることに間違いがない。
  でも、いまなぜカローラなのか? ヴィッツをはじめいわゆるファミリーカーと呼ばれるコンパクトカーは少なくない。昔の名前のカローラのどこに新基軸というか、存在意義があるのだろう? 取材をすると、どうやら、カローラというクルマにトヨタは、ピンチになっている日本のモノづくりにかけようという意気込みのようだ。
  東日本大震災で被害をこうむった宮城県のど真ん中にある人口5000人の唯一の村である「大衡村(おおひらむら)」に新工場を作り上げ、コンパクトカーの生産拠点にするという。トヨタは、これで、中部地方、九州地方、それに宮城の3つの自動車作り拠点を日本に完成させたことになる。円高で国内生産にあえぎの声があがるなか、なんとか“マザー工場”を充実させようというのが狙いのようだ。
  “東北生まれ”の新型カローラのハード面での見所はどこだろう?
「大人4人が安心・安全、快適に長距離を移動できるミニマムサイズのクルマ」が大きなコンセプトだという。そのため、1.5リッター、1.8リッターのほかに、1.3リッターを復活させ時代が求めるファミリーカーの王道を追及している。全長が今回初めて50ミリ短くなった。奇しくも終戦直前まで高高度戦闘機を開発し続けた経験を持つ、初代カローラの主査だった長谷川龍雄氏を思い出す。彼が創り出した≪地球人の幸福と福祉のためのカローラ≫という標語がダブル。トランスミッションは、CVTのほかに5速マニュアル車も揃えているのも、ロングセラーカー故なのかもしれない。ちなみに、1.3リッターの1NR-FEエンジンには吸排気にVVT(バリアブル・バルブ・タイミング機構)を採用し、JC08モード燃費が20.6km/l。車両価格は、155万円から。

カーライフ大助かり知恵袋1

大正100年 日本人のクルマはじめて物語 第6回

エスカレーター  大正3年(1914年)3月から7月まで、東京の上野公園で「東京大正博覧会」が開催された。ロープウエイ、エスカレーター(写真)が会場に設置され、飛行機の編隊飛行がおこなわれるなど、当時の最先端技術で庶民の度肝を抜いた。約4ヶ月間でのべ746万人が来場したという。注目を集めたのは、自動車だった。国内外から10数台が出品・展示された。大半は輸入車だったが、国産車はいまだ個人による研究、開発の時代。というのは、岩倉具視(いわくら・ともみ)らの欧米視察派遣団による刺激で富国強兵・殖産興業などの明治政府の官民一体の青写真が描かれ、鉄道敷設や重工業振興が図られ、日本は急速に近代化の道を進む。だが、その視察派遣団が帰国(1873年)後、30数年たって自動車産業が欧米で沸き起こったため、自動車産業を国家事業として視野に入れることが適わなかったという事情がある。
  そんななか、東京大正博覧会では、橋本増治郎の快進社自働車工場製「ダット号」、宮田栄助の宮田製作所「旭号」が展示され、褒章を受けている。ダット号は、のちのダットサンのルーツで、日本の代表的国産車の礎を築いた存在だ。
  いずれにしろ、大正時代の始め、自動車は徐々に人々の前に登場してくるものの、多くの一般大衆にとっては文字通り「別世界の乗り物」であり、大部分の大衆にとっては、いまだ「無縁の存在」。その利便性を実感するのはあと10年ほどの時間が必要だった。

カーライフ大助かり知恵袋2

カローラフィールダーのバックドアは樹脂製

樹脂製のバックドア  旬(しゅん)の男優・小栗旬クンの1人二役の新型カローラのTV/CFは、いっけん別人だと思わせるところが面白い。そのカローラフィールダーのバックドアは実は、樹脂製なのだ。
  樹脂にもいろいろあるが、TSOP(トヨタ・スーパーオレフィン・ポリマーの略)で、従来の複合PP(ポリプロピレン)にくらべリサイクル性を高めた熱可塑性樹脂。1991年からトヨタ車の新車の内装素材などにどんどん使われ始めている。
  でも、バックドアのように大きな面積の外装部品にTSOPが採用されたのは、たぶん始めて。厚みは2.8~3.0ミリで、要所要所に板金の補強を追加している。開発者に言わせると、使用時の変形や寸法変化をいかに小さくするかだったという。面積が大きいぶん、熱変形も大きくなりがちだからだ。コストは、従来、つまりオール板金製にくらべ10%ほどダウンさせたという。単体重量は、金属製にくらべ2.5kg減の21.4kgだ。部品点数も内装トリム類を一体化、プルハンドル(取っ手のこと)を一体化するなどで、従来の13点から10点と3点減ったという。ちなみに、新型カローラは、車体全体で40~50kgの軽量化を実現しているが、バックドアの樹脂化もそれに貢献しているということだ。

愛車メンテのプラスアルファ情報

1/4と3/8の両方に対応! ソケットホルダー

ソケットホルダー  ハンドツールのなかで一番使用頻度が高いとされるソケットツール。ところが、そのソケットツールには盲点ともいうべきところを持つ。相手のボルトやナットに合わせて、いろいろなサイズのソケットをスタンバイしなくてはいけないからだ。ソケットは小指の先ほどの小さいものから、親指のひとまわり、ふたまわり大のものまで、ざっくり10個以上揃えておかないと安心できない。差し込み角が1/4インチ、3/8インチ、1/2インチ・・・とある。これを上手く整理し、必要に応じてすぐ取り出せるようにしておきたい。こうしたことは誰しもが1度や2度は頭を悩ます問題。
  従来型のソケットレールは、差し込み角が3/8インチなら、それ以外のタイプには使えなかった。ところが、ここで紹介するのは、両サイドにソケットコマをホールドできる小部品を取り付けるので、片側1/4インチ、他方3/8インチと整理できる。レール本体はアルミ製で、ソケットホールド部(クリップ)はPP(ポリプロピレン)の樹脂製。実際使ってみると、とても具合がいい。スチール製にありがちな硬かったり、緩かったりせず、スピーディに付けたり外したりができる。ホルダー自体も、簡単に入れ替えることができるので、好みでレイアウトできるのもいい。1/4,3/8インチそれぞれ8個ずつホールドできる。全長は250ミリで、重量は80グラムと軽い。購入価格は、384円とウソみたいに安いのも美点だ。ソケットホールド部(クリップ)はスペア部品として1個100円だそうだが、部品代のほうが割高なのが不思議。

2012年5 月 1日 (火曜日)

TOP NEWS

100年以上前の英国自動車レースに出場した男の虚実!

トップニュース  歴史的事実として長年信じられてきたことが、実は真っ赤なウソだったということは案外ある。中学の教科書などでお馴染みの足利尊氏(あしかが・たかうじ)とされてきた髭をたくわえた人物は実は別人だった、というニュースを思い出す人もいるかも。
  自動車草創期の英国で、日本人初のレーサーとして長く記録されていた大倉喜七郎(1882~1963年)は、1907年、ロンドン郊外にあるブルックランズ・サーキットでのレースにフィアットで出場しみごと2位に入賞した。喜七郎みずからがハンドルを握りサーキットを猛スピードで走った・・・。筆者も長くそう信じてきた。ところが、先日入手した1989年刊の『男爵 元祖プレイボーイ 大倉喜七郎の優雅なる一生』(文芸春秋社)によると、「助手席でナビ役」をしていたに過ぎないことが判明した。どうやら、華麗なハンドルさばきで大活躍! というのは後の世の人が描いた勝手な想像。
  ケンブリッジ大学で学んだのち5台の欧州車を手土産に持ち帰った喜七郎氏は、その後の書物のなかには「整備もできた・・・云々」という尾ひれまで付けて書かれている場合もある。だが、帰国後もいつもお抱え運転手付きで、一度もクルマの運転をした形跡もないし、そもそもイギリス滞在中1日20ポンドでダイムラーのハイヤーを雇っていたといわれる。学生の身分で、いまの日本円で1日10万円近いお金を移動だけに使っていたのだ。
  喜七郎は、バロンと呼ばれ、ありとあらゆる趣味にお金を費やし、優雅に暮らした男。帝国ホテル、ホテルオークラ、川名ホテル、大倉山ジャンプ競技場などの建設に尽力。日本初の自動車専門の輸入会社・日本自動車を設立、オーナードライバーの団体を作り上げてもいる。1911年には、明治天皇の御料車の製作監督のために英国などに出向いている。大正初期の日本の自動車業界のオピニオンリーダーであり文化活動に貢献したことは揺るぎがない。面白いのは、若いころ、運転手に向かってこの階段をクルマで降りろと命じ、「若旦那様、そりゃ無茶でございます」と答えたら、その背中をステッキでしたたか打ち据えたというエピソードが残っている。英国でトライアル競技を見知っていてのことなのか、はたまた単なるわがままなボンボンの冒険心から出たことなのか!? ちなみに、くだんの本は、喜七郎とは37歳違いの異母兄弟・大倉雄二氏が書いた本だ。

歴史的事実として長年信じられてきたことが、実は真っ赤なウソだったということは案外ある。中学の教科書などでお馴染みの足利尊氏(あしかが・たかうじ)とされてきた髭をたくわえた人物は実は別人だった、というニュースを思い出す人もいるかも。

自動車草創期の英国で、日本人初のレーサーとして長く記録されていた大倉喜七郎(1882~1963年)は、1907年、ロンドン郊外にあるブルックランズ・サーキットでのレースにフィアットで出場しみごと2位に入賞した。喜七郎みずからがハンドルを握りサーキットを猛スピードで走った・・・。筆者も長くそう信じてきた。ところが、先日入手した1989年刊の『男爵 元祖プレイボーイ 大倉喜七郎の優雅なる一生』(文芸春秋社)によると、「助手席でナビ役」をしていたに過ぎないことが判明した。どうやら、華麗なハンドルさばきで大活躍! というのは後の世の人が描いた勝手な想像。

ケンブリッジ大学で学んだのち5台の欧州車を手土産に持ち帰った喜七郎氏は、その後の書物のなかには「整備もできた・・・云々」という尾ひれまで付けて書かれている場合もある。だが、帰国後もいつもお抱え運転手付きで、一度もクルマの運転をした形跡もないし、そもそもイギリス滞在中1日20ポンドでダイムラーのハイヤーを雇っていたといわれる。学生の身分で、いまの日本円で1日10万円近いお金を移動だけに使っていたのだ。

喜七郎は、バロンと呼ばれ、ありとあらゆる趣味にお金を費やし、優雅に暮らした男。帝国ホテル、ホテルオークラ、川名ホテル、大倉山ジャンプ競技場などの建設に尽力。日本初の自動車専門の輸入会社・日本自動車を設立、オーナードライバーの団体を作り上げてもいる。1911年には、明治天皇の御料車の製作監督のために英国などに出向いている。大正初期の日本の自動車業界のオピニオンリーダーであり文化活動に貢献したことは揺るぎがない。面白いのは、若いころ、運転手に向かってこの階段をクルマで降りろと命じ、「若旦那様、そりゃ無茶でございます」と答えたら、その背中をステッキでしたたか打ち据えたというエピソードが残っている。英国でトライアル競技を見知っていてのことなのか、はたまた単なるわがままなボンボンの冒険心から出たことなのか!? ちなみに、くだんの本は、喜七郎とは37歳違いの異母兄弟・大倉雄二氏が書いた本だ。

カーライフ大助かり知恵袋1

大正100年 日本人のクルマはじめて物語 第5回

初期のバス  当時乗合バスといった路線バスは、京王電気軌道の乗合自動車をはじめとして、東京市外乗合自動車、大正3年に猿投(さなげ)から名古屋の新栄までを運行した愛知県の尾三自動車、大正2年に岐阜から小坂、関~下呂間などドイツ製ローレライ号をベースにした定員6名の幌型自動車6台を使った岐阜県の濃飛自動車など各地で運行されはじめた。
  大正2年4月15日、東京の京王電気起動㈱が、新宿追分~笹塚間と調布~国分寺間を乗合自動車で運行したのが、東京における乗合自動車のはしりだといわれる。つまり東京初の乗合自動車は、電車開通までの臨時措置だったのだ。なお、日本初の乗合自動車は、明治36年、京都の二井商会(にせいしょうかい)の福井九兵衛らにより、現在の京都駅から堀川中立売・祇園石段下間の路線で始まったのが、事始めだといわれる。
  面白いのは、当時「女運転手」と呼ばれる女性プロ・ドライバーが誕生したことだ。大正6年のことで、東京で17歳と23歳の女性ドライバーが同時に出現している。当時の読売新聞や女性雑誌「婦人公論」で大きく伝えられている。一方「女車掌」と呼ばれる女性の車掌は、まず電車の世界で大正7年に岐阜の美濃電鉄で2名の女性車掌が産声をあげている。いまや車掌とは死語だが、車内での管理や業務をおこなう乗務員のことだ。乗合自動車では、大正9年に東京市外自動車(通称青バス)が一般公募し採用試験をおこない、大正13年12月までに177名の「女車掌」が生まれている。それまで主に少年がおこなっていた車掌業務が女性にとってかわられたのだ。大正の中ごろには、“バス・ガール”と呼ばれ、現在の「山ガール」を初め「○○ガール」などにつながる。

カーライフ大助かり知恵袋2

インチねじの世界をちらっと覗く

インチねじ  このブログの読者にインチねじで苦労している人はまずいないと思うが、知ったかぶりをするうえで少しインチねじの入り口に招待したい。
  たとえば・・・♯8-32×1 1/4
♯8は、「呼び径が8番のボルト」であることを示し、32は「1インチ(25.4ミリ)あたりにある山の数が32」であることを示す。1 1/4はそのねじの長さが1.25インチであることを示している。ネジ径の呼びは、ゼロから1,2,3,4・・・と12まであり、徐々にねじ山の数が減っていく。それ以上のネジ径の太いねじは1/4インチ5/16インチ、3/8インチ、7/16インチ・・・となる。もちろん呼び径が同じでも、山の数は異なるケースもある。たとえば、♯10には、比較的頻度の高い24山と32山タイプがあるし、♯3/8では16山と24山などがある。なかなか複雑だ。メトリックスねじ(メートルねじ)で一番頻度の高いM8(ネジ径が8ミリ)はインチでは♯5/16のインチねじと酷似。ところがこの♯5/16にも18山と24山があり、いずれもM8と同じ太さだが、前者はM8よりピッチが荒く、後者はM8よりもピッチが細かい。
  ちなみに、インチねじを扱うねじ屋さんはごく小数だが、日本でもあり、ハーレーの愛好者とか旧いアメ車マニアには御用達だそうだ。

愛車メンテのプラスアルファ情報

手軽にトルクを確認できる! ハンディデジトルク

ハンディデジトルク  クルマをいじっていると、「このボルトの締め付け具合はこんな具合でいいのだろうか?」とふと疑問が頭をよぎるときがある。ボルトやナットは、なんでもかんでもガンガン締め付ければいいわけではなく、どんな個所のボルトやナットにも“締め付けトルク”というのが存在する。たとえば手持ちのクルマのホイールナットは、整備書を調べると103Nm(ニュートンメーター)という具合に明記してある。だいたいこの10%前後で締め付ければとくにトラブルが起きない。緩ければ脱落事故の心配があるし、逆に締め過ぎはねじ山の破損などにつながる。
  TONEの「ハンディデジトルク」は、ふだん使っている工具に取り付けるだけで手軽に締め付けトルクをデジタル表示してくれる。写真のようにソケットとラチェットハンドルのあいだ、あるいはスピナーハンドル、Tレンチなどとドッキングできる。デジタルなので、途中のトルクも表示するし、ピークトルク表示もできる。目標トルクに近づくと断続的なブザー音と赤色のLEDでオーバートルク防止を教えてくれる。50~95%の範囲でブザー開始位置を設定もできる。差し込み角3/8インチと1/2インチの2タイプがあり、価格はそれぞれ1万3800円、1万4800円。https://www.tonetool.co.jp


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