みなさん!知ってますCAR?

2013年8 月15日 (木曜日)

TOP NEWS

ジャパニーズツールメーカーの逆襲!?

TONE  ハンドツールの単行本を来春発売めざして、現在ツールメーカーの取材をしている最中だ。
  約20年ぶりに再訪する日本の工具メーカーは、大きく装いを変えつつあるところが少なくない。かなり前から飽和気味の日本市場に、安くて品質もそこそこの台湾ツールが入り込み、ある意味市場は戦国時代。クルマにくらべ単価が安いため、自動車市場の輸入車比率以上に台湾ツールのシェアは高いのではなかろうか?
  今回の取材の大きなポイントは、「ジャパニーズツールはいかにグローバル時代を生き抜いていくか?」だ。体力のない工具メーカーは、家電メーカー同様に海外メーカーの傘下にくだる運命になる可能性が高い。経営者の危機感の抱き方の大小で、生き残れるかどうかは分かれる!?
  そんな中、先日TONE(前田金属)の大阪・河内長野につくった新工場に出向いた。自動倉庫を備えた進んだロジスチックス(物流)にはさほど驚きはしなかったが、仕事のすすめ方というか仕事のスタイルには驚かされた。企画、開発、設計、生産技術などの技術端のフロアが同じフロアにある。しかも、100名ほどいるモノづくりの工員たちは、オールラウンドプレーヤーを目指しているのだ。どういうことかというと、先月まで鍛造部門にいた工員が来月は電動工具の組立部門で仕事をしている、ということだ。スタッフの能力を高めることで、フレキシブルなモノ作り工場を目指すという。製造部長の権限でスタッフのシフトを自在に変更できる。社員の意識を変革し、一人一人に責任を持たせることで、生産性を高めるという手法のようだ。
  一昔前までは、TONEの工具というと、デザインされておらず、退屈で魅力の薄いものだったが、ごく最近の製品はなかなか侮れない製品が少なくない。おそらく今後さらに魅力ある製品を作り出すと思われる。注目していきたい。

カーライフ大助かり知恵袋1

今年103歳を迎えたミスターK物語 第2回

ミスターK  自動車ジャーナリストは、いわば自動車大好き少年が大人になったような人が多いが、実は筆者は子供のころ自動車にあまり興味がなかった。小学生時代、やけにクルマに詳しい叔父さんが近くにいて薫陶(くんとう)を受けてのめり込んだとか、乗り物図鑑を親から与えられたことがきっかけで、街中で出会う自動車の名前をみな答えられた・・・といった経験が共通項だとすると、団塊世代の筆者はまるでそんな体験はなく、時にそうした話になると仲間になれず、思わず穴を見つけて入り込んだりする。
  ところがそんな筆者にも唯一、子供のころの忘れえぬ自動車体験がある。
  半世紀もの昔の話、中部地方の人口2万人ほどの小さな田舎町には、当時自動車といえば乗り合いバスとトラックしかなかった。乗用車は、町に一軒だけあったタクシー会社が保有する黒塗りのハイヤー3台だけ。自動車への憧れこそなかったが、岡山にあるカバヤ製菓のカバを模したトラックがやってきたときは、飛び上がるほど興奮した。子供心に難解な翻訳物の小説カバヤ文庫を景品としてプレゼントされて興奮は頂点に達した。クルマにまつわる幸せな記憶だ。
  その頃である。黒色をした小さくてかわいい感じの動く物体を目撃したのは。生まれて初めてタクシー会社のハイヤーとはまるで違う、個人所有の小型乗用車という乗り物に、目が点になった。たまたまその横に、東京から夏休みで遊びに来ていた従兄弟がいた。「ダットサンだね、東京じゃ珍しくないよ」。その大人びたひと言は、田舎の子供の心に東京に対する拭いきれないコンプレックスを植え付けた。筆者の田舎の3丁目の夕日は、鮮やかではなかったのかもしれない。

カーライフ大助かり知恵袋2

バンパーが破損! 即新品に交換の時代がなくなる!?

バンパーの修復  考えて見れば、クルマのバンパーというのは、モノにぶつかり、大切な命やエンジンを守る役割の部品。ところが、日本では厳しい車検もあるし、車両保険さえ入っていればわずかなお金で修理できたこともあり、少し傷んだバンパーは即座に新品に交換する・・・というのが長いあいだのお約束事項だった。
  ところが昨年から車両保険制度が変わり、このあたりの事情ががらりと変化。
  多少のキズなら保険を使うより、ポケットマネーで修理するケースが多くなった。バンパーのキズならできるだけ修理でリカバーするというのがいまや常識化しつつある。
  こうした時代の要請に合わせた修理方法が、ドイツからやってきた。ステイネル(STEINEL)の「プラスチック・リペアキット」がそれ。まず傷口をきれいにし、それ以上キズが大きくならないようにドリルで小さな穴をあける、というのが前工程。あとは、傷口に付属のステンレス製メッシュをあて、AC100V電源でヒーターガンを650℃近くに温め、母材の樹脂と棒状の追加樹脂を応援団に加えながら、これらを溶かしながら・・・修復するというものだ。むろんあとはパテを塗り、塗装しなくてはいけない。
  塗装技術を除けば、このリペア手法、それほどの技術力が要らないので、もし普及すれば、修理コストは劇的に下がるはず。ちなみに、修理キットは7万円弱で手に入るという。

愛車メンテのプラスアルファ情報

ロッキングプライヤー! 530円の威力

バイスグリップ  ネジにまつわるトラブルというのは数多くある。
  ねじ山が駄目になった場合、頭がもげた場合、頭がぐじゃぐじゃになって普通の工具では回せなくなったケースなど・・・。ねじ山が倒れたら、ダイスとタップで修復したり、頭がもげたらポンチで根気よく回そうとしたり、それでも駄目なら、折れた面を平らにし、逆タップを立てる・・・など文字通り応用問題、経験がモノをいう世界。
  そんなトラブルで、意外と重宝するケースがあるのが、グリッププライヤーの小型版。全長140ミリ、最大開口30ミリ、ジョー(アゴ)の長さ18ミリのコンパクトなものが、想像以上に活躍することがある。
  使い方は、対象物に合わせてジョー開口調整ノブの開きを調整。対象物をジョーで掴み、カチッと音がするまでグリップを握る。これでまるで凶暴なサメのごとく対象物を捕まえるので、つぶれたネジ頭をつかまえ緩めることができるわけだ。取り外すとき(リリース)は、赤色のリリースレバーを外側に押すだけだ。リリースレバーが赤くなっているのでとても使いやすい。
  価格はなんと530円。ストレート製だ。https://www.straight.co.jp/

2013年8 月 1日 (木曜日)

TOP NEWS

ハンマー造りの老舗で見たものは?

OH  いわゆるハンマーは、トンカチ、金槌、ゲンノウ、ナグリ・・・さまざまな名称で呼ばれ、それこそいろいろな種類がある。自動車の修理にも大いに使われているだけでなく、釘を打ったり、工場の金型設置で活躍したり・・・現代でもさまざまな場所でなくてはならない道具のひとつ。おそらく人間が発明した最初の道具のひとつであることは間違いない。調べてみると、ハンマーという道具は、モノをつくるためだけのものではなかった。狩や戦争でも活躍している。この場合は“破壊の道具”と言い換えてもいい。
  仕事柄さまざまなモノづくり工場や修理工場をこれまで見てきたが、ハンマー造り半世紀の企業は、とてもユニークだ。奈良の生駒山が近くに見える東大阪市にある工場が『オーエッチ工業』。オーエッチ(OH)というのは「大阪ハンマー」の略。ハンマーといえば鉄ハンマー、ウッドハンマー、プラスチックハンマー(ショックレスハンマー)などがすぐ思い浮かぶが、この会社のカタログを見るとそう単純ではない。非鉄系のハンマー群では、ゴムハンマー、ウレタンハンマー、塩ビハンマー、ナイロンハンマーなど。金属系では、鉛ハンマー、アルミハンマー、真鍮ハンマー、銅ハンマー、軟鉄ハンマーなどがある。打撃力の差で選択されるようだ。
  終戦直後から15年ほどは、ハンマー、ツルハシ、シャベル(スコップ)が、道路工事、建築工事などで活躍する3点セットだった。そのため、鍛造設備のある工場は、ほとんどみなハンマーを造っていて、日本で何百というハンマー工場があったという。でも99%の工場が、ほかのモノづくりとの兼務で、やがて社会が落ち着くと少数のハンマー工場しか残らなかった。そのひとつが、OH(オーエッチ)ということのようだ。もちろん、建具や案や大工さんがもっぱら使うのがゴムハンマー、機械・木工などで使われる塩ビハンマー、ジェットタービンのホイルを修正するとき使う鉛ハンマー、振動打撃でシャフトを抜くとき必須のアルミハンマー、金型の修正位置決めで活躍する銅ハンマー、キャタピラのピンを抜くとき重宝する軟鉄ハンマーなど、時代が移るにつれ細分化していったハンマー需要にきめ細かく対応できたのも、生き残れた理由のひとつといえそうだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

今年103歳を迎えたミスターK物語 第1回

ミスターK  人の経済的・社会的営みは、約30年間だといわれる。だから100年という時間の長さで見ると親・子・孫の3世代となるのが一般的。ところが、ここに70年間にわたり、長く日本の自動車の世界で大活躍をしてきた男がいる。1909年(明治42年)に誕生しているので、今年でちょうど103歳になる片山豊だ。日本の自動車の発展史とともに生きてきた人物。
  ダットサン7型が横浜工場でラインオフした1935年(昭和5年)に日産に入社し、戦後アメリカ日産の社長としてダットサンを売りまくった人物。単にクルマを販売しただけでなく、アメリカ社会に日本のクルマのすばらしさをアピールし「Z(ジ-)カーの父」と呼ばれた男でもある。Zとは1978年のデビューから9年間のあいだに、54万台というスポーツカー史上とてつもない販売記録を残した名車“ダットサン240Z”のことを指す。
  世紀を跨いで生きてきた片山豊は、車椅子ながらも、もちろん現在も矍鑠(かくしゃく)として人生を楽しんでいる。彼の人生の過半は、日本が戦争に打ち進んでいった時代であり、貧しかった時代でもあった。そんな中で彼は裕福な家庭に育ち、当時としては恵まれていた。しかしいつの時代でもそうだが、高いココロザシを抱く若者には、常に課題が立ちはだかる。彼も入社後の人生は、順風満帆とは程遠いものだった。日産マンとして、一介のサラリーマンではあったがどこか違っていた。いっけんノー天気でひたむきで困難に直面しても挫けず朗らかさを失わない、という性格が周囲を明るくさせた。クルマへの愛をひたすら追い求める姿に、いつしかファンが集まり、堅固な片山ワールドが築きあげられていく。
  T型フォードの誕生から105年、クルマ史上、未曾有の大不況の暗雲が覆っている今日、日本の自動車の発展とともに生きてきた人物・片山豊の100年の人生を振り返る意味は小さくない。今回から、知られざる“ミスターKの歩んだクルマ世界”を追いかけていく。
•写真は2008年フェアレディZの発表会。日産本社(当時は銀座)でのスナップ。

人の経済的・社会的営みは、約30年間だといわれる。だから100年という時間の長さで見ると親・子・孫の3世代となるのが一般的。ところが、ここに70年間にわたり、長く日本の自動車の世界で大活躍をしてきた男がいる。1909年(明治42年)に誕生しているので、今年でちょうど103歳になる片山豊だ。日本の自動車の発展史とともに生きてきた人物。

ダットサン7型が横浜工場でラインオフした1935年(昭和5年)に日産に入社し、戦後アメリカ日産の社長としてダットサンを売りまくった人物。単にクルマを販売しただけでなく、アメリカ社会に日本のクルマのすばらしさをアピールし「Z(ジ-)カーの父」と呼ばれた男でもある。Zとは1978年のデビューから9年間のあいだに、54万台というスポーツカー史上とてつもない販売記録を残した名車“ダットサン240Z”のことを指す。

世紀を跨いで生きてきた片山豊は、車椅子ながらも、もちろん現在も矍鑠(かくしゃく)として人生を楽しんでいる。彼の人生の過半は、日本が戦争に打ち進んでいった時代であり、貧しかった時代でもあった。そんな中で彼は裕福な家庭に育ち、当時としては恵まれていた。しかしいつの時代でもそうだが、高いココロザシを抱く若者には、常に課題が立ちはだかる。彼も入社後の人生は、順風満帆とは程遠いものだった。日産マンとして、一介のサラリーマンではあったがどこか違っていた。いっけんノー天気でひたむきで困難に直面しても挫けず朗らかさを失わない、という性格が周囲を明るくさせた。クルマへの愛をひたすら追い求める姿に、いつしかファンが集まり、堅固な片山ワールドが築きあげられていく。

T型フォードの誕生から105年、クルマ史上、未曾有の大不況の暗雲が覆っている今日、日本の自動車の発展とともに生きてきた人物・片山豊の100年の人生を振り返る意味は小さくない。今回から、知られざる“ミスターKの歩んだクルマ世界”を追いかけていく。

●写真は2008年フェアレディZの発表会。日産本社(当時は銀座)でのスナップ。

カーライフ大助かり知恵袋2

これぞリアル!? 大型トラックの整備士コンテストの現場

トラックコンテスト  どこの世界でもそうだが、切磋琢磨することで、技術スキルが磨かれる。
  自動車の整備士の世界も、一年に1度晴れの舞台が用意される。ブランドごとにおこなわれる整備士コンテストである。先日、三菱ふそうの整備士コンテストを取材する機会があった。日頃、大型トラックの整備をしているメカニックたちの頂点を決める競技会である。
  見上げるほど大きな大型トラックがドンと置いてあり、あらかじめ何かしらのいたずら(不具合)をしてあり、60分のあいだに点検整備とトラブルを見つけお客様にソツなく説明できるかどうかを競う。フロントマン1名、整備士2名、ユーザー役の試験官1名、それに純粋な試験官2名が近くで逐一チェックしている。意図的な課題は、ナンバー灯が切れていたり、事前に前回りの板金修理をおこなったため外気温センサーが効かなくなった・・・というもの。
  見ていて笑えたのは、競技が終盤にかけてだ。修理が一段落し、ユーザーに修理内容を説明すると、ユーザーが修理代を値切るのである。マイナートラブルなので、たぶん1万円以下の修理代をなぜか値切るのだ。大阪から応援に駆けつけた先輩もしくは同僚のフロントマンに聞くと、「あの程度は生易しいものでっせ」。つまりリアル世界では、もっとえげつない値引き交渉が展開されるということらしい。同じクルマでも乗用車とはまったく異なる世界があるようだ。

愛車メンテのプラスアルファ情報

紡錘形のグリップをもつギア数72のFPCラチェットハンドル

FPC  3/8インチの差し込み角のラチェットハンドルの世界で、スナップオンの80ギア、KTCネプロスの90ギアが注目を集めているが、いずれも1万円以上なので手が出せないユーザーもいる。ところが、取材してみるとイブシ銀のような、光り輝くラチェットハンドルが日本には存在する。使いやすい小判型のギア数が72。切り替えレバーも節度ある動きをしてくれる。もちろんにメイド・イン・ジャパンだ。
  FPCの新型ラチェットハンドルRH-3KL。プッシュボタン式で、全体は鏡面仕上げ。グリップが実に個性的。すべりにだんぜん有利なローレットなのだが、形状が紡錘形をしているのだ。紡錘というのは、錘(つむ)とも呼んでいるもので、糸をつむぐと同時に、糸によりをかけながら巻き取る道具。握ったときに手になじむ形状はほかにはない。価格は、4250円。
  FPCというのはフラッシュ精機のブランド名で、明治30年大阪郊外で農機具製造所からスタートした50年以上の歴史を誇る老舗工具メーカー。面接触のソケット・パラボラソケットを1990年デビューさせたり、相手のボルトやナットを含め接続個所をすべてロッキングすることができる「ロッキング・ソケットレンチ」を世に出すなど意欲的な製品をつくり続ける。https://www.flash-tool.co.jp/


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