みなさん!知ってますCAR?

2015年10 月15日 (木曜日)

TOP NEWS

トラック技術コンテストのトレンド変化に時代の流れ!

三菱ふそうコンテスト  秋になると、あちこちの自動車メーカーごとに整備士が集結し、技術コンテストが開かれる。日頃はどちらかというと、派手やかなハイライトが当たることのない整備士たちの晴れの運動会のようなものだ。日頃の業務の成果を試すだけではなく、日常生活のなかで、つい忘れがちになる仕事への情熱が同じ職場で切磋琢磨する同僚と交流することで、再認識されるイベントでもある。
  10月10日に栃木県さくら市で開かれた“三菱ふそう”の技術コンテストを覗いてみた。
  フロントマン1名と整備士2名がチームワークを組んで、持ち時間65分で課題に取り組むというものだ。昨年までは、大型トラックのトラブルシューティングがメインだったのが、今回は4トン・ダンプカーの6ヶ月点検(もちろんいくつかのイジワルな不具合を仕掛けている!)と、それにプラスしたお客様への提案力が試された。しかも、昨年までは各選手1/3ずつだったのだが、フロントマンの配点が半分で、残り半分は2名の整備士、という配点の大変化。
  つまり、これまでトラックのサービスの世界は、接客能力がどちらかというと二の次三の次として捉えられていたのが、乗用車並みの接遇能力が求められはじめいるのだ。
  今回はダンプカーを持ち込んだのは造園業の社長さんという設定。トラックは生産財(お金を稼ぎ出す財産)であるが、乗用車のように代車を手配できない。コンテストのやり取りを眺めていて、お客様が望むサービスとは何か?フロントマンが耳で聞き、心で聞くことがどのくらいできるのか?お客様にどのくらい丁寧に分かりやすく、説明ができるのか? 
  ひたむきに挑戦している選手たちの表情を他人事としてみていたら、第3者に分かりやすく説明するという能力は、実はどんな職業でも共通しているテーマでもあることに気が付き、いささか自分が恥ずかしくなった。

カーライフ大助かり知恵袋1

スバル360と百瀬晋六の物語 第3回

飛行機研究所正門  百瀬晋六が生まれたのは、大正8年2月。長野県塩尻にある造り酒屋の次男坊として生を受ける。大正8年は西暦でいえば1919年、第一次世界大戦が終息し1月にはパリで講和会議が開かれ、大戦後の新世界秩序ともいうべきベルサイユ体制がはじまったころ。同年に生まれた有名人としては、「ライ麦畑で捕まえて」の小説家Jサリンジャー、歌手のナットキング・コール、「飢餓海峡」など名作を残した水上勉(みなかみ・つとむ)などがいる。ここに晋六を置くと、みな“自前の世界”の持ち主である。
  百瀬青年は、中学高校と優秀な成績を収め、飛行機技師を目指し東京大学工学部に入学。昭和17年(1932年)に中島飛行機に入社した。中島飛行機は、海軍機関学校卒でフランスの航空業界を見た中島知久平(1884~1949年)という一人の人物の情熱ではじまった。次世代を担う、つまり世界の覇権を握るのは航空機という信念のもと、飛行機研究所を設立、これが発展し、中島飛行機を創業。戦時下には群馬の太田、東京の武蔵野など全国12の製作所をかかえ、従業員約25万人を数えたとされる大組織に成長。97式戦闘機、一式戦闘機、疾風、月光、艦上偵察機の彩雲、それに零式艦上戦闘機などの名機を生み出した。設計部に配属された晋六は、意気軒昂と仕事に打ち込む。ところが、心血を注いで描いた設計図を上司から無言で突き返されたという。「どこが悪いかを自分で考え抜く」という自助努力がこの企業の風土にはあったという。彩雲のターボチャージャーの開発に携わってもいる。

カーライフ大助かり知恵袋2

マイナーチェンジしたクラウンの魅力は何か?!

Mチェンジしたクラウン  かつて『旦那グルマ』という、どちらかというと運転して楽しむクルマのカテゴリー外だったクラウンも、2003年デビューのゼロクラウン(12代目)以降、ファン・ツー・ドライブ路線を走る。
  そのクラウンがこのほどマイナーチェンジ(14代目のマイナーとなる)された。ポイントは、2つだ。ひとつは、排気量2リッターの直噴ターボエンジンを載せた走りと燃費を両立したグレードが登場したことだ。ダウンサイジング・ターボのクラウンである。シリンダーヘッドとエキゾースト・マニホールド一体型の新エンジンと8段変速の電子制御式ATの組み合わせ、可変式の吸排気バルブ、それにアイドリングストップ機構を組み付けるなどで、ハイブリッド車とは遠くおよばないながら、JC08モードで13.4km/lというなかなかの好燃費を誇る。ボディも構造用の接着剤に加え、スポット溶接の個所を90ヶ所も増やし、ボディ剛性と乗り心地の向上に寄与したという。
  二つ目は、世界初採用の安全通信システムITSコネクトを3万円ほどで付けられること。これは、道路に設置されたインフラ設備とクルマ、あるいはクルマ同士の直接通信で、右左折時の注意喚起、クルーズコントロール、ブラインドスポットのモニタリング、パーキング・アシスト機能など多岐にわたる安全装備である。373万円から700万円台近くの価格ゾーン。2リッターのダウンサイジング・ターボ仕様車は、388万円からだ。

愛車メンテのプラスアルファ情報

デビューして23年になるマックの日本仕様ドライバー

MACドライバー  あまりポピュラーすぎる工具であるドライバーだが、手になじむと離れがたく抜きがたい愛着を抱く場合がある。MACの樹脂グリップドライバーもそのひとつである。
  グリップ断面5角形がギリシャ数字の「ペンタ」であるため、通称『ペンタグリップ・スクリュードライバー』とも呼ばれる。細かい縦溝が滑り止めと柄もいえぬデザインをかもし出す。
  ドライバーを握ったとき、正確に言うと腕をストレートにした場合、親指のあたる部分に横の凹凸を付け滑り止めというか、ピタッと密着する感じも悪くない。グリップの大きさも小さくもなく大きくもなく、日本人の手にあわせたようで、具合いい。ごく珍しい5角断面のグリップは、左右対称の金型ではできない裏事情もあり、コスト高の遠因となっているようだが、それ以上のユニーク度をかもし出す。
  ボルスター部も付いているので、こう着状態のボルトを緩めるときに10ミリのメガネレンチを差し込めばワケもなく緩むだろう。先端部の精度は10ミクロンオーダーの精度だという。マイナスドライバーの先端はネジ溝に合わせたパラレル形状だ。ちなみに、グリップカラーは黒以外にも赤色、緑色、黄色など、さまざまなカラーを選択できる。ただし、価格もハイエンドである。

2015年10 月 1日 (木曜日)

TOP NEWS

自動車業界を震撼!? VWのディーゼル車不正

VW不正問題  前回に引き続き、またまたVWの問題がトップニュースだ。
  他でもない、VWのディーゼルターボ車(1.6リッターから2リッターをカバーするEA189という4気筒ターボDEエンジン搭載車)がアメリカの市場で、不正なコンピューターソフトを組み込み、アメリカの厳しい排ガス規制を逃れていた、というものだ。
  報道によると、不正が発覚したキッカケは、アメリカのウエストバージニア大学傘下の研究機関が欧州のNPOの依頼で、2年前から欧州DE乗用車を実走テストしていたなかでのこと。何百キロを走りNOⅹなどの汚染物質を測定したところ、複数のVW車(ゴルフやVW系列ののアウディ)が、基準の40倍という異常に高いNOⅹを発生したという。これをEPA(アメリカ環境保護局)に報告したところ、VW社は組織ぐるみで『不正ソフト』を組み込んでいたことを明るみに出した。この不正ソフトというのは、ハンドルの切れ角やアクセルペダルの踏み込み量、速度などで、≪排ガス試験モード≫と≪実走行≫を判別し、前者のときだと排ガス低減装置がフルに働き、NOⅹを抑制し、排ガス規制をパスするが、後者、つまり街中走行や高速走行などでは、排ガス装置をあまり効かせず、燃費悪化を抑制し、結果としてNOⅹの排出を劇的に増やしていたというのだ。コンピューター制御を悪用した新手のインチキともいえる。
  背景には、トヨタとのグローバルでの熾烈な販売合戦、手薄だった北米市場への売り込みなど、VWの焦りがあったというが、EA189エンジンの搭載車が膨大なだけに、VWの今後の地盤沈下は避けられない。いっぽう、この事件でクリーンディーゼル車の日本での浸透速度とハイブリッドカーのシェア増加など、自動車業界全体を大きく揺さぶるキッカケになることは間違いない。

カーライフ大助かり知恵袋1

スバル360と百瀬晋六の物語 第2回

百瀬③  スバル360のプロジェクトリーダーは、百瀬晋六(1919~1997年:写真)という男だった。昭和33年(1958年)3月3日にデビューしたスバル360は、「てんとう虫」という愛称で、1970年までののべ12年間にわたり、約39万2000台が生産された。ちなみに、日本の自動車の生産は1960年にはわずか16万500台だったのが、10年後の1970年には300万台を超えている。このなかでスバル360は、台数こそ際立ったものとはいえないが、庶民に夢を与えた(少し頑張ればクルマを持てるという!)。奇跡的ともいえるユニークなメカニズム。4人がゆったり乗れる居住性を持ち、しかも安い価格。悪路での乗り心地の良さなど、その後の本格的モータリゼーションが花開く序曲としてスバル360の存在は、小さくない。
  しかも、そのクルマが、ひとりの強烈な個性の持ち主が司令塔になり、つくり上げていったことが大いに興味をそそる。
  ひとの死は、そのひとのことを知る人が世の中からいなくなったときこそ本当に死んだといわれる。百瀬晋六が残した言葉は実はいまでもスバル車のモノづくりの現場にも生きている。いわく「越えられない壁はない。やればできる。できないということはやる気がないからだ」という言葉はいまだに百瀬を知る後輩の耳に残っているし、早朝から深夜まで、納得のいくまで仕事の手を休めることのなかった百瀬の姿は、いまも後輩たちが強く記憶している。「ミスターエンドレス」という、尊敬と親しみ。からかいの気持ちが含まれたニックネームを懐かしむひとも少なくない。「行動を起こす前に、考えて考え抜け」「先に絵を描け、感じのいい絵はいい品物になる」という百瀬語録にちりばめられた言葉は、いまもスバルのエンジニアの心に届いているはず。

カーライフ大助かり知恵袋2

KO-KENは、大きなバンに商品を載せ、いい工具を知ってもらおう!

KO-KENのバン

KO-KENのバンの内部

  ≪百聞は一見に如(し)かず≫ではないが、いくら良い工具を創り上げても、ユーザーに触れてもらわないと、その良さはわからない。
  半世紀以上ものあいだソケットツールをひたむきに創り続け、欧州ではすでに名前の通った山下工業研究所。KO-KEN(コーケン)という愛称で、日本でも徐々にブランドが浸透しつつある静岡掛川にある企業。軽量でガタのない、ワンステージ上をいく自動車整備に特化した21世紀型ソケットツール群「Z-EAL(ジール)」をつくりはじめ5年。Z-EALも3/8インチ、1/4インチ、1/2インチと徐々に増殖させているのを記念して、知らないユーザーに直接手にとってフィーリングを感じ取ってもらおうと、このほどバンを仕立てた。ベースは日産NV350キャラバンのハイルーフ仕様のロングボディ。
  外観は、ブラックカラーにKO-KENのソケットを示す大きなロゴ。遠くから見てもすぐ分かるユニーク度満点。車内に入ると、Z-EALのラインナップをはじめ、KO-KEN商品を一堂に集合しているため、手に取り、触りその場で確かめられる。ふだん見慣れないインダストリー(工業)用のリン酸マンガン皮膜処理のソケットやハンドル。それに樹脂カバーをまとったソケットツールも最近開発商品化した生産工場向けのツールで、耐熱、耐摩耗性の高い樹脂カバー自体がカラーのように回るため対象物へのキズ防止、安全性向上などに寄与するという。このバンの名称は現在思考中。あと数ヵ月後にまずは販売店などに本格稼動するという。

愛車メンテのプラスアルファ情報

怪しげに見える!? ノガ・グリッパーは意外と実力者

ノガ・グリッパー  いわゆる工具の目利きに言わせると“箸(はし)にも棒にもかからない製品”が意外とヒットとなることがある。
  トリッキーな工具といえば、万能ソケットがすぐ思い浮かぶ。ソケットの内部にたくさんの金属製ピン(数えると54本!)が入っていて、限界こそあるがサイズを問わず、頭の形状を問わずたいていのボルトなら回してしまうというあれだ。いかにも怪しげで、昔なら薄暗い夜店で販売していた風情の製品。万能を謳ったものほど、ダメなものはない、ということを経験的に知っている目利きははじめから歯牙にもかけない。かくゆう筆者もしかりだった。
  ところが、一度使うと意外と使える。いやいやなかなかどうして・・・荷物が限られる林道ツーリングのお供にいいかもしれないと思い始めた。頭のなめたボルト、インチボルトは言うにおよばず、樹脂ボルトもカドを痛めないで回せる! 手にしたのは7~19ミリまでの二面幅のボルトに対応するGP1000という品番。差し込み角3/8インチ。価格は2900円。輸入元(ノガ・ジャパンhttps://www.noga.co.jp)も当初「商品性がDIY過ぎてどうも?」と疑問符を付けて半年ほど見捨てていた。ところが、この製品を紹介した色褪せたポスターを見たユーザーから熱烈に購入したというと注文が入り、直感で即座に代理店権(アメリカで生まれドイツで販売)を取得。日本で販売したところ、あれよあれよ、という間にわずか3ヶ月で5000セットを売り上げてしまったという。累計で3万個以上の売り上げだという。ちなみに重量はやや重く137グラム。差し込み角1/2インチの上のサイズは11~32ミリのボルトに対応し、価格は6400円とやや高い。なお、コピー商品を台湾かどこかで見かけたが、こちらは使えないそうだ。


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