みなさん!知ってますCAR?

2021年4 月 1日 (木曜日)

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いまどきの整備工場が抱える課題とは?

オートアフターマーケット  クルマの整備工場、といってもいろいろある。カーディーラー工場、いわゆる民間車検場ともいわれる指定工場、それに持ち込み車検をおこなう認証工場、最近は自動ブレーキのエーミング作業をおこなう特定指定工場などなど。その数、ざっくり全国で8万軒。うち数名の小規模などちらかというと家族経営的な認証工場が、圧倒的多数派。
  年に一度都内で行われる「国際オートアフターマーケット」(写真)は、「オートサービスショー」とともに、こうした自動車整備業者向けの見本市。これまで東京ビックサイドを舞台にしてきたが、今回のコロナ禍で、リモートでの開催となった。出品企業数も従来の半分以下。リアルイベントなら、ほっつき歩くうちに思わぬ取材ができるのだが、リモートで、しかも情報量が限られるとなると、見るべきものはあまりない、そんな印象だった。
  ところが、開催中の3日間セミナーを開いてみると、ふだんあまり聞くことのできないクルマのサービス楽屋裏の声を聞くことができた。登場するのは、現場のメカニックやフロントマンではなく、経営者が中心なので、やや面白みに欠けはするが、耳をそばだて、よく観察して眺めていると、最前線で戦うビジネスマンの苦労や悩み、そして野心がにじみ出てきて、想像以上に面白かった。
  ひるがえって・・・・クルマのサービスは、一言でいえば、ユーザーに“安心と安全を届けること”。
  このことには変わりはないが、クルマ自体がどんどん進化しているし、世の人々がクルマに求めるものが変化している。電子制御のクルマのトラブル・シューティングは、いまや専用の診断機を持ち、それなりのスキルを持たないと太刀打ちできない。むろん、そのクルマのマニュアルも必要となる。だから、カーディーラー工場は断然有利の状況。そうでない整備工場は、車検と点検で食べるしかない。これをどう打破すべきか? なかにはココロザシのある認証工場が特色を出すべく果敢に挑戦している。とにかく“車検制度がもしなければ日本の整備工場の大半は消えてなくなる”という説もあるほどだ。逆に言えば彼らのレゾンデートル(存在意義)を、確立しないといけない!
  くわえて、修理の決め手の一つ部品も、大きく地殻変動している。
  名車といわれるトヨタ2000GTやAE86カローラ&スプリンター,マツダロードスター、ホンダビートなど。ヘリテージカーのパーツと呼ばれる部品。これらが復刻され、高値で売られ、無視できない市場の広がりを見せているという。
  それにそもそも「若者のクルマ離れ」といわれる一方、“サブスク”と呼ばれる新手のリースによるクルマ所有の形態が生まれている。これはサブスクリプション・サービスの略で、雑誌の年間購読から始まったように、一定期間クルマやそれに伴うサービス(任意保険を含むことも)に対価を支払うビジネス形態。音楽配信や動画配信、それに飲食系やファッション系にも、手軽さが受けてこのビジネス形態が広がりつつある。
  こうして、自動車メーカーや部品メーカーが関係するクルマづくりの世界だけではなく、修理技術、部品、クルマの販売&リースなどクルマを取り巻くビジネスも地盤変動というか、パラダイム変化が起きているということのようだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

遅れてきたお雇い外国人 ウイリアム・ゴーハム伝(第7回)

アートスミス  イベント・プロジューサーの櫛引弓人(くしびき・ゆみと)は、裸一貫の決意で別天地アメリカにわたり、興行師として成功しつつあった。
  1893年にシカゴ万国博で日本庭園を造り、日本人女性によるお茶のサービスを展開し人気を博した。1896年にはニュージャージー州の浜辺の空き地を借りた。そこで、日本庭園を作り上げ、日本から運んできた丹頂鶴、京都の寺鐘、石灯篭、2万基におよぶ岐阜提灯などで彩りを添え、園内には日光の陽明門を模したつくりや銀閣寺を模した建物などで日本情緒豊かな空間を作り上げた。これが話題を集めた。
  翌年には、映写機と映写技師を連れて日本に戻り、東京で初の映画を上映するなど、機知と天才的な大言壮語というか、ハッタリで興行師としての名を高めた。♪オッペケペー、オッペケぺッポーぺッポーポーの“オッペケペー節”で一世を風靡した川上音二郎(1864~1911年)と貞奴(1871~1946年)一座を海外公演に招へいしたのも櫛引の手腕だとされる。
  興行師・櫛引弓人を引き合わせたのが、これまた一癖ある飛行機野郎だった。ゴーハムより6歳若い、当時20代のインディアナ州生まれの曲芸飛行士アート・スミス(1894~1926年:写真)である。夜間飛行を得意とするアクロバチックな飛行士。
  飛行機に発煙筒を取り付け、夜空に文字を書くという演目のパイオニアでもある。アメリカでの成功をもとに、1916年と翌1917年にかけてアジア各地を興行している。東京の青山練兵場、富山の富山練兵場、名古屋港、浜松の和知山練兵場、三重県津市の久居浜練兵場、それに仙台でも曲芸飛行を見せている。助手を翼のうえに乗せ飛行するとか、宙返り、逆転、木の葉落としなど曲芸飛行で、多いときには10数万人の観客からおおいに喝采を浴びた。
  ちなみに、青山練兵場での興行の入場料は、給与所得者の年収が333円の時代、特等5円、1等1円、2等20銭だった。

カーライフ大助かり知恵袋2

大下英治著『人間・本田宗一郎 夢を駆ける』(光文社文庫)

+ホンダ宗一郎伝  「ホンダという企業ほどに、ブランド力の重要性を認識している自動車企業はないんじゃない」。かつて雑誌の編集者時代、そんな言葉でホンダを説明した同僚がいた。たしかに、そうかもしれない。
  なにしろ、創業者の本田宗一郎氏にかかわる書籍は、正確に数えたことはないが、ゆうに30~40冊は超えるのではないだろうか? ホンダファンが増えることは、それだけクルマが売れることに結び付くからだ。(たとえば、マツダの創業者松田重次郎やその息子恒次のことを書いた本はほとんど見たことがない)
  「・・・・だからというわけじゃないけど、すでに本田宗一郎さんのことはある程度知っているので、この本は、パスしま~す」という声が聞こえてきそう。ところが、事実は小説よりも奇なり。
  この550ページほどの分厚い文庫本には、知らなかったエピソードが、これでもかこれでもかと出てくる。しかも、当事者としては、かなり恥ずかしい話が少なからず登場する。遊び大好きな宗一郎の芸者買いのエピソードだけでなく、仕事上の失敗もである。
  たとえば昭和40年代初頭N360を開発中、開発者の久米是志(のちの3代目社長)が、過大な吸気音をごまかすため、シビアな評価を下す本田さんをだますため、ウエスを吸気口にねじ込んだ話。あるいは、女性が大・大好きだった本田さんの挿話が、これでもかという具合に登場し、読者ににじり寄ってくる。
  空冷エンジン優位性を頑固に主張する本田さんに対し、水冷エンジン推進派を唱える入交昭一郎(のち副社長、退社後セガの社長を歴任)など当時の若手エンジニアとのぶつかり合いなど、生々しい企業内葛藤がリアルに描かれる。
  外野から見ると危なっかしい会社と見えなくもない。救われているのは、本田宗一郎の比類のない根っからの明るさが全編をおおっている。だからホンダファンならずとも、ハラハラしながらぐんぐん読み進んでいくに違いない。
  失敗をした部下についてスパナを投げつけるモラハラ男(当時そんな言葉がなかった!)だが、人情に厚く、裏表のない、いつまでの子供の心、好奇心を持ち続けた昭和のおっさんだ。ふつう日本人は大人になると「弁(わきま)える人間」になるものだが、そんな気持ちはハナからない、おやっさん。誰からも好かれ、天真爛漫さを失うことなく84歳の天寿を全うしたユーモアあふれるオヤジさん、なのだ。
  かつて元気なときの本田さんのスピーチを聞いたことがあるが、会場と丁々発止のスピーチはまるでコメディアンに近かった!? いやそうともいえないか、変なおじさんだった? 欠点もやがて、美点にシフトしていく……。ここに人間・本田宗一郎が人を引きつける魅力があるようだ。だからして、本田宗一郎さん関連の本が、読書界をにぎわしている理由が、理解できる。
  ところで、筆者の大下英治氏とは、どんな人物なのか? 
  1944年生まれの広島生まれ。広島大学仏文科を卒業後、電波新聞社に勤めるが、退職して、1968年大宅壮一マスコミ塾 第7期生となり、前々回取り上げた梶山季之のスタッフライターとして週刊文春の特派記者を経て、作家に転身。政治、ビジネス、歴史、社会、芸能、スポーツ、事件物など幅広いテーマで膨大な著作を持つ。なかでも時代を代表する人物にスポットをあてた作品群は異彩を放つ。本書もその一つ。
  通常、文科系のライターは、ややこしい専門用語が出てくるメカニズムの記事を避けたり、生半可な知識で馬脚をあらわすものだが、本書は、メカニズム好きの読者にもある程度満足できる。その秘密は、緻密で手堅い取材力を持つ複数のライターが力を発揮しているからだ。数限りないエピソードをかき集めているのも、ひとえに影武者であるライター達のたまものである。

愛車メンテのプラスアルファ情報

1本で8つのサイズのボルトを回せる工具とは?

8in1りバ-スラチェットレンチ

8in1リバースラチェットレンチ

  ハンドツールの嚆矢(こうし)は、スナップオンが発明したソケットツールのルーツ“エクスチェンジャブル・レンチ”というのがもっぱらの定説だ。
  たしかに、1本のラチェットハンドルがあれば、必要とするコマである「ソケット」と組み合わせれば、ありとあらゆるボルトやナットに対応できる。文字通り画期的発明品で、T型フォードの爆発的販売を後押しした“陰の功労者”といってさほど間違いではない。
  そこで今回取り上げるのは、「ソケットといった駒などいらない! それだけで8つのサイズのネジを回せるのだ」と主張する工具だ。アイディア工具目が離せない兵庫県三木市にあるSEK(スエカゲツール)の製品だ。製品名は「8in1 リバースラチェットレンチRWG-8A」。いうまでもなく“8in1”のなかに、1丁で8つのサイズに対応という意図が込められている。
  さっそく手に持ち、使ってみた。
  手にすると、重い感覚だ。メジャーと秤で身体検査すると、全長240mm、重量297g・・・・相当長く、相当重い。
  通常の差し込み角3/8インチのラチェットハンドルが200㎜、200gあたりなので、これにくらべ約1.4倍ほど。差し込み角1/2インチのラチェットとほぼ同じ長さと重さと思ってもらっていい。ボルトの対応サイズ、正確にはボルトの頭の2面幅は、下から8,10,12,13,14,15,17,19mmと8サイズ。13と15はあまり遭遇しないが、ほかはかなりポピュラーなサイズ。
  それにしても、レンチの両端のそれぞれ、4つのサイズの駆動部を持つレンチ。普通ではありえない。どこに秘密、あるいはマジックが隠されているのだろう?
  使ってみてしばらくは、頭のなかに疑問符が浮かぶだけで、判らなかった。が、あれこれ動かしてみると、なるほどね! とばかり発見した。
  駆動部が外周部(黒色)と内周部(シルバー)の2つで構成され、内周部の駆動リングが、スラスト方向にスライドできるようになっているのだ(写真)。もちろん左右の切り替えレバーも付いている。ギア数は90ギアなので送り角はなんと4度。動きもとてもスムーズだ。込み入った構造にもかかわらず、価格は5,600円とリーズナブル。
  結論は如何?
  頭部がでかくため、クルマやバイクの整備にはあまり向かないように思える。実際エンジンルームや車体回りのネジをあたると、目に見えるネジの約8割は、使えそうなサイズばかり。やはり、ソケットツールのようにエクステンションバー的役割ができないので、奥まったところにあるボルトやナットは回せない。まさに痒いところに手が届かない、もどかしい思いを強いられる・・・・まさに隔靴掻痒(かっかそうよう)なのである。
  でも、この〈スライド式機構〉を取り出し応用すれば、さらなる夢のある工具ができそうな予感がする!?


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