みなさん!知ってますCAR?

2021年5 月 1日 (土曜日)

TOP NEWS

商用車のトラックだって入念にデザインされているんだ!

三菱ふそうデザイン1

三菱ふそうデザイン2

  “乗用車やオートバイの世界では、製品デザインについて、あらゆるところで認知されているよね。だけど、商用車、トラックやバスの世界では、見落とされがちだよね、デザインって! そこで質問! トラックなどの商用車のデザインのキーワードは何だ?”
  ウググ・・・・そんな素朴な疑問に即座に答えられない・・・・。そんなんじゃ「ボーっと生きてるんじゃねーよ!」といきなりチコちゃんに叱られそう。
  即答はできないけど、チコちゃんのそんな質問に答えられそうな記者向けのイベントが先日、新川崎で開かれた。
  三菱ふそうの「デザイン・エッセンシャルズ」と名付けられた催しがそれ。言い忘れたけど、当社はドイツのダイムラーの傘下だ。川崎にある本社には、20数名のデザイン担当者がいて、ダイムラー社のデザインルームとリアルタイムでVR(バーチャル・リアリティ)によるデザイン談義を展開、国境を越えてのデザイナー間でのセッションが展開されているという。ちなみに、ダイムラーグループ全体。グローバルでデザイナーは約700名もいるという。
  そんな中で一番興味がわいたのは、「モジュールトラックIRQ」(写真)という名前の近未来120%満載の丸みを帯びた未確認車両的コンセプトカーだ。IRQとはインテリジェント・レスキュー・トラックの略で、燃料電池で駆動する緊急車両である。
  現行の小型トラックキャンターから着想したというが、高床式の4WDのカッコいいスタイルを見ると、デザイナーの底知れない想像力を垣間見た気がする。
  発想した本人が、じきじきに説明してくれた。「IRQは、豪雪地帯や山岳地帯などこれまでクルマが入れなかった起伏の多い地域でもグイグイ踏み込んでいけます。そんな困難な状況下でも、救助活動ができるクルマです。ボディとシャシーの連結部分は、モジュール方式なんです。つまり、ボディ、シャシー、アクスルのメイン部位を、状況や目的に応じて換装できる。飛躍的に救助状況の幅を広げられるのです」。担当したのは、若いインド生まれのデザイナー(写真)。父親が運送業をしたことから子供の頃からトラックに強い興味を持ってきた彼は、目を輝かせて説明してくれた。
  この車両にいささか夢見がちとなったが、未来のデザインはこれだけではなかった。
  輸送用のドローン「ヘリドライド」という乗り物を着想していた。
  川崎のデザインオフィスにあるデザインセンターに籍を置くデザイナーたちは、商用車の将来像をただ路上を行き交う乗り物とだけと規定していないようだ。というのは、空を飛ぶ、つまり通常のトラックは水平方向だけの乗り物電気式ダクトファンだったが、垂直方向にも移動できる乗り物、ドローンタイプを視野に入れている。
  「たとえば、地上の車両から高層のマンションの上層までの距離を簡単にカバーすることで、都心部でのドライバーの作業負荷を軽減できる」というのだ。つまりエレベータや階段を使わず、いきなり、上空から物を届ける! 季節外れのサンタクロースか? 面白いのは、これを具現化するために、360度カメラの装着やスタビライザー役の電子式ダクトファンを4隅に付ける、さらにはホログラム映像でメッセージを送るなど近未来を豊かにするアイディアが詰め込まれていた。
  うまく言えないけど、デザインのチカラってすごいんだな……。チコちゃんもこれで少しは納得してくれるかな?

カーライフ大助かり知恵袋1

遅れてきたお雇い外国人 ウイリアム・ゴーハム伝(第9回)

ゴーハムの3輪車  日本に着いたゴーハムは、当初計画した通りまず航空ショーを東京の芝浦の埋め立て地でおこなった。
  技量をアピールするためだ。もう一つは東京・大阪間の郵便飛行にも挑戦している。こうした試み、というかパフォーマンスは、あまりビジネスに結びつかなかった。この2つともどうも手ごたえがなく、空振りに終わったのだ。
  そのころ日本の航空界は、のち中島飛行機の総帥となる中島知久平が軍部と結びつき、積極果敢に航空機産業を軌道に乗せようと励んでいたからだ。いきなりアメリカからやってきたエンジニアが食い込むスキはなかった。ゴーハムの持つ“技術の駒”は、即座には受け入れられなかった。
  ところが面白いことに、SNSもなかった時代ではあったが、高い技術力を持つゴーハムのうわさは口コミで広がっていった。
  時代はちょうど第1次世界大戦が、ようやく終息したところだった。思わぬところから、ゴーハムの技術力に注目する人がいた。
  大戦による好景気で、モノを運ぶトラックの需要が日本で起き始めていた。川崎にある企業が、ゴーハムにトラックの生産を持ち掛けてきたのだ。
  好奇心旺盛なゴーハムはそのオファーに応えようとした。当時堅牢なクルマづくりで評判のパッカードに目を付けた。パッカードを一つのお手本として新たにトラックを開発しようと動き始めた。こうした研究のなかで、片手間にゴーハムが造り上げた1台のクルマがあった。
  「クシ・カー号」である。クシとは興行師の櫛引のことで、櫛引専用の3輪車だ。ハーレーダビッドソンのエンジンや部品を流用して通常の仕事の合間に作り上げたスペシャルな3輪車(写真)である。実は1901年(明治34年)ニューヨーク州バッファローで開催されたパン・アメリカン博覧会で、路面電車との事故に遭遇し、櫛引弓人は右足を失っていた。
  ゴーハムの持つ“技術の駒”は、極東の島国・日本で、思わぬ方向に動き始めたのである・・・・。

カーライフ大助かり知恵袋2

書評:ポール・フレール著『いつもクルマがいた』(二玄社)

+ポールフレール  “世界でもっとも信頼されている自動車ジャーナリスト”といわれるポール・フレール氏の自叙伝だ。
  となると、“自動車ジャーナリストの大半は、信頼するに当たらない”ということになり、背筋が寒くなる!?
  雑誌「カーグラフィック」で連載された記事をまとめて1999年に、A5版318ページの単行本化にしたものだ。
  一言でいうと、かなり内容の濃い、専門用語が多い、いいかえればリテラシー能力を要する手ごわさを感じる一冊だ。たぶんこれは、翻訳者が長年クルマ雑誌を手がけてきた小林彰太郎氏だからだと思う。「カーグラフィック」の読者なら、読み解けるかもしれないところが、そうでない読者には、難解なところが多々あるのが残念。クルマに不案内な編集者が加わっていれば、たぶん読者層を劇的に増やせた、かな!?
  でも、そうしたことを指し引いても、≪ポール・フレール氏の人生は、自動車の発展とともにあった!≫ということがよくわかる良書といっていいだろう。
  なにしろ彼は、1917年生まれというから、まさにクルマの世紀といわれる20世紀初頭に生まれている。
  物心がつく幼年期には、幸運なことに父親がフィアット501(1460㏄サイドバルブエンジン、最高速70キロ)を手に入れ、ドライブに連れて行ってもらっている(僻みに聞こえるかもしれないが・・・・ちょうど30年後に生まれた筆者は自動車を身近に感じたのは10歳のときで、それもトラックだ)。
  ポール少年は、生まれながらにして身近にクルマが存在したのだ。そのころはまだ馬車がたくさん走っていて、路上には蹄鉄で使う釘がたくさん落ちており、そのおかげで日に何度でも、ひどいときには5回もパンクとなり、その都度チューブを修理したり、交換したりする作業に追われたという。
  しかも、草創期のクルマは、少し前のPCと同じで、壊れやすかった。路面の悪さもあり、サイドメンバーやリーフスプリングがいきなり折れるのは日常茶飯。そして驚くべきことに、ポールは、ミニカーなどない時代、いきなり本物のクルマのハンドルを握ることになる。なんと10歳で! 1966年までベルギーでは運転免許証自体がなかったから、OKだったというのだ。しかも、クルマ好きのおじさんの手ほどきで、ダブルクラッチの操作を取得し、ノンシンクロのギアをチェンジしたというのだ。天才少年クルマ野郎なのだ! うらやましい。
  ブルッセルで送った大学生活も、さんざんクルマ三昧な日々を送り、社会に出てからはGMやジャガーの宣伝部やサービスマネージャーをやりながら、クルマ体験をしていく。そしてついにレーシングドライバーとして活躍するまでになるのである。ル・マンやインディとともに世界三大24時間レースのスパ24時間で3位になったことを皮切りとして、ミッレミリアをはじめ欧州の各種レース、アフリカや中南米でおこなわれた超過酷な公道GPレースなどに参加、エンツォ・フェラーリ率いるチームの一員としてレースに参戦した。このへんは、クルマがもたらす人生の楽園を満喫している。
  こうした経験を踏まえ、自動車ジャーナリストの世界に軸足を移していったのが、40代のころ。そして、50代に入ると、日本の自動社メーカーとの縁が結ばれる。海外での販売に意欲をみなぎらせていた日本のメーカーがポール・フレールの感性を求めていたのだ。辛らつだが、的確なアドバイスで、欧州や北米でのシェアを広げていったのである。なかでも、マツダやホンダなどのアドバイザーとして、おおいにポールのハンドリングに依存していたようだ。ポール曰く「1960年代の日本車といえば、エンジン、サスペンションともがさつで、実にお粗末な代物だった」と。
  通俗的な自叙伝には終わっていないところが、この本の真髄かもしれない。20数年前の本だが、少しも古さを感じさせないのもいい。

愛車メンテのプラスアルファ情報

3300円足らずで手に入れたタイヤ空気圧監視システムTPMSを試す!

TPMS1

TPMS2

TPMS3

  若いころ雑誌の編集記者をやっていたおかげで、“読者に替わって“という触れ込み(というか殺し文句?)で、怪しげな商品を実際試してみることを、こよなく愛する性癖がある。これって、安物買いの銭失い、につながりかねないのだが、反面、好奇心を満足させる絶好の行為でもある。
  とまぁ、理屈はさておき、ちかごろネット販売で多く出回っている「TPMS(タイヤ・プレッシャー・モニタリング・システム)」(タイヤ空気圧監視装置)を手に入れた。運転席からタイヤの状態を見張ることができる便利用品だ。
  そもそもこのTPMS,いまから10数年前に登場したときは、トラックやバスなどの働くクルマの専用品であった。
  お金を稼ぐクルマなら、日々タイヤの管理の負担が少なくなるのは、大歓迎だ。だから価格は、数十万ほどして、とても自分の乗用車に付けられる用品ではなかった。ところが、この垂涎だった用品がいつの間にやら、いろいろなメーカーがつくり始め、ついには中国製の格安品も登場している・・・・というのが今日この頃だ。
  今回ネットで手に入れたのも3280円とウソみたいな低価格。出始めから見れば1/10以下だ。
  この製品、手のひら2つ分ほどの小さな箱に収まっている。おもな内容物は、タイヤのバルブに取り付けるセンサー4個、液晶のモニター部(人差し指にのるほどの小ささ)、それに専用のレンチ(スパナ)と充電用のコード1本。
  電源はどこから採るのか? モニターの裏側にある小さなソーラーパネルからだ。センサーからどんな手段で情報をモニターに表示するのか? ブルートゥース通信による! 
  さっそく取り付けてみることにする。
  まず、前後左右のタイヤのバルブキャップの替わりにセンサーを取りつける。運転席から見て、反時計回りでFR,FL,RL,RRとあるので、その通り取りつける。詳しく言うと‥‥前後左右のタイヤのバルブキャップを取り外し、付属の専用ワッシャー(2面幅13㎜)を取り付け、しかる後にセンサーをねじ込み、先のワッシャーといわゆるダブルナットで緩み止めとする(写真)。このことで、本製品のトリセツには“盗難防止”と謳うのだが、ちょっと違うのでは?! ちなみに、取扱説明書は、日本語の裏側に英文バージョンがある。日本語版は、英文の自動翻訳しっぱなしの“あるまじき日本語”の羅列で、ところどころ意味不明。
  4個のセンサーを取り付けたあとは、モニター部をフロントガラスに付属の両面テープを用いて貼り付けるだけだ。モニターの取り付け方法は、フロントガラスとインパネの上でもどちらでもOK。シガーライターから電源を取る必要がないので実に簡単だ。
  作業時間は約15分。アルミホイールなら、たぶん10分かからないかも。今回は、ホイールカバー付きのクルマなので、いちいちホイールカバーをマイナスドライバーでこじって取り外さないといけない。そうでないと、専用ワッシャーを取り付けられないし、いわゆるダブルナット状態にもできないのだ! 
  取り付け後、数日使ってみた。
  その感想は、「なるほどね……価格のわりにはよくできているオモチャっていう感じ。役割の空気圧はとりあえず表示してくれているようだが、あてになるのかな、これ? という感じ。空気圧が1.8バール以下になるとブザーで教えてくれるというのが、どうだかな…という感じ」。“感じ”というのが続き、なんだか心もとない印象だが、とにかく、そんな感じの製品でした。
  いま一番気になるのが、空気圧が低下したとき、空気を充填する際、またホイールカバーを取り外し…‥という作業をやる必要がある。これが面倒だ! それと、どのくらい長く使えるか? それが問題だ。


▲ページの先頭に戻る

Copyright © 2006-2010 showa-metal .co.,Ltd All Rights Reserved.