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2021年8 月15日 (日曜日)

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無残な姿で発見されたトヨダAA型! どう展示?

トヨダAA1

トヨダAA2

  売上高約30兆円、営業利益約2兆5千万円の従業員数(連結)約37万人のトヨタ自動車にも、前途に多難が横たわる創業時代があった。
  最初に作り上げたクルマは、「トヨタ」ではなく「トヨダ」と濁った。観音開きの「トヨダAA型」である。
  トヨタ博物館に足を運んだ人はよく覚えていると思う。一階がエントランスホールになっていて、奥にあるエスカレーターを利用して2階、さらに3階の世界のクルマと対面できる。エスカレーターに足をかける瞬間が、ワクワクする瞬間でもある。
  そのトバ口に黒光りした楚々とした古めかしいクルマが1台置いてある。しかもクルマの横には、微笑みをたたえた美形の女性が立っている‥‥。クルマにはそそられなくても、つい女性に声をかけたくなるものだ。でも、話題はそのクルマ。
  そのクルマこそ、トヨタのアイデンティティである「トヨダAA型」なのである。エンジンはキャデラックの直6を参考にし、ボディはクライスラーのエアフロー(流線形)。
  博物館設立を機に2台、設計図からゼロから造り上げた復元車の一台なのである。奇しくも日本が戦争の時代に大きく足を踏み入れた二二六事件のあった1936年(昭和11年)に完成し、わずか1404台が生産され、歴史の闇に消えたクルマである。
  長いあいだ、“トヨダAA型の現車は世の中には存在しない”とされてきた。
  ところが、事実は小説よりも奇なり! 数年前、ロシアのウラジオストックで現車が見つかったのだ。はじめトヨダAAとは分からなかったという。車体も室内もボロボロで、あちこち改造してあったからだ。ハンドルは右から左に変えられ、ドアは凹み、ガラスは割れ。エンジンももとはOHVなのだが、同じ6気筒のロシア製サイドバルブ(SV)エンジンに換装されていた。
  意外と知られていないが、実は戦前の日本は朝鮮半島や樺太の一部も領土だった。営業の神様・神谷正太郎(1898~1980年)は、「釜山トヨタ」ばかりか「樺太トヨタ」を設立、朝鮮半島や樺太にも販売網を作り上げていたのだ。だから、日本海を渡り、あるいは陸から、ウラジオストックにトヨダAAが活躍の場を広げたのは、さほど想像に難くない。
  1989年11月ベルリンの壁が破れたとき、東ドイツのクルマ(2ストローク2気筒エンジンのトラビなど)のお粗末さに東ドイツのモノ不足、部品不足にたまげたものだ。これと同じ状況が、ロシアでも展開されていた。クルマ自体が超貴重品で、クルマのユーザーは、ありとあらゆる延命策を駆使して、あり合わせの部品などに換装しながら、だましだまし使い続けられた。だから、トヨダAAが、生き残った、と言える。これが経済的に豊かな西側諸国なら、あっという間に廃車となり跡形もなく消滅していた。つまり貧乏が幸いしたのだ。
  現在、このクルマは、オランダのハーグにあるトヨタ系ディーラーが営む「ローマンミュージアム」という博物館に現車のまま、つまりボロボロ状態で展示しているという。
  豊田章男社長は、祖父喜一郎がつくった現車を見ようと、いち早くハーグを訪れ、対面している。
  たぶん、このときトヨタのアイデンティティというべき「トヨダAA」を日本に持ち帰り、展示する決意を固めたかもしれない。
  余計なお世話だが、どう展示するのかが、気になった。
  そこで、まわりにいる人に聞いてみた。もとトヨタでレーシング関係の開発をしていた昭和36年入社で、シニアとなったTさんは「そりゃ、フルリストアしてピカピカの状態で、展示するよ」。永年地元愛知県でエンジンのリストアをしているCさん(70歳代)もほぼ同じ意見。「トヨタともあろう企業が、ボロボロ状態で、展示するなどありえないよ。何億円かかろうが、フルリストアすね」。でもそれでは、時空を超えて、出現したトヨダAAの物語が見えなくなる、ドラマを伝える意味でも、たとえボロボロでも現車で見せるべきだと思うよ、そう食って掛かっても取り合わない。最後に、かつて私が所属していたクルマ雑誌の元編集長に聞いてみた。「復刻車の隣に、現車のトヨダAA型を展示するのがいいと思うよ。そこからいろいろ物語が伝えられるから…」。さすが元編集長、なるほど、並べてみせるのがとりあえずの正解かも知れない。
  おそらく、現在水面下で、トヨタ博物館側はあれこれ趣向を考慮中だと推測できる。どんな演出で、みせるのか? 表現することを生業とする私としては、とても気になるところだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

遅れてきたお雇い外国人 ウイリアム・ゴーハム伝(第16回)

ゴーハム一家

  13歳のとき、父親に連れられ初めて日本を訪れ、そして30歳のとき家族そろって日本に移住して23年の年月がめぐった1941年(昭和16年)5月、ゴーハム夫妻は、大きな決断をする。正式に日本に帰化することになったのだ。日本がアメリカとの戦端をひらいた真珠湾攻撃の半年前だから、ゴーハム夫妻は日本に骨をうずめる決意をしたことを意味する。
  日本の暮らしにすっかり溶け込んでいたし、日本人以上に日本人という側面もあった。
  4半世紀ものあいだ、東京や横浜の変わりようを見てきたゴーハムは、若い日本人に、「昔はここにこういう建物があったんだよ」と古老の日本人以上に日本のことを知る人間になっていた。四季のある日本が大好きだった。日本人の器用さ、誠実な人の多い日本人を愛し、自分の技量を高く評価してくれる日本は、ゴーハムにとってかけがえのないものだったようだ。
  ゴーハムの日本名は「号波武克人(ごるはむ・かつと)」、ヘーゼル夫人は「翠(みどり)」と名乗ることになる。
  ちなみに、ヘーゼル夫人の行動をたどると、戦前から戦後にかけて「生け花大観」、「陶器について」という英文の書籍を残している一方、学習院大や青山大学で英語の授業の教鞭をとり、隣人だった三笠宮妃などの英語個人教授、「東京夫人クラブ」の主要メンバーとして社会貢献をおこなっている。
  日本籍を取得したその年の12月8日、日本はアメリカと戦闘状態に入る。太平洋戦争が始まった。ゴーハムの自宅と会社を往復する日々の暮らしにはほとんど変化はなかった。だが、外出はできなかったという。身長190センチもある大男のゴーハムは、遠くからでも外国人だとわかり、知らない日本人からは白い目で見られがちだった。以前のようには自由に活動できなくなった。夫人は、日本駐在の外交官などとともに軽井沢につくられた外国人コミュニティで暮らしていた。いちおう憲兵の監視付きであったが、比較的自由な暮らしを送ったようだ。いっときでも心やすまる時間が持てたのだろうか?

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:朝日新聞取材班『ゴーンショック 日産カルロスゴーン事件の真相』(幻冬舎)

ゴーンショック

  一時は救世主経営者、カリスマビジネスマン、朝から夕刻まで仕事をしたということからセブンイレブン・ガイとまでもてはやされた男、カルロスゴーン。なぜ、彼は電撃逮捕されなければならなかったのか? 逮捕から、1年ちょっと、一昨年の暮れ保釈中の身で海外逃亡し、いまレバノンで暮らす男。
  それが「天井知らずの強欲男」「名誉欲120%ガイ」と手のひら返しのようなサイテーの評価を安直にくだしていいのか?
  この本は、朝日新聞の精鋭記者10数名が、さまざまな角度からカルロスゴーンの真実を追い詰め、前代未聞のスキャンダルの全貌に迫る400ページにもおよぶドキュメント。朝日新聞といえば、羽田に降り立ったビジネス機内のゴーン逮捕劇をつぶさに取材し、スクープした媒体。以来チームを組んで世界各国での取材にまい進した。それをまとめたのが本書といえる。
  全部で4部構成。第1部では東京地検特捜部VSゴーンと“ヤメ検弁護士”(元検事だった経歴を持つ弁護士)との息詰まる戦い。第2部では、「独裁の系譜」と称して、日産の創業から今日までの企業内魑魅魍魎とした世界を整理していく。そこには、組合と経営者の奇妙な癒着や、危機に瀕したときあらわれる英雄が、時間の経過で堕落し仲間に裏切られ去っていく、そんな物語がまるで現代版絵巻物のように描かれる。第3部は、フランス大統領マクロンとゴーンの確執、日産社内の知られざる事情。第4部では、レバノン逃亡劇の詳細だ。
  かつてトヨタと競り合っていた日産が、なぜ新興勢力のホンダに抜かれ、巨大な負債を抱え外国資本の助けを借り、ついには外国人経営者に食い物にされてしまったのか? モノづくりの中堅の現場の古参社員(1967年入社)を取材することで、それは象徴的に判明する。「日産はモノづくりの骨格を持っていない会社」だと言い切った。「トヨタは経営者が変わっても。かんばん方式など“モノづくり”の根幹の経営手法は変わらないで受け継がれていく。それに対して日産は、権力者が変わるたびに経営のやり方がころころ変わる。しかも長いものにまかれるカルチャーで、すぐ新しい権力者になびいてしまうんです」
  この本は、エンジンの音も聞こえてこないし、タイヤが地面をとらえる摩擦音も聞こえてはこない。
  でも、いいクルマを作りたい希望に燃えて入社した若者が、やがて世間とはこんなものなのか? 企業とはこの程度の世界なのか? そんな絶望感で、将来を悲観した若者が何人いただろう? あるいは、逆に「この程度のモラルでイケていけるんだから、ほかの世界に飛び出せる」そう考えた若者もいたのだろうか? 日産という企業は、明らかに日本社会の一つの縮図であることには間違いない。読み通すには、過酷なビジネスの現実に息苦しさを覚える箇所もあるが、興味がある人にはスイスイ読める。(2020年5月15日発売)

愛車メンテのプラスアルファ情報

台湾製の「なめたネジ外しドライバーセット」は使えそうか?

なめたネジ外し1

なめネジを外す2

なめたネジ外し3

  ここ数年、ホームセンターの工具コーナーで見かける工具に『なめたネジを緩めて取り外します』という製品が顔を出している。ペンチもしくはプライヤー型の、いわゆる掴んで回す、というやり方の工具。もう一つは、グジャグチャになった頭部に特殊形状の鏨(たがね)をハンマーで叩きこみ、新しい溝を作り、この溝をテコにネジを回し抜き取る! この2つの手法のどちらかだ。
  今回近所のホームセンターで見つけてきた道具は、後者のタイプ。ドライバーなどの工具ではどうにも回らなくなったネジの頭に、新しい溝を設けて強引に回すというやり方。
  M8以上の比較的大きなネジならドリルでもんで、ネジ自体を抜き取るというかなり野蛮な(?)手法もとれるが、小さいとメスネジ(母材)を傷つける恐れがあるため、ドリルでもむというやり方は取れない。先端部を見てほしい。ドリルの先端部と似た形状にとがらせてあり、頭部に食い込むようにしてある。軸部に指を添える樹脂製の保護パッドを設けているので、比較的らくに作業がおこなえそうだ。
  このセットには、最近とみに増えているうち6角ボルトのトラブル向けのビットも備わっている。
  ヘキサゴンボルトは、従来の外6角ボルトにくらべ、2面幅が小さいので、たとえば斜めに工具を入れて無理やりトルクをかけようとすると、頭部が舐める恐れがある。そこで、もし不具合が起きたら、この工具が活躍するというのだ。先端部をよく見ると、同じ6角部だが、微妙にスクリュー形状というかひねり形状。ハンマーで軽く叩きこみ、付属のラチェットハンドルで回す。
  このラチェットハンドル、ギア数が20度で、やや粗いのが気になるが、価格(セットで1790円)から見て贅沢は言えない。軸とのホールド部もややガタが多い感じがするが、価格的には、こんなものだろう?
  ちなみに、ヘキサゴンボルトは、2,2.5,3,4mmの計ビットホルダー付きなので、4サイズに対応する。この4つのビットは、ふだんは付属のビットホルダーに管理できるので、便利だ。ただ、本体のラチェットハンドルとこのビットを一緒に管理するとなると、百円ショップかどこかで、適当な収納袋を手に入れることになる。
  ともあれ、このセット、困ったときの道具としては、有効性が高い。発売元は、兵庫県三木市の藤原産業〈TEL 0794-86-8200〉だ。


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