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2022年9 月15日 (木曜日)

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博物館の図録と“モノづくり”の関係!

日野自動車の不正

  少し気のきいた博物館や美術館に行くと、かならず「図録」という分厚い印刷物が出口あたりで販売されている。
  「図録」とは、館に展示されていた写真や図(イラスト)を詳細に記録した印刷物。英語のPICTORIAL RECORDの翻訳のようだ。映画などのパンフレットとは少し異なり、資料性が高く、帰宅後自室でじっくり眺めることで、より展示物の意図や催し側の狙いが分かり、新しい発見もできる。通常の印刷物ではカバーしきれない実に有意義な書物。ただ、見っぱなしだと記憶から遠のくが、ときどき思い出し本棚から図録を引っ張り出し、眺めると記憶がよみがえったり、ふと別の情報と結びつき新しい発見やひらめきに結び付く。
  ところが、この図録という印刷物、作る側から考えると必ずしも割りが合う印刷物とはならない。
  手間暇とお金がかかるからだ。展示物をみな写真撮りし、それぞれに説明文を付け、見栄えが良くなるように、編集作業が必要となる。変に手を抜くと、印刷物だけにあとあとまで残り評判を落とす。それに、あまり高い価格をつけられない。
  そこで比較的リーズナブルな値段をつけて、販売することになるが、印刷しただけすぐに売れればいいが、博物館だと大量に刷って在庫することになるので、保管費用もばかにならない。
  タイミングとしては、博物館での展示と並行して、あるいは熱が冷めやらない直後に、図録を製作する。しばらくたってからだと再度取材が必要になるから熱が冷めるからだ。
  図録を作るか作らないかは、じつは一番熱量が高まる博物館オープンのタイミングだ。企業の博物館の場合、博物館をつくること自体が初めてなので、よほど余裕がなければ図録作成まで頭が回らない。
  これを踏まえたうえでツラツラ観察すると、トヨタの「産業技術博物館」の図録はよくできている。繊維と自動車の両方の歴史と内容が、少し重いのが難だが320ページに収められている。ちなみに「トヨタ博物館」の場合、バックヤードに大量の車両があり、展示物が時節で替わるので、イベントのテーマごとに図録を作っていて、すでにその数50冊を超えているのではなかろうか。
  一方同じトヨタ系のトラック・バスメーカーの日野自動車にも、70周年記念として1996年に八王子みなみ野駅から徒歩10分のところに「日野オートプラザ」という博物館をつくっている。わが国初のトラックTGEのレプリカモデルをはじめ、数々の関連車両が展示されているばかりか、日本の自動車産業の基礎をつくった幻のエンジニア・星子勇(1884~1944年)の実像に迫る展示物や、戦前、戦時中につくられた航空機の星型エンジンの現物をまぢかで見ることもできる。そのほか、日本のモータリゼーションの歴史を年表とともにわかりやすく追いかける展示物も秀逸だ。
  だが、返す返すも残念なのは、こうした立派な展示物がありながら、図録がつくられていない。ここには数回出掛けてはいるが、最初訪れた時、窓口で「図録、ありますか?」と聞くと「図録って何ですか?」と返され、がっかりした記憶がある。これでは日野自動車への思いがしぼんでしまう!
  この3月に日野自動車では深刻な不正が発覚している。エンジンテストの不十分さや不適切な検査が明らかになった。すでに知られるように、生産エンジン14機種のうち13機種で不正が見つかり、「型式指定」が取り消され、製品を作ることができなくなった。その後8月の再調査で、大型トラックばかりか、小型トラックでも、同様の不正が見つかり、不正発覚以前のわずか4割しかものがつくれなくなった。
  まさに深刻な経営危機状況。愚直なモノづくり立国の日本はどこに行ったのか? 背景には「モノ言えぬ企業体質」「経営陣とモノづくり現場の断絶」などがいわれている。トヨタの子会社化されて約20年、上層部がトヨタの天下り陣容というのもあったようだ。
  整備士コンテストなどを永年取材していくなかで、日野自動車の特異な企業体質をその都度感じてきたが、あらためて思うのが、博物館の図録がつくれなかった。たかが図録と言うなかれ。不正検査と博物館の図録とは、一見つながりがないように思えるかもしれない。でも、わずか大型トラック1台分の経費をケチったことが、その体質を象徴している。多様性の価値を育むことができなかった企業体質が、はからずもこんなところに投影されている。そう思えて仕方がない。

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第20回)

初代クラウン

  ところが、歴史の不思議さというべきか、退陣表明したわずか20日後の1950年6月25日、朝鮮動乱が起きた。自由主義陣営のアメリカと共産主義陣営の中国とロシア。この東西対立が日本の近くである朝鮮半島で、火を噴いたのだ。ここから約3年にわたって展開された朝鮮戦争である。
  経済的に疲弊していた隣国日本は、アメリカ軍のロジスチックス的役割を演じることになる。いわゆる戦争特需といわれるほど日本の経済が動き出し、それにつれて景気が良くなり、敗戦国日本の復旧につながったのである。トヨタも、この戦争特需により、トラックの増産と修理などの仕事が増加し、いっきに経営が改善された。具体的には、1950年7月から翌1951年3月のあいだに4679台のトラックの受注がきた。金額にすると約36億円で、これを期にトヨタ自動車は持続的成長軌道に乗るのである。
  もちろん、戦前戦時中のような、高度な技術を性急に求める軍の介入が、戦後には完全に消えたことが大きな成長を支えたといえる。宿痾だった“くびき”から解放された。モノづくりの成長は、人の成長と同じで、門外漢である組織(軍)があれこれ指示を出してよくなるものでは、断じてないことがよくわかる。自立した組織である企業が、英知と努力で一歩一歩積み上げていくものなのである。
  労働争議が一段落すると、喜一郎の現場復帰を要望する声も大きくなった。ところがその矢先、喜一郎は、病に倒れ、58年の波乱万丈の人生に幕を下ろしたのである。1952年3月27日のことだった。
  喜一郎がなくなって3年の月日がたった昭和30年1月1日、トヨペット・クラウンが誕生した(写真)。このクルマこそ喜一郎が宿願としていた100%メイド・イン・ジャパン、本格的国産乗用車なのである。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:大矢晶雄著『イタリア式クルマ生活術』(光人社)

イタリア式クルマ生活術

  「イタリアではクルマが汚いということは、山奥に別荘を持っていたり、門から家までが5分もかかる田舎のどでかい家に住んでいることを物語るステイタスだったりする…‥」
  いきなりこんなフレーズが目に飛び込んできて“わが意を得たり!”の気分である。
  ふと個人的な体験を思い出した。都内の一流ホテルで打ち合わせか何かで、マイカーでフロントに乗り付けた。バレー(Valet)サービスのスタッフが近づき、その場で鍵付きのクルマを預け颯爽とロビーに向かった(つもり)。すると同乗の娘が蒼ざめた表情で助手席から降りてきた。洗車も不十分な10年落ちの国産車で乗り付けたのだが、若い女性にはこの状況が理不尽だと映ったようだ。ピカピカの輸入車で颯爽と乗り付ける状況なのに、これはないんじゃない! 愛車のカギを渡されたバレーのスタッフの不運を必要以上に感じ取ったのかもしれない。これって日本人得意の忖度。それを是正するのは厄介だ。 
  むろんイタリア人にも忖度はあるかもしれないが、ベクトルが異なるようだ。
  なにしろ、イタリアのクルマ生活は限りなく本音で、ときには剥き出しに近いからだ。1987年式のランチャ・デルタLXという、かなりくたびれた中古車を手に入れ、その車とともにイタリア体験をするうちに筆者は、徐々にイタリアの本質に触れていく。
  そもそもイタリアでは車庫証明が不要なので、平気で自宅の前に路駐する。まるで日本の昭和40年ごろまでの光景だ。おまけに車検は、つい最近まで10年ごとだった。EUに加盟してから、2年ごとになったが、それまではリアシートにシートベルトが付いていなかったという。
  安全意識もかなり低い。曲がるときウインカーを出さないのが普通だというし、縦列駐車のときに平気で前後のバンパーをぶつけて駐車すると、逆駐車も気に留めない。しかもイタリアのオジイオバアは、孫を猫かわいがりしていたかと思うと、クルマのハンドルを握ると性格ががらり変わって、カッキーンとばかりアクセルONでコーナーをまがっていく。
  そもそもAT車などほとんどいなくて、みなMTでないとクルマだと認めていない風潮だ。庶民の大半は、フィアット・パンダあたりの安いクルマに乗っているのだが、とことん一台のクルマを愛し、ボロボロになるまで使い続ける。イタ車はドアハンドルなどつまらないところがいきなり破損したりするが、そんなときは近くの解体屋さんに足を運び、激安部品で修理してしまう。
  走れば必ず擦り減り、交換となると大出費となるタイヤもイタリアではエコタイヤならぬ再生タイヤがあるという。リトレッドタイヤといって、山部分(トレッド)部を削りそこだけ張り合わせるというタイプが日本でもあるが、あくまでも走行キロ数が多いトラックの世界。
  日本でも乗用車用再生タイヤは昭和50年ぐらいまであった。上野にある自動車雑誌社に入社したての頃、活版1/3ページの再生タイヤの広告があったことを覚えている。でもそれもやがて消えてしまった。
  ところが、面白いことにイタリアでは、乗用車の再生タイヤが珍しくないようだ。筆者のランチャにもこの再生タイヤを取り付けられた。4本で取り付け費込み1万6000円だったいうから驚きだ。新品タイヤの1本分で4本分を賄えるなんて!
  なにしろイタリアでは、満14歳になると排気量50ccのクルマ(バイクが大半だが)に無免許で乗ることができる。だから、本挌的に免許を取るときは、近くの空き地で練習し、そこら辺の路上で15分ほどの実地試験を受け、1~2回滑って合格という流れだというのだ。
  でも、イタリアも100%だと思ったら大間違い。
  いまは少し異なるかもしれないが、とにかく当時のイタリアは路上駐車が多いせいか、盗難が日常茶飯。とくにカーオーディオだけを盗んでいく泥棒があるという。ガラスを割られたりするので大損害につながる。そこで、昔はカーオーディオごと、ゴソッとクルマから簡単に取り外し、付属のベルトで肩からぶら下げ、バール(喫茶店)に入るスタイルだったが、いまでは、オーディオのフロントパネル(操作盤)がまるで板チョコのように取り外せ、スマートな盗難防止策済みのカーオーディオがあるという。
  アルプスの山奥からニョキっとばかり地中海に、まるで長靴のカタチに突き出したイタリアという国は、考えてみるとヨーロッパの中では異色の国民性ではないだろうか? サッカー熱だけではなく、フェラーリが活躍するF1でも、イタリア人の熱量は類を見ない。EU諸国のなかでは経済的には優位に立ってはいないが、文化や芸術の世界では常にリーダー。
  イタリア人の生活や、どちらかというと脱力系。前年同月比、なんて経済用語とは縁遠い。“生き馬の目を抜く”とまで揶揄される他人を出し抜いて素早く利益を得る生き方とは対極。だから、少し前までイタリアに住むためイタリア語を猛勉強していた友人がいたけど、なんとなく理解できる。
  この本は、1996年東京生まれ。国立音大の付属小から中学、高校を経て大学でもバイオリンをまなんだ、元バイオリニスト。ところがなぜか自動車雑誌の編集を経て現在コラムニストの筆者が、イタリアの中部の人口5万ちょっとの街シエナに根を下ろし、イタリア式自動車ライフを楽しむ物語。カタカナでイタリア語が出てくるので、多少なりともイタリア語の勉強になる。残念ながら音楽とクルマの関係はどこにも出てこない。
  ちなみに、イタリア人の戦争観のことだ。第2次世界大戦の総括というか反省があまり見られないのは不思議だと考えていた。ドイツと日本ともども枢軸国だったわけで、ドイツや日本は戦後巨大な精神的負担を強いられた。そのわりにイタリアは、その痛みがあまり見られない不思議さ。
  この疑問は、社会学者・古市憲寿『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社 2013年8月刊)という世界の戦争博物館めぐりを記した本を眺めていたら、なかば解明された。これによると、イタリアはアメリカやイギリス、ロシア、フランスなどの連合国に対しては敗戦国だが、ドイツと日本に対しては1943~1945年にかけ、ムッソリーニの退陣後、さらりと身をかわし、逆にドイツと日本に宣戦布告していたからだ。
  つまりイタリアは敗戦国でありながら戦勝国でもあった。戦争博物館らしきものもイタリアには、ほとんどないという。つまり深い後悔と反省がないのかも? 底抜けの明るさの一面はそんなところにもあるのかもしれない。(2002年4月発刊)

愛車メンテのプラスアルファ情報

頭がつぶれたネジが外せるドライバーの有効性は?

パーフェクトドライバー2-1

パーフェクトドライバー2-2

  ハンドツールのなかで、ドライバーほどごくごく身近なわりには使うのが難しい工具はない。
  “ねじ回し”という別名があるせいか、ついつい回すのに気が回り押し付ける力がおろそかになる。そこでカムアウトと呼ばれるドライバーが浮き上がり、結果としてネジのアタマをつぶしてしまう‥‥。ネジのアタマにきっちり食い込むには、押し付ける力をおろそかにできないので、押しつけチカラ7割、回す力3割、なんてことが言われる背景はここにある。
  ソケットツールで6角ボルトを回すときのように、ノー天気で使うと思わぬトラブルを招くのがドライバーなのである。相手のネジに正対する姿勢も大切だし、ドライバーの先端がねじの頭部からずれないように気を遣うことも大切である。
  とはいえそれでもトラブルときはトラブルものだ。かくゆう私もこれまで不本意ながら失敗を犯している。
  そんなときに問題解決法として、最近はいろいろな商品が出てきている。頭部をプライヤーでつかんで回すタイプとか、鏨(タガネ)状の工具で新しい溝を構築して回す……などなど。
  今回取り上げるのは、後者の仲間で、通常の2番プラスドライバーの超変形モデルという製品だ。先端部を観察すると、矢じりのような形状で、よく見るとギザギザが設けられている。
  矢じりのようになっている理由は、そもそもこれは貫通ドライバーの部類なのでハンマーでグジャグジャになったネジの頭部に新しい溝をつくる、ということだ。その前に、先端のギザギザが効果をあらわし、すんなり回ってくれることもあり得る。ハンマーで叩いて、溝を作り直すのは、それでも回らない場合なのだ。
  貫通ドライバーは、非貫通ドライバーにくらべ、重い。軸自体が、ハンドルのエンド部、つまり座金まで延ばされているからだ。だいたい非貫通に比べ1.3~1.5倍重いと考えてもらいたい。
  この製品「パーフェクトドライバー2」は、重量129グラム、全長212mm。これまで内外の10数本の貫通ドライバーを測定してきたが、だいたい常識的というか平均値のなかに収まる重量と全長だ。特徴的なのは、軸が4角だという点。通常は丸軸あるいは6角軸で、軸径がφ6~6.4mmだが、これは幅6.0mm。ついでにハンドルエンド部の座金の径は18mmで、これも標準サイズ。グリップは6角断面のハイブリッド樹脂構造。黒い部分は少し弾力がある柔らかめ樹脂、シルバーの部分(軸の根元)には、硬めの樹脂素材を配する。グリップの径は、太いところで34mmある。
  手に持ったフィールは、ずしりとした感じで、硬質感があり、アメリカンツールなどにくらべ小ぶりの印象。
  こうした工具は、1~2回の使用には耐えるが、数回使うと肝心の先端部が磨滅して、初期の機能を発揮できないというケースがある。このへんのテスト結果は、後日報告したい。
  発売元は、藤原産業(株) TEL0794-86-8200.価格は、近くのホームセンター調べで713円。


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