みなさん!知ってますCAR?

2009年10 月15日 (木曜日)

愛車メンテのプラスアルファ情報

ラチェットスピンナー

Img_5799 たとえばスパークプラグを脱着するとき・・・・ラチェットハンドルを外しエクステンションバーだけでクルクル回すケースで、指の力がうまく伝わらずイライラするときがある。そんなとき、あると便利なのが、ラチェットスピンナーという小道具。

あまり聞きなれない工具だが、エクステンションバーに取り付け使うだけでなく、ラチェットハンドルとソケットの間の繋ぎとして使えば、実に便利。ラチェットハンドルで大きなトルクをかけ、小さいトルクで回せる時はラチェットスピンナーを回せば作業性は格段に向上する。同じサイズのボルトやナットを脱着するときにはこれがないとつらいかもしれない。

いろいろな工具メーカーから出ているが、ここで紹介するのはファクトリーギアが取り扱うDEENというブランドの製品で、差し込み角は3/8インチ。スチールとアルミの組み合わせ素材(ハイブリッド?)で、ある程度重量があり、使いやすい感じ。レッド、ブルー、ブラック、ゴールド、パープル、スカイブルーの6色があり、いずれもカラフル。工具箱の中ですぐ見つけやすい色を選択するのもひとつだ。価格は1200円。1/4インチの差し込み角を3/8に変換できるアダプター(価格1300円)もある。ホームページはhttp://www.f-gear.co.jp

カーライフ大助かり知恵袋2

旧車オーナーがそっと教えるメンテのコツとは?

Img_5565 日産本社が横浜に引っ越したのを期におこなわれた日産ヘリテージカーパレードを取材した。ヘリテージとは≪歴史的遺産≫のこと。早い話、日産の旧いクルマや少し旧いクルマ、計100台が一堂に集まったのだ。

なかには、74年前につくられたダットサン14型(水冷直列4気筒サイドバルブ・エンジン)という博物館入りがおかしくないクルマもすべて自走でやってきた。このクルマはドアなどが木と鉄でつくられているためリストアにはずいぶん苦労したというエピソードを持つが、そんなことより、オールドカーのオーナーはメンテの達人ぞろい。
年式や程度によりみな微妙にそのメンテの手法は異なるが、あまり旧いクルマになると異口同音に「部品の入手に苦労しています」。「ボディの錆に苦労していますね。防錆剤をドアの裏側などに吹き付けています」あるいは「クルマはとにかくエンジンですから、新車で下ろして5万キロぐらいは走行5000キロごとにエンジンオイルを換えていました。これがよかったようです」「オイルエレメントを交換が楽なカートリッジタイプに変更しています」「一番いいのは毎日日常の足で使うことですかね。そうすると、あれこれ不具合は早く分かり手を打てますから」ちなみに、取材した17台中4台は、日常の足として毎日ほど使っているとのことだった。

カーライフ大助かり知恵袋1

旧きをたずねて新しきを知る! トヨタ自動車のルーツ・豊田佐吉物語 第5回

Img_5796 佐吉は紡績業にも進出することを決めた。他社から購入する糸の品質が、自動織機の研究・試験を左右することが研究するうちに明らかになったからだ。佐吉は糸の開発が先決と判断したのだ。ところが当時は小規模な紡績業は割に合わないのが常識。そんなことで周囲からは大反対をされたが、紡績業進出への佐吉の決意は固かった。

周囲には反対もあったが、逆に佐吉のシンパも少なくなかった。三井物産の取締役・藤野亀之助からの資金を提供する申し入れ、同じ三井物産の名古屋支店長である児玉一造からの資金援助で、紡績工場が1914年に完成する。もちろん、この紡績工場完成の裏には、佐吉が保有する自動織布工場を抵当に入れてのことだった。

その年に勃発した第一次世界大戦により好景気がもたらされ、幸いにも佐吉の紡績工場は活況を停止、事業の各段を図ることが出来た。

地盤が固まった佐吉の事業。1921年には中国の上海に「豊田紡織廠(しょう)」を設立、海外に進出を決めた。このときも佐吉の周辺では拡大に苦言を呈する人もいたが、そんなとき佐吉がもらしたのはこんな名言だった・・・「そこの障子(しょうじ)を開けてみよ、外は広いぞ」。

佐吉は見事海外での初めての事業経営に成功をした。
佐吉には2人の後継者が成長しつつあった。一人は、娘・愛子の入り婿である利三郎(児玉一造の弟)であり、もう一人は、長男・喜一郎(写真)だった。喜一郎は利三郎より11歳年下。利三郎は、もともと伊藤忠合名会社のマニラ支店支配人を勤めていたが、豊田家に入り佐吉の事業経営を助け、その中心人物となっていった。喜一郎は、佐吉の技術面をアシストし、やがて佐吉に代わり豊田紡織の技術陣の中心人物になっていく。喜一郎は言うまでもなく、のちトヨタ自動車の創業者となる人物なのである。

TOP NEWS

欧州車にもメイド・イン・チャイナのエンジンパーツが

Img_5737 たとえばマツダのアクセラのエンジン部品にドイツ製のピストンやフランス製のVリブドベルトといった舶来もの部品を採用していることはさほど珍しくない。あるいはエクストレールのディーゼルエンジンなど日産車の一部のエンジンはフランスで組み立てていることも事実。いまや自動車部品は、グローバルな世界に突入しているのである。

「安くて信頼性の高い部品なら地球の裏側からも調達したいです」そんな言葉を某自動車メーカーのエンジン開発者から聞いたことがある。

そんな折、ある欧州車の整備士コンテストの取材で面白い部品を≪発見≫した。
VWとアウディで使われている1.4リッター直列4気筒の直噴ターボエンジンTFSI。アウディなどではA3スポーツパック1.4TFSIという車名で、戦略的な価格299万円で販売しているクルマの心臓部だ。そのエンジン部品の一部に中国製の部品を発見したのだ。欧州車のエンジンに、それもカムシャフトのスプロケットという重要部品にメイド・イン・チャイナの自動車部品が採用されている。

いまや中国は日本を追い抜いて世界で有数の自動車製造国。そう思えば欧州車のエンジンに中国製の部品が使われていても少しも不思議ではない。それに・・・もちろん、価格が安いということがその採用理由なのだろうが、品質基準もアウディあるいはVWの基準を満たしていることは疑問符を付けないが、ユーザーは知るよしもない。

2009年10 月 1日 (木曜日)

愛車メンテのプラスアルファ情報

スリーフィンガーグリップ

Img_5616 たとえばエンジンルームの整備などで、ごわごわした作業用のグローブをしていると、細かなネジや部品を取り落としたり、うまく掴めずにイライラすることがある。
そんなときに、「親指と人差し指だけが抜けているグローブがあればいいのに!」そんな思いに駆られたことはないだろうか?

スリーフィンガーグリップは、まさにそんな要望にジャストフィットのグローブだ。
伸縮性に富んだ素材(掌部は合成皮とPVC皮、甲部はポリエステルとネオプレン製)でつかみやすく作業しやすい。甲部はメッシュタイプで通気性もある。親指、人差し指、中指の3本の先端が抜けている状態なので、文字通り素手で小さなものを掴めるし、ボールペンを使いも字を書くこともできる。

面白いのは指抜けの甲部に、耳が付いているので、これを引けば簡単に脱着ができる工夫がある。クルマのメンテナンスだけでなく、釣りなどにも重宝するグローブだ。サイズはMとLがあり、価格は1480円。
発売元はスイストゥールジャパン 電話047-449-8384。

カーライフ大助かり知恵袋2

消耗部品の交換の目安とは?

Img_5619 エンジンオイルとオイルフィルターは走行1万5000キロ毎あるいは1年に1回(ターボ車はその半分!)、ブレーキフルードは3年毎、タイミングベルトは10万キロ毎、LLCは3年毎(スーパーLLCと呼ばれるものは8万キロまたは4年毎)・・・・というのはすでに認識している人は多いが、無交換と言われているイリジウムのスパークプラグやブレーキホース、はたまたパワステのホースの正味のところの交換時期の目安となると「うっ!」と言葉に詰まる読者が多いと思う。

かくいう筆者も、いろいろ部品メーカーに「おたくで造っている部品の寿命はどのくらいですか?」と聞いて回っても「使われ方でずいぶん違いますから」なんてごまかされる。

そんなとき、面白い資料を発見した。資料というと分厚い文書をイメージするが、ディーラーでユーザーに配布している26ページほどのパンフレット『クルマのトラブル防止アドバイスブック』である。トヨタ自動車の責任編集で、その内容の信憑性は高い。それによると、イリジウムのスパークプラグの交換時期は20万キロ。ブレーキホースの交換時期は20万キロまたは15年だという。パワステのゴムホースもブレーキホース同様に20万キロまたは15年である。ただし、これは平成20年4月1日以降のクルマの限るという。長くクルマを乗ろうというユーザーにはよき目安である。

カーライフ大助かり知恵袋1

旧きをたずねて新しきを知る! トヨタ自動車のルーツ・豊田佐吉物語 第4回

Img_1597 この事件は佐吉には大きな試練だった。豊田式織機の設立に際し、特許をはじめ工場設備などの多くの有形無形の資産を投じていた佐吉はこれによって活動の基盤を失った気分に陥ったからだ。だが、ここで佐吉の心は折れることはなかった。

明治43年、心機一転アメリカに旅立った佐吉は、シアトル、シカゴ、ニューヨークといった都会をはじめ地方の工業都市を約半年かけて視察。そこで佐吉の目に強く映ったのは、広大なアメリカ大陸、アメリカという国の工業生産力、機械化が進んだモノづくりの世界だった。1910年のアメリカは、T型フォード(写真)が爆発的にヒットし、自動車が庶民の足として使われだしたころ。自動車は、もはやごく一部の人の贅沢品ではなく、地球上にモータリゼーションという世界が登場した時代だった。自動車が織機以上の人々の暮らしに必要な製品だということが痛いほど理解できた。

これまでの佐吉の努力が決して無駄ではなかったことも十分気づくチャンスもあった。
アメリカにおける織機のレベルを調べたところ、佐吉が作り上げた織機の性能がアメリカ製を上回っていることを再認識した。たとえば回転数に関してはアメリカの織機は1分間に160回転だが、豊田式は220回転。アメリカ式の織機は機構が複雑で故障が多く、しかも振動も多いし、経糸の切断頻度も高く、作り出す製品の風合いも豊田式の織機のほうが優れている・・・などだ。

これに意を強くした佐吉は、帰国後、自動織機完成の足場を築き直すべく、愛知郡中村(現・名古屋市西区)に約3000坪の土地を手にいれ豊田自動織機工場を新設した。他人の資金に頼っていては思い通りの研究・試験が出来ないという苦い反省から、独立自営の工場であった。

ここで佐吉は研究に没頭する。佐吉が一生を通じて最も研究に打ち込んだのはこの時期。朝は、工場の機械が動く前から研究所に入り図面と向かい合い、午後は自ら機械の下にもぐりこみ油まみれになり織機の改良に取り組んだ。夜も再び研究所で昼間集めた資料をもとに研究に打ち込んだ。

TOP NEWS

ホンダの近未来パーソナルモビリティとは?

Img_5613 ホンダは、よく知られるようにここ20数年かけて二足歩行ロボット「ASIMO(アシモ)」の開発をおこなってきた。これを難しくいうとロボテックス研究だという。このロボテックス研究での一番の成果は、≪バランス制御≫。

このほど近未来のパーソナルモビリティ(一人用乗り物)として一輪試作機「U3-X」が発表されたが、これこそバランス制御をフル活用した提案マシン。
「U3-X」と名乗るこの乗り物、重量10㎏前後。ひょいと手に持てるひょうたん型をした超軽量マシン。上部に折り畳み式シート、下部にも折り畳み式ステップが付いていて、スイッチを入れればぶるぶる震えながら自立している。

さっそく試乗した。身体を前に傾けると、前に、後ろに傾けると後ろに、横に傾けると横に、斜めに傾けると斜めに進む。身体を傾け体重移動すると、自動的に速度と距離を演算し、進んでくれる仕掛け。上部にリチウムイオン電池を内蔵し、約1時間の走行が可能。下部には、モーターと車輪が内蔵した樹脂ハウジングがフレームを兼ねるモノコック構造。

車輪にはHOTドライブシステム(全方位駆動車輪機構)と呼ばれるシステムが組み込まれている。これは20数個の小径車輪を一列につなぎ合わせて構成した大径車輪を、前後左右斜めに駆動できる世界初の車輪機構。車輪をモーターで制御し、大径車輪を動かすことで前後移動、小径車輪を動かすことで左右移動、2つそれぞれの動きを組み合わせることで斜め移動が可能としている。

最高速度時速6キロなので急速な動きこそできないが、数分でこつを飲み込めスムーズな移動ができた。身障者用の乗り物だけでなく、デリバリーやイベント会場での移動などさまざまなシーンで活躍できそうだ。


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