お隣韓国の自動車メーカー「ヒョンデ」が、ふたたび日本市場に挑戦し始めている。
Hyundai Motor Companyは、過去を振り返ると2001年から日本で乗用車を販売していた。だが、わずか10年で1万5000台程度の販売実績を残し撤退している。ちょうど韓流ブームとやらで、“ヨン様”仕様の高級車がTVのコマーシャルで流れていた。いつの間にか日本市場から撤退した。ただし、大型バスが販売されていたのだが、乗用車は完全に日本市場から姿を消した。
10数年前のことを思い出すと‥‥たまたま磯子に販売店があり、複数台ヒュンダイ乗用車をタクシーとして導入していたタクシー業者が横浜にあった。その車にたまたま乗り合わせたことがあった。エクステリアもインテリアもかなりイケていたし、走りや乗り心地も高級車テイストの印象。これならクラウン・コンフォートを軽く凌駕している! そんな印象を得ていた。
だが、俗にいうタフマーケット(成熟したクルマ社会)の日本では、ただロープライスのクルマは受け入れられなかった。ファーストリテーリング的魅力は高額商品のクルマ市場では通じなかったともいえる。
その韓国車が、捲土重来とばかり、いきなりEVとFCVを引っ提げて日本市場に再登場したのだ。
シリコンバレー生まれのテスラ同様、新生「ヒョンデ」もネット販売で、いわば定価販売ビジネスだという。しかも、500万円台にEVの高級車をぶつけてきた。SDGsを前面にした商品で勝負。
でもやはりネット空間での展示だけでは訴求力不足。見て・触ってもらわなければ! そこで新横浜駅近くに顧客に実車を見て触れてもらう施設をつくった。「ヒュンデ・カスタマーエクスペリエンス・センター横浜」がそれ。今年の7月末にオープンしたものだ。
ただクルマを展示して説明員を張り付かせるのではなく、試乗ができる基地としての役割のほかに専用の整備ベイを設け、その光景を2階に設けた小洒落たカフェでお茶を飲みながら見ることができる。カタカタ文字が続く、このいささか長ったらしい名称の施設は、文字通り顧客が体験して楽しめる工夫を凝らしている。
この施設にやじうま根性丸出しで、潜入してきた。新横浜の駅から市営地下鉄で一つめ「北新横浜駅」から歩いて5分。まわりにはスーパーマーケットやファミレス、あるいは倉庫などがある、いわゆる手垢がついていない新規開発の商業ゾーンの一画にその建物があった。
受付カウンターのまわりがなにやら華やいだ雰囲気が漂う。なんと、人気の韓国のヒツプホップグループBTSのコンサートチケットが当たるキャンペーンが展開されていた最中。若い女性が朝から30数名ほど足を運んでいた。そしてスマホで、ヒョンデのクルマをパチパチと撮影している。SNSでヒョンデのクルマの写真や動画を拡散すると、抽選でチケットが手に入るかもしれないという。これってコスパの高い、いま風の宣伝手法! 期せずして、その実情を覗き見た感じだ。
こうした女性は初めから試乗の予定がないので、筆者はあらかじめネットで申し込んだとおり、何ら支障なくEVのアイオニック5(IONIQ 5)に試乗することができた。試乗コースは、通常のディーラーの試乗などより2倍近い距離で、かなり余裕でクルマを味わうことができた。
結論を言えば、やはりEVはおしなべて加速がいいし、静粛性も抜群。225kwの最高出力と600Nmの最大トルクで、1870kgの車重を軽々と移動させる。感動したのは、マスクしていても会話が弾んでしまうほど、車内が静かだという点。ステアリングが小径で好感が持てるし、インテリアも奇をてらうことなくしっとりとよくできている。回生ブレーキが働くので、ある程度のエンジンブレーキらしきものは感じられる。この回生ブレーキ、手元で強さをゼロまで4段階で調整できる。右左折時にウインカーを出すと、ドアミラー下部に設けている広角カメラが働く。死角になった側面の画像をインパネのモニターに映し出し、巻き込み事故を防ぐ。そんな新鮮な安全装置の仕掛けも魅力。
幹線道路を走っているときはクルマの大きさはあまり感じないが、路地に入ったり、狭い駐車場でクルマを停めようとすると、とたんに車両の寸法がふだん乗るクルマより一回りデカいことに気がつく。回転最小半径は、5.99mもある。これはコンパクトカーより約1mも長い。
カタログ数値を確かめると車幅が1890mm、全長も4635mmもあり、ホイールベースがなんと3000mmもあり、トヨタのノアの2800mmよりも200mm長い。価格は479万円からAWDの589万円まであるという。なお、フロア下にセットしているリチウムイオンのバッテリーは、8年または走行16万キロ保障。もしバッテリーが寿命のとき、単体価格はどのくらいかと聞いたところ「いまのところ未定で、たぶん100万円以上はすると思います」とのこと。「(トヨタや日産のような)バッテリーのリビルトやリサイクルの仕組みは未定です」という。
このクルマ、すでに欧州や北米でも売られているが、日本市場でそう羽根が生えたようには売れないと思う。高級車をまずお披露目してイメージアップ。全国に既存の整備工場と提携したサービス拠点を数多く設け、整備体制をある程度構築してから、本格的にリーズナブルな価格のコンパクトカーを売ろうという心づもりのようだ。
トヨタのモノづくりで、イの一番に思い起こすのが「ジャストインタイム」である。
生産過程において、各工程に必要な部品やモノを、必要なタイミングで、必要な量と数を供給することで在庫(つまり経費ともいえる)をとことん減らして生産活動を行う生産技術。別名「トヨタ生産方式」。アメリカではジャストインタイムの頭文字を取りJIT(ジット)と呼ばれている。この生産方式を支えているのが、カンバンと呼ばれる「生産指示票」であるので、「カンバン方式」(写真)ともいわれる。
この生産方式は、戦後具体的に実を結ぶのだが、もともとは喜一郎が当初から彼の頭にあったものである。昭和13年(1938年)拳母工場完成の際に記者のインタビューに答え、こう返答している。原文は文語調なので現代語に直してみると。
「自動車工場の場合においては、材料が非常に重要な役割を持っています。部分品の種別だけでも2000~3000種に及びますが、それらの材料や部分品(部品のこと)の準備やストックはよく考えてやらないと。いたずらに資本にものを言わせどんぶり勘定でおこなうと、完成車の数が少なくなります。私はこれを“過不足なきさま”、換言すれば所定の生産に対して余分の労力と時間の無駄を出さないようにすることを第一にしています。部分品が移動し循環していくことに対して、“待たせたりしないこと”です。“ジャストインタイム”に各部分品が、整えられることが大切だと思います」
これは、中岡哲郎氏の『近代技術の日本的展開』という本の中に出てくるのだが、サブタイトルが「蘭癖(らんぺき)大名から豊田喜一郎まで」。蘭癖とはあまり聞きなれない言葉だが、江戸期蘭学にひどく傾注した、いわゆる西洋かぶれをした人のことを、いささか皮肉ってとくに幕末水戸藩の攘夷派あたりが使った言葉。もとは、18世紀初頭の吉宗時代の享保の改革で、洋書の輸入が緩和されたことがきっかけになっている。日本人のモノづくりへのまなざしは、およそ300年前から、いまに続いているようだ。
「うん? ドライブイン!」 この文庫本のタイトルを見て、正直いって不思議な感じに襲われた。
“ドライブイン”はいまや死語になりかけている言葉だからだ。奥付をのぞくと2022年7月とある。印刷所から出てきたばかりの新刊文庫本。ドライブインは、わずかながら生き残ってはいるだろうが、斜陽産業をあえてメインテーマにして本ができあがる! そこに出版世界の不可思議さが漂う・・・・そう考えるのは深読みだろうか?
でも冷静に考えると、レビューする側(広田)が、右肩上がりのテーマを追いかけがちな実用書の世界に毒されているからかもしれない。この本は、あえて完璧に斜陽となったドライブインをテーマにしている。ちなみに文庫はごく最近だが、単行本は2019年1月に世に送り出されている。それにしても、モヤモヤが頭のなかをよぎる。
突き放して考えると、そもそもドライブインに興味のある読者がどれほどいるのだろうか? そう考えると疑問符が湧いてくる。それゆえに大きな狙いというか追求すべき何かがあるハズ。鉱脈が隠されている? そこに思い至ると、猛然とこの本への読書欲が湧いてきた。
ドライブインは、日本のモータリゼーションの始まった1960年中ごろから出現する。まだ未舗装路が大半の昭和の中頃。晴れた日には埃が立ち込め先が見えない。雨になると泥をかぶる幹線道路のあちこちに、観光バスの乗客やトラックの運転手を顧客としたドライブインがあった。小さかった子供時代自転車で走り回っていたころを思い出す。峠を越えられず途中でエンジンを冷やしていたバイク(たいていはアルミの洗濯ばさみをクーリングフィンに取り付けてはいた)が珍しくなかった。
ところが、にぎわっていたドライブインも、高速道路が張り巡らされた1990年代には斜陽産業の仲間入りになってくる。
それでも、いまでも少数とはなったが、全国には多くのドライブインがあるという。時代の波を乗り越え生き残ったドライブイン。それは地元の顧客に支持されたドライブインや、ファミレスにはできない地場の食材を使った料理を提供するドライブイン、さらには家族経営独自の接遇待遇型のドライブインが、ドッコイとばかり、いまでも生き残っている。
もう一度ドライブインとは、なにか? と思いをめぐらす。
自動車に乗車したままで乗り入れることができる商業施設のことを指すという。ドライブイン・レストラン、ドライブイン・バンク(銀行)、ドライブイン・ハンバーガーショップ、ドライブイン・シアター(映画館)などがある(あった?)。面白いことにコロナ禍でドライブインは、感染予防の方策として、再び脚光をあびている。
この本は、狭い意味での「ドライブイン・レストラン」の探訪記である。
この本の非凡なところは、日本の道路の行き末はともかく、来し方を教えてくれる点だ。単なるルポで終わらない。
たとえば、日本の動脈である東海道の起源は、江戸期ではなく、なんと1000年以上の昔にさかのぼる、という。
律令制の中央集権国家を構築するうえで「五畿七道」という行政区分から始まった。五畿とは大和、山城、摂津、河内、和泉の畿内五国を指し、七道とは東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道をいい、これは道路の意味だけではなく、区画(地域)をも意味した。東海道に「宿」ができたのは鎌倉時代で、これが整備され、江戸時代には参勤交代制度が後押しして地方文化と江戸の文化の交流が起きる。なるほど、ひとつえらくなった気分。
日本の高速道路がどういう背景でできたかも、この本は丁寧に教えてくれた。
そもそも敗戦後10年ほどして、日本の発展を意図して、世界銀行の肝いりの調査団が日本の道路事情を世界的視野で点検された。それが1956年のワトキンス調査団というもので、「日本の道路は信じがたいほどひどい。工業国として道路網をこれほど無視してきた国は他にはない」とボロクソに評価。当時の日本人は、これに反感を抱くことなく、逆にこの進言をいわば“錦の御旗”として、高度成長経済の青写真のうえに、ハイウエイ建設に努力を傾ける。そして7年後の1963年には名神高速道路、さらにそこから6年後には東名高速道路が完成している。思わず心のなかで、「ヘッ~!」と叫ぶ。
筆者はことさら鼻息荒く読者に伝える姿勢こそとらない。でも、読み進めるうちに、知らず知らずに日本の道路行政、日本の戦後社会の在りかた、庶民のクルマ生活の推移、日本の産業の変化、そして何にもまして、いまも大きな課題となっている日本のエネルギー革命に思いがおよぶ・・・・・。
北海道から沖縄まで22件のドライブインを緻密に取材しているから、こんなにも広い世界観の風呂敷を広げてくれる。
単なる探訪記だけに終わっていないのは、著者の広い好奇心と分け隔てしない他人への熱いまなざし。ドライブインは、基本的に家族経営なので、なぜドライブインに携わっているのか? その前のキャリアはどうなのか? それぞれのドライブインには繁栄と停滞、そして先細りなどの紆余曲折がある。そこの著者は、いきなりマイクを突き付ける不躾な直球ではなく、何度も足を運び、まるで永年の知り合いか何かになったかのように親密さを醸成し、本質に迫っていく。
ドライブインのスタイルは、カレーやうどんそば、ラーメンというメニューだけではない。意外と千差万別だ。客が食べたものを自己申告するセルフ式のいうなれば性善説ドライブインがあるかと思えば、駐車場から注文するアメリカンスタイルの沖縄のドライブイン、いまやレトロとなった自販機がずらり並んだユニークなドライブイン。そして地場の食材をフルに生かしたホルモン炒め定食とか、海鮮料理で普通のファミレスには真似のできないメニューでお客を引き付けるドライブインもある。その背景にある家族経営の内実に著者は、愛情深く分けいる。
店内に入ると土間の続きに設けられた「小上がり」に筆者の目線が注がれる。「蹴上がり」ともいわれるこの小さな座敷は、足を延ばしフット一息つける空間の存在。ここにこそジャパニーズスタイルのドライブインがあるといっているようだ。
筆者は、1982年広島生まれのライターだが、生まれて初めて自分が追求したいテーマがドライブイン。熱意がこうじて「月刊ドライブイン」というミニコミ誌を製作、これがキッカケで単独の本になった。それだけに熱量の高い記事が目白押し文庫である。次ぎ、クルマで旅するときは、ファミレスではなく、ローカルなドライブインに立ち寄りたくなってきた。(2022年7月刊)
かれこれ30年ほど使い続けているだろうか?
誰にも1本か2本は、よく使う工具というものを持っていると思う。10mmのコンビレンチの人もいるし、2番のプラスドライバーの人もいる。使用頻度が高い工具であるはずだ。
ぼくの場合、イの一番にあげたいのがヘキサゴンレンチの「6角棒レンチ」である。20年ほど前の自動車のエンジンルームではあまりヘックスボルトを見かけないので、使う機会はなかった。ところが、バイクの世界では、1980年代からすでにヘキサゴンボルトがかなりポピュラーだった。ふつうの6角ボルトの頭とくらべ、一回りコンパクトになるので、バイクではとくに、ハンドル回りに多くのヘキサゴンボルトが使われてきた。アクセルグリップ回り、ハンドルクランプ回り、ブレーキ&クラッチレバー回りなど、指折り数えると10本以上ある。サイズはだいたい4mmと5mmだったと思う。これらのボルトを脱着したり、バイク本体を背の高いトランスポーターのワンボックス車に乗せやすいように、バイクを低くするためハンドル回りのボルトを緩めたりする。こうした作業で、実に6角レンチの使用頻度はグイっと高まる。
TOP製の「6角棒レンチFHW-4568」は、このバイクのハンドル回りにあるヘックスボルトを脱着するのに便利。鍛造製のハンドルの両端に短い両頭ビットが付いていて、クルクル360度回せるスタイルになっている。4mmと5mm、それに6mmと8mm、つまり計4つのサイズのヘックスボルトに対応できるというわけだ。軸と90度の角度にすればトルクをしっかりかけられるし、ハンドルと同じ向き(つまりストレート)にすれば早回しができるのだ。1本で4サイズに対応するだけではない。
ナイフタイプ、L字タイプ、ドライバータイプ、ソケットツールタイプなど6角レンチはいろいろなタイプがあるが、TOPの製品は実にユニークで使いやすい。
全体の重量が154gと重く、手に持つとずしりと重く感じるのは事実だが、使ううえではそれはマイナスにはならない。頑丈につくられている、質実剛健さを醸し出すうえでプラスに働いているかもしれない。だが、これをもし平成の時代に作り直すとすると、たぶんハンドルをアルミの鍛造製にするか、同じ鍛造のスチールでもなかをくりぬき中空にするかもしれない。となると価格はたぶん10倍程度になる。現行だと実質1000円以下と格安。そう考えると、このままの姿に落ち着く? せいぜい表面にローレット加工を施すぐらいか? (写真は今回新たに購入したもの)