みなさん!知ってますCAR?

2022年10 月 1日 (土曜日)

僕の本棚:橋本倫史著『ドライブイン探訪』(ちくま文庫)

ドライブイン探訪

  「うん? ドライブイン!」 この文庫本のタイトルを見て、正直いって不思議な感じに襲われた。
  “ドライブイン”はいまや死語になりかけている言葉だからだ。奥付をのぞくと2022年7月とある。印刷所から出てきたばかりの新刊文庫本。ドライブインは、わずかながら生き残ってはいるだろうが、斜陽産業をあえてメインテーマにして本ができあがる! そこに出版世界の不可思議さが漂う・・・・そう考えるのは深読みだろうか?
  でも冷静に考えると、レビューする側(広田)が、右肩上がりのテーマを追いかけがちな実用書の世界に毒されているからかもしれない。この本は、あえて完璧に斜陽となったドライブインをテーマにしている。ちなみに文庫はごく最近だが、単行本は2019年1月に世に送り出されている。それにしても、モヤモヤが頭のなかをよぎる。
  突き放して考えると、そもそもドライブインに興味のある読者がどれほどいるのだろうか? そう考えると疑問符が湧いてくる。それゆえに大きな狙いというか追求すべき何かがあるハズ。鉱脈が隠されている? そこに思い至ると、猛然とこの本への読書欲が湧いてきた。
  ドライブインは、日本のモータリゼーションの始まった1960年中ごろから出現する。まだ未舗装路が大半の昭和の中頃。晴れた日には埃が立ち込め先が見えない。雨になると泥をかぶる幹線道路のあちこちに、観光バスの乗客やトラックの運転手を顧客としたドライブインがあった。小さかった子供時代自転車で走り回っていたころを思い出す。峠を越えられず途中でエンジンを冷やしていたバイク(たいていはアルミの洗濯ばさみをクーリングフィンに取り付けてはいた)が珍しくなかった。
  ところが、にぎわっていたドライブインも、高速道路が張り巡らされた1990年代には斜陽産業の仲間入りになってくる。
  それでも、いまでも少数とはなったが、全国には多くのドライブインがあるという。時代の波を乗り越え生き残ったドライブイン。それは地元の顧客に支持されたドライブインや、ファミレスにはできない地場の食材を使った料理を提供するドライブイン、さらには家族経営独自の接遇待遇型のドライブインが、ドッコイとばかり、いまでも生き残っている。
  もう一度ドライブインとは、なにか? と思いをめぐらす。
  自動車に乗車したままで乗り入れることができる商業施設のことを指すという。ドライブイン・レストラン、ドライブイン・バンク(銀行)、ドライブイン・ハンバーガーショップ、ドライブイン・シアター(映画館)などがある(あった?)。面白いことにコロナ禍でドライブインは、感染予防の方策として、再び脚光をあびている。
  この本は、狭い意味での「ドライブイン・レストラン」の探訪記である。
  この本の非凡なところは、日本の道路の行き末はともかく、来し方を教えてくれる点だ。単なるルポで終わらない。
  たとえば、日本の動脈である東海道の起源は、江戸期ではなく、なんと1000年以上の昔にさかのぼる、という。
  律令制の中央集権国家を構築するうえで「五畿七道」という行政区分から始まった。五畿とは大和、山城、摂津、河内、和泉の畿内五国を指し、七道とは東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道をいい、これは道路の意味だけではなく、区画(地域)をも意味した。東海道に「宿」ができたのは鎌倉時代で、これが整備され、江戸時代には参勤交代制度が後押しして地方文化と江戸の文化の交流が起きる。なるほど、ひとつえらくなった気分。
  日本の高速道路がどういう背景でできたかも、この本は丁寧に教えてくれた。
  そもそも敗戦後10年ほどして、日本の発展を意図して、世界銀行の肝いりの調査団が日本の道路事情を世界的視野で点検された。それが1956年のワトキンス調査団というもので、「日本の道路は信じがたいほどひどい。工業国として道路網をこれほど無視してきた国は他にはない」とボロクソに評価。当時の日本人は、これに反感を抱くことなく、逆にこの進言をいわば“錦の御旗”として、高度成長経済の青写真のうえに、ハイウエイ建設に努力を傾ける。そして7年後の1963年には名神高速道路、さらにそこから6年後には東名高速道路が完成している。思わず心のなかで、「ヘッ~!」と叫ぶ。
  筆者はことさら鼻息荒く読者に伝える姿勢こそとらない。でも、読み進めるうちに、知らず知らずに日本の道路行政、日本の戦後社会の在りかた、庶民のクルマ生活の推移、日本の産業の変化、そして何にもまして、いまも大きな課題となっている日本のエネルギー革命に思いがおよぶ・・・・・。
  北海道から沖縄まで22件のドライブインを緻密に取材しているから、こんなにも広い世界観の風呂敷を広げてくれる。
  単なる探訪記だけに終わっていないのは、著者の広い好奇心と分け隔てしない他人への熱いまなざし。ドライブインは、基本的に家族経営なので、なぜドライブインに携わっているのか? その前のキャリアはどうなのか? それぞれのドライブインには繁栄と停滞、そして先細りなどの紆余曲折がある。そこの著者は、いきなりマイクを突き付ける不躾な直球ではなく、何度も足を運び、まるで永年の知り合いか何かになったかのように親密さを醸成し、本質に迫っていく。
  ドライブインのスタイルは、カレーやうどんそば、ラーメンというメニューだけではない。意外と千差万別だ。客が食べたものを自己申告するセルフ式のいうなれば性善説ドライブインがあるかと思えば、駐車場から注文するアメリカンスタイルの沖縄のドライブイン、いまやレトロとなった自販機がずらり並んだユニークなドライブイン。そして地場の食材をフルに生かしたホルモン炒め定食とか、海鮮料理で普通のファミレスには真似のできないメニューでお客を引き付けるドライブインもある。その背景にある家族経営の内実に著者は、愛情深く分けいる。
  店内に入ると土間の続きに設けられた「小上がり」に筆者の目線が注がれる。「蹴上がり」ともいわれるこの小さな座敷は、足を延ばしフット一息つける空間の存在。ここにこそジャパニーズスタイルのドライブインがあるといっているようだ。
  筆者は、1982年広島生まれのライターだが、生まれて初めて自分が追求したいテーマがドライブイン。熱意がこうじて「月刊ドライブイン」というミニコミ誌を製作、これがキッカケで単独の本になった。それだけに熱量の高い記事が目白押し文庫である。次ぎ、クルマで旅するときは、ファミレスではなく、ローカルなドライブインに立ち寄りたくなってきた。(2022年7月刊)

2022年9 月15日 (木曜日)

ぼくの本棚:大矢晶雄著『イタリア式クルマ生活術』(光人社)

イタリア式クルマ生活術

  「イタリアではクルマが汚いということは、山奥に別荘を持っていたり、門から家までが5分もかかる田舎のどでかい家に住んでいることを物語るステイタスだったりする…‥」
  いきなりこんなフレーズが目に飛び込んできて“わが意を得たり!”の気分である。
  ふと個人的な体験を思い出した。都内の一流ホテルで打ち合わせか何かで、マイカーでフロントに乗り付けた。バレー(Valet)サービスのスタッフが近づき、その場で鍵付きのクルマを預け颯爽とロビーに向かった(つもり)。すると同乗の娘が蒼ざめた表情で助手席から降りてきた。洗車も不十分な10年落ちの国産車で乗り付けたのだが、若い女性にはこの状況が理不尽だと映ったようだ。ピカピカの輸入車で颯爽と乗り付ける状況なのに、これはないんじゃない! 愛車のカギを渡されたバレーのスタッフの不運を必要以上に感じ取ったのかもしれない。これって日本人得意の忖度。それを是正するのは厄介だ。 
  むろんイタリア人にも忖度はあるかもしれないが、ベクトルが異なるようだ。
  なにしろ、イタリアのクルマ生活は限りなく本音で、ときには剥き出しに近いからだ。1987年式のランチャ・デルタLXという、かなりくたびれた中古車を手に入れ、その車とともにイタリア体験をするうちに筆者は、徐々にイタリアの本質に触れていく。
  そもそもイタリアでは車庫証明が不要なので、平気で自宅の前に路駐する。まるで日本の昭和40年ごろまでの光景だ。おまけに車検は、つい最近まで10年ごとだった。EUに加盟してから、2年ごとになったが、それまではリアシートにシートベルトが付いていなかったという。
  安全意識もかなり低い。曲がるときウインカーを出さないのが普通だというし、縦列駐車のときに平気で前後のバンパーをぶつけて駐車すると、逆駐車も気に留めない。しかもイタリアのオジイオバアは、孫を猫かわいがりしていたかと思うと、クルマのハンドルを握ると性格ががらり変わって、カッキーンとばかりアクセルONでコーナーをまがっていく。
  そもそもAT車などほとんどいなくて、みなMTでないとクルマだと認めていない風潮だ。庶民の大半は、フィアット・パンダあたりの安いクルマに乗っているのだが、とことん一台のクルマを愛し、ボロボロになるまで使い続ける。イタ車はドアハンドルなどつまらないところがいきなり破損したりするが、そんなときは近くの解体屋さんに足を運び、激安部品で修理してしまう。
  走れば必ず擦り減り、交換となると大出費となるタイヤもイタリアではエコタイヤならぬ再生タイヤがあるという。リトレッドタイヤといって、山部分(トレッド)部を削りそこだけ張り合わせるというタイプが日本でもあるが、あくまでも走行キロ数が多いトラックの世界。
  日本でも乗用車用再生タイヤは昭和50年ぐらいまであった。上野にある自動車雑誌社に入社したての頃、活版1/3ページの再生タイヤの広告があったことを覚えている。でもそれもやがて消えてしまった。
  ところが、面白いことにイタリアでは、乗用車の再生タイヤが珍しくないようだ。筆者のランチャにもこの再生タイヤを取り付けられた。4本で取り付け費込み1万6000円だったいうから驚きだ。新品タイヤの1本分で4本分を賄えるなんて!
  なにしろイタリアでは、満14歳になると排気量50ccのクルマ(バイクが大半だが)に無免許で乗ることができる。だから、本挌的に免許を取るときは、近くの空き地で練習し、そこら辺の路上で15分ほどの実地試験を受け、1~2回滑って合格という流れだというのだ。
  でも、イタリアも100%だと思ったら大間違い。
  いまは少し異なるかもしれないが、とにかく当時のイタリアは路上駐車が多いせいか、盗難が日常茶飯。とくにカーオーディオだけを盗んでいく泥棒があるという。ガラスを割られたりするので大損害につながる。そこで、昔はカーオーディオごと、ゴソッとクルマから簡単に取り外し、付属のベルトで肩からぶら下げ、バール(喫茶店)に入るスタイルだったが、いまでは、オーディオのフロントパネル(操作盤)がまるで板チョコのように取り外せ、スマートな盗難防止策済みのカーオーディオがあるという。
  アルプスの山奥からニョキっとばかり地中海に、まるで長靴のカタチに突き出したイタリアという国は、考えてみるとヨーロッパの中では異色の国民性ではないだろうか? サッカー熱だけではなく、フェラーリが活躍するF1でも、イタリア人の熱量は類を見ない。EU諸国のなかでは経済的には優位に立ってはいないが、文化や芸術の世界では常にリーダー。
  イタリア人の生活や、どちらかというと脱力系。前年同月比、なんて経済用語とは縁遠い。“生き馬の目を抜く”とまで揶揄される他人を出し抜いて素早く利益を得る生き方とは対極。だから、少し前までイタリアに住むためイタリア語を猛勉強していた友人がいたけど、なんとなく理解できる。
  この本は、1996年東京生まれ。国立音大の付属小から中学、高校を経て大学でもバイオリンをまなんだ、元バイオリニスト。ところがなぜか自動車雑誌の編集を経て現在コラムニストの筆者が、イタリアの中部の人口5万ちょっとの街シエナに根を下ろし、イタリア式自動車ライフを楽しむ物語。カタカナでイタリア語が出てくるので、多少なりともイタリア語の勉強になる。残念ながら音楽とクルマの関係はどこにも出てこない。
  ちなみに、イタリア人の戦争観のことだ。第2次世界大戦の総括というか反省があまり見られないのは不思議だと考えていた。ドイツと日本ともども枢軸国だったわけで、ドイツや日本は戦後巨大な精神的負担を強いられた。そのわりにイタリアは、その痛みがあまり見られない不思議さ。
  この疑問は、社会学者・古市憲寿『誰も戦争を教えてくれなかった』(講談社 2013年8月刊)という世界の戦争博物館めぐりを記した本を眺めていたら、なかば解明された。これによると、イタリアはアメリカやイギリス、ロシア、フランスなどの連合国に対しては敗戦国だが、ドイツと日本に対しては1943~1945年にかけ、ムッソリーニの退陣後、さらりと身をかわし、逆にドイツと日本に宣戦布告していたからだ。
  つまりイタリアは敗戦国でありながら戦勝国でもあった。戦争博物館らしきものもイタリアには、ほとんどないという。つまり深い後悔と反省がないのかも? 底抜けの明るさの一面はそんなところにもあるのかもしれない。(2002年4月発刊)

2022年9 月 1日 (木曜日)

ぼくの本棚:都築卓司著『ベンツと大八車日本人のアタマVS西洋人のアタマ』(講談社)

ベンツと大八車

  ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏に師事した物理学者の日本の科学技術文明エッセイである。
  30年ほど前、「ベンツと大八車」という刺激的なタイトルに惹かれて手に入れた単行本。ところが、ベンツや大八車のことは、いくらページを繰っても出てこない。
  「ハハ~ン、これはろくに熟読しないで、エイとばかり売れるタイトルをひねり出した担当編集者のせいだな。著者には、タイトルをつける権利が日本ではないようだから・・・・。サブタイトルの“日本人のアタマVS西洋人のアタマ”が先にできて、これだと凡庸なので、一発カマスうえで“ベンツと大八車”を大タイトルにしてしまったに違いない!」
  そんな夢想をついしてしまったが、当たらずとも遠からずだ。
  じつは筆者の都築卓司さん(1928~2002年)は、同じ講談社が発行するブルーバックス・シリーズの初期のころのメインライターだった。ブルーバックス・シリーズといってもピンとこない読者もいるかと思うが、自然科学や科学技術のテーマを一般読者向けにやさしく解説した新書。1963年創刊で、2022年時点ですでに2200点もあるという。都築さんは、このシリーズで「超常現象の科学」「不思議科学パズル」「タイムマシンの話」「誰にでもわかる一般相対性理論」など20冊近くを読者に届けている。
  今回取り上げた「ベンツと大八車」は、いまから半世紀近く前に出た本。だからPCはおろか、スマホも影も形もなかった時代の科学技術論だから、かなりのズレがある。逆に言えば、そこになんとも言えない面白みを見つけることができる。いまやグローバル経済で、人の行き来が頻繁で、国別文明論や人種別技術論がかなり怪しくなりつつある。だから一昔前、ふた昔前の日本人がどういう価値観で生活していたか? 
  この本が出た時点からさかのぼること33年前の1944年末、日本がアメリカとの戦争で、追い詰められた日本の軍部は、2つの切り札を具現化しようとした。ひとつは中島飛行機の粋を競った「富嶽(ふがく)」という名の未完の重量級爆撃機で、アメリカ本土に爆撃をする取り組み。もう一つは、なんと直径10mほどの紙風船をつくり、そこに焼夷弾をぶら下げ、ジェット気流に乗せて直接アメリカ本土空襲をおこなうというものだ。
  この風船爆弾の縮尺模型が、江戸東京博物館に展示してあり、たまたま同行したイラク戦争で狙撃兵だったアメリカの元兵士に説明。当方のテキトーな説明では不十分とばかり英文の説明文を読み始めると笑い転げ始め、しばらくその場から動けなくなった。この風船爆弾、楮(こうぞ)の和紙を3枚に重ね、こんにゃく糊で球状に仕上げたもの。組み立てるのに、広くて天井が高い場所がいるため、東京宝塚劇場、両国の国技館、浅草国際劇場などが使われたという。千葉や福島、茨城の海岸から計約9300個も放球され、うち約1000個ほどがアメリカ大陸にいきつき、6名ほどの死者を出したといわれる。
  いま思えば、こんなコスパ(費用対効果)の薄い、素人じみた風船爆弾を具現化して実際に飛ばした日本人。ここに現在の日本人にも通じる「手抜きを嫌う性癖」を見ると筆者は指摘する。たしかに胸に手を当てて考えると、わが風船爆弾は、少なからず数個ある。たとえば、のべ半世紀以上もだらだらやっている英語学習だ。英語脳になれとか、例文をとにかく暗記しろとか圧がかかるも、ひとつもネイティブには近づけない。
  日本人の自画像とは? 日本人に科学する力があるのか? それをこの物理学者は、スマートに解き明かしてくれる。(1977年11月発刊)

2022年8 月15日 (月曜日)

ぼくの本棚:藤原辰史著『トラクターの世界史人類の歴史を変えた「鉄の馬」たち』(中央公論新社)

トラクターの歴史

  トレーラーとトラクターはよく取り違えられるのだが、トラクターはあくまでも牽引する側の車両。トレーラーは、牽引される、つまり非牽引車(みずから駆動するメカを持たない!)のことだ。
  この本は、おもに農業用のトラクターを軸にした世界史的視野のユニークな新書だ。
  島根で育ち京大で農業系の学問を納めただけに、トラクターがどれほど人間の食に大きくかかわったのかをソーカツ的に展開。
  いわれてみればなるほどなのだが、農業用のトラクターは、後部にいろいろな目的のアタッチメント(付属物)を取り付け、地球の表面を耕す。地球から見ると、ほんのわずかな薄皮をひっかくに過ぎないのだが、人間から見るとそれは自然から食料を継続的に得るための涙ぐましい、文字通り生死を分ける営みなのだ。
  そもそも種を蒔く前に、土を掘り起こす。耕すことで収穫物の質と量が劇的に向上することを、農業を営む人たちは洋の東西を問わず、経験的に知っていた。土を耕す行為は土壌の下部にある栄養素を上部にもたらし、土壌内に空気を取り込み保水能力と栄養貯蓄能力を高め、さまざまな微生物の働きをよくし、活性化させる。このことの理屈は近代の科学的考察で証明された。カルチャー(文化)が土を耕すことに由来していることから分かるように、このことははるけき昔から農作業の中心に据えられてきた。
  トラクターが農業世界にもたらしたのは、言うまでもなく機械化だ。となると、これまでの鋤や鍬の人力による手作業から、農民を開放させるに十分だったか? 逆に機械化により借金を背負い込み苦境に立った農民もいた歴史の皮肉。
  トラクターのルーツは、イギリスとアメリカにある。当初は、蒸気エンジンを駆動力とする超大型のトラクターだった。自動車の歴史同様、やがて内燃エンジンを使ったトラクターが登場し、20世紀のはじめにアメリカのインターナショナル・ハーベスター社やマコーミック社などが台頭。T型フォードでアメリカの道路を埋め尽くしたフォード車は、その勢いに乗って2017年(T型デビューから9年目)にフォードソンという名のトラクターを登場させている。名前から想像して、乗用車フォード号の息子という位置づけだったようだ。
  ところが、このフォードソンには大きな欠陥があった。PTO(パワーテイクオフ)といういろいろな作業に対応できる仕掛けがなかった。それに乗り心地がひどすぎた。乗り心地については、T型を試乗した経験から保証できるほど、振動がひどい。まるでいまにも死にそうな老人役の志村けんに背後から羽交い絞めに合うほどの振動が全身に及ぶ。
  この本の面白いところは、トラクター愛に満ち溢れている点だ。エルビス・プレスリー(1935~1977年)が数台のトラクターを保有して時々、運転して楽しんでいたなど、小説に出てくるトラクターを逐一紹介してその時代でのトラクターへの思いを伝える。たしかに、機能に徹した道具は、下手な美術品以上の美しさを発揮するものだ。(2017年9月発刊)

2022年8 月 1日 (月曜日)

ぼくの本棚:竹内一正著『未来を変える天才経営者イーロン・マスクの野望』(朝日新聞出版)

イーロンマスク

日本人が取材して書いたイーロン・マスクの伝記だ。
  直近ではツイッター社買収で物議をかもしている。実業家イーロン・マスクの名を知ったのは、かれこれ15年ほど前になる。電気自動車が海のものとも山のものともわからない頃。当時は「へ~っ!」という感じで、いきなりカリフォルニアで、EVオンリーの自動車メーカーを買収し挑戦するニュースが耳に入ってきた。イーロン・マスクは、南アフリカで生まれ、カナダにわたり、そしてアメリカにたどり着いた移民である。現在51歳。
  電気系のエンジニアだった父親とモデルで栄養士の母のもと、恵まれた家庭で育った男は、ペンシルベニア大学で経営学と物理学をまなび、24歳でソフト制作会社を設立。これを皮切りにさながら“わらしべ長者”のように、企業を売却、その原資で新企業を購入、さらにそれを育て高額での売却を繰り返し、雪だるま式に莫大な資産を手に入れる。
  凡人は、そこがゴールとばかりリタイヤして優雅で退屈な暮らしを手に入れるものだ。
  だが、イーロン・マスクの人生観はまったく異なる。ここからが本番の人生とばかり、テスラ・モータースをグローバルな電気自動車メーカーへと押し上げる。当初は、自動車のことがほとんど分からないベンチャー企業に過ぎなかったが、英国のロータスからシャシー技術を導入し、トヨタのレクサスでたゆまぬ仕事を続けてきた人材を取り込む一方、GMとトヨタ合弁のカルフォルニアの中古自動車工場を格安で手に入れ、ここをリニューアルすることで世界に高級スポーツカーのEVを送り出す。創業期のよちよち歩きがウソのように、いまや時価総額ではるかトヨタを抜く。
  イーロン・マスクのすごいところは、モノづくりへの絶えざる好奇心と理解力、即決実行力、それに人たらし的魅力で多額の資金を集められる人間力。
  驚くべきことに、このテスラのCEOだけではなく、同時進行で宇宙開発事業に乗り込み、着々と成果をあげている点だ。スペースX社の代表としての取り組みだ。
  とはいえ、艱難辛苦の連続。無人宇宙ロケット“ファルコン9”は、3回にもわたり打ち上げ失敗を繰り返した。それでもイーロンは、まったく絶望しない。それどころか、失敗は成功の元とばかり、知見を積み上げ、見事にNASAができなかったコスト1/10でのロケット打ち上げを実現して見せた。イーロンの夢である「火星への人類移住計画」に向けて進んでいく。
  考えてみれば、現在世界の経済を支配しているIT企業は、アマゾン、アップルにしろフェイスブックにしても宇宙開発や自動車づくりに較べると、リスク度が一桁も二けたも低い。投資する金額の多寡だけでなく、人間の命がかかっているかを思えば、段違い。イーロン・マスクは、なぜ二つのリスキーな企業体を同時進行でアグレッシブに運営きるのか? 「二兎を追うもの一兎をも得ず」でなく、イーロン・マスクは「一石二鳥」あるいは「一挙両得」のことわざを地でいくのである。
  「いずれ地球は、人口爆発でほかの星に移住せざるを得ない。だから火星への移住を視野に入れている。それまで、できるだけ温暖化を押える意味で電気自動車の増殖に力を注ぐ」とイーロンは、彼の事業を説明している。「そもそもEVは化石燃料で電気をつくれば元も子もないという説があるが、そうではない。化石燃料をエネルギーとするエンジンは、入力したエネルギーのわずか40%しか車輪を回す力になっていない。つまり非効率。その点電気はたとえ化石燃料で作り出したものでも、途中でのロスは10%もいかず効率的。それに電気を太陽光または風力で作り出せば、完璧なエミッションゼロとなる」という理屈だ。著者の竹内さんは元エンジニアだけに、技術的解説が手馴れているので、ハラハラして読む必要なしだ。(2013年12月発刊)

2022年7 月15日 (金曜日)

ぼくの本棚:五木寛之著『メルセデスの伝説』(講談社刊)

メルセデスの伝説

  クルマ自身がもう一つの主役となっている、歴史的事実をもとにしたカーノベルである。
  “グロッサー・メルセデス”(巨大なメルセデス)の名でよばれるメルセデス・ベンツ770は、アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)の肝いりで1930年から1937年のあいだにつくられた超弩級のプレミアム高級車。
  おもなユーザーは、ヒンデンブルグ大統領、ヘルマン・ゲーリング、ハインリヒ・ヒムラー、イタリアのベニート・ムッソリーニ、スエーデンのグスタフ5世、ローマ教皇ピウス11世、それに日本の昭和天皇など当時の世界の冠たる枢軸国のトップ人物。とくに、1938年にフルチェンジされたグロッサーは、7655ccの直列8気筒OHVエンジンであることには変わりないが、半楕円リーフリジッドタイプの前後サスを前後輪ともに独立懸架式に変更。スーパーチャージャー付仕様だと、400PSで最高時速190㎞をマークしたといわれる。
  厚さ45mmの分厚い防弾ガラス、主要キャビンを囲む部分が厚さ18mmの鋼板に覆われ、タイヤも被弾しても大丈夫な特別タイプ。標準仕様の車両重量2700kgのところなんと5トンを超えるタイプもあった(それでも戦車にくらべると1/8~1/10に過ぎない!)。この幻の高級車が、意外や7台も現存する。
  戦後生まれの放送作家の主人公は、ひょんなことからこのグロッサ―メルセデスをテーマにTVでのドキュメンタリーを製作するスタッフの一員となり、ドイツのメルセデス博物館に取材したりするうちに、主人公の父親の死が、このグロッサーとかかわりがあることが浮上。父親は終戦の直前国家の重大な名誉をになう仕事で殺されたことが分かり、その背後に戦後のどさくさに巨額の資産を蓄えた日本人の黒幕が浮かび上がってくるに従い、主人公の周辺で不明な事故が頻発する。
  これ以上書くとネタバレになりそうだが・・・・意外にも幻の“グロッサ―・メルセデス”、昭和天皇が愛用する予定だった超弩級高級車は、日本の某所にひそかに保管され、ベストコンディションで維持されていた。
  父親の無念を晴らすべく主人公は、敵陣に単独で乗り込み、大暴れする。まるでシルべスター・スタローンの「ランボー」の映画のように! 真夏のエアコンの効いた部屋で読み始めると2日で読み切ってしまう、奇想天外な痛快冒険カー小説である。これを機にちょっぴりベンツの歴史や終戦直後の知られざる日本の歴史を知りたくなる。(1985年11月発刊)

2022年7 月 1日 (金曜日)

ぼくの本棚:片山修著『豊田章男』(東洋経済新聞社刊)

豊田章男の本

  たいていの人がそうだが、いろんな媒体が増えたせいか昔ほどテレビの前に座らなくなった。
  とはいえ、妙に気になるTVコマーシャルがある。『トヨタイムズ』というCMである。俳優の香川照之を編集長に仕立て、トヨタのイベントを数秒でアピールする。これって、企業自体がメディアを持ち世間に発信するオウンドメディアという新手の自社広告の手段だ。
  媒体は、本来“公平・中立”が原則。だから、企業自前のメディアは公共性を欠き、本来あり得ない。でも、公平・中立の新聞社や放送局も、広告収入で活動を続ける以上、その理念は建前に過ぎない、ということは誰しも指摘するところ。でも、企業が媒体を持ち、社会にさも公平を装いながら大衆に訴え掛ける・・・・というのは疑問が残る。しかも、昨年末にお台場で発表したバッテリーEVの大々的記者会見。豊田章男社長が10数台の未発表のBEVをバックに、大きく手を広げているあの動画。これを、飽きずに6か月以上流し続けている。まともな媒体なら「終わったニュース」を流し続けることができる、というのがオウンドメディアなのである。
  調べてみると、トヨタは、これ以外にもSNSをフルに活用して、新しいモノづくりTNGA(トヨタ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)を佐藤浩市、三浦友和、黒木華、永作博美など豪華な俳優陣を使い、とくにメカに強くない消費者にもわかりやすい動画を展開している。
  さらには、レーシングスーツに身を包んだ章男社長は、トヨタ車でサーキットでの競技に参加し、それをSNSにアップし、話題作りに励んでいる。時代は、たしかにこの方向に向かっていることは理解できるが、何もそこまでしなくても・・・・という思いが湧いてくる。
  この本によると、こうしたトヨタのトップは何を考え、どこに向かおうとしているのか? そして何を望んでいるのか? 世界には約37万人のトヨタ従業員がいる。家族を含めると、100万人以上。サプライヤー、ステークホルダーといわれる人たちを入れると、数百万人。この人たちに理解してもらうために、章男氏自ら、あえてこうした露出を展開しているのだという。
  その背景には、章男社長就任わずか2か月後の大事件があった、とこの著者は判じる。
  2009年に起きたアメリカを舞台にした大規模リコール問題。「初動の動きが遅れたばかりに、3時間20分にもわたるアメリカの下院での公聴会で弁明しなければならなかった」からだという。大大ピンチに晒された章男社長は、前夜遅くまでスタッフと打ち合わせた予定稿を破り捨て、自分の言葉で終始語った。これが、大きく人の心を打ち、ピンチを脱することにつながった。だから、常に企業は情報を発し続ける必要性があり、オウンドメディアは一つの選択肢だという。
  この本は、経済記者なので、廃油の臭いのある泥臭いエピソードは期待できないが、トヨタの過去・現在、そして未来に分け入ろうとする長編ドキュメンタリーである。豊田章男社長の人となりがそこそこリアルに描かれている。いま、曲がり角にきている自動車メーカーの具体的な生き残り策を知りたければ、一読の価値ありだ。(2020年4月発刊)

2022年6 月15日 (水曜日)

ぼくの本棚:サトウマコト著『横浜製フォード、大阪製アメリカ車』(230クラブ刊)


横浜製フォード、大阪製アメ車

  日本フォードの副支配人だった稲田久作、日本GMのちトヨタで販売の神様と言われた神谷正太郎、安全自動車の創業者でクライスラーの販売を手がけた中谷保、それにヤナセの創業者・梁瀬長太郎。戦前日本の自動車産業勃興期を舞台に活躍した、この4人の男を軸にした自動車物語である。A5版の判型で、2段組み256ページ。
  日本人(おもに東京市民)が、自動車という乗り物を身近に感じ始めたのは、フォードのトラックシャシーを使って架装された11人乗りの路線バス、通称「円太郎バス」である。関東大震災(1923年)で壊滅した市電に変わり、市民の足となり大人気を誇った。
  極東の国でクルマの需要が見込まれると見たアメリカのフォード、ゼネラルモータースのGM、クライスラーのビッグ3は、昭和初期に横浜と大阪にノックダウン工場をつくり、あっという間に日本の道路をアメ車が走り回る状況を作り上げた。国家プロジェクトで自前の自動車生産を育てたいと目論む軍部には、こうした状況は歯がゆいばかり。その歯がゆさは複雑だ。当時の日本製トラックは、戦地で壊れまくり役に立たないばかりか足手まとい。その点アメリカのトラックは丈夫で壊れず信頼性が高かったからだ。
  この本は、こうしたすでによく知られる史実の隙間を、知られざるエピソード、それに豊富な図版や図表で埋めてくれる。たとえば、梁瀬長太郎は、欧州からアメリカに向かい洋上で大震災を知り、NYに着くや否やGMに2000台ものビュイックとシボレーを発注、これが日本に到着後またたく間に完売し、莫大な利益を得てヤナセのもとを作り上げたという。
  あるいは、円太郎バスの運転手を当時の市電運転手のなかから1000名希望者を募り、世田谷にある東京農大のキャンパスで陸軍自動車隊の教官が先生役で速成訓練を展開。いっぽうバスボディの架装は、馬車を製作していた工房など八方手を尽くして分散生産させている。それもあって、バスはいわゆる室内高が低く立ち乗りができず、対面する座席方式で、互いの膝がぶつかるほど狭かった。それでも、円太郎バスは当時の東京市民にはとても人気があった。市電の復旧が進んでバス路線の廃止が一度きまったが、廃止撤廃の声が多く、継続営業となり、バス自体も屋根をアーチ型に改良し、多少は居心地がよくなったとされる。それが、いまにつながる都営バスとなっている。すでに100年以上を超える都市の路線バスとなった。
  著者のサトウマコトさんは、鶴見生まれの横浜っ子。近所に稲田久作の旧家があり、その縁で大量の資料を発見し、この著を世に送り出せたという。小田急百貨店に50歳まで勤め、そこから乗り物好きが高じて、横浜の鉄道や歴史ものを出版する出版社を経営するかたわら、みずからも執筆の日々だという。
  文章はわかりやすい表現で好感をもてる。タイトルも悪くないし、発見も多い本である。
  苦言を呈すれば、みずからが編集者となっているせいか、はたまた本屋に並ぶ前に第三者の目が充分でないせいか、せっかくの力作も記事のダブりや誤植が目立つ(人のこと言えませんが)。全体としてまとまりが弱い、なんだか隔靴掻痒(かつかそうよう)なのである。(2000年12月発刊)

2022年6 月 1日 (水曜日)

ぼくの本棚:堀田典裕著『自動車と建築-モータリゼーション時代の環境デザイン』(河出書房社)

自動車と建築

  ふだん何となくクルマのハンドルを握っていても、気づいていないことがたくさんある。そのことにおおいに気付かされてくれるのが、この『自動車と建築』という風変わりな本だ。内容もさることながら、正直あまりこなれていない文章で、つい放り投げたくなった。でも辛抱強く読み進めると、意外な発見が散りばめられていた。
  たとえば、のちにモータースポーツの推進に貢献することになるドイツのアウトバーン。そもそもヒトラーが1933年、60万人規模の失業者対策として、かつドイツ帝国の兵站を支える道路の位置づけで建設され、速度無制限道路といういわば究極の舞台をつくることで、その後のドイツのクルマ産業を支えた。ここまではよく知られているが‥‥。
  この本によると、日本版アウトバーン計画なるものが「弾丸道路」という名称で戦前の日本にもあったという。わが国初の高速道路計画は、神武天皇からカウントしてちょうど2600年(皇紀2600年)にあたる昭和15年(西暦1940年)に鉄道省によって発表された東京・下関間新幹線建設を同じ年に新聞紙上をにぎわしたというのだ。当時の内務省の若手技師たちが、交通情勢や都市人口、工場地帯での生産量、自動車保有台数、港湾施設などを勘案し、ドイツのアウトバーンの向こうを張って「弾丸道路」計画を検討したという。つまりいまから80年も前に新幹線とパラレルに超弩級のハイウエイ計画が日本で存在したのだ。
  じっさい名古屋・神戸間の実地計画まで行われたものの、約2億円(現在の価格で5兆300億円)という建設費が認められずあえなくポシャッた。どうも戦争遂行のための国民向けアドバルーンだったかもしれない。
  自動車専用道路計画は、なにも国がおこなった東名高速や中央高速ばかりではなく、民間のチカラでの道路づくりもあった。伊豆にある小刻みな有料道路や芦ノ湖スカイラインや箱根ターンパイクなど観光道路が思い浮かぶ。それだけではない。終戦直後の昭和20年代末頃には、渋谷から江の島までを結ぶ「東急ターンパイク」計画まであったというからすごい。PIKEとは17世紀英国でできた道路所有者がつくる有料道路のことだが、1954年に東急電鉄の臨時建設部が渋谷駅を起点にして、二子玉川、戸塚、大船を経由して江ノ島にいたる約48㎞結ぶ有料道路の計画が持ち上がった。これも東名と第3京浜の完成で、実現には至らなかったが、これこそが小田原から箱根までの現在の箱根ターンパイクとしていまに残っているというのだ。
  高速道路で一休みするサービスエリアについても、この本はうんちくを傾ける。たとえば、東名の「足柄サービスエリア」は、京都大学工学部建築科を卒業した黒川紀章が、30歳のときに設計したもので、敷地周辺の樹木により外からは認めづらい空間にサービスエリアを構築したというのだ。断絶されたカーパーキングの世界。同じ東名でも富士川サービスエリアは、ガラリ異なる。経済学者清家篤の父清家清が設計したもので、富士川を眼下にして富士山と駿河湾を眺望するデザインとしている。
  このように、各サービスエリアは、個人デザイナーの手にゆだねられたというのだ。今日の街のデザインがよく金太郎飴にたとえられるが、道路施設は意外と個性が尊重されているというのだ。
  幹線道路沿いのたとえばガソリンスタンドや、商業施設が、なにやらてんでんばらばらのデザインなのは、こうした流れと共通しているのかもしれない。この本は、建築のデザインの門外漢にもわかりやすい筆致で少し前の自動車道路をとりまく無味乾燥と思いがちな建設に色合いを与える。(2011年4月発行)

2022年5 月15日 (日曜日)

ぼくの本棚:清水草一著『フェラーリさまには練馬ナンバーがよく似合う』(講談社)

清水草一

  フェラーリは、もちろんイタリアのスーパーカーだ。そのフェラーリに日本の練馬ナンバーを付けて、日本の道路を走る! これを聞いて「別にいいんじゃない!」というか「そうね、冷静に考えればフェラーリに日本の土着的匂いのする練馬ナンバーを付けるってダサいかも?」と思う人もいる。
  そう考えると、この一見ふざけたタイトルも、深い意味を感じ取れてくる。
  ふだんラーメンをすすりながらお金をためてスーパーカーのオーナーになるエンスー(エンスージアスト:趣味人)がいるとは聞いていたが、それに近い人なのかと思いきや、1962年生まれの著者は比較的恵まれたメディア関係者である。
  「週刊プレイボーイ」のクルマ担当編集記者になったことから、この本の筆者はフェラーリのハンドルを握る。怒涛の咆哮の排気音がまとわりつく! その時いきなりクルマの神様が降臨し、フェラーリのオーナーへの道を決意。4年後諸経費込みで1163万円強の費用で1990年式フェラーリ348tb(V型8気筒3400cc)を手に入れる。ある意味人生はマンガチックなのかも!?
  これで彼のカーライフは、極楽浄土、天国の楽園! と思いきや、いざオーナーになって冷静にフェラーリを味わってみると、誇るべき点とそうでない面を味わうことに。
  フェラーリを持つことがゲージツそのものなのだ! と至福の思いに浸るも、冷静に弱点にも目を向ける(向けざるを得ない?)。まっすぐ走ってくれないし、少し気合を入れてコーナリングすると横に飛びそうになるし、ブレーキも動力性にそぐわず、なんだか甘い。早い話、クルマの3大基本性能である≪走る・曲がる・止まる≫、これがあんまりよくないのだ。
  それだけではない! 金食い虫の高級車(あるいは当時のイタ車)は難儀だ。タイミングベルトを2年または走行2万キロで交換というオキテがあった。ふつうのクルマなら10万キロまでOKなのだが‥‥。手抜きすると、最悪ベルトが切れてエンジンがオシャカになり、目の玉が飛び出るほど大出費必至と脅かされ、泣く泣くベルト交換。ところが、エンジンが運転席の後ろに付いている、いわゆるミドシップ。だからふつうなら数万円で済むところ、エンジンを降ろしての作業がともない、けっきょくベルト交換だけで17万円!!
  それだけではなかった。2年ほどで、エンジンからのオイル漏れ、高速でハンドルがふらふらするとか、フル制動でハンドルがガクガクするなど……の不具合の兆候が出て、けっきょくホイールアライメントの調整、ダンパーとスプリングの交換、スタビライザーのブッシュ交換などなど、総額71万円の大出費。
  ここまで保守点検したにもかかわらず、スーパーカーは、油断できない! 遠出した時、いきなりエンジン不調に見舞われる。8気筒のうち4気筒が死んだ感じで、こうなるとスーパーカーもただの鉄の塊。
  ディーラーのアドバイスでECU(エンジンコンピューター)のヒューズの差替えをしたところ、ウソみたいに直ったという。排気温度上昇で、ECUが自動停止したことが原因か?! 日本の夏はイタリアの夏より暑くて湿気が多いことが原因か? そんなフェラーリ都市伝説が付きまとう輸入車特有の悩みがボコボコ現れる。スーパーカーを所有することなど端(はな)から考えたこともない、普通の読者は、ここで大きく留飲を下げる。そして、丈夫で長持ちする日本車オーナーの自分を慰める!?
  フェラーリオーナーの無尽蔵のトラブル体験と嘆き節がどこまでも続くと思いきや、このエッセイ本、途中から大きくスライス! フェラーリの母国イタリア旅行のドタバタや路線バスや鉄道輸送の超まじめな考察、市販車での草レースの自慢話などが展開される。内田百閒先生をホーフツしないでもない、いわば優雅なモータージャーナリストの“安房列車”といったところ。お気楽な気分になれる90年代のエッセイ集だ。
  (1996年7月4日発行)

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