みなさん!知ってますCAR?

2022年5 月15日 (日曜日)

ぼくの本棚:清水草一著『フェラーリさまには練馬ナンバーがよく似合う』(講談社)

清水草一

  フェラーリは、もちろんイタリアのスーパーカーだ。そのフェラーリに日本の練馬ナンバーを付けて、日本の道路を走る! これを聞いて「別にいいんじゃない!」というか「そうね、冷静に考えればフェラーリに日本の土着的匂いのする練馬ナンバーを付けるってダサいかも?」と思う人もいる。
  そう考えると、この一見ふざけたタイトルも、深い意味を感じ取れてくる。
  ふだんラーメンをすすりながらお金をためてスーパーカーのオーナーになるエンスー(エンスージアスト:趣味人)がいるとは聞いていたが、それに近い人なのかと思いきや、1962年生まれの著者は比較的恵まれたメディア関係者である。
  「週刊プレイボーイ」のクルマ担当編集記者になったことから、この本の筆者はフェラーリのハンドルを握る。怒涛の咆哮の排気音がまとわりつく! その時いきなりクルマの神様が降臨し、フェラーリのオーナーへの道を決意。4年後諸経費込みで1163万円強の費用で1990年式フェラーリ348tb(V型8気筒3400cc)を手に入れる。ある意味人生はマンガチックなのかも!?
  これで彼のカーライフは、極楽浄土、天国の楽園! と思いきや、いざオーナーになって冷静にフェラーリを味わってみると、誇るべき点とそうでない面を味わうことに。
  フェラーリを持つことがゲージツそのものなのだ! と至福の思いに浸るも、冷静に弱点にも目を向ける(向けざるを得ない?)。まっすぐ走ってくれないし、少し気合を入れてコーナリングすると横に飛びそうになるし、ブレーキも動力性にそぐわず、なんだか甘い。早い話、クルマの3大基本性能である≪走る・曲がる・止まる≫、これがあんまりよくないのだ。
  それだけではない! 金食い虫の高級車(あるいは当時のイタ車)は難儀だ。タイミングベルトを2年または走行2万キロで交換というオキテがあった。ふつうのクルマなら10万キロまでOKなのだが‥‥。手抜きすると、最悪ベルトが切れてエンジンがオシャカになり、目の玉が飛び出るほど大出費必至と脅かされ、泣く泣くベルト交換。ところが、エンジンが運転席の後ろに付いている、いわゆるミドシップ。だからふつうなら数万円で済むところ、エンジンを降ろしての作業がともない、けっきょくベルト交換だけで17万円!!
  それだけではなかった。2年ほどで、エンジンからのオイル漏れ、高速でハンドルがふらふらするとか、フル制動でハンドルがガクガクするなど……の不具合の兆候が出て、けっきょくホイールアライメントの調整、ダンパーとスプリングの交換、スタビライザーのブッシュ交換などなど、総額71万円の大出費。
  ここまで保守点検したにもかかわらず、スーパーカーは、油断できない! 遠出した時、いきなりエンジン不調に見舞われる。8気筒のうち4気筒が死んだ感じで、こうなるとスーパーカーもただの鉄の塊。
  ディーラーのアドバイスでECU(エンジンコンピューター)のヒューズの差替えをしたところ、ウソみたいに直ったという。排気温度上昇で、ECUが自動停止したことが原因か?! 日本の夏はイタリアの夏より暑くて湿気が多いことが原因か? そんなフェラーリ都市伝説が付きまとう輸入車特有の悩みがボコボコ現れる。スーパーカーを所有することなど端(はな)から考えたこともない、普通の読者は、ここで大きく留飲を下げる。そして、丈夫で長持ちする日本車オーナーの自分を慰める!?
  フェラーリオーナーの無尽蔵のトラブル体験と嘆き節がどこまでも続くと思いきや、このエッセイ本、途中から大きくスライス! フェラーリの母国イタリア旅行のドタバタや路線バスや鉄道輸送の超まじめな考察、市販車での草レースの自慢話などが展開される。内田百閒先生をホーフツしないでもない、いわば優雅なモータージャーナリストの“安房列車”といったところ。お気楽な気分になれる90年代のエッセイ集だ。
  (1996年7月4日発行)

2022年5 月 1日 (日曜日)

ぼくの本棚:伊東信著『イラスト完全版 イトシンのバイク整備テク』(講談社プラスアルファ文庫)

イトシン

  “失敗は成功のもと!” 失敗すれば、その原因を反省し、かえってその後の成功につながる。いまや、この素朴なことが信じられない時代になった、といえそう。資本主義社会が成熟し、モノがあふれているから、あるいは現代人はせっかちになり過ぎて回り道ができなくなったからかもしれない。
  とはいえ、この300ページ足らずの文庫本は、一行もそんなことが書いてはいない。
  分かりやすい文章と愛のあるイラストで、バイクの修理はこんなにやさしく、楽しくできるよ!! とすべてのページで謳い上げている! イトシンさん(伊東信/1940~2010年)の人柄がにじみ出た懇切丁寧、無駄な言葉を用いず、面白くてためになる実用書のお手本のようだ。
  壊れたら修理して長くバイクを楽しむことこそが、環境にやさしくカーボンニュートラルにつながる行為。そういうふうにはイトシンさんは正義を大上段に振りかざさない。意識すらしていなかった。単にその方が楽しいから。よりバイクとユーザーとの距離が近くなる。
  しつこいようだが、この本が出て20年過ぎて素直に読むと・・・・SDGsという言葉が飛び交う、いまの時代の欺瞞性に警鐘を鳴らしていると読めなくもない。
  ここで広田の個人的体験を。バイクに本格的に付き合いだしたのは、中古で手に入れたホンダCB250からだ。このバイクを通していろいろなことを教わった。
  フロントフォークのクッションオイルを交換するためネジ径M6ほどの小さな+ネジを緩めようとして、頭がもげたトラブル。完全にお手上げとなる。当時ホンダにはホンダSF(サービス・ファクトリー)という自前の整備工場を全国に持っており、そこに駆け込んだ。
  そこの整備士は冷酷に、こう云った。「お客さん、これはフロントフォークを交換するしかないです。修理代は4~5万円はかかります」。10万円で手に入れたバイクの修理費が購入費の半分! そのときの気分は、まるで死刑を宣告されたような気になった。そこで、なんとか頭のもげたボルトを取り外すべく、いろいろと聞いて回った。そしてポンチとハンマーで根気よく緩む方向に力を加え、緩め、2日がかりで取り去ることができた。そのときの喜びは一生忘れない。
  すり減ったリアタイヤの交換作業も、印象強く残っている。当時はチューブ入りタイヤ。タイヤレバーを使い古タイヤをリムから取り外し……新しいタイヤを装着する……。この作業は、ボルトを緩め取り外す、といった工程ではない、数々のスキルが要求される作業。なかのチューブをタイヤレバーで傷つけないとか、リムとタイヤの耳を均一に密着させるため、石鹸水を塗布するとか……。言葉だけでは通じない、言うにいわれない技が必要なのだ。これはどこか楽器の演奏に似ていて、ある程度訓練しないとうまくゆかない。つまり1回2回失敗しないとゴールまでたどり着けない、そんな世界。
  じっさいには上手な人の作業をじっと観察し、その模倣をする。もちろんそれでも数回失敗するのだが、その失敗の上に成功が見えてくる、そんな世界。むかしは、そんな作業を見事にやってのける、頼もしいお兄さんが回りにいた。なんだか、そうしたお兄さんの手際いい作業を見ると、まるでマジックを見せられている気分だった。
  イトシンさんは、じつは、筆者(広田)にとって頼もしい先輩のひとりだった。バイクや整備の楽しみや深みを教えてくれたのも、イトシンさん。むかしの工具をめぐる話をしてくれたのも彼だった。
  『ヤングマシン』というバイク雑誌の編集部員のときは、企画でツーリングに出かけたものだ。なかでも2日間の岩手で展開されたイーハトーブ・トライアルではずいぶんお世話になった。モノにこだわらない、生き方も示してくれたように思える。彼ほど読者を大切にしたライター兼イラストレーターもいなかった。編集者時代に「ヤング・ジンマシン」(蕁麻疹をもじった自嘲気味なタイトル)というイトシンさんのファンクラブに、一度も参加できずに終わったことが残念。イトシンさんの話は、実は彼が書いた記事の3倍ぐらい面白かった。いま思うと、その面白い話を浴びるほど聞いていた。“イトシン語録”としてまとめればよかった、と悔やまれる。(2011年12月20日発行)

2022年4 月15日 (金曜日)

ぼくの本棚:佐野裕二著『自転車の文化史』(中公文庫)

自転車の文化史

  自動車以上に“日用品”となっている自転車の興味深い歴史をコンパクトにまとめた文庫本である。
  じつはイマドキの自転車は、知る人ぞ知る高級自転車を含めほとんどが台湾製である。安い実用車(シティバイシクル)なら中国製というのが相場だ。
  この本は、昭和62年(1987年)に出たものなので、最近のこうした自転車の動向こそ知る由もない。いまはエコロジカルの代表選手ともてはやされている自転車は、当時つまり高度成長経済まっただなかの昭和後期には、“駅前公害”と汚名をきせられていた。どこの駅前にも、自転車置き場からはみ出た自転車がまるでスクラップのように山積みされていた、そんな時代。
  大正7年生まれの筆者は、フランス語が達者だったことから戦時中インドネシア戦線(仏印戦線)の宣伝部で通訳を担当。戦後は時事通信社の記者だった。だからか癖のない、こなれた文章で自転車の誕生から面白エピソードまでをつづる。
  面白いことに昭和59年に赤坂にあった「自転車文化センター」で、“明治期の自転車特別展”を催した、とある。歴史を振り返る展示物が必要から、全国の博物館や自転車コレクターに問い合わせたところ、存在しないと思われていた明治初期につくられた木製の自転車が20台も集まったという。ミショー型とかオーディナリー型と呼ばれる前輪にクランクペダルを取り付けた前輪駆動タイプ(とくにオーディナリー型は前輪が巨大タイプだ)。もともと輸入製品で日本に入ってきたこれらの旧式の自転車。俄然興味を引くのは残存していたのが、これらをコピーした国産製だけだった。
  自転車は、木製からあっという間に鉄製に進化する。じつはその作り手が、堺などで江戸末期まで活躍していた鉄砲鍛冶職人だった。失職鉄砲鍛冶が、サドルを支えるシートポスト、ハンドルとフレームをつなぐハンドルポスト、前輪のキャスター角を確保するため若干円弧状に加工されるフロントフォーク。こうした部品や補修部品の需要もあり、火造り技術(鍛造技術やロウ付け技術)が要求されたのだ。鍬や鋤をつくるいわゆる“野鍛冶”の仕事よりもずっとやりがいもあり、利益も上がった。価格も下がり、金持ちの道楽だった乗り物が当時の若者・商店の店員たちの移動手段に化けていく。こうした知られざる埋もれた自転車の歴史が語られる。
  不思議に思うかもしれないが、日本における自転車の歴史は、その後、時間差で現れる自動車の歴史をなぞる。海外から流入→国内生産→海外へ輸出という流れ。「日本の自転車は長いあいだ前輪のスポーク数が32本で後輪が40本と決まっていた」という。欧米の自転車は前後36本だったのに。「これは、日本では荷台に重い荷物を積むことが多かったからだ」。自転車の速度は、人の歩く4倍以上の15~20km/h。一度に運ぶ荷物は100kg近くにも。ということは自転車は、トラックが登場する前までは暮らしを変える革命的な移動手段だったのだ。
  ちなみにアメリカでの自転車の歴史はもっとぶっ飛ぶ。自転車がいきなり飛行機へとシフトしたのだから。1903年、ノースカロライナ州のキティフォークでのライト兄弟初飛行。このライト兄弟、もともと10年前から自転車の製造と販売を手掛けていた個人商店(みたいなもの)。それがいきなり、宮沢賢治的発想で、「空を飛んでみたい!」という一心で飛行機を作り人類初めて空を飛んだのだ。だから初めの飛行機は間違いなく、“空とぶエンジン付き自転車”と言えなくもない。
  いまアシスト量2倍で、ぐんぐん楽に坂道を上ることができるe-Bikeが世界的に大流行の兆し。一度この本を手に取り自転車の過去を振り返ってみるのも悪くないね。

2022年4 月 1日 (金曜日)

ぼくの本棚:ケイティ・アルヴォード著『クルマよ、お世話になりました』(白水社;堀添由紀訳)

クルマよ、お世話になりました

  どちらかというと≪クルマ礼賛≫を信条とするブログ記事からいえば、こうしたクルマ否定論の本を取り上げるのはどうかと思う読者もいるだろう。
クルマが大好きな読者のなかには、思わず耳をふさぎたくなる箇所が少なくない。
  でも、世の中は多様な価値を認めてこそ健全だ。そこで、薄目を開けながらこの本を読んでみた。
約300ページにわたる単行本の大半は、“クルマという機械”の悪口が、これでもかこれでもかという具合につづられる。
  曰く、クルマは深刻な環境問題を引き起こしている! 曰く、クルマは金食い虫だ。曰く、クルマに恋すると身体を動かさないので、不健康に結びつく。曰く、クルマ社会はユーザーへのコストだけではなく社会的なコストがかかりすぎている。曰く、クルマがなければ交通事故の大半はなくなり、道路がいまほどクルマに占領されることが少なくなりより暮らしやすい世の中になる。
  その主張は逐一もっともである。筆者アルヴァ―ドさん自身(カルフォルニア生まれでミシガン州に住む市民活動家でもある女性)が1992年までクルマの恩恵にあずかってきただけに、単なるクルマ嫌いのヒステリックな論調ではなく、事実を淡々と積み上げていく。それだけにページをめくるたびに、胸にぐさりと突き刺さり、憂鬱になる。
  ページを繰るたびに「それでも、クルマは人間に移動の自由を与えてきているし、いまもその役割が小さくない。それに交通事故死も安全装備の進化で劇的に少なくなっている」そんなふうに心のなかで反論するも、筆者の正論にいつしか敗北している自分に気付く! そして最後に、筆者は、「クルマの運転と喫煙は驚くほど似ているのよ! 悪いとわかっていても、断念するように言われても、やめられないものなのだ。それにクルマの支配から解放されると素晴らしい世界が待っている」と。さらに、歩くことの素晴らしさや自転車を使っての移動がクルマ以上に気持ちのいい時間をもたらすことを説きまくる。それでも、雨の日、嵐の日でも車は快適に移動できるし、公共交通機関は当てにできないのでは! と反論したくもなるが・・・・。
  この本は、いま置かれているクルマとの関係を冷徹に見直し、できればクルマと離婚(原題がDivorce your car!)を強力に勧める。ある日突然クルマをやめるのは麻薬をやめるに等しく衝撃がでかすぎる! 「カーフリー」つまりクルマと完全に離婚するのでなければ「カーライト」。つまり愛車の仕様をできるだけ減らし、徒歩や自転車での移動を心掛ける。そのことで世の中はずいぶん良い方向にいくに違いない・・・・そう訴える。
  なんとはなくクルマと付き合ってきたのだが、この本を読むことで、逆にクルマの魅力を再認識でき、クルマとの距離感が鮮明になってきた。(2013年11月発行)

2022年3 月15日 (火曜日)

ぼくの本棚:中岡哲郎著『自動車が走った 技術と日本人』(朝日選書)

自動車が走った

  独自の視点で展開する日本自動車産業史である。
  交通の歴史を振り返ると、明治期から日本は鉄道網をゆきわたらせた。おかげで便利で比較的安価な公共交通ネットワークが世界的にも例を見ないほどに整えられた。にもかかわらず、日本は年間2000万台以上のクルマを作り続けるトップレベルの自動車大国となっている。いわれてみれば腑に落ちる、この素朴な疑問。これを梃子に京大卒の技術史家は鋭く江戸末期から我が国の科学する人たちをウォッチする。
  日本でモータリゼーションが始まるのは、いわゆるマイカー元年といわれる1966年(昭和41年)。飛行機野郎長谷川瀧雄が主査をした初代カローラが発売された年とされる。ふつうの庶民がクルマを所有できる気持ちになった。それまではクルマを持つことは夢であった。
  そのカローラデビューからほぼ60年前、日本初の自動車第一号が走っている。岡山の山羽虎夫がつくった山羽式蒸気エンジンを搭載した屋根なし10人乗りバス。そののち日本初のガソリンエンジン車を作った内山駒之助、オートモ号を作った白揚社の豊川順彌、ダット号の橋本増治郎、オオタ車の太田祐雄(すけお)、それに豊田章男氏の祖父である豊田喜一郎などなど。
  こうした先人たちはオシャカ(不良品)を山のように重ね、あたら財産をすり減らし、なかには橋本のように子供の預貯金まで手を伸ばした。なんとしてでも、わが手で自動車を作ろうとした。振り返ると死屍累々! なぜそこまで、情熱を持ち続けられたのか? 経済合理性を考えたら、つまりコスパからみれば大冒険。なぜそんな・・・・よく言えば愚直、悪く言えば無謀極まる挑戦をしなくてはいけなかったのか? 
  当時の富裕層の大半は、自動車産業を極東の島国につくることなど、初めからあきらめていた人が多数派だった。三井、三菱、住友といった財閥は、リスクが大きすぎるとして手を出さなかったし、ヤナセの初代柳瀬長太郎は「(日本ですそ野の広い産業構造を必要とする)量産自動車産業などできるわけがないから、欧米から輸入するのがいちばんの得策だ」ときわめて常識人らしい主張をしていた。
  山羽式蒸気バスはタイヤの供給不良でバス運行が数日で頓挫している。その幻の蒸気バスの轍(わだち)が消えてから、100年たたずして日本の自動車産業は世界トップの座に駆け上った。もし時空を超えて、現代の様子を見たら虎夫さんは、驚いて顎が外れるか涙をながすハズ。・・・・なぜ極東の島国で実現できたのか? 20世紀日本の最大の謎!(最大ではないかも)
  この本は、その謎の正体を産業史のなかに丹念に分け入り、見つけ出そうとする。
  答えは意外なものだ。「乗用車を持つことは日本人の夢だったから!」と筆者は言う「それは文明のモデルとして日本人の目に自動車が写ったから。明治期には、蒸気船や鉄が日本人の文明のシンボルだった。それが関東大震災以後、初めて自動車を見た日本人は自動車こそが文明のシンボル(と思い定めた!?)」。振り返ると死屍累々だが、目には見えない夢の数々が自動車づくりの熱として結実した?! これって“ものづくりサムライの挑戦”?
  江戸末期の「蒸気船」の設計図をもとに模型で蒸気船を作り上げた日本人から始まり、博覧会などで西洋の新しい技術に触れることで、インスパイアされた日本人が、自動車を走らせる夢を追いかける、そんなロマンをふくんだ技術史を分かりやすく追いかける。大学の先生ではあるが、数年間モノづくりの現場で働いた経験のある筆者は、象牙の塔にとどまらないリアリティあふれる筆致で日本人とモノづくりの関係を読み解く。
  (初出は1995年の「朝日百科」、1999年単行本)

2022年3 月 1日 (火曜日)

ぼくの本棚:五木寛之著『雨の日には車をみがいて』(角川文庫)

雨の日には…

  じつは、この本、長いあいだ恥ずかしながら“積ん読”状態の一冊だった。
  この本を避けてきた気分を分析すると、おもに2つの理由が。そもそも和製フォークソングのような受け狙いのタイトルが気に入らない。それにもまして“車を磨く”という表現が生理的に受け付けられない。車との接し方にはいろいろなタイプがあることはわかるが、車を磨くことを無上の喜びとする気が知れない。しかも、それもわざわざ“雨の日”という限定している点が、わざとらしくて気に食わない。
  第6話にこんな箇所がある。「ぼくの唯一の生きがいは、夜中に自分の気に入った車を走らせ・・・・」。ここまでは大いに賛同できるが、そのあと「帰ってきて車庫でその車を磨くことだった」となると、グっと引いてしまう。さらに「BMW2000CSは、エンジンルームの中まで銀の食器みたいに輝いていた」となると、何をか云わん。
  物語は、9個のショートストーリーで構成される。シムカ1000から始まりアルファロメオ・ジュリエッタ、ボルボ122S、BMW2000CS、シトロエン2CV、ジャガーXJ6、ベンツ300SEL6.3、ポルシェ911S、そしてサーブ90Sの9台と9名の魅力的な女性が登場。主人公、クルマ、そして女性、このいわば3角関係でそれぞれの物語に彩(いろどり)が添えられる。
  1970年代、学園闘争が一段落し、世の中が平穏に戻りつつあった。主人公は、作詞家、放送作家、CMソングライターの3つを掛け持ちする青年。となれば、若いころの五木寛之氏の自画像。流行作家になる前の駆け出し時代と重ね合わせられる。
  当時の“日の丸”乗用車はまだまだ発展途上。欧州車のあとを追いかけていた時代。輸入車は、舶来品と崇められていた時代。そのガイシャを次々に乗り換えている主人公は、当時の若者から見れば羨望の的。
  かくゆう不肖広田は、当時横浜の外れの公団住宅に住み、ようやっと5万円で手に入れた中古のホンダZ(リアビューが水中メガネ)と格闘していた。エンジン不調に陥り、路上でディストリビューター内のコンタクトポイントをばらしてしまい、途方に暮れていた、そんな時代。
  すでにそのころ五木寛之氏は、サイン会を開けば長蛇の列を形成する流行作家の地位を確立していて、雲上人(うんじょうびと)の文化人。・・・・となると、車を磨くことへの嫌悪とは別にして、この洒落たタイトルの小説を長い期間敬遠していたのは、嫉妬心のなせる業だったかも。反省。
  「これほど楽しみながら書いた小説はない…」と五木さんみずから、あとがきで告白している。「だから読者は作者よりもっと楽しんで読んでもらえる……」。
  通読してみると、この手の小説にあるバグを見いだしづらい。当時の都会の空気をとらえた、実によくできた高得点のエンタテイメント小説。クルマ好きの読者にも満足を与えられるし、とくにクルマに興味のない読者でも、十分に楽しむ工夫を凝らしている。自信と不安をのぞかせる主人公の微妙な心理描写の匙加減は見事。
  小説の主人公との距離感でいうと、小説は2つに分けられる。読者がべったり主人公に重ね合わせられるタイプの小説と、主人公との距離感をある一定の距離で保つタイプの小説。この本は、後者に違いない。主人公の心情は、矛盾を抱えながらもどこか冷めていてクール。だからなのか、五木さんの出自からくる根無し草、デラシネの思想がこの物語全体に薄膜のように覆っている。この陰影を溶かし込んだところに、この小説が時代を越えて長く読み継がれている秘密がありそうだ。五木さんの長編小説「青春の門」の主人公伊吹信介の別人生の物語としても読めなくはない。(初出は1988年の単行本)

2022年2 月15日 (火曜日)

ぼくの本棚:神林長平著『魂の駆動体』(ハヤカワ文庫)

魂の駆動体

  赤い二人乗りのクルマが、空を飛んでいる。よく見るとハンドルから、シート、タイヤ、エンジン、サスペンションなどありとあらゆる部品がボディから外れバラバラになりかけている。人は誰も乗っていない。でも、そのうえにはなぜか猫が一匹飛び出している……そんなシュールで絵本のような表紙の文庫本。しかも本のタイトルが意味ありげ、逆に意味不明とも言えなくもない『魂の駆動体』である。表紙からして、まさにSF小説だ。
  目次を眺めると、過去、未来、現在の3部構成。トータル500ページ近い大作。
  読み始めて、いきなり場違いなところに連れていかれた気分となる。「過去編」の世界は、実は近未来なのだ。読者の頭のなかの時系列が大混乱! でも読み進めると、止まらない不思議さが!? さすがSF界の大御所だ。
  ところで、「過去」とは、たぶん2040年あたり? その時代、人間はデジタル社会が進み、“人格をデータ化し、仮想空間で管理。肉体は処分する”そんな時代に突入していた。これってディストピアの世界。
  平成に青春を送っていたとおぼしき主人公の2人のジイさん。社会的には、まったく無力。正面から社会変革こそできない。せいぜい隣の果樹園からリンゴをちょろまかすぐらいが関の山。でも“最後のあがき”とばかりある情熱に熱中する。自動車はそのころすべて自動運転化されている。ゆりかもめの電車とかエレベーターのような≪無人運転車両≫になっている。ジイさん二人の情熱とは、自分の手でハンドルを握る乗り物「クルマ」を自分たちの手で作るということ。チカラおよばず、実物のクルマこそできなかった。それでも、二人の魂が生み出した設計図が完成する…‥。
  それから何世代のち、というからたぶん100年後…‥人類はすでに地球上から忽然と消えていた。原因はどうやら、大多数の人間が人格だけを仮想空間に管理することを選択し、肉体を放棄したからだ。でも、その選択をしなかった人間が、亜種を生んだ。翼人(よくじん)だ。背中に翼を備え、空高く飛び立ち自由に移動することができる空飛ぶ新人類。
  その翼人のなかに滅び去った人間を研究する青年がいた。2つ目の「未来編」の主人公キリアだ。キリアは、研究のため、あえて翼をなくし、人間の身体に変身した。人間研究のためにつくられた人造人間アンドロギアと暮らすうちに、かつて自転車という移動手段があったことを知り、職人集団の翼人たちが営む工場で自転車を製作してもらう。滅んだ人間たちが残した遺跡から発掘した設計図をヒントに作り出した自転車で人間世界を見直し始める。そしてキリアとアンドロギアは、自転車だけには満足できず、次に「クルマ」の企画に乗り出す。人造人間アンドロギアのデータのなかに、「過去編」で登場したジイさんのデータ(記憶)が残されていたのだ。
  自転車づくりではキャスター角のうんちくが縷々述べられ、メカに興味のある読者の心をおおいに揺さぶる。自動車づくりの場面では、その100倍ほどテクニカルタームが登場し、モノづくり、クルマづくりの場面が出てくる。物語のなかで、読者はクルマづくりのプロセスをたっぷり味わうことができる。このへんが、長岡高専卒の筆者神林長平の真骨頂。ちなみに、高専とは中学から、5年間学べる工業系の専門学校で、1962年にスタートしている。ちなみに筆者(広田)の中学からも8人ほど受験し、わずか合格者1人! 不肖広田は不合格者の仲間でした! せっかく合格した彼はそこを振り地元の進学校にいき京大に進んだようです。
  …‥クルマづくりのなかで、なぜ人間が破滅したかの理由がおぼろげながらわかってくる。人間の身体を獲得したキリアは、ようやく完成したクルマを前に工場長の翼人に、ドライビングシューズを作ってほしいと要求。すると翼人の工場長は「裸足ではだめなのか? 人間というのは生まれたままの身体では何もできないんだから」と呆れられ、「ひとつのモノを作ると、それに倍する付属物がどんどん必要になる。だから人間が大量にものを作らざるを得なくなったわけだ」と。どうやら大量にモノを作ることで、地球温暖化が進み、人類が死滅した! そんな暗示が読み取れる。
  でも、一方でキリアは、できたばかりのクルマのハンドルを握り、エンジンをかけるとクルマの魅力に取り付かれる。「アクセルペダルを踏み込むと、エンジンは生き物のように吠える。その息吹きを駆動輪に伝えるべくクラッチをつなぐと、まるでエンジンは“あなたに従う”といった感じで、少し回転を落として唸り、乱暴にクラッチをつなぐと“嫌だ”とばかり止まってしまう。機嫌をとるようにうまくやると、クルマはずいと前に進む。人間が出せる力とは比べ物にならないほどの巨大なパワーを秘めた物体が動く。これを操っているのは自分だ。この瞬間、人間は身体のイメージが拡大し、大きな快感を得る」
  こうした二律背反の近代社会。ディストピアの世界に陥らざるをえなくなった人間の過去を振り返る…‥。人間と機械、意識と言語、現実と非現実をえがく神林長平(1953~)の世界は、こんなところにあるようだ。門外漢には刺激的な1冊。(2000年3月発売)

2022年2 月 1日 (火曜日)

ぼくの本棚:デービッド・ハルバースタム著『覇者の驕り』(新潮文庫:翻訳/高橋伯夫)

覇者の驕り

  アメリカのフォードと日本の日産、この2つの自動車メーカーをテーマにした自動車をめぐる男たちの一大叙事詩というべき超ロング・ノンフィクション作品。文庫本で上下2冊、トータル1250ページの大河ドラマだ。正直、読むのに10日間ほどかかった。
  筆者デービッド・ハルバースタム(1934~2007年)は、ニューヨークタイムズの元記者で、ベトナム戦争の報道でピューリッツア賞に輝いたジャーナリスト。アメリカの巨大メディアの歴史に迫った『メディアの権力』(原題:POWERS THAT BE/朝日文庫で全4巻)など硬質な傑作が多い。
  単純に作品の長さだけを比べると、わが邦の日本にも足掛け30年にわたり新聞で連載した長編小説がないわけではない。中里介山(1885~1944年)の『大菩薩峠』は全41巻。でも、これはあくまでも想像力で書き継いだ物語。いっぽうハルバースタムの作品は、5年の歳月をかけあらゆる手を尽くして関係者にインタビューを展開。鍵となる人物が故人の場合は、その周辺人物を探し出し、知られざる行動や言動、その人の好みや癖みたいな事柄を探り出し、造形していく。日本人だけでもざっと70名、欧米人を含めると300名にくだらない人物(有名人、無名人を含めだ)から直接話を聞き出している。
  だから既知の事柄はなるべく排除され、“美は細部にやどる”という言葉通り、物語はチカラ強く立ち上がり、リアルに読む人の胸に迫ってくる。
  たとえば、ヘンリー・フォード(1863~1947年)の晩年の真実は衝撃だ。若いころの“進取の精神”があとかたもなく消え去り、嫌悪すべき老害をまき散らしながら、まわりを巻き込んでいく。そのことがやがて息子のエドセルを苦しめ、短い一生を終えさせたことを読者は知ることになり、愕然とする。
  半世紀ほど前ホンダが資金調達に苦しんでいた。フォードの子会社になるという提案が持ちあがった。金融・証券企業のゴールドマン・サックスの投資部門のシドニーワインバーグ(1891~1969年:のちゴールドマン・サックスの父と呼ばれる人物)が、その提案者。本田宗一郎は、ヘンリー・フォードを崇拝していたので、心が動いたようだが、フォードの財務部が東洋の吹けば飛ぶような2輪メーカーに歯牙にもかけなかった。もしこのM&Aが成り立っていたら、シビックもないし、ホンダジェットもアメリカの空を飛んでいない。
  米国防長官ロバート・マクナマラ(1916~2009年)を覚えているだろうか? ハーバード・ビジネススクールで学んだのち、わずか20代で、統計学を活用して対日戦線の指揮系統に参画。3月10日の東京大空襲や広島・長崎への原爆投下にかかわった。その人物が、戦後ウイズ・キッド(WHIZ KIDS:若手の天才集団)のひとりとしてフォードに乗り込み、事業を立て直し社長に登り詰める。そして国防長官への足掛かりとしていく・・・・。
  つまり、フォードは半世紀たたないうちに、モノづくりなどちっとも知らない計算に強い人材が自動車メーカーの主役に躍り出る事態となった。
  同じように、日本の日産も、初めはモノづくりにも習熟した鮎川義介(1880~1967年)は、例のお雇い外国人ウイリアム・ゴーハム(1888~1949年)の力を借り、日産の基礎を構築。ところが、戦後になると銀行マンの川又克二(1905~1986年)が実権を握り、そこへ労働貴族の異名をとる塩路一郎(1927~2013年)が絡んでくる。この油の匂いなどまるでしない二人は、モノづくりの世界からは、遠いところで、日産を牛耳っていく。ネクタイ組は、あくまでも数字の世界でクルマをとらえようとする。
  でも、ハルバースタムは、出世から外れた、いわばネクタイが身につかない“傍流”の人物もしっかり視野に入れている。日産ではミスターKこと片山豊(1909~2015年)。フォードではムスタングのアイディアを生み出したドン・フライ(1923~2010年)。二人とも、どちらかといえば「自分でクルマの不具合を直したい!」と考える人だし、「機械にはどこか神聖さが宿っている!」と心の隅で信じている人物。
  原書のタイトル「THE RECKONING」はもともと「計算、生産」という意味。となると、マクナマラや川又などを代表する計算に長けた人物をイメージしたタイトルだと思いがち。ところが、RECKONINGにはもう一つの意味があった。「報い、罰」という意味。計算高い男どもはことごとく、自動車の神様に罰せられる!? 作者のハルバースタムは、どうやら後者の含みで、日本人には分かりづらい、このタイトルを選択したと思われる。(1990年9月刊)

2022年1 月15日 (土曜日)

ぼくの本棚:三本和彦著『「いいクルマ」の条件』(NHK出版)

いいクルマの条件

  1976年(昭和51年)は、雑誌編集記者1年生の駆け出しで、右も左も分からなかった頃だった。「間違いだらけのクルマ選び」が本屋に並び、業界に一大センセーションをもたらしたのは、その年だった。
  これまで予定調和というか、癒着状態というか、自動車業界と自動車メディアが仲良し関係であったのが、筆者徳大寺有恒(1939~2014年)の登場で大きな波紋を広げたのだ。
「本当の筆者は誰だ!?」ということで、犯人探しがはじまり、その時いち早く名前が挙がったのがミツモトさんだった。三本和彦氏(1931年~)。歯に衣を着せずズバズバと発言をしていたからだ。強く記憶しているのは、新車発表会で「(今度の新車は、従来車にくらべ)変わった変わったとおっしゃいますが、一体どこが変わったんですか?」とストレートで毒のある質問がいまでも耳に残っている。評論家としての存在感を示していたようだ。たしかに、当時のフルチェンジにしろマイナーチェンジにしろ、フロントデザインを少し変えたぐらいの変更でお茶を濁していた(そのことで販売攻勢をかける!?)ことが少なくなかった。
  あれから半世紀近くたったいま、同じ日本を代表する大先輩の自動車評論家だが、ソーカツすると三本さんと徳大寺さんはまったく違う。まず文体が異なる。それにもましてクルマを見る視座が違う。
  “間違ったクルマを手に入れ、失敗するのも面白い! それもその人のクルマへの思い、人生観を広げる!”という余裕が三本さんには、ほとんど見当たらない。クルマは人間の自由さと結びつき、日常生活の冒険を意味するゆえに価値がある。このことに気付いていないのか、あえて無視しているかに思える。
  人はやはり時代の子供である。若いころ「クルマなど持てる時代が来るとは思えなかった」そんな世代に属するので仕方がない面はあるが。
  今回取り上げる本は、三本和彦さんのバイアーズガイドである。クルマを購入するときの、手引書だ。
  だから家を買う場合に次いで人生最大の買い物としてとらえてのクルマ購入ガイドである。ものすごく慎重だし、けっきょく≪自分のアタマで考え、自分の責任でクルマを選ぶことの大切さ≫を説いている。そのためにはとにかく、試乗してみて実感として捉えることの大切さをひたすら説いている。
  200ページの新書なので、なぜ、トヨタのクルマがよく売れ、日産があえいでいるか? とか、若者のクルマ離れは、むしろ日本のクルマ社会の正常な進化だ、ということも縷々説いている。そして、なるほどと合点するのは、「建設省(現国土交通省)のデータによれば、日本の全道路の84%が市町村道で平均の車道の幅が3.5mに過ぎなく、国道や都道府県道を含めても、4.0mだ」というのだ。これは1998年のデータだが、いまもさほど変化ないハズ。つまり、全幅1480mmの軽自動車が一番理にかなっており、1700mm未満のコンパクトカー(5ナンバー)がぎりぎりセーフ。全幅1800mmの3ナンバーなどこれから見ると国賊モノと言えなくもない。
  とにかく三本さんは、良き市民という目線から一歩も出ない自動車評論家なのである。休日にはゴルフに興じる市民のひとり。普遍的な自動車への愛があまり伝わってこない。失礼ながら、三本さんの文章に退屈さがにじむのは、読者にも良き市民であるべしという教訓めいた制約が透けて見えるからなのかもしれない。(2004年11月刊)

2022年1 月 1日 (土曜日)

ぼくの本棚:中部博著『和風クルマ定食の疾走-日本的自動車づくりの発想』(JICC出版局)

和風うクルマ定食

  『自動車伝来物語』でユニークなノンフィクション作家の地歩を固めている中部博(1953年生まれ)の国産自動車メーカー訪問記である。メカには詳しくはないが、めっぽうクルマが大好きな筆者の中部氏は、ふと「クルマはどんな考えでつくっているのか?」という好奇心がむくむくとわいてきて、地道にカーメーカーを訪ねまくり、その答えを求めようとする。
  そもそもクルマのことを詳しく語ろうとすればするほど、他者に伝わりづらいものだ。頭を冷やして考えれば、ただの個人的な移動手段に過ぎない乗り物。でも、ふだん足として使うクルマを“愛車”(すでに死語!?)と称したり、なかには愛玩動物のごとくニックネームを付けたり(私の友人はゴンタという名前を付けていた!)、あるいはかつての電車のように○○号と名付ける御仁までいる。そこまでいかなくても、クルマというカタマリのなかに人格が宿っている、と心の隅で思いがちである。たぶんそれは“自分の手足の延長”ということ。だから、クルマは人に語りかけたり、ときには支配までしてしまう。
  この本は、日本のクルマづくりにかかわってきたエンジニアや商品企画担当者、営業マンに素朴な疑問をぶつけ、ときには筆者が子供の頃から積み上げてきた自動車へのあこがれや価値観のなかで自問自答を繰り返す。
  ともあれ、この本のインタビュー時期は1980年代中頃。いまから35年前ほど。登場するクルマは、かなり古い。マークⅡGX81,ソアラ、ホンダ・インテグラ、7thスカイライン、デボネア、マツダ・カペラ、スバル・エルシオーネVX,ダイハツ・リーザ。どんなクルマだったのかにわかには思い出せないクルマが大半。
  当時のクルマはようやくキャブレターから電子燃料噴射にシフトしていった時代。現在のクルマのように、自動ブレーキも付いていない。1台のクルマのなかに10個も20個ものコンピューターを搭載して、エンジンだけでなく、ブレーキ、シャシーの緻密な制御をおこなってはいない。安全性という切り口で比べてみても、隔世の感がある。でも、それは逆に言えば失っているものもある。
  失くしたものの最大級のものは、モノづくりの現場とユーザーの距離感かもしれない。80年代までのクルマは、ちょっとしたメカ知識があれば、手持ちのハンドツールで、自分のクルマの修理が楽しんでやれた。もっとも、イマドキのクルマもメンテナンスだけは、DIYでやれちゃうのだが、手が入る余地の見えないエンジンルームをのぞいただけで、いまどきの若者は門前払いを食らった思いをするのではないだろうか?
  本のタイトル自体が、なんだかゲテモノ風に思えるが、ごくごく普通の感覚のインタビュー記事だ(単行本のタイトルは筆者の手を離れ編集サイドが決めるから)。
  そして読了してみての感想は、けっきょく個々のクルマをあれこれ考えることは、ハンドルを握る自分を見つめることだと気づくことに。「自分は何をクルマに求めているのか?」という問いに始まり、「自分とは何なのか?」「何を人生の目標としていくべきなのか?」そんな哲学めいた問いかけをし始める。(1988年12月発売)

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