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2021年4 月15日 (木曜日)

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半世紀前に自動車に追いやられた路面電車の謎!

横浜市電保存館1

横浜市電保存館2

  自動車という乗り物がいま大きな曲がり角にきている! 
  このフレーズ、耳にタコができるほど聞いてはいるが、そもそも現在のモータリゼーション、つまり“人間生活がクルマ無しではいられなくなった”のは、いつ頃のことなのか?
  これを探りに、“市電保存館(正式には横浜市電保存館)”にでかけてみた。なぜかクルマでいくより、ペダルをこいだ方がふさわしいと思いこみ、自転車で出かけた。住所でいうと、磯子区滝頭3-1-53は、美空ひばりさんが生まれたところでもあり、横浜の下町そのもものだ。
  「横浜市電」は、明治37年(1904年)から昭和47年(1972年)の70年間にわたり「ちんちん電車」として親しまれ、市民の足になって大活躍した。最盛期(昭和31年)には204両の車両が15系統の路線で走り回り、なんと総延長距離が204㎞もあった。(ちなみに東京の都電は40系統で約213㎞だった)
  現在、日本の都市、たとえば札幌、函館、高山、京都、広島、豊橋、高知、松山、熊本、鹿児島などでも路面電車は走り続けているが、それぞれ10km未満だったり、せいぜい20㎞オーバーの総延長距離。
  これから見ると、横浜市内はいかに路面電車が庶民の生活に結び付いていたかがわかるし、いまでも保存館に訪れる家族ずれや社会科見学の小学生の小さな胸に響くのが伝わる。路面電車という存在は、若い人には新鮮で、シニアにはノスタルジックな気分を抱かせる。しかも環境にやさしいことが大いに見直され、都電荒川線は1974年に、恒久的な存続が認められ、富山や宇都宮などの地方都市でも交通緩和策として、新路線建設が進んでいる。
  路面電車が少数派に追いやられた背景は、高度成長経済期にクルマの数が劇的に増えたこと、とされている。
  調べてみると、横浜市電が廃止された年1972年2年前日本のクルマ保有台数が1800万台に迫っていた。その10年前の1960年には135万台だったので、10年で10倍以上! 「道路面積を増やすより、もたもた走る路面電車をやめた方が手っ取り早い」とばかり、路面電車の良否を十分に吟味しないままに性急に目先の利益を追い求めてしまったのだ。
  じつは、こうしたことは、海の向こうのロサンゼルスでもあった。ロサンゼルス鉄道は、1901年から1963年までLAの中心部と周辺部を走っていた。最盛期には20以上の路線と1250両もの車両が市民の足として存在していた。ところが、GMとタイヤのファイアストン、シェブロンなどの石油元売り会社などの投資家が共謀して、路面電車を廃止に追い込んでいる。アメリカのこうした露骨なスキャンダラスな事件にはなっていないが、日本の場合は、いわば“共同幻想”で路面電車の線路を引っ剥がしたということのようだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

遅れてきたお雇い外国人 ウイリアム・ゴーハム伝(第8回)

ゴーハムとその社員  浜松での興行では、まだ少年だった本田宗一郎が三角乗りの自転車でおよそ15キロ離れた会場に駆け付け、会場の外の木にのぼり、かたずをのんで見守ったというエピソードが残っている。こうした日本でのアート・スミスの曲芸飛行のマネージメントをしたのが櫛引弓人だった。
  アメリカに帰国したアート・スミスと櫛引から、日本での曲芸飛行興業の大成功ぶりを聞いたゴーハムは、飛行機に対する熱い思いが日本人の間に広がっていることが伝わった。伝わると同時に冷静にいられなくなった。
  13歳のときに父親に連れられ日本の各地を旅した時の素晴らしい経験がよみがえってきたからだ。アメリカでの航空機事業に挫折したゴーハムは、航空機がいまだ未開地である日本でなら、自分のチカラを大いに試すことができる、としたら、それは日本においてない。そんなふうに30歳になったゴーハムは考えたに違いない。
このときゴーハムは、すでに2人の息子の父親でもあった。13歳のとき強く印象に残った日本という新しい地で、自分の力を思いっきり発揮することができる。新天地は日本をおいてほかにない。そう考えたゴーハムは、家族そろって日本にやってきたのである。かなりの強い決意である。
  航空ショーを想定して、パイロットを連れ、飛行機2機、ゴーハムが開発した航空機エンジン3基、それに工具や治具などをたずさえた、ということを知るとその決意のほどが理解できる。新天地を求め、日本に移住したのである。
  それにしても、1918年といえば大正7年、明治維新から半世紀たって、ようやく近代国家としての体裁が整い始めていたとはいえ、欧米から見れば因習社会のなかに日本人の大半は暮らしていた。逆の立場で、可能性を信じて新大陸アメリカに移住する日本人なら、理解できるかもしれないが。
  アメリカ人がいまだ未開発なところが残る東洋の小国に家族ともども移住するというのは、きわめて稀な事例だといえた。しかも、事業がうまくゆく保証などどこにもないし、頼るべき人物も望むべくもなかった。まさにゴーハムにとって、日本はフロンティア(新天地)そのものだったのだ。
  そう考えると、ゴーハムという男は(家族を含め)、あきれるほどのフロンティア精神豊かな、大の好奇心豊かな好男子だったに違いない。
  ≪写真は、ゴーハムエンジニアリング社の社員とゴーハム氏(右端)≫

カーライフ大助かり知恵袋2

書評:森功著『ならずもの/井上雅博伝―ヤフーを作った男』(講談社)

ならずもの  5年ほど前に読んだスティーブ・ジョブズのことがわかるウォルター・アイザックソンによる伝記(講談社2011年刊)は、かなり読み応えのある本だった。でも、この本のおかげで、ある程度現在のITの流れが理解できた(つもり)。
  ところが、日本におけるIT世界となると、PCとスマホを使うだけの門外漢に過ぎない。
  そんなわけでYAHOO!ジャパンを作った人物についてはあまり興味がなく、名前すら知らなかった。
  その男が、実はクルマ大好きおじさんだった。一説によると1000億円という、一生かけても使いきれないほどの大金を手にして、60歳を前に全ての事業から手を引いた。“日本一成功したサラリーマン”との異名をとり、そして箱根にクラシックカー10数台を愛でる超豪華な別荘を数十億円投じて作り上げた。少年時代の夢を実現させた21世紀のヒーロー。
  ところが彼の人生は突然閉じられた。3年前、60歳を前にカルフォルニアのクラシックカーのイベントで直径3mもあるセコイヤの大木にぶつかり事故死した。乗っていた1939年製ジャガーSS100(直列6気筒OHV3.5リッター4速MT)も見る影もなく大破した。
  今回取り上げる単行本(2020年5月刊)は、この男の物語である。
  実はこの本を知ったのは、筆者の森功氏のおかげである。
  物語の主人公以上に、この本をまとめた1961年生まれの筆者に大いに関心をいだいたからだ。
  伊勢新聞記者を皮切りに、週刊新潮編集部で鍛え上げられたノンフィクションライター。いま一番脂がのり切っていることがうなづける。新潮社で週刊新潮や写真雑誌フォーカスを作り上げた伝説の大編集者“斎藤十一(じゅういち:1914~2000年)”の伝記を見事な筆遣いで手がけていた。この伝記の完成度に強く惹かれ、いわば芋づる式に“井上雅博伝”に行きついたのである。期待を裏切ることなく周到に取材して、手堅くまとめている。「週刊現代」で連載した記事に加筆・修正した単行本。
  ところで、この『ならずもの』には、コンパクトカーや4ドアセダンなど生活感のあるクルマの姿はこれっぽっちもない。いわば富裕層だけが所有できる特別のスーパーカーや博物館に収まってもおかしくない超弩級のクラシックカーばかりだ。普通のポルシェやフェラーリではなく、スターリンが隠していたベンツだとか、有名人が愛用していたレアなクラシックカーばかり。プレミアム感120%の高級車ばかり。
  このコラムを書いている筆者(広田)は、幸か不幸か、この本に出てくるクルマ好きの富裕層の類には一度もインタビューした経験がない。でも、彼らを顧客とする高級車専門にメンテやリストアをする整備士には数人だがインタビューしたことがある。そこから、富裕層といわれる人たちのクルマへの独特な愛をときたま聞き及ぶことがある。たぶんカーグラフィックあたりを丹念に読んでいる読者の方が、こうした世界を私より知っているに違いない。
  この本は、図らずも彼らの生態の一端を如実に教えてくれる。おぼろげながらも、なんだか全容をつかんだ気にもなる。そして(嫉妬心もにじませながら言えば!)「ああっ、やっぱりな」というか、「クルマへの愛はいろいろあるけど……けどね」とひとことでは言い表せない複雑な気分になる。クルマ文化の担い手はそうした富裕層、なのかもしれない……。
  この『ならずもの』の主人公は、東京世田谷の祖師谷団地でごく普通の子供時代を過ごし、都立高校をへて東京理科大の学生の頃、たまさかバイトしたのがIT企業だった。そこからあれよあれよと、孫正義の片腕になり、独立しヤフージャパンを育て上げ、一夜にして億万長者となった。まさに時代が生んだミリオネイアである。それは、常日頃、座右の1冊としている内橋克人著「破天荒企業列伝」に出てくる明治・大正・昭和を彩る強烈な個性を持った企業人。それに連なる人物像にも当てはまる。お金持ちは、さらにそれ以上の資産を生み出そうとする、ともいうが使いきれない大金を持った人間は必ずしも“金を使う達人”ではないようだ。
  数世代にわたったお屋敷の庭石をバールで、エイとばかり、ひっくり返したら、そこには見たことのない虫たちがうごめいていた。この本は、そのバールの役目をしているのである。ちなみに、『ならずもの』というタイトルに違和感があるが、調べてみるとYAHOOという英語の俗語は、スイフトの「ガリバー旅行記」に出てくる「ならず者」がルーツだという。

愛車メンテのプラスアルファ情報

ラチェット式メガネレンチに見る機能と価格!

超ロングダブルフレックスロックギアレンチ1

超ロングダブルフレックスギアレンチ2

  誤解を恐れず言えば、手工具(ハンドツール)の世界は、超ブランド・ワールドである。
  百均で手に入る、かなり怪しい感じのお手軽ドライバーやメガネレンチ、ペンチなどもある。でも、少し真面目に整備しようとすると名の通ったブランド品を手にすることになる。自動車やバイクと同じで、20年前や30年前のような、あまりの不出来でひどい目にあうということはまずありえない。
  押し並べて、品質が高くなり、信頼耐久性についても裏切られることはまずない。
  となると人間社会は、ブランドで差をつけるしかなくなる。成熟社会になると、学歴を重要視する人が増えるのと同じだ。人となりをじっくり観察して、判断するという手順をスルーして、いわば思考停止しがち。
  今回取り上げるSEK製の「超ロング・フレックスギアレンチ」(LDFL1012)をあれこれ使ったり、調べていくと、そんな疑問にぶち当たった。
  製品そのものは、既存の機構を存分に投入した意欲的な工具だ。290㎜という長めの全長の両端には、72ギアのラチェットを組み込み、しかも首振り式にしている。首振り機構にも、ワンタッチで角度を固定するメカを取り入れ、使い手のことを考えたデザイン。表面の仕上げも、鏡面加工だし、重量も153gと抑えたもので、いろんな機構を盛り込んだわりには、破綻していない好感の持てるツールだ。
  ただし、価格が、7500円(あくまでも売値だが)というのは驚く。14-17㎜の品番LDFL1417は、9000円。SEKといえば安い割にはよくできた工具、という印象だったが、機能を念頭においても少しお高い感じを受ける。
  そこで、スナップオンやKTCの類似品の価格を調べてみた。
  まったく同じ機構のものはないようだ。KTCには、両端同じサイズで、片側だけにラチェット機構を持たせ、もう片側は通常のソリッドタイプというのがあり、7000円ほどだ。スナップオンは、通常のロングタイプのメガネレンチ(品番がXDHFM1012)で価格がやはり7000円代(並行輸入品だが)だった。ちなみに、スナップオンの凄味は、6-7㎜から8-9,8-10,10-11,10-12,12-13、14-15,14-17,17-19,21-22,22-24㎜と実に他を圧するサイズの豊富さだ。
  ‥ということは、当たり前のことだが、このへんの価格を横目で見ながら、SEKでは、価格を決めていることが推測できる。
  「機能上は完全にこちらが優位! これなら、ほぼ同じ価格で勝負できる!」そう値付け担当者は読んだのかもしれない。むろん、SEKも高いブランド力を得るべく、高い性能の工具を積み重ねているが。
  一方ユーザーはどうとらえるのか?
  ブランド優先なのか? それとも機能重視なのか? つねに身に付ける衣服や手で直接握る工具(あるいは手の延長である工具!)は、取り立ててブランド重視になりがちの商品だ。なかには、ブランドに自分を同化する人もいるほど。見栄と自己満足の世界!
  ここは“このネジ、取り外せるかどうか!?”の瀬戸際。工具の本分を考えれば、機能重視の商品を選択するのが本筋だ。(余裕があれば、いろいろ買い揃え、こうした悩みに頭を抱えることはない!)


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