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2022年10 月15日 (土曜日)

TOP NEWS

限定500台の高額GRMNヤリスが瞬時に売り切れた謎?!

GRMSヤリス

  少しおどろおどろしい言い方だが、いま自動車に詳しい人のあいだに“一つの謎”が浮上している!
  1台700万円以上もするコンパクトカーが、発売したら約1万件もの注文が入り、あっという間に売り切れとなったのだ。「若者のクルマ離れで、そもそも運転免許を取る若者も少なくなった」というのに、これは一体全体なぜ? といくつもの疑問符が沸き上がる。
  たしかに、このGRMNヤリス(ちなみにGRMNはGAZOO RACING tuned by Meister of Nurburgringの略)という限定車、単にフツーのヤリスをフルチューンしたわけではない。ゼロから小さなスポーツカーを目指して造り上げられた。モリゾウこと社長の豊田章男氏がハンドルを握りマスタードライバーのひとりとしてラリーに出場し、壊しては直しの繰り返しによるノウハウを蓄積。それを惜しみなく注入して作り上げたマシン。いわば素材から見直し、特別に仕立て直した超高級紳士服みたいなものか。
  具体的に言うと‥‥骨格となる軽量ボディは超高剛性を目指し545点ものスポット増し。構造用接着剤の使用を拡大、部品同士の結合剛性を大幅に向上。エンジンフードとルーフは、カーボンファイバーを用いて軽量化。ボディのあちこちに補強ブレース(筋交い)を入れ、レカロのフルバケットシート、ビルシュタインのダンパー、機械式LSD、強化メタルクラッチ&クラッチカバー、クロスミッション&ローファイナルギアと文字通りバリバリのフルチューン。
  価格は、731万円からだが、ラリー仕様が837万円から、サーキット仕様がそれより10万円ほど高く846万円台。
  エンジンは排気量1.6リッター、272PS/390Nm。ふつうのヤリスが69PSで車重940kgなので、いわゆるパワーウエイトレシオは13.62kg/PSといかにも鈍重。GRMNヤリスは、車重が1250kgとノーマルより300kg近く重いが、パワーウエイトレシオは4.59kg/PSとまるで、スタート時前かがみにならないとウイリー状態になる一昔前のバイクのナナハン並み。
  それにしても、700万円オーバーのクルマが500台とは言え羽根が生えたように売れるとは? 
  1988年だから、いまから30年以上も前に日産からマーチ・スーパーターボが市販されている。スーパーチャージャーとターボチャージャーの二つの過給機を狭いエンジンルームに詰め込んだコンパクトカーの特別バージョンがウリだった。110PS。パワーウエイトレシオでいえば6.72kg/PSと比べるとさほどでもない。あまり売れなかった記憶がある。
  GRMNヤリスは、作り込みを公開したりレースで実績を残したことでホンマモノのスポーツカーであることを証明! そのことに明白に気づき、大金を叩く人がこの日本には一定数存在するということだ。
  これから先、スポーツカーは、おそらく公道ではそのパフォーマンスを発揮できず、いわば乗馬のように、サーキットで楽しむ乗り物になると思う。公道を移動するクルマは、AIで制御され安全でお気楽な、ある意味で退屈極まりない移動手段の道を歩む。クルマが本来持っていた自由に移動できるモビリティからかけ離れた存在!? そうしたクルマの行方に我慢がならない人たちが、こうした特別なハイパフォーマンスなクルマ(別のコトバでいえばメッセージ性の高いクルマ)に大金をつぎ込むのだろうか。転売目的だけの顧客だけとは思えない。

カーライフ大助かり知恵袋1

『トヨタがトヨダであった時代』(第22回)

トヨダAA設計図

  トヨタ自動車創立50年記念でトヨタ博物館をオープンする前の1986年、トヨダAA型を復元させている。豊田喜一郎が心血をかたむけ、作り上げたAA型を博物館の大きな目玉として、展示したいという強い意思があったからだ。
  技術部に話が持ち込まれ、ある程度見込みがついた。そして復元計画がスタートして約1年で、トヨダAA型が復元といえども、その姿を見せた。約1年がかりの艱難辛苦が展開された、と当時担当者のひとり小島道弘氏(トヨタ自動車第3開発センター所属)が、数々のエピソードを残している。そのひとつを紹介してみよう。
  復元の話が持ち上がったとき、一番懸念されたことは「当時の図面が残っているか?」という点だった。幸いにもある程度は見つかった。ところが大物部品のエンジンのシリンダーブロックやリアアクスルのハウジング、デフケース、フレーム、室内のシート、内張関係類が見当たらなかったという。
  そこで、日本国内の探索はもとより、当時満州国へも数十台出荷されたことを把握し、藁をもすがる思いで、韓国や中国にも探索の手を広げた。結果としては、無駄骨だった。まさに前途多難とはこのこと。担当のエンジニア陣はいちように暗い表情を隠し切れなかった。
  だが、別のルートから明るいニュースが飛び込んできた。シャシー設計の担当者から、古い図面の入った段ボール箱が書庫の片隅で見つかったというのだ。さっそく開封してみると、シリンダーブロックやシリンダーヘッドなど欠けていた図面の大半が、出てきたのだ。
  図面はインチ表示で、現在のmmではない点、それに現在「3角法」と呼ばれる図面だが、当時は「1角法」という、上下左右が逆になる図面の描き方などの違いがあり、復元する側としては大いに戸惑いがあった。約70年の時空の遠さを感ぜざるをえなかった。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:星野博美著『島へ免許を取りに行く』(集英社インターナショナル刊)

島へ免許を取りに行く

  “父親か友人のクルマのハンドルを握り(この時点で違法じゃないか!?)近くの路上で実技試験を受け、簡単な筆記試験をパスすれば、ドライバーズライセンスをゲットできる”
  そんなアメリカの運転免許取得の安直さを耳にすると、クルマを運転することは、国や地域によりずいぶん温度差があることがわかる。
  日本でも、若者のクルマ離れといわれるように、以前ほど免許がさほど人生の重みになることはなくなったとはいえ、日本でクルマをあやつるため許可を得るには一苦労することには間違いない。
  40歳を前にして、女流カメラマン兼エッセイストの筆者は、人間関係に疲れ果てていた。そこで自分を取り戻すキッカケづくりを見つけることを探し始める。それは運転免許を取ることだった。そこで、集中して運転免許がゲットできる“合宿免許”をネットで調べると、意外と地方色豊かな感じが伝わり、旅の気分も味わえることが分かってきた。いわば一石二鳥の行動パターンだ。
  ところが、筆者は免許を初めてとるには高齢者のカテゴリー。なかなかちょうどいい合宿免許の自動車学校が見つからない。ふと見つけたのが、長崎県の五島列島にある自動車教習所。ここなら、東京から遠く離れているし、まわりが荒海に囲まれている。教習に嫌気がさして逃げ帰る気も起らずココロを一つにして免許取得に打ち込める。それに動物好きの筆者には、日本で唯一乗馬ができるという触れ込みも魅力的に映った。
  ふだん運動らしきものをしていない筆者は、若者にくらべると運転技術を身に付けるには時間がかかる。そればかりではなく、理屈が先に立つので交通ルールが素直に覚えられない。
  そもそも合宿免許は、通常の通学スタイルよりも短期間に免許が取れるようになっている。入学から卒業までスケジュール管理されているからだ。通常2週間で卒業し、実地試験免除を証書を携え、地元東京の鮫洲試験所で、筆記試験に合格すれば晴れて免許が交付される流れ。
  コトはそうとんとん拍子に運ばない。そもそも、この本の筆者は、1日中フル回転で活動する生活など長らくしたことがない。しかも自転車のハンドルさばきすら大きな疑問符が付く人間。「2週間あまりで運転の技術を覚え路上に出てクルマを運転する」などとてもできないことに気付かされる。
  でも一方で、東京から遠く離れた自動車学校では、誰もが社会から切り離され、現実の憂さを忘れ、五島の地がはからずも理想郷であることに遅まきながら気付く。ここでは誰かがだれかを蹴落とす必要もなければ、だれかを裏切って得をすることもない。
  現実社会からほんのすこし宙に浮いた、一種のユートピア。しかも一緒にいられる時間は思いのほか短いので自然と助け合い、気にかけあう。すぐ別れていくからこそ成り立つ優しい関係が成立する。
  猫好きの筆者は、この島でもう一つの楽しみを見出す。教習所の近くにある馬場で、馬に乗るのだ。初めて馬に乗った筆者は、同じ乗り物とはいえ自動車と似て非なる感慨を発見する。
  馬に乗ると、これまでに体験したことのない視点の高さ。それに左右非対称な、柔らかいものに座るという感触の驚き。足全体に馬の体温が伝わってきて、すぐに体がポカポカ暖かくなる。人間より大きな動物とはこれほど温かいものなのか? ふと数か月前死んだ愛猫のことを思い出す。「秋から冬にかけ気温が下がると、その猫はよく筆者の蒲団の中に入ってきた。猫にとって身体が何十倍大きな人間はまるで湯たんぽのようなものだった」。自分より大きな動物と接して初めて、猫の気持ちに思いをはせる。
  人より二倍の4週間もかかってようやく仮免許を取得した筆者は、自分の半生を振り返る。いわばこれまで自分仕事は一点集中型だった。
  たいして才能もないし、とくに異なる経験をしたわけではない。そんな人間が写真を撮ったり文章を書くためには、人より長くその場にいたり、人より長く物事を考えたりするしか術(すべ)はなかった。ひとつのことを1年2年長いあいだ考え続けることが得意。ところがクルマの運転に要求されるのは、それとは真逆で「瞬時にたくさんのことを考えること。精神は集中させ、しかし視線は分散させろ!」なのだ。
  とにかく4週間も五島列島に滞在したおかげで、約30名の人たちと親しく知り合うことができた。東京にいたのではとても出会うことのない多彩な人たちとの交流。
  東京に戻って晴れて都内でクルマを運転する筆者は、免許取りたてのドライバーが体験する様々な経験をする。車線変更の難しさウインカーで後車に伝えるタイミングなど、まるで異なる。だから戸惑いまくる。島では、シミュレーターでしか体験してこなかった高速道路の走行など、徐々にリアルなドライビングテクニックを学んでいく。
  運転免許という手段を手にした筆者は、なにかができるようになった喜びのひとつとして運転はかけがいのない新しい翼だと思い始める。読者は300ページ足らずの体験記を読んでいるあいだ、初心者の頃の瑞々しい気分に浸り、クルマをあやつる喜びを再認識できる。そしてからだの奥の方がなんだか暖かくなる。(2012年9月刊)

愛車メンテのプラスアルファ情報

“モノづくり”に携わるということの精神性とは?

東京タワー

  これまでいろいろなモノづくりの現場を訪ね、インタビューをして記事を紡ぎ出してきた。
  クルマの開発に携わるエンジニアはむろんのこと、日々新技術に取り組む部品メーカーの技術者など。きちんと数えたことはないが、たぶん3000人はくだらないと思う。
  そんななかで、いくつもの興味深いエピソードがあるのだが、ふと思い出すのは、クルマのある部品メーカーを訪ねた時のことだ。たしか、ATの内部構成部品のひとつであるトルクコンバーターを製作している浜松のとある企業の60歳代の役員だった。
  たしか板金製でつくられるトルクコンバーターの話を伺ううえで、彼は「俺はこんなふうにクルマを作っている!」とゆるぎない自信を、コトバと表情で示しながら説明し始めたのだ。話を聞くほうとしては、クルマの一部品をつくっていることは認めるけれど、クルマ全体をクルマはおよそ3万点もの部品で構成されている。だから、ひとつの部品にすぎない部位を取り上げクルマ全体をつくっている! というのはお門違いじゃないかしら? と思わず反論したいところ。
  ところが、なにしろ相手の迫力が一枚も二枚も上手でとても反論などできずに、モヤモヤした気分で終わった。
  このことが後々、頭の隅に残った。
  ふっと半世紀以上も前、小学生の夏休みの自由研究で、東京タワーの自分の背丈(約1メートル20センチ)ほどの模型をつくったことを思い出した。当時の漫画雑誌か何かでカラー写真を手に入れ、それを片手に近所の鉄工所のおじさんに話を持ち掛けつくったのだ。おじさんは“あいわかった!”とばかり、その場で手近にあった広告の裏紙に鉛筆でさらさらと設計図を描いてくれた。
  たしか8番線というとても子供が扱えるような細い針金ではなく、太い鉄の棒を曲げたり、溶接したりして2週間ほどでつくり上げた。作業は、子供そっちのけでおじさんの方が夢中になり、あれよあれよというまに作り上げてしまった。でも、学校に提出する段になるとなんだか、気分が乗らなかった。企画したのは自分だが、自分ですべて作ったわけではないからだ。ほとんどおじさんの手でつくられたのだ。友人に凄いと褒められると、犯罪を犯した気分になった。
  ところが、この東京タワーづくりは、子供時代の体験としていまも強烈に記憶している。おじさんが作業をしたとはいえ、横であれこれ観察していたからだとおもう。いわば他人事ではなく、わがこととして見守り続けたことが、大人になっても強い印象として残ったのだと思う。自分のなかでは、不思議にもインチキを犯したという思いが消え去り、いまではおじさんとの共同製作ぐらいにグレードアップしている。
  そこで、浜松のトルクコンバーターづくりの役員だ。若いころからたぶんトルクコンバーター一筋で、その製品がクルマに採用され、ふと街中で自分が製作した製品がATのなかで活躍している(外からは見えないが、機種で分かるんでしょうね)のを気づくと、「うん、このクルマは俺の開発した部品で動いている。俺がつくった部品がなければ1メートルも動けない!」そう思っていたに違いない。家族にもその都度、そのことを告げていたのかもしれない。
  だからこそ、「俺はクルマを作っているんだ!」と自信をもって人に伝えられるのだ。フェルデナンド・ポルシェや桜井眞一郎あたりは、クルマのどの部位を質問しても即答できた。そういう人なら「俺はクルマを作っている!」と言える。でも、クルマの一部品であっても“クルマを作っている!”と周囲の人に伝えても、ホラを吹いているとはけっして思わない。


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