みなさん!知ってますCAR?

2022年11 月15日 (火曜日)

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これって近未来型自動運転車に装着するシート?!

千葉工大の椅子

  「んっ! なんだ、これは?」
  そう心のなかでつぶやいてしまった。遠くから見ると、なんら変哲のないオフィスチェア。
  近づいて目を凝らすと、座面と背もたれには碁石ほどの大きさの丸いボタン(接触子)が、いくつもいくつも等間隔に貼り付けてある。・・・・その椅子に恐るおそる座る。そして目の前にあるモニター画面を指でなぞると、背中あるいは背もたれがムズムズと動くのだ。
  “うん、これって江戸川乱歩の短編小説「人間椅子」? 100年の時空を超え具現化した? ”
  なんていうのは真っ赤なウソで、身体の拡張を狙った新技術なのである。
  もともと東大の先端科学技術研究センターの堀江新特任助教授などが構築した技術を、より分かりやすいかたちで具現化したのが、大和秀彰さんはじめとする千葉工大未来ロボット技術研究センターの先生たち。
  象牙の塔的に小難しいコトバで説明すると…‥“皮膚せん断変形にもとづく椅子型触覚提示装置”という。
  これじゃ、わけが分からないよね。そもそもいま注目のメタバース(仮想空間)内で自分のキャラクターであるアバター(分身)を動かしたりして、いろんなサービスを受けたり、情報のやり取りをおこなう。身体と情報空間とを有機的につなげていく……。これが新ビジネスを生み出しつつあるのが、いまどきのトレンドだ。
  今回の不思議なオフィスチェアであるCHAINY(チェイニー)は、ウエアラブル情報、身体拡張、エンタメ、ゲームチェアなどの応用だけではなく、数年後登場するソニーの新世代の高級EVなどに組み込まれる可能性がある。自動車が自動運転化されたら、クルマは運転する空間から“コンテンツを楽しむ空間”へと激変する。となるとシートにこうした細工が施されていても少しも不思議じゃない!
  そもそもヒトの皮膚に刺激を与えるってことは、生体的あるいは物理学的に言えば皮膚に歪みを与えると言い換えられる。直径20mmの接触子が座面と背もたれに計48個付け、最大でそれぞれが50度回転させる。丸い接触子がクイッと50度回転することで、皮膚を変形させる。複数の接触子を協調的に動かすことで、刺激の強度の分布を作り上げる。これにより人に何かを伝えることができる。音響や映像とリンクさせれば、より臨場感を伝えることができるわけだ。
  今回の試みの一つとして隅田川の花火大会の打ち上げ音と映像に連動するプログラムを組んでいた。これを実際試してみると、「うん、なるほど!」と合点がいく。これをたとえば音楽プロジューサや映像のプロなどとコラボしたたとえばラブストーリー作品を作る、そんな近未来のアートがぼんやり想像できた。つまり従来からあった視覚と聴覚の2本立てのほかに、触覚がそれに加わり3本柱での表現ゲージュツが生まれるのかもしれない。21世紀の近未来は手が届く位置にある。

カーライフ大助かり知恵袋1

『スティーブ・ジョブズとダイマクション・カー』のお話

フラーのクルマ

  先日、TVをなんとなく眺めていたら、ダイマクション・カーの動画がちらっと登場していた。
  「世界を変えた愚か者」というタイトルでのNHKのドキュメンタりー番組。iPhoneをはじめ数々の製品開発で日常生活をガラッと変えたスティーブ・ジョブズ(1955~2011年)。それに現代のレオナルド・ダビンチともてはやされる一方、無能呼ばわりすらされた思想家で発明家のバックミンスター・フラー(1895~1983年)。この2人を描くことで、そもそも人の幸福はどこにあるのか? この永遠のテーマを問いかけるヒューマンドキュメント(というと軽くなるが)。
  フラーについては、日本ではあまり注目を浴びていない。でも、富士山頂の気象レーダーの建屋として35年間使われたジオデミック・ドームと呼ばれる独特の構造物、これを発明した人物と言えば気付く人も多いハズ。幾何学的に最も理想的なトライアングル形状。3角形が支え合い高い強度で広い空間を実現したジオデミック・ドームは、シェルターや格納庫など米軍事施設でまず採用され、そのあと地球上の様々なところでつくられ、いまも活用されている。
  フラーはこれ以外にも、家の掃除が15分で終わるダイマクション・ハウスとか、陸地などのカタチのゆがみが少なく、地球本来の東西南北を意図しない地図であるダイマクション・マップ。それに1933年に登場したダイマクション・カーの発明が連想される。ダイマクション(Dymaxion)というのは、「最小のもので最大をなす」というフラー独自の造語。ユニーク度は満点だが、ジオデモック・ドームをのぞき、彼の発明した発明品は、いずれも量産化されることなく歴史のかなたに消えてしまった。
  だが、消えてしまった発明品のひとつ、近未来車ダイマクション・カーはいま振り返るとみるべき点が多い。
  このクルマは、エアロダイナミックシェイプで丸みを帯び、1ガロンで30マイルを走れるエコカーがひとつのスローガン。前輪2輪、後輪1輪の3輪車なので、最小回転半径は劇的に小さく超小回りが利く。定員11名。最高速時速120kmを謳ったが、実際には時速140kmを出すのが精いっぱいだったという。エンジンは、フォードのV型8気筒86PS。フラーは、最終的にはこのクルマで空を飛ぶことを夢想していたともいわれる。
  世の中にないものを生み出そうというパイオニアは常に悲劇が付きまとうもの。
このクルマも1933年のシカゴ万博に出品し、デモ走行中にほかの車に追突され、不幸にして乗員らはケガを負い、ハンドルを握っていたレーサーが死亡するという事故に見舞われた。ボディの強度不足が疑われる事故だった。これでミソが付き投資家が引き上げ量産までには至らなかった。ちなみに、試作車3台のうち1台は現存し、ネバダ州のリノにある国立自動車博物館のハラーズコレクションに収まっているという。
  フラーは、1960年代いち早く“人類と地球の調和”を唱えた思想家。その彼の考えで1968年に「全地球カタログ」がつくられ、その分厚いカタログは、当時のヒッピーたちのバイブルとなった。日本でも出版され、ブームを起こしている。若いころのジョブズが、このカタログをいつも持ち歩き生きる羅針盤としたことで、やがてスマートフォンを生み出す。ジョブズが晩年にスタンフォード大学での演説“STAY HUNGRY 、STAY FOOLISH”(現状に満足せず、常識に牙を抜かれるな)の言葉とともに、フラーとジョブズの共通した生き方への影響力は、いまも強く若者に伝わっている。

カーライフ大助かり知恵袋2

ぼくの本棚:前間孝則著『技術者たちの敗戦』(草思社文庫)

技術者たちに敗戦

  この本は、ホンダの技術者・中村良夫はじめ、零戦の開発者・堀越二郎、曽根嘉年、新幹線の島秀雄、IHIを業界トップに押し上げた真藤恒、NECの緒方研二など6名の敗戦後、廃墟からどう立ち上がったかのドキュメント。
  このなかで唯一自動車関連の中村良夫にズームインすると‥‥。
  IHIでジェットエンジンの開発をしていた筆者・前間さんが、『ジェットエンジンに取り憑かれた男』(講談社刊)でデビューしたのちF1の監督として名をはせていた中村良夫さんにインタビューしたのち二人の距離が縮まったのはそう時間がかからなかったようだ。
  そのころホンダの常務まで上り詰め、リタイヤしてのち日本自動車技術会の副会長や国際自動車技術会連盟の会長などをつとめ世界を舞台に活躍していた中村さんが、若いころ中島飛行機で航空機エンジンの開発に携わっていた。
  前間氏がいみじくも表現しているように、中村さんは“日本の企業人の常識を破るような数々の著作を発表している技術者”であり、それだけに文字通り遠慮会釈なしに個人の考えを前面に押し出す稀有な技術者でもあった。
  ただし、もともと長州の医師の息子で、山口中学から東京帝大航空学科に進んだ超エリートらしく、身仕舞いに寸分の狂いのないダンディな紳士だった。その中村は、終戦直前まで「富嶽(ふがく)」に搭載予定だった空冷36気筒エンジンを開発していた。これは複列星型18気筒エンジンを2機、くし刺ししたレイアウトで6000馬力発生するという構想だった。この超弩級エンジンを富士山の別名「富嶽」に搭載し、日本の各都市を廃墟に変えつつあるB29への復讐とばかりアメリカ本土を直接攻撃しようという旧日本軍の構想だったのだ。
  だが、この構想は敗戦であっけなく消え去り、超エリート航空エンジニアの若者は、一夜にして闇のなかに投げ出される。敗北感が打ちのめされもした。戦後はGHQの命令で日本は「航空禁止」となり、“陸に上がったカッパ”同然、徒手空拳となる。世過ぎ身過ぎのため、一時3輪トラックメーカーに籍を置いたが、38歳のときにオートバイメーカーのホンダに入社。この時すでに38歳。
いわば敗戦の地獄の体験を潜り抜けてきた中村は、のちの世にありがちな軟弱な超エリートではなかった。ホンダという企業世界で、めきめき力を発揮しF1への道筋を切り開いた一方、市販4輪乗用車の開発においても大いに力を発揮した。ホンダと言えば、創業者の本田宗一郎がすぐ思い浮かぶが、じつは中村良夫のチカラなしにはホンダの乗用車開発の成功はなかったといわれる。
  必然的に40代のいまだ若いエンジニア中村。ほとんど経験だけでモノづくり世界を生きてきた創業者のあいだには溝が深まる。排ガス規制が厳しくなるなかで、シンプルな空冷エンジンがいいのか、温度管理がやりやすい水冷エンジンを選択すべきなのか、でこの2人の旧新エンジニアはぶつかる。もともと尊敬の対象だったおやじこと宗一郎に歯向かうのは、本義ではないが、科学的正義を信奉するエンジニアの中村としては、そんなことは言っていられない。
  けっきょく宗一郎は、藤沢副社長の助言で“潔く”身を引くことになるが、一方の中村もこの世代間の闘争で少なからず苦悩し、傷ついた。だが、そのことで、中村の執筆者としての力量が劇的に高まった。先日図書館から借りてきた山海堂刊の「F1グランプリ全発言」の冒頭ミハイル・シューマッハを描く記事に目を通したところ、実に高い見識の持ち主である彼だけにしか記しえない内容が、わかりやすくクリアな文体で展開されているのを、口をあんぐりして眺めてしまった。世のなかにはこんなとてもじゃないが、かなわない3周以上も先を行く男がいたんだ。(2013年8月刊)

愛車メンテのプラスアルファ情報

オリジナル「ツールバッグ」のプレゼント!

プレゼン ト1

プレゼント2

  2006年からスタートした、このブログ「知ってますCAR」を、今年でおしまいとさせてもらいます。
  長いあいだご愛顧いただいた記念として、読者プレゼントを企画しました。
        ※
  オートバイのトライアル競技に熱中していた時代。
  たとえばツーリングなどで、持ち歩く道具をどう収納するかに悩んでいた。ソケットツールなら差し込み角1/4インチなので、それほど大きなものは不要。市販でもあれこれ探しはしたが、ちょうどいいものが見つからず、ならば! というわけでつくってしまいました。
  それが写真の赤い布製のツールバッグ。何度も試作しては大きさやデザインを決めた。そして出来上がったのが、サイズは350mm×350mmで、下部に斜めに工具を差し込む袋状(緑色)の細工がしてある。収納と取り出しがスピーディにできるようにデザイン。
  親しいプロライダーなどに使ってもらい、頑丈さと使い勝手の良さは太鼓判。たとえばヤマハのトライアル監督で初代全日本チャンピオンの木村治男さんは、このツールバッグを携え世界中のレースに参加。「汚れこそ激しいが、機能上はまったく問題なしでいまも現役で使っています」という。ライダーのなかには、百均で樹脂製のクリップを探してきて、ワンタッチで紐をむすべるタイプに改造したユーザーもいる。たしかに紐を結ぶのが手間だという声もあるが、相撲の仕切りと同じでこの紐をむすぶことでライダーを平静に戻す意図がある。
  このツールバッグ、なにもバイクに限らず、たとえば、自転車でツーリングする場合、ヘキサゴンレンチなどの工具やタイヤレバー、バルブなどを収納できる。あるいはアウトドア愛好者なら、工具やペグ、小物を収納する袋としても使える。もちろん家庭でも、たとえばドライバーやボールペンなどを保管する袋として活躍する。
  このツールバッグを100名様にプレゼントします(上の写真の工具が含まれません)。発表は、商品発送をもって発表とさせてもらいます。

応募要領
  ●応募先;(有)昭和メタル 「ツールバッグ・プレゼント」係 
  昭和メタルのホームページよりお応募ください。
  https://showa-metal.jp/inquiry_contact2019-001/

●締め切り;2023年1月20日


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