みなさん!知ってますCAR?

2010年7 月15日 (木曜日)

TOP NEWS

反転フロアボードで、荷室空間のアレンジに新味を加えたフリードスパイク

フリードスパイク  一昔前のホンダ車には、どこか「びっくり箱」めいた世界が必ずあり、ユーザーを楽しませたものだ。だが、いつしかホンダもトヨタ流や日産流のクルマ作りが流れ込み、あまり魅力を放つクルマ作りとは言いづらくなった。ここ数年、自動車を取り巻く環境が大きく変化したこともあるのかもしれないが、ユーザーを驚かせる仕掛けをいまほど必要な時代はないともいえる。自動車はなにもハイブリッドや電気自動車だけが注目されているわけではないのだから!
 そんななか、このほどホンダからリリースしたフリードスパイクは、ある意味自動車の楽しみを精一杯表現するクルマの1台といえる。ミニバンの広さと実用性を備えたフリードに、かつてのモビリオ・スパイクの遊び感覚(荷室の活用法)をフル活用したものだ。
 なかでも面白いのが新発想の「反転フロアボード」。このボードは、アルミと樹脂材を使った軽量(左側4.7kg、右側2.7kg)で前後に180度回転させることでカーゴルームのフロア高を変えられるというものだ。自転車が2台積めるし、1800ミリのエアベッドを置いて車中泊を楽しむこともできる。
 ちなみに、フリードスパイクのエンジンは、1.5リッターⅰ-VTECで、トランスミッションはCVT。気になる燃費は、10・15モードで16.5km/ⅼ。車両価格は、159万8000円から。

カーライフ大助かり知恵袋1

旧きをたずねて新しきを知る! タイヤBSのルーツは足袋だった・石橋正二郎物語 第16回(最終回)

プリンス1号車  「たま電気自動車」は正二郎の指示のもとに業績を回復。1950年の増資に際しては、そのうちの3分の2を正二郎が出資している。だが、その年の6月に勃発した朝鮮戦争を境にして鉛の国際価格が暴騰。トン当たり5万円だった鉛が5倍の25万円にも跳ね上がったのだ。電気自動車は鉛を大量に使用するため、コスト的に立ち行かなくなった。一方、戦後から統制などで5年間ほど供給が滞っていた石油製品が、精油所の操業再開などにより供給量が急増すると、電気自動車そのものの存在理由が薄れていった。結果的には、電気自動車はガソリンが入手できなかった時代のあだ花的クルマだったのだ。かくして「たま電気自動車」は、ガソリン自動車製造への転換を余儀なくされることになる。といってもガソリンエンジンを即座に作れるわけはなく、陸軍戦闘機「隼(はやぶさ)」などの生産でならした中島飛行機の流れを汲む「富士精密工業」にガソリンエンジンの製作を依頼することになる。
 石橋正二郎は、エンジンを生産する「富士精密工業」と、車体を生産する「たま電気自動車」が合併するのが自然と考え、富士精密を買収し、会長に就任。1951年、富士精密工業荻窪工場は、すぐれた航空機エンジン理論と欧州の小型自動車エンジンの省燃費特性を結びつけた1500cc45馬力エンジンを完成させた。このエンジンを載せたトラック第1号を「たま自動車」のもとで作り完成させた。ついで、1952年にはガソリン乗用車第1号も完成させ、販売に踏み切った。社名は、ちょうど皇太子殿下の立太子礼の年にあたることから「プリンス」と命名。このクルマは人気を呼んだことから、1952年に増資し、社名も「プリンス自動車工業」と改めたのである。翌年には、エンジン製造の富士精密工業も吸収した。
 1957年にはプリンス・スカイライン、2年後の1959年には、プリンス・グロリアをデビューさせた。ところが、1960年代中ごろになると、自動車産業の国際競争激化を見越して通産省が業界再編成工作に乗り出した。それが日産自動車とプリンス自動車工業の合併である。かねてから業界再編成の必要を痛感していた正二郎は、通産省の要請を受け、大局的な見地から1965年5月、合意を決断、翌1966年8月に正式に両社は合併するのである。               
 駆け足で石橋正二郎の足跡を追いかけてみたが、もし正二郎が存在していなかったら、日本のタイヤ産業や自動車産業はいまほど光り輝いてはいなかった。足袋から始まり、地下足袋やゴム靴の開発で大きな富を得た正二郎は、戦前誰もが危険視していたタイヤ製造にチャレンジし、見事花開かせたのである。

●参考文献
「ブリヂストン75年史」(ブリヂストン 2008年刊)
「プリンス自動車の光芒」(グランプリ出版)
別冊モーターファン「国産車100年の軌跡」(三栄書房)

カーライフ大助かり知恵袋2

大型トラック・バス用タイヤのリトレッド

バンダグ  乗用車タイヤではリトレッド事業は聞かないが、大型トラック・バスのタイヤの世界ではこのところリトレッド事業が盛んになりつつある。BSが、数年前アメリカのリトレッド企業バンダグを買収し、2年前から日本でもBS直営のリトレッド事業を展開し始めたからだ。リトレッドというのは、使用済み大型タイヤのトレッド面をきれいに削り、新しいトレッド面を貼り付け新品に限りなく近いクオリティにしてしまうというリサイクル事業のことだ。2億円足らずでできる小規模工場が魅力。リトレッド1回するだけで、165kgのCO2排出削減ができるという。もちろんトラックなどのユーザーである輸送業者の経費も大幅に削減できる。BSは、この再生事業にタイヤのメンテナンスなどを含め、「エコバリューパック」という名称で、全国的に売り始めており、ここ2年間で3万本に迫る勢いだという。工場数も現在の11拠点から2013年までには20拠点に増やすという。
 このエコバリューパック、他銘柄は仲間に入れてやらないといういわば顧客囲い込み作戦。つまり、BSのタイヤで、揺りかごから墓場までのタイヤの面倒を見るという作戦だ。リサイクルを謳うなら、ライバルブランドのタイヤもリトレッドしてしまうぐらいの提案が求められはしないか。
 もし、石橋正二郎が生きていたらどういうのだろうか?

愛車メンテのプラスアルファ情報

ソケットホルダー・ロックタイプ

ソケットホルダー  ハンドツールの中で一番使用頻度の高いソケットツールの中心的存在は、ラチェットハンドルとソケットだ。ソケットはサイズ別になっているため、いつも必要とするソケットが即座に取り出せることが大切。その意味で、ソケットホルダーはソケットを整理整頓するためとすぐ取り出せるということから必須アイテム。
 ところが、肝心のソケットホルダーは、これまで満足いくべきものがなかった。ポピュラーなオールスチール製(板金製)は、安くて比較的コンパクトでいいのだが、脱着のフィールがよくない。節度がなく、どこかギクシャクするのだ。では樹脂製はどうかというと、使い勝手はオールスチールよりいいのだが、図体が大きく、価格が高いという面がある。ストレート(https://www.straight.co.jp/)で見つけてきた、この≪ソケットホルダー・ロックタイプ≫は、合格点を挙げられる。ツマミを押さえることで、着脱が楽にいくし、ソケットをホールドする突起が付いているので、確実にロックし、工具箱のなかで脱落する心配もない。3/8インチ8個ホールドタイプで、価格は330円と安い。

2010年7 月 1日 (木曜日)

TOP NEWS

欧州のダウンサイジング理論のルーツはボッシュにあった!?

ロバート・ボッシュ  ≪直噴エンジン+過給機(ターボチャージャー、スーパーチャージャー)+可変吸排気バルブ機構≫という、いわば20世紀のハイメカニズムを3点セットしたようなガソリンエンジンシステムが、ここ数年欧州の乗用車エンジンのトレンドになっている。
 VWのTSIエンジンと呼ばれるエンジン、ボルボのエンジンの一部、アウディのエンジンの一部にも、このタイプのエンジンが≪21世紀型エンジン≫として登場している。これは排気管の圧力が吸気管より低いことを利用して、吸排気バルブを同時に開き、残留排ガスをいっきに押し出し、新気を導入する、スカベンジング技術。
 これにより、より多くの空気を充填することになり充填効率を高め、エンジントルクを向上できる。ターボチャージャーが本来宿命としていた“ターボラグ”を解消し、低速トルクを飛躍的な高め、トルクを最大50%向上させる。くわえて、エンジンの直噴化、小排気量化とVVTで燃費が最大29%も向上させることができるという。
 このあたりの燃焼理論は何度聴いても理解しづらい世界だが、もともとこうした理屈は昔からあったという。それが可能になった背景には、緻密な制御技術が可能になった現代のエレクトロニクスがあるという。
 ボッシュでは、あと20年はこうした進化したガソリンエンジンで化石燃料を使った自動車が生き延びると予測している。その前に電気自動車とハイブリッド自動車がどのくらい進化し、庶民の支持を得られるかが大きな課題だ。

カーライフ大助かり知恵袋1

旧きをたずねて新しきを知る! タイヤBSのルーツは足袋だった・石橋正二郎物語 第15回

タイヤBS  1932年になると、タイヤ生産は一日1000本近くになり、仮工場では間に合わなくなった。そこで、久留米に3万6000㎡の敷地を確保し、3年後の1935年10月には5階建てで延べ床面積2万3100㎡の東洋一のタイヤ工場を建設した。このころにはすでにブリッジストン、ダンロップ護謨(極東)、横浜護謨製造の3社が三つ巴の市場争奪戦を展開していた。
 戦時色が濃くなる1930年代後半に、航空機用タイヤの生産や軍用機や計器で使われる防振ゴムの生産を開始。1942年に英語名の社名を変更せよという軍部の要請があり、「日本タイヤ㈱」に改めている。このころになると戦時統制で天然ゴム量の割り当てから生産量の縛りも出るなど自由なビジネスではなくなった。
 1945年8月15日、終戦。東京・京橋の本社は空襲で全焼したが、久留米をはじめタイヤ工場はほとんど無傷だった。終戦から2ヶ月足らずで久留米工場は生産が再開した。
 戦後は自転車業界やバイク業界に進出したり、戦後から展開していたゴルフボール作りにも邁進、その後のブリヂストンの隆盛はよく知るところである。
 ただ、意外と忘れられているのは石橋正二郎とプリンス自動車のかかわりだ。のち日産に吸収されていった名門の自動車メーカーであるプリンス自動車。プリンス自動車工業の発端は、1949年に石橋正二郎が「東京電気自動車」に出資し、経営に参加したことにはじまる。「東京電気自動車」は立川飛行機の従業員たちが戦後、自動車製造事業への転換を構想し、1947年6月に設立した企業。社名から分かるように当時の燃料事情(石油製品の不足)を背景に、バッテリーで走る電気自動車「たま号」などの製造を計画していた。だが、同社は少量生産による採算難と資金不足に悩まされ、正二郎の出資協力に頼ることになった。2年後、府中にあった2000坪ほどの古い工場から1万2000坪の広い敷地の三鷹・上連雀に引越しを機会に「たま電気自動車」と改称している。

カーライフ大助かり知恵袋2

電子回路が組み込まれたワイパー

反転式ワイパー  取材をしていると、時として≪やはり自動車はもともと欧米で始まった乗り物≫という印象を強くするときがある。ボッシュのワイパーを取材したときもそうだ。
 1926年(日本でいえば昭和元年)にワイパーモーターの製造を開始したボッシュは、現在年間2000万個のワイパーを生産しているという。しかも、10年前から新世代のワイパーをVWなどのスモールカーに装着し始めている。電子回路を組み込んだ「反転式ワイパー」というものだ。従来のワイパーASSYは、上下に幅があり、ボディデザイン上の障害のひとつになっていた。この新型ワイパーは、上下のスペース効率が高いばかりでなく、反転量をコントロールすることで、リンクを持たないためワイパーとしての機能も一段と高められるという。しかも、衝突時に下部に脱落することで歩行者保護性能も高まるという。
 この新型ワイパー、数年以内に日本車にも装着されるということだ。

愛車メンテのプラスアルファ情報

ボールポイントのヘックスソケット

ヘックスボルト ヘックスボルト(内6角ボルト)がポピュラーになって久しい。
 とくにバイクのハンドル回り、エンジン回りはいつの間にか、ヘックスボルトが多数派を占めている。クルマのエンジンルーム内を見回してもヘックスボルトが使われているのは珍しくなくなった。かくして、ごく一般的になったヘックスボルトだが、通常のストレートタイプのヘックスソケットでは、回せないケースがある。ボルトのまわりに邪魔なパーツがあり、工具が届かない場合などである。そんなときに便利なのがボールポイントタイプである。先端部が丸くなっていて、ある程度の角度をつけて使うことができる。ただし、クビレがあるため、不用意に過度なトルクをかけるとトラブルことがあるので要注意だ。KO-KEN(https://www.koken-tool.co.jp)製で、いかにもしっかり作りこんでいる。
 差し込み角度は1/4インチ(6.35ミリ)で、サイズは3、4、5、6ミリの4サイズ。価格は各1、120円。


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