タイヤと路面との接地部分はわずかハガキ1枚分の世界。4個のタイヤなのでハガキ4枚分。これだけの面積のなかで、クルマのタイヤは常に格闘している! これでもってクルマの走りや乗り心地、操縦安定性などの性能に大きく貢献しているのである。
…‥やや飛躍するが、だからこそタイヤの性能向上に欠かせないのは、限界を追求するレースが舞台になる。
4輪レースの頂点F1に挑戦すること14年のブリヂストンは、タイヤ業界のトップシェアを握る存在となったのは、サーキットでどこよりも多く戦いデータを集め分析したおかげだ、といえる。
そのBSが、数年前に完成させたシミュレーション・マシンが、『アルティメット・アイ』というシステムだ。直訳すると「(タイヤを開発するときの)究極の目」である。
回転するドラムにテストするタイヤを押し付け、回転させる。試験タイヤの内部には複数のセンサーが付けられ、接地圧、横力、円周方向の力などを測定。実車さながら、左右のコーナリング時、フロントタイヤを想定してのアライメント角度もつけて、なんと最高400㎞/hまで…‥実走行でのダイナミックな挙動を接地力分布というカタチで“見える化”ができるという。これまでのシミュレーションでは把握できなかった世界が数分という短時間で分かるというから、すごい。
これを踏まえ、材質、構造、形状、路面に接するところのコンパウンドなどタイヤのあらゆるデザインが、より素早くできるようになった。しかも、レーシングタイヤだけでなく、エコタイヤ、高級車のタイヤ、オートバイのタイヤ、バス・トラックの大型タイヤまでの開発がこれで可能だという。当分、BSが世界のタイヤをリードするようだ。
「隣のクルマのドアが開いた拍子に傷つくドアパンチ。停めていたクルマに自転車がぶつかり線状のへこみができる。あるいは布団バサミが2階のベランダから落ちてきてボンネットとかルーフをへこませる。まぁ、この3つのアクシデントのどれかでやってくるお客様が大半です」と明快に答えてくれたのが、小平市花小金井にあるデントリペア専門店「インプレッション」の店長・高橋人史さん(55歳)。
デントリペアとは、雹(ひょう)の被害で凹んだボディをスチール製の特殊な工具で、修復するところから始まったテクニカルな技だ。通常は2か月の研修を受け、その後武者修行に近い努力をおこない一人前になる、という職人技だ。使う工具を見せてもらったところ、100本ほどの先端が異なったツールは、プッシュ式とツイスト式の2カテゴリー。通常はプッシュ式で、てこの原理で、凹みを少しずつ修復。ツイスト式は、ドアパネルなどプッシュタイプでは不可能なところを工具をツイストさせて凹みを徐々に元通りにする。・・・・と言葉にすると、簡単に聞こえるが、やってみると逆に傷が広がること請け合い。
ひとつとして同じ凹みがないので、その都度何処に支点を設けるか、工具をどう挿入するかなど、頭はフル回転する。傘の先端で鋭く凹ませた凹みは、パネルが伸び切っているので、修復ができない。逆に凹み面積が大きくても深くなければ修復可能だという。
面白いというと語弊があるが、お客様はリピーターが多く、男性ユーザーが99%だという。女性は年に一人ぐらい。塗装がはがれたりしない限り女性は、平気でいられるのだろうか? 謎である。
“バランスボールの上に乗り左右前後スイスイ! 運転はカンタン! ただ、上半身を自分が行きたい方向に傾けるだけ!”
もちろん電動式なので、排ガスなし! セグウエイができなかった小回りが楽チンにでき、まるでお風呂に入っているゆったり気分の乗り心地! そんな好印象の次世代型の乗り物が「オムニライド(OMNIRIDE)」である。オムニとは、ラテン語のオムニディレクション全方位のことで、どちらの方向でも進みます、という意味だ。
開発したのは、長野県諏訪市にある理科大の工学部・星野祐教授(52歳:写真)。制御システムの先生。最大速度8㎞/h、シート下にある4個のDCサーボモーターが直径300㎜のステンレス製(外側にゴムコーティング)のボールを駆動する。車両重量40㎏。
傾斜地でも、マシンが垂直を保つため、内蔵した姿勢センサーが働き、常に安定した姿勢で進める。急発進、急ブレーキ、速度超過という不測の条件が揃わないと、転倒しないという、いかにも不安定に見えるが、とても安定した乗り物。コンパクトなので、歩行者の横に付いて、会話を楽しみながらお散歩できる。なんだか人間的というか、人にやさしい乗り物である。
ちなみに、1号機の開発には、学生2名の協力で3年近くかかったが写真の2号機は9か月弱で完成したという。いまのところプロトタイプだが、「量産するとしたら80万円ぐらいかなぁ」と星野先生はにこやかに答えてくれた。
カーブミラーといえば、見通しの悪いT字路に設置されている装置。曲面鏡でしかなかった。ところが、自動運転車時代に突入すると、このカーブミラーに様々な付加価値が期待されている。
「国立研究開発法人・情報通信研究機構」という国の組織がこのほど発表したのは、いささか度肝を抜く。いっけん何の変哲もないカーブミラーではあるが、さまざまなセンサーを組み込んで、近くを走るクルマの存在や速度、それに障害物の位置などをリアルタイムにとらえ、近くを走るクルマに素早く伝えようというものだ。具体的にはカーブミラーにステレオやLRF(レーザー・レインジ・ファインダー)を内蔵し、第5世代の高速通信システム5G(現在スマホなどで主流の4Gより約10倍速いといわれる)を使い、周辺の自動運転車両に的確に素早く、こうした情報を伝え、安全な運行を手助けする。いわば「知的交通インフラ」といえる環境作り。
こうした路車間、つまり道路とクルマの間の通信は、地方自治体がになうのが原則。
ということは官と民が一体で、今後こうした道路整備がおこなわれるということになりそうだ。そこで、システム・エンジニアの担当者に課題を聞いたところ、「やはり小型化と省電力化が課題です」とのこと。とくに処理プロセスが高機能化するので、高い電力が必要となる。そこで、ソーラーチャージャーほどでまかなえるほどに省電力化が不可欠だという。
クルマにまつわるトラブルもいろいろある。インテリア、つまり室内のトラブル専門の職人さんにインタビューする機会に恵まれた。
脱サラして5年、横浜に店を持つ50歳代のインテリア職人の一匹狼である。「お客はおもに輸入車&国産車に限らず、いわゆる高級車に乗っているユーザーです。たとえば、運転席のシートの表皮が伸び切った状態になってしまったとかというトラブル」という。聞けばこれは皮シートに起きがちな不具合だという。一見表皮の皮が伸びてしまった印象だが、実は、クッション材のウレタンが使うに従い、劣化して、へしゃげてしまったのが原因だという。「そこで、解決法は表皮をはがし、新たにウレタンを追加してあげる」という。煙草の穴開きやシート破れといったトラブルは、専用パテで埋めたり、縫い合わせ、その上にパテを少し盛り、削る……といった手法をとるという。見た目だけでなく強度と耐久性を確保するというのが、彼のスキルである。
「輸入車で、よくあるトラブルは天井が7年目あたりで垂れてくる」というものだ。表皮とルーフのあいだに挿入された薄手のウレタンがやはり経年劣化で指で触るとボコボコになるのが原因だ。国産車は、構造が異なるので、こうしたトラブルはない。輸入車の場合、ウレタン付きの専用表皮を張り替えることになる。
この作業も、いっけんDIYでできそうな感じだが、専用の接着剤と工具、それにノウハウとスキルが要求される。自動車のトラブル解決にも“餅屋は餅屋”の領域があるようだ。ちなみに、修理費が、ディーラー価格より2~3割安いというのが受けているようだ。
いまや世の中、家の中もクルマの照明もLEDの天下である。
白熱球なら1000~2000時間の寿命が、LEDに換えるだけで4万時間、つまり20倍以上の超寿命。しかも、熱がこもらず、消費電力が小さく省エネだというのがうたい文句。値段も量産効果が徐々にあらわれつつある。
ところが、価格については自動車用のバルブは、2周遅れ以上である。とにかく価格が高い。先日、車検整備で、ライセンスプレートのバルブが切れていた。意外とこれ、見落とされるポイントで、車検場に行って再検の原因となるケースが少なくない。
このライセンスバルブのLEDが登場しているのである。
近くのカーディーラーで、見つけ1個だけ手に入れた。価格はなんと1個2700円なり! 白熱球(12V5W)がわずか119円に比べ、22倍強の超高値。おかしな譬えだが、軽自動車が150万円だとすると、その22倍なら3300万円。早い話フェラーリ一台分なのである!
というわけで、勝手に「クルマでいうとフェラーリのような超豪華なライセンスバルブ」と命名。これに取り換えてみた。
変わりはありやなしや?
よくよく見ると少し明るく、白っぽい光で照らされはするが、さほどの変化なし。
追尾のクルマが、「あっ フェラーリ級のお高いバルブが付いている!」なんてことも言われることもなく、ただ自己満足の世界のようだ。
自動車のブレーキのメンテナンスといえば、たいていはブレーキパッドの交換とブレーキ液量の点検、あるいは交換で間に合う。
ところが、リアにドラム式ブレーキを採用している場合、走行距離が10万キロも超えると、駐車ブレーキの引き代が大きくなる。足踏み式の駐車ブレーキなら、床が踏み抜けるほど踏まないと制動力が確保できない。原因は、ブレーキドラムの内壁とリアブレーキのシューとの距離が過大になったためだ。ドラム内壁とシューの摩擦材(ライニング)との距離を適切に保つ機械式の自動調整装置が付いてはいるが、その領域を超えて摩擦材であるライニングがすり減ったからだ。メインのフットブレーキの方も、同じ理由で、踏み込んでから奥のほうでようやく制動がかかる感じとなる。こうなると、すぐ制動をかけられないことになり、はなはだ危ない。
そこで、ブレーキの調整だ。
ドラムブレーキのドラムを取り外すと、アジャスティング・ボルトと呼ばれるネジ部が顔を出す。このねじをマイナスドライバーで回すとシューが拡大したり、縮んだりする。ドラムとのクリアランスをスレスレのところに調整すればいいだけだ。やり方は、整備マニュアルなどに出ているのだが、バックプレートのサービスホールからドライバーを突き刺し、アジャスティング・ボルトを回す方法が一つ。
もう一つは、ドラムを外して適当に回し、ふたたびドラムを取り付けシャカシャカ、あるいはスレスレの感じでドラム内壁とこすれる程度まで詰めればいい。意外と簡単だ。もし、ドラムがはがれないときは、プラスチックハンマーで衝撃を加えてみる。
ひさびさに栃木の「ツインリンクもてぎ」に出かけた。
一般ドライバー向けのドライビング・スクールが、このところキャンセル待ちも珍しくないほど人気だという評判に誘われたからだ。いったいどんな人が、どんな目的でわざわざ都内から2時間ほどかかるもてぎまで出かけているのか? これを探るためだ。
中級から上級まで10クラスほどあり、ランチ付きで2万円前後と決して安くはない。取材したのは上級の中クラス。受講生14名。持ち込み車両は、RX-7,RX-8,BMW、アウディ、インプレッサ、トヨタ86、ロードスター、ロータス・エリーゼなどスポーツカーもしくはスポーティカーである。驚いたことに50歳前後の女性が2名、60歳代のシニアが4名ほど、20歳代はわずか1名で、平均すると40歳代だ。若者のクルマ離れがこんなところに如実に出ている!
一周約1.2㎞の舗装路ショートコースの一部を使い、ブレーキングの練習、コーナリングの練習など正味5時間ほど、みっちりスポーティ走行が楽しめる。レシーバーでインストラクターが、その都度アドバイスを与えてくれたり、褒めてくれたり……。いわばマンツーマンで教えてくれる。
受講者にインタビューすると、「一度事故をしたことがあり、限界の走りの体験の大切さを知ったから」とか「いまはクルマを持っていないけど、スポーツ走行の面白さに目覚めまして」「バイクの事故で車椅子ですが、もともとクルマが好きなので」。女性の一人からは「フルブレーキングをしたかったのがきっかけですが、いまは毎日でも来たいです!」という声も聞こえた。最後に、インストラクターの厳しい評価表までもらえ、今後の課題を教えてくれる。
一日受講者に寄り添い眺めていると、たとえば「首都高でコーナリング中に障害物に出くわし、とっさに速度を落としたり、ハンドルで逃げる」そんなアクシデントに対応できる技量が身に付く。普通の教習所ではご法度な急ブレーキなど、“急の付く運転”を体験するこのスクールの偉大さが見えてくる。
2年半カーポートに放置していたコンパクトカーのファンカーゴ平成13年式(排気量1300㏄、走行18万7000キロ)を事情があり、復活させることになった。抹消状態の中古車、車検を改めて取り公道を走らせるというわけだ。俗にいう≪中古新規の手続き≫を取ろうというのだ。
バッテリーを交換し、いざエンジン始動。
ところが一向にエンジンはかからない。2年以上もたてば、当然ガソリンが腐っている、ということもある。とりあえず、燃料ポンプはスターターを回すとカチカチカチッと問題はなさそう。
そこで、エアクリーナーとエンジンのあいだ、今回はブローバイのホースを外し、ここに、新鮮なガソリンをスポイドを使いポタポタと注入した。ググググググッと苦しそうだったエンジンが、そのうちググググッとばかりクランクシャフトが回り、ブルブルブルッとようやく始動した。
でも、調子がいまいち。この状態で、友人の1級整備士は「多分プラグがダメかも?」とアドバイス。でも‥‥イリジウムプラグで、ノーマルの3倍の1500円もしたんだから・・・・「いや、イリジウムプラグが、確かに順調な時にはいいのですが、何か不具合が起きると途端にだめになるタイプなんです」えっ!疑いを抱きながら、予備のノーマルプラグに4本とも交換した。するとどうだろう? エンジンはこれまで以上に吹き上がりがよくなり、完調に近い感じになったのだ。「技術的な理由は知らないのですが、経験的に、イリジウムプラグは逆境に弱いんですよね」1級整備士は苦笑いを浮かべて眺めていた。
前号登場したシボレー1931年を身近に接したことから、あらためて栗林忠道中将のことを描いたノンフィクション『散るぞ悲しき』(梯久美子著)を読み直してみた。
陸軍士官学校を優秀な成績で卒業した栗林は海外留学の栄誉が授けられる。大半がドイツやフランスを希望するのだが、栗林は英語が得意だったこともあり、単身アメリカ留学する。そこで軍事研究の傍ら、ハーバード大学やミシガン大学の聴講生として語学やアメリカ史を学ぶ。
当時最新のシボレーK型2ドアタイプを手に入れ、カンザス州から首都ワシントンまでの1300マイル(2080㎞)を走破したのは、1929年の冬だ。この長距離ドライブでは、いろいろなクルマ体験をしている。なかでも砂漠でタイヤがパンクしたとき10代後半の娘さんに、パンク修理を手伝ってもらい・・・・「アメリカでは16歳以上なら届け出をすればすぐ運転ができ、簡単な修理はみな自分でおこなう」ことを実の兄の手紙の中で報告。さらには、栗林の身の回りを世話してくれた年配のメイドでさえ、クルマを手に入れ自動車を生活のなかで活躍させている様子(つまりモータリゼーションがすでにアメリカでは成立しているということ)を描いている。
このころ、日本の自動車事情はどうだったか?
東洋工業(現・マツダ)や発動機製造(現ダイハツ)などから3輪トラックがようやく世の中に出始めたころなのだ。すべて英国などの製品をお手本にしたものだった。日本初の自動車メーカー快進社の橋本増治郎(1875~1944年)が、ダット号を苦心の末作り上げるも、ビジネスとして成り立たず、やむなくその権利を鮎川儀介に譲り渡したのが1931年であった。それから10年後に日米大戦があり、栗林中将は終戦の年の春、硫黄島で5倍以上の米軍と対峙するのである。
※写真は、昭和5年(1930年)発売のHA型ダイハツ号。エンジンは、空冷単気筒サイドバルブ、排気量500㏄。
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