可変吸気システムに可変バルブタイミング、可変バルブリフト機構などいまどきのクルマのエンジンは、≪可変≫というのがキーワード。これにより高出力なのに燃費がよくて低速トルクも侮れない! 実はこれって、一昔前ではありえない性能を出せる理由のひとつなのである。
可変メカニズムをラチェットハンドルに取り入れたらド~なるか?
そんな壮大なココロザシを製品に込めたラチェットハンドルがデビューしたのだ。
前回に引き続きスエカゲツールhttp://www.suekage.co.jp/の製品。「伸縮式フレックスロック・ラチェットハンドル」という商品名のラチェットハンドルがそれ。
ハンドル自体が2重構造になっていて、全長255mmから最大370mmと6段階で調節できる。普段は一番短い状態で使っているが、いざ大きなトルクをかけたいときは最大限に延ばし使えば固く締まったボルトも楽々緩められるという寸法だ。
しかもヘッド部がフレックス機構になっていて、180度首を振ることができる。12段階15度刻みで角度調整して固定できる。ラチェットのギア数は、72山(送り角5度)でしかもヘッド角度を細かく調整できるので、振り幅が制限される場所でも使いやすいというのが最大のウリだ。グリップは樹脂製。差し込み角は3/8インチ。プッシュボタン式なので、ソケットの脱着もしやすい設計だ。価格は、7,900円だという。
自動車とは現在直接関連はないが、近い将来お近づきになる科学や装置というものがある。
さしずめ「カロリーアンサー」(ジョイ・ワールド・パシフィック http://www.j-world.co.jp/)はその第1候補になると睨む。
カロリーアンサーとは、食品の熱量(カロリー)をたちどころに測定できる21世紀型先端装置である。電子レンジほどの大きさの箱に食品を入れ、スイッチを入れればその食品のカロリー量が表示されるため、スーパーマーケットの惣菜コーナーや大手外食チェーンなどの楽屋裏で大活躍しているそうだ。いまやファミレスのメニューには、カロリー表示が謳っており、メタボが心配なお客はそれを参考に注文をすることがあるからだ。
この装置の原理は、近赤外光という光を食品にあて、反射してきた光でその食品の吸光度を測定、そこからカロリー計算するという。重量が同じでも脂身の多い牛肉と少ない牛肉のカロリーさも正確に出る。測定時間は約3分で、従来方式の理化学分析と比較して誤差はわずか10%だという。
ここまで読んで、現在直接クルマとはかかわりない装置だが、クルマに乗る人の体重がもし10㎏軽ければ、車両重量10㎏軽いことと同義語。これまであまり言われてこなかったが、実は乗員の重量軽減はクルマの燃費に直接反映する。だとするとカロリーアンサーは燃費削減大作戦のキッカケになるかもしれない!?
ダットサンのルーツは、大正3年(1912年)に橋本増治郎の「脱兎号」である。
橋本増治郎は、明治8年(1875年)愛知県岡崎の郊外の村に生まれ、浅草蔵前にあった東京工業学校(東京工業大学の前身)の機械科を首席で卒業。その後3年間兵役に服し、愛媛県新居浜にあった住友別子鉱業所の機械保全課に就職するも、東京工業学校の手嶋精一校長の推薦で「農商務省海外実業練習生」に選ばれる。
橋本は、明治35年(1902年)から3年間、ニューヨーク州オーバン市のマッキントッシュ社で、蒸気機関の製作と設計を学んでいる。当時は、自動車の動力として蒸気、電気、ガソリンが三つ巴で争っていた時代で、ガソリンはどちらかというと少数派。ところが、1901年にテキサスで大油田が発見されることから、いっきにガソリン車が時代の主役に躍り出つつあった。その代表選手がオールドモビル社の「カーブドダッシュ」であり、その後フォードのモデルTへとつながる。
ここで、思い出して欲しいのは日本の「文明開化」は実は蒸気機関からスタートしていることだ。鉄道、造船、鉱業、紡績など当時の主要産業はすべて蒸気機関だった。そのため橋本もアメリカで蒸気機関のテクノロジーをおもに学ぶのである。ところが、その橋本にも時代の潮目が感じられ始める。休日を利用して、シカゴとデトロイトに出かけた橋本が摩天楼(高層ビル)から見たものは、“黒いアリ”とも表現できるガソリン自動車だった。(次号は橋本増治郎のその後)
「便利は不便。不便は便利」という言葉をご存知だろうか?
このいっけん矛盾する言葉の裏に、実は人の世のややこしい現実が隠されている!?
トゥクトゥクのリアシートに座り、新宿から神宮外苑をぐるっと約30分かけて走らせてみた。
トゥクトゥクとは、バンコクはじめ東南アジア各地で庶民の足(タクシー)として大活躍している3輪車である。買い物をした女性が乗っている姿。観光客が名所旧跡めぐりで利用している姿を思い出す人も少なくないと思う。
もともとトゥクトゥクというのは、車両が発進する際に発する擬音から誕生した愛称で、本来はサムローと呼ばれるのだが、そのルーツはよく知られるように昭和30年代の前半に大阪発動機(現ダイハツ)のミゼット。東南アジア各地に輸出し、これを現地でモディファイしたりして発展したもの。日本でトゥクトゥクの販売をするのはいわばUターン販売と考えられるが、実は、エンジンは中国製の2気筒4サイクルOHC。タイのモニカモータースという自動車製造業社製だ。フロントホイールにはブレーキが付かず(一部車種には付くが)、リアはリーフスプリングで、乗り心地も制動力もなんとも昭和30年代をしてはいるが、100年前につくったT型フォードよりもはるかに居心地がいいし、乗っていて楽しい。360度パノラマビューで、注目度ががぜん高いのである。エアコン、パワステ、パワーウインドウなどモダンな装備はいっさいなしのこのシンプルな3輪車がいやに新鮮に感じられた。
ちなみに、この3輪車は、日本の法律では「側車」扱い。つまりバイクの扱いだという。
問い合わせ先はイワモトモータース(℡0120-414951)。
いまどきのクルマはエンジンルームはじめ、手が入りづらいところにボルト・ナットがある。これを緩めたり、取り付けたりするのが実に厄介なケースが少なくない。
スエカゲツールhttp://www.suekage.co.jp/ の「フルターン・ラチェットハンドル」は、そうした時に威力を発揮する。かつて紹介したスナップオンの通称ベンツラチェットのコンパクトバージョンと考えるとわかりやすい。
このフルターン・ラチェットハンドルは、丸型タイプで、ヘッド部が自由自在に動くところがポイント。ヘッド部分の力点が回転軸にあるため、スムーズな動きができる。通常のラチェットハンドルが不可能な、まるでドライバーのように真下からクルクルと回せる。全長145ミリ、幅が30.5ミリ、重量120gと超コンパクトであるも利点だ。
ギア数が40なので、送り角度が9度で、きめ細かい動きも得意。作業性のすぐれた一品で愛用のツールボックスにしのばせると重宝する。
気になる価格は、1/4インチ、3/8インチともに磨きグリップタイプが6500円。樹脂のソフトグリップタイプが7400円だ。
右を向いても左を向いても「CO2の削減!」の声がかまびすしいが、自動車の燃料となるバイオエタノールの新しい生成方法を模索する動きがでている。生ゴミからバイオエタノールを作り出すというものだ。
東京農業大学の総合研究所が実験に取り組んでいるもので、乾燥させた生ゴミ100㎏を発酵させ、発酵物の真空蒸留・精製をへて6リッターのエタノールを作り出すことができたという。このエタノールの熱量は1.8メガジュール(MJ)で、地球温暖化の原因となるCO2を炭素量の換算で100グラム削減するという。ちなみに、エタノール6リッターでクルマが37㎞走行でき、お風呂を沸かすとなると5回分に相当するという。
一部で注目されている古材やチップ材を使ったエタノール生産の場合、高濃度の蒸留排水が出て、後処理に苦心する。だが、この真空蒸留だと乾燥残さ(乾燥生ゴミ100㎏につき85㎏)が排出されるので、肥料やブタの飼料にすることができより合理的だという。
ただ、リサイクルのつねで課題は、いかにして集結させるかという点と、不純物をいかに効率よく取り除くかにかかっているという。嫌われモノの生ゴミでクルマが走る時代がくるかも知れない。
DAT号は、昭和7年にダットソンからダットサンに変わった。これは、ダットソンでは「損」につながるということから、当時の販売会社のスタッフが嫌ったからだとされる。
新生ダットサン号が、それまで月産10台前後だったのが、その後いっきに数千倍近くの生産を伸ばしたのは、日産自動車に製造権が移ったことがキッカケだ。日産の工場は、昭和8年にスタートを切る。新たに横浜の埋め立て地に建坪2万数坪もの工場をつくったのである。
自動車をつくるうえで必要な機械設備は、技術者であるアメリカ人ウイリアム・ゴーハム氏(1888~1949年)にゆだねられた。その頃アメリカは、世界恐慌のあおりをうけ空前の不景気。デトロイト周辺の工場では倒産していた工場もあり,そこから安く機械設備を仕入れてきたのである。ついでに、優秀な技術者10数名も雇い入れたという。
横浜工場は、その後、建て増しがおこなわれ、昭和12年には鋳造、熱処理、機械設備、プレス設備、車体、溶接、塗装、組み立てなど一貫して流れる効率のよい大量生産型の工場に徐々に成長。同時に販売店を増やし、ドライブ講習会を開くなどいまでいうソフト面での手当てをすることで、販売台数を増加させている。
横浜工場が完成した昭和10年には、年間2800台となり、昭和11年には6163台に、さらに昭和12年には8353台になっている。これとは別にフォードとGMが横浜と大阪でノックダウン生産を続けていたので、今から振り返れば戦前の日本は年間2万台以上のクルマを作り出すモータリゼーションの前夜であったのである。
800万円前後で、スーパーカーが手に入るということは、ある意味すばらしいことだが、そのメンテナンスフィーを知るにつけ「う~ん!!」と思わず唸っています。
昨年秋にデビューした日産GT-Rのメンテナンス費用のことである。
GT-Rのメンテは、ふつうのクルマにはない整備メニューがある。特別点検と呼ばれるもので、新車時、12ヶ月、24ヶ月、36ヶ月ごとでおこなわれる。メニューは、ホイールアライメント、エンジンのセッティング、トランスミッションのセッティング・・・の3つである。
きわめて剛性の高いゴムブッシュ類と反力の大きなスプリングやダンパーを採用しているため、走行が延びるにしたがい部品がなじみ、アライメントに狂いが生じるのだという。エンジンは、左右バンクが別々に制御されているので、経年劣化で左右の空気量に変化が生じる。トランスミッションは、湿式多板クラッチとシンクロシステムに狂いが生じ、定期的な調整が必要だという。幸いにも、3年間の特別点検は無料だが、その後は有料(概算で3年間で22万5000円以上)となる。
補修部品の価格もかなり高価だ。たとえばブレーキパッドとブレーキローターが一台分で46万4800円プラス技術料、ブレーキキャリパーが左右で27万円、タイヤはフロント9万7000円、リアが11万6000円。ダンパーが1本12万3000円、リアのデュフューザーパネルが38万5000円だという。
GT-Rはすでに5000台以上が世に出ているので、どうやら投機目的での購入は意味をなさない。後のメンテナンスのことを考えたら、かなり気合を入れたユーザーでないと買えない!?