よほどDIY精神が豊かな読者でも、いまどき板金作業を自分でおこなう人は、まずいないと思う。
でも、カーオーディオの周辺カバーを手持ちのステンレス板で細工する。あるいは、くたびれて錆び付いたフェンダーの一部を当て板するなどオールドカーのリストアを趣味とする人は、金切りバサミが必要不可欠である。かくいう筆者は、これまで板金作業は何度も取材してはいるが、自分でやったのはバイクのナンバープレートのブラケットを自作したぐらい!?
KTCが扱っているプロスニップ製のSNIP・103Gは直線の切断も曲線の切断もできるタイプ。250ミリと全長が長く、支点が奥にあるのでかなり厚い鉄板もカットできる。
カタログ上の切断能力は1.25ミリ(ステンレス鋼板だと0.8ミリ)。価格も3800円と比較的リーズナブルな値段なので、加工に目覚めたい人は1本手に入れるのも悪くない。ちなみに重量は420グラムだ。グリップを握るだけでリリースする仕掛けである。
ちなみに、プロスニップには、この「直線・全方向用」のほかに「直線・左カーブ用」と「直線・右カーブ用」の計3タイプがある。
商売柄、ときどき「架空オーナー」となり、そのクルマのあれこれに思いをめぐらすことがある。この3月に5年ぶりにマイナーチェンジしたマツダのロータリーエンジン(RE)車RX-8に乗る機会があり、≪オイル消費≫を真剣に考えてしまった。
オイル消費とはいうまでもなく、エンジンが1リッターのオイルを消費するのにどのくらい距離を走るかで、評価されるもの。通常の1万キロ以上でないとユーザーから不満の声が上がる。なぜ1万キロかというと、オイルレベルゲージのLとHのあいだがちょうど1リッターだからだ。オイル交換は通常1~1万5000キロなので、オイル交換するとき、レベルゲージがHからLにダウンしたとしたら、「オイルが劇的に減った!」としてユーザーからのお叱りが増加するからである。
ところがRE車は、構造上から言ってオイル消費は当たり前。走り方によると3000㎞/リッターということもあるという。それでもオイル供給のポンプであるメタリングオイルポンプを機械式から電磁タイプ(写真)に変更し、オイル消費はさらに改善したという。しかも、今回は、オイル容量を5.8→7.2リッターに高め、HとLのあいだを従来1.6リッターだったのを2.0リッターにしたという。たかがオイル消費、されどオイル消費である。
愚直な橋本の仕事ぶりは、周囲の人たちの中から橋本に理解者を生み出す結果となった。九州炭鉱汽船の社長である田健治郎(でん・けんじろう)と、その役員をしていた竹内明太郎(たけうち・あけたろう)。それに橋本の古くからの友人である青山禄郎(あおやま・ろくろう)。のちのDATが誕生する際に、この3名の恩義を尊重して、それぞれの頭文字DATにちなんだのである。
田健冶郎は、ニュースキャスターで衆議院議員の田英夫の祖父にあたる人物。逓信大臣や台湾総督、農商務大臣などを歴任した大物代議士。丹波の生まれの人で、愛知県の巡査から身を起こし土佐出身で明治維新の功労者の後藤象二郎や長州出身の山県有朋らに認められ、日露戦争時に逓信次官として兵員輸送や対敵情報面で功労があり、男爵位ともなって貴族員議員であり、実業界でも活躍した。竹内明太郎は、土佐の自由党の竹内綱の長男で、養子にいってのち首相となる吉田茂は実弟だ。実業家として知られ、コマツの前身である「小松鉄工所」を設立している。
青山禄郎は、この2人とは直接の関係はないものの、橋本とは竹馬の友で、逓信省の技師をへて、のちに無線機の制作企業「安中電機」を設立している。この企業はその後「アンリツ」として現在に続いている。いずれにしろ3名とも錚々たる人物であったことは確か。
こうした人たちの援助を受けて、橋本増治郎は、1911年(明治44年)に自動車会社「快進社」を設立する。渋谷区広尾である。工場建坪がわずか47坪のささやかなものだった。いまでこそこの土地は東京の真ん中にあり、高級住宅地だが、当時は地方の雰囲気を残す土地。
1911年といえば、ヘンリー・フォードのモデルTが登場して4年目。ようやくアメリカにモータリゼーションが完成されつつあったころ。日本に自動車の影もかたちもなかった時代である。ハリウッド映画の「バックツー・ザ・ヒューチャー」ではないが、未来のことを知っているわれわれは、橋本のチャレンジに諸手を挙げて賛成するが、日本の国民の99%がクルマの存在時代をまったく知らなかった。ひと言でいえば無謀そのもの。そんな時代に橋本は、自動車会社をつくるのである。
死亡事故数は年間5000人前後と減少してはいるが、交通事故による負傷者数は年間100万人以上。人口1億人として100人に一人の割合。ということは10年単位でいえば10人に1名の割り・・・と考えると空恐ろしい。
なかでも、トラック・バスが関係する交通事故は、死亡事故など重大事故となるケースが、乗用車の2倍といわれる。こうした背景からか、三菱ふそうが安全を優先したコンセプトカー≪セーフティ・トラック≫を開発した。大型トラックの「スーパーグレード」(車両総重量:トラクター16.8トン+トレーラー25.95トン)をベースにしたもの。
このセーフティ・トラックは、乗用車のものより進んでいると自負する運転注意力モニター「MDAS(エムダス)-Ⅲ」を備え、近々商品化する予定の衝突被害軽減ブレーキ(AMB)と車両挙動安定装置(ESP)を組み込んでいる。
ハブなどの設計不良で社会問題となり長い低迷時代を潜り抜けた三菱ふそうの、安全に対するココロザシがにじむコンセプトカーと読み解くこともできる。交通安全などのツールとして全国で活躍するという。
なお、衝突被害軽減ブレーキは、前方車両との距離をミリ波レーダーで監視するタイプ。スバルのCCDカメラ方式とは手法が異なるものの、障害物の手前で自動的に制動がかかることは共通。欧州では、完全に車両を障害物手前で停める設定だが、日本では軽くぶつかる設定となる。せっかくエンジニアが努力して≪ ぶつからないクルマ≫を作り上げたのに、それに水をさすのはおかしい。国土交通省の指導でのこの設定、「何か変だぞ! 日本の行政」のひとつとして加わった!?
エンジンルームにある部品を取り外したり、取り付ける際にうっかりしてボルトやナットを途中で落っことしてしまうことがある。だから・・・指が何とか入るところならその心配はないが、そうでないときには、祈るような気持ちで作業することが多い。
こんなときに使って便利なのは、「ナットグリップ・ソケット」だ。
KO-KENから差し込み角1/4インチのナットグリップ・ソケットがデビューした。標準タイプとディープタイプである。ディープタイプは、たとえば10ミリで全長が50ミリと長い。標準タイプは、8ミリサイズでわずか18ミリと通常よりさらに全長を短くしている。
ナットをホールドするのは、内壁に設けた2つのボール。外側からスプリングでテンションをかけ続けることでナットを落下させない、という仕掛けである。
標準ソケットのサイズは、7,8,10,12,13,14ミリの6サイズで価格は1030円~1130円。ディープのサイズが8,10,12,14ミリの4サイズで、価格は1640円~1800円。全部揃える必要はないが、とりあえず10ミリだけでも工具箱に入れておくと使えるぞ。
煩わしいシートアレンジをユーザーに強いる必要のないようにあらかじめ5人乗り仕様、7人乗り仕様、8人乗り仕様と決め打ちをして完成度を高め、販売に結びつけているホンダ5ナンバーミニバン「フリード」は、フィット以上に爆発的ヒットを予感させる。車内の移動がスムーズにできるウォークスルーであるため、リアのスライドドアから全員が乗り込めるなどホンダ流の仕掛けがある。
ミニバンはデザイン的に退屈になりがちだが、インパネに面白い仕掛け、というか冒険を試みている。「レイヤードデザイン」と呼ばれる2つの互い違いの層で奥行き感を出しているのである。アッパー部は遠方に配置することで奥行き感を出し、大きなフロントガラスの面と合わせ、広々感を獲得。ロア部は、フラットに張り出した面がアッパー部とは逆のラウンドを描きながら左右に広がり、ワイド感を強調する。
スバル車などは、ドアトリムとインパネを一体にしたラウンド感に執着し遅れをとっているが、いまやインパネとドアトリムは別々にして、広々感を出すのがトレンド。ホンダのフリードはさらにそこからの冒険というかトライを敢行している。ユーザーがどう評価するか注目される。
1904年(明治39年)日露戦争が勃発し、日本は総力を傾けて戦争にあたる時代となっていた。リーランドから自動車製造への強いインスピレーションを与えられた橋本は、後ろ髪を惹かれる思いで火急の事態を迎えた祖国に戻った。1905年4月のことだ。
ところが、日露戦争の雌雄を決した旅順の戦いは前年8月に終わり、東郷平八郎による連合軍とロシア・バルチック艦隊が死闘を繰り広げた日本海海戦も5月に終結。1905年8月にはアメリカのポーツマスで日露講和会議が開かれる。結果的に橋本は戦場には出向かなかったものの、東京砲兵工廠に配属され、機関銃の改良に尽力している。
当時の日本の機関銃は使うにしたがい銃身に熱を帯び、連続発射に事欠き、ロシア軍が使うチェコ製の機関銃に悩まされていたからだ。橋本は銃身部の材料を改善し、加工精度を高めることで連続発射ができるところまで向上させた。これにより軍需功労賞を受ける。
日露戦争終結後、橋本は東京砲兵工廠に旋盤などの工作機械を収めていた企業の技師長に招聘。だが、この会社は日露戦争後の不況で倒産し、九州炭鉱汽船に買収された。橋本はここでも高い技術力を買われ、機械技師としてとして仕事を任せられた。
このころすでに橋本の心のなかには自動車工場を起こそうとする気持ちが渦巻いていた。だが、先出すものがなく、しかも結婚したばかりで自立した生活を構築するのが先決だった。佐世保港から遠く離れた孤島にある鉱業所の技師長という肩書きで、経営手腕も期待されていた。不本意ながらも橋本はこの仕事にひたむきに取り組んだ。採炭の手法に工夫を凝らすなどすることで、経営を軌道に乗せる・・・。
CO2の発生が少なく燃費のいいクルマとして、ディーゼル乗用車は欧州ではモテモテ。半数以上がディーゼル乗用車。フランスなどは7割までもディーゼル車が占めているほど。
ススの入ったペットボトルを振りかざす石原都知事のパフォーマンスで、すっかりディーゼル乗用車に関心を失った感のあるジャパニーズ市場。今年9月にクリーンディーゼルという触れ込みで日産がディーゼル車を発売する。エクストレール・ディーゼルがそれで、09年10月から施行される排ガス規制「ポスト新長期規制」にいち早く対応するという。
実はこのディーゼルエンジン(排気量2リッターで可変ノズルターボ付き・1600バールのコモンレール式)は、ルノーとの共同開発ユニットで、エンジン型式名はルノー式のM9R。すでに昨年追浜のテストコースで欧州仕様に試乗、静粛性と高いドライバビリティを確認している。後席に乗っているぶんには、まったくディーゼル車であることを忘れさせてくれるほど、エンジン音が抑え込まれている。
トヨタもホンダもすでにヨーロッパでは自社製ディーゼルエンジンを載せた車両を販売しているので、来年には日本市場に投入する模様。スバルの世界初水平対向ディーゼル車もスタンバイしている。ガソリン200円時代の到来を踏まえ、来年から再来年は電気自動車、ハイブリッドカー、それに新世代のディーゼル乗用車が目白押しになる模様。
ところが先陣を切るエクストレール・ディーゼルは、マニュアル車だという。MT車は日本ではわずか5%に過ぎない。日産はどうもこのクルマを本気で売る気はないのかもしれない。