みなさん!知ってますCAR?

2008年9 月15日 (月曜日)

愛車メンテのプラスアルファ情報

サイズをカラーで識別できるヘキサゴン・レンチセット

9  6角ボルトについで多くなったヘキサゴンボルトは内6角ボルトとか、キャップボルトと呼ばれている頭部がコンパクトなボルト。エンジンのヘッドボルトなどにも多く使われている。
 このヘキサゴンボルトを脱着するのがヘックスレンチ(ヘキサゴン・レンチ)である。ヘックスレンチにも、L字型、ドライバー型、ナイフ型、ラチェットハンドルと組んで使うソケット型などいろいろあるが、使用頻度の高いのはL字型。長いほうの先端部はボールポイントタイプで、短いほうが6角部をしているというのが一般的。ボールポイントは30度ほど角度をつけられるので使い勝手が高い。
 このL字型ヘックスレンチ、全身が金属でしかも細身なのでサイズの読み取りが難しいのが欠点。とくに暗がりだとアウト。そこで樹脂カラーを付け色でサイズを判断できるのが登場した。ANEX(兼子製作所:新潟県三条市)の「スピードハンドル・ボールポイントレンチ」がそれ。このレンチ、サイズが一目で判別できるだけでなく、樹脂カラー付なので早回しもでき、しかも使用頻度の高い8ミリと10ミリにはボールポイントに樹脂ねじを埋め込み相手のボルトをしっかりキャッチして落下を防ぐ仕掛けがある。1.5~10ミリ、9本組みで価格は8、500円だという。

次回は2008年10月1日掲載予定です。どうぞお楽しみに!

カーライフ大助かり知恵袋2

ドイツの車の日本入庫港に潜入!

Img_0093  よく知られているように愛知県の豊橋は、ドイツをはじめ世界中から輸入車が陸揚げされる港である。
 今回VW,アウディ、ポルシェなどが日本に上陸してディーラーに配送される指令塔(PDIという)を取材できた。写真のように、上陸したクルマは、まるで白装束の月光仮面のノリである。不織布と呼ばれる衣で覆われ、輸送中傷がつかないようにする配慮である。この到着ドックには、ドイツのエムデン港からパサート、トゥアレグなどが月に2000台、南アフリカからはゴルフ、ポロなどが2000台、メキシコの工場からはジェッタやニュービートル、ゴルフバリアントなどが1000台到着するのだという。約25日間の船旅だという。
 陸揚げされたクルマがそのままディーラーに移送されるわけではない。
 プロの目でいくつものチェックが入る。とくに外観や内装の不具合に関しては厳しい目を向けるユーザーが多い日本市場ゆえ、中にはフロントガラスの交換や塗装面の手直しが入る。エンジンやトランスミッションの不具合チェックは、100台につき1台の割でシャシーダイナモをつかい検査されるという。いわゆる抜き取り検査というものだ。検査終了後、車両は5300台収容できる立体自動パーキングでスタンバイ、その後全国の販売店に運ばれる。

カーライフ大助かり知恵袋1

旧きをたずねて新しきを知る!ダットサンのルーツ その11

Img_0218  実用自動車は、天才的なアメリカ人エンジニアのウイリアム・ゴーハムの腕にかかっていた。ゴーハムは、父親が商社マンであったことから子供の頃から日本へやってきた親日家。もともと日本へは航空機事業を始めるべくやってきたのだが、時期尚早であることがわかり、日本のモノづくりの確立のために骨を折る人物なのである。
 「ゴルハム自動3輪車」というのは、ハーレーダビッドソンに積まれたOHV空冷の排気量1200㏄V型2気筒を参考にしたエンジンを載せ、車両重量が約400㎏,全長2420ミリ、全幅1060ミリ、チェーン駆動で後輪を駆動させ、最高速度30マイル(時速48キロ)を出したといわれる。人力車のモーター付きとして1台1300円で売り出したが、当時T型フォードが2000円だったため商品競争力がいまひとつ。しかも、3輪車なので、速度を出しすぎた状態でコーナリングすると転倒に結びつき、評判を下げてしまった。それでもうしろに荷台を付けたトラックバージョンを追加するなどで、合計300台前後作られたとされる。
 大正12年に完成した「リラー号」は、空冷2気筒1260㏄の8.4馬力エンジンを載せ、デファレンシャルギアを採用した丸ハンドルタイプの本格的乗用車。全長10尺(約3メートル)、全幅4尺(1.2メートル)、全高5尺8寸(1.75メートル)で幌タイプが1700円、箱型が2000円で、約200台を販売している。
 実用自動車は、当時としては量産設備を持っていた自動車工場といえる。だが、久保田鉄工の農業用の発動機の下請け加工をはじめ、ダイハツや海軍の舟艇用モーターなどの外注部品の加工の仕事でしのぎながら本体の自動車製造と販売に結び付けようとしたが,橋本の快進社同様に不振をかこっていた。実用自動車から見ると「軍用保護自動車の認定」を得ている快進社との合併は有利と見たし、逆に快進社からみれば量産設備を備える実用自動車とともに歩むことができれば光明が見える・・・。
 1926年(大正15年)に2つの自動車会社は合併し「ダット自動車製造株式会社」となる。
 橋本はこの新会社の専務となるが、事実上久保田鉄工傘下の企業。新会社自体が大阪に移ったことなどから、身を引くことになる。橋本はその後、東京でひとり「武蔵野モーター研究所」の看板を掲げ、エンジンの研究を続けるが、事実上の橋本のクルマ造りへの取り組みは終焉している。

TOP NEWS

「日産の次世代車両EV(電気自動車)の完成度は?」

273_7314  「EV車ならライバルの自動車メーカーであるトヨタやホンダに負けないほど業界をリードする自信があります」
 というのは現場に居合わせた日産の役員の気持ちのようだ。
 08年の夏。横須賀にあるテストコースで、次世代型車両を試乗することができた。
 次世代とは燃料電池車であり、ハイブリッド車であり、電気自動車だ。うち燃料電池車は発売のめどが立たず、庶民がマイカーとして視野に入れるにはずっと先。EV車とハイブリッド車は、2年後の2010年には市販すると明言するだけに、つぎ僕たちが手に入れるクルマとして大注目だ。
 ハイブリッド車は、FRのスカイラインのボディにシステムを搭載したものを試乗した。エンジンとトランスミッションの間にジェネレーターを挿入したタイプで、既存の部品を最大限使え、価格を抑えることができそうなところがアドバンテージ。だが、乗ってみると試作車ゆえか、ノイズと振動が多くあまりいい印象ではなかった。
 これに反してEVのほうはガゼン好印象。
 キューブのボディに80Kwの新開発のモーターを載せインバーターシステムとの相性も良いらしく、力強い加速で、ぐいぐい走ってくれた。電池は、ラミネートタイプのリチウムイオン電池だ。制御次第で、低速よし、高速よしのドライバビリティが得られるという。ユニットによる室内空間の犠牲がやや課題だが、完成度は高かった。2年後の専用デザインボディによる発売が期待できる。さらに2014年にはこのEV,世界戦略車両としてグローバルに登場するという。

2008年9 月 1日 (月曜日)

愛車メンテのプラスアルファ情報

ECOペダルと実用度

22 日産の2009年度に発売するニューモデルに、≪ECO(エコ)ペダル≫が付いてくるという。ECOペダルは、従来からあるインパネ上のECOマークとは異なり、積極的にECO運転を励行させる仕掛け。ペダルASSYにモーターを組み付けている。もしドライバーが燃費に悪い運転をするとエコランプが点滅すると同時に、モーターが働き、押し戻す力を受けドライバーがアクセルを踏みすぎに注意する…というもの。「燃費に悪い運転」かどうかは、もちろんエンジンやトランスミッション、走行状態などでコンピューターが判断する。
 こうした積極果敢なECOペダルのおかげで、燃費が5~10%も向上するという。クルマのロボット化、あるいは延長線上には自動運転が待ち受けているとの見方もできる。

カーライフ大助かり知恵袋2

リチウムイオン電池の研究所に潜入!

11 日産は、2年後の2010年に電気自動車(EV)とハイブリッドカーをそれぞれ市場に投入すると決めている。数年遅れで登場する燃料電池車もそうだが、共通するコア技術は、高性能なリチウムイオンの開発である。
 このリチウムイオン電池、ハイブリッドカーでは高出力型、EV車では高エネルギー型と性能が明確に異なる。つまり電池の内部の素材などをチューニングする技術が要求されるのである。
 1992年からリチウムイオンの開発に着手した日産は、このほど電池開発の研究所をマスコミに公開した。この研究所で、電池の組成のチューニングやクルマに搭載した時の適合などを研究・開発しているという。NECとの合弁で立ち上げたオートモーティブエナジーサプライ社では、すでに量産に向けて動き始めているとのこと。
 電池研究室に足を踏み入れたのは真夏のむしむしする日。湿度70%を超えていた。ところが、ラボ内部はそとに比べ、湿度が1/5000という超乾燥室。電池性能が湿度の大きな影響を受けることから、これほどドライにしているのだという。ナノオーダーの電子顕微鏡による電池内部構造の解析など、化学と物理学、電子工学のコラボレーションの世界。これからさらに技術進化が期待できるという。

カーライフ大助かり知恵袋1

旧きをたずねて新しきを知る!ダットサンのルーツ その10

252_5292 震災により東京府下の交通が麻痺。とくに市民が足として使っていた路面電車は壊滅的被害をこうむり、それに替わる交通手段としてフォードT型をベースにした11人乗りの円太郎バスが走る。橋本もこうした状況に対応すべくダット41型を改良して乗り合い自動車をつくり、認可を取り路線バスの営業を始めた。だが、焼け石に水でダット41型の販売は好転の兆しがなかった。
 1925年(大正14年)2月に「日本フォード自動車」が横浜に設立。アメリカ本国から運び込んだ設備機械を設置してT型フォードのノックダウン生産がスタート。2年後の1927年(昭和2年)には、GMが大阪の大正区鶴町に「日本GM」を設立、この年の4月からシボレーなどのノックダウン生産を開始している。
 震災以前にはわずか国内に1万台程度しか存在しなかった自動車は、8年後の昭和6年度には10倍を超える数にまで急増したのである。大半はアメリカ製のクルマであった。
 こうしたアメリカ2大自動車メーカーの日本進出により、橋本の主宰する快進社はますます窮地に立たされた。社員の給料が払えず橋本は子供の預金まで引き出し、何とか社員の給金の資金を手当てするというところまで来ていた。
 こんなとき大阪の「実用自動車」との合併話が舞い込んだ。
 「実用自動車」というのは当時日の出の勢いにあった「久保田鉄工所」の社長久保田権四郎などが主に出資した大阪を拠点とした自動車製造工場。アメリカのエンジニアであるウイリアム・ゴーハム氏が設計した「ゴルハム自動3輪車」(大正9年完成:写真 向かって右がゴーハム氏)や大正12年に発売された4輪車「リラー号」など日本の自動車史に残るユニークなクルマたちを世に送り出したメーカーである。
 久保田権四郎は、広島の貧農の末っ子で15歳のときに大阪の鋳物業者に丁稚奉公に入り、19歳のときに独立し「大出鋳物」を創業し、秤の分胴(当時は砂糖や塩の販売などでは必ず使われた)をつくったとされる。当時上下水道の不備などでペストなどの疫病が流行する傾向にあり、欧米並みの水道管が求められていた。
 ところが輸入品の水道管は値段が張り、予算を越えるためなかなか都市のインフラが進まなかった。久保田は、1993年、独力でこの水道管(鋳鉄管)の製造に挑戦し、8年の歳月をかけ初めて国産化に成功。その後、久保田鉄工は、紡績機械、工作機械、農作業用の機械、発動機などを手掛け、現在の「クボタ」に続く。そのクボタが創業当初、実は自動車の製造に挑戦していたのである。それが「実用自動車」というわけだ。

TOP NEWS

究極のガソリンエンジン・システムHCCIとは!

272_7287 リッター200円時代がごく身近に感じられる昨今、燃費のいい究極の環境エンジン車の開発が待たれる。モーターアシストのハイブリッドカー、燃料電池車、はたまた電気自動車と、いまのところ21世紀を制する環境車として3つが有力候補だが、知られざるダークホースが存在する。
 HCCI(ホモジニアス・チャージ・コンプレッション・イグニッション:予混合圧縮着火)である。簡単にいえばガソリンエンジンなのにディーゼルエンジンのようにスパークプラグではなく、圧縮による着火で作動する4ストロークエンジン。
 このHCCIエンジン、完成すれば燃費で40%アップ、CO2の排出量も30%レスという≪夢のエンジン≫。全世界の自動車メーカーが現在真剣に取り組んでいる新エンジン・システム。
 この新エンジン、どこが課題かというと、アイドリングプラス~中負荷までしか今のところエンジンとして働かない。
 その原因は、通常のガソリンエンジンに比べ着火時間が約200倍の2000μsec(マイクロ・セコンド)と劇的に長い点。その長い時間にC,H,N,Oなどが絡んだ2000以上もの化学反応が燃焼室内で起きるので、まずその解析を行う必要があるというわけ。この一回の燃焼計算の解析に従来なら約2ヵ月間かかったところ、日産は3次元シミュレーションを使った高度なモデリング技術で3日間でできるようになったという。日産のエンジニアの見通しとしては「約7年後に実用化ができそうだ」とのことだった。その7年後のクルマ社会の変化は未知数。


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