この時代、ユーザーが心底欲しい工具を見つけるのは至難の業だが、かなりイケてるというドライバーを見つけたので紹介したい。
大阪にあるドライバーの老舗メーカー・ベッセル(電話06-6976-7771)のラチェットドライバーである。品番840―L.。数ヶ月前同じベッセルのラチェットドライバー(品番830-MG4)をこの欄でお披露目したが、その姉妹バージョンといったところ。
これは手のひら形状を強く意識したエルゴノミック(人間工学)のハンドルで、しかも全長が110ミリ弱と、通常のドライバーの約半分。スタビドライバー並みのコンパクトさなので、狭い場所にあるビスやボルトを脱着しやすいのが大きなアドバンテージ。スタビドライバーはともすればトルク伝達力に難があるが、これが手にピタリ密着するためシュアなグリップ感で頼もしい。
しかも、115ミリの長めのビット(プラス3本、マイナス2本の計5本)もスタンバイしているので、これを付けると全長が約200ミリになり、通常のドライバーの全長に変身できる。小さなビットは、グリップ内に2本収納できる。しかも本締めできる高トルク対応型。どこにも死角がないと思えるが、ひとつだけ不満がある。左右の切り替え時のフィールにやや節度がないだけでなく、現在右回しか左回しなのかが目視で確認しづらい点だ。
前回「タイヤがもたらすノイズと振動」という実にもっともらしいコラムを書いたのだが、実は半分は間違いでした! 正直に告白します。タイヤを新品にしたことで、新車に近い静粛性に近づけたことは事実だが、「インパネ周辺の共振が消えた」というのは、真っ赤なうそでした。
穴を掘って入りたい、というのはこのことだ。
走行9万キロあたりから起きたインパネ周辺からのガタピシ音の犯人は、ワイドミラーだったことが判明したのである。ルームミラーの上にかぶせることで、背後ならびに左右が運転席からみえる便利用品である。写真にあるように内部にスプリングを組み込んだ上下4本の爪でルームミラーにかぶさる仕掛けである。4点でホールドするため、何かの拍子で、1ヶ所が浮いてしまい、わずかな路面からの振動に「共振」してしまったらしい。それがインパネのガタピシ音として私を悩ましたのである。悩ましたどころか、霍乱さえもたらせたというのが事の顛末。
いやはや、である。
ワイドミラーをセットし直したら、うそのようにガタピシ音が消えたのだ。ノイズの真犯人追求はかくのごとく難儀だ。
昭和20年8月6日、広島に落とされた原爆は莫大な人的被害だけでなく、多くの建物などに壊滅的な被害をもたらした。
だが幸いなことに東洋工業の建物や設備は、広島の中心街とは小さな山に隔てられていたことから、被害は軽微にとどまった。8月20日、市内にあった広島県庁が、東洋工業の本館や工員更衣室数棟に引っ越し、これを皮切りに裁判所、広島控訴院の司法官庁、NHK広島放送局、中国新聞などが社内の遊休建物に入居し、東洋工業は一時、≪広島の霞が関≫の様相を呈した。
昭和20年12月に生産を再開した背景には、生産財である3輪トラックは昭和12年を境にして戦争終結時まで生産が限りなくゼロになる。当時動いていたトラックは、すでに寿命が尽きた代物ばかり。だが、3輪トラックを生産しようにも原料が素材の入手がおぼつかず思うに任せなかった。次々に製品を世に出せば羽根が生えたように売れることはわかりきってはいたが、肝心の鉄などの素材が手に入らない。
資材は、昭和24年末までGHQ(連合国総司令部)の指示による国家統制のもとにおかれた。そのため、鉄板割当量には限りがあり、自由に大量生産ができるわけではなかった。たとえば昭和22年の鉄板の割当量は、生産実績の3分の1程度。
この鉄板の不足をいわゆる戦後の隠退蔵物資や旧軍施設の払い下げで充当していた。旧海軍で使用していた燃料タンクの鉄資材1100トンとか、徳山燃料廠からの燃料タンク2000トンなどである。払い下げの燃料タンクを工員が溶接機などで展開し、トラックのフレームなどの素材に流用したのである。リサイクル性が高い鉄は、不自由ながらも何とかなった。(あまり知られていないが、昭和33年に完成した東京タワーの一部も、実は米軍から放出された戦車や軍用トラックの鉄素材を活用して建てられている)
鉄素材はなんとか間に合ったが、タイヤが入手できない事態があった。当維持の写真を見ると「足なしクルマ」という奇妙なものが並んでいる。工場の隅に在庫していた3輪トラックの中にタイヤの入庫がままならず、タイヤなしのトラックが置かれていたのだ。ゴムは輸入に頼るしかなく、リサイクルもできない素材。ゴムもGHQによる厳重な貿易統制対象物であったからだ。いずれにしろ、そんな混沌のなかにも希望の火が見えていた時代だった。
燃費データこそ出せなかったが、インサイトは都内を40分ほど試乗した限りにおいては、走りを楽しめるハイブリッドカーとして合格点を挙げてもいいと思った。(エクステリアがプリウスと似ているところがどう評価するかが気になるが・・・)
エコアシストと呼ばれる新しい仕掛けを駆使すれば、究極に近いエコランを心置きなく楽しむことができる。逆に「エイ、今日は燃料費を気にせずスポーティな運転をエンジョイしよう」となれば、シフトレバーをSモードにすればヒラリヒラリ的なドライブを楽しめる。
インサイトの関心は燃費だが、前回も少し触れたが実は、「エコアシスト」と呼ばれる従来のクルマにはなかった仕掛けがこのクルマの陰の注目点である。
エコアシストは①ECONスイッチを押すだけで燃費優先の制御をおこなう「ECONモード」②リアルタイムで燃費の良し悪しを表示する「コーティング機能」③ドライバーのエコ運転度を採点する「ティーチング機能」。この3つから成り立っている。
これまでのエコラン表示は、結果の表示だけだったが、インサイトのものは「何でそんな燃費データになった」のかを教えてくれるというところが革新的!? といってもアクセルワーク、ブレーキのかけ方、アイドリングの長短の3つだが。パソコンを通じて、インター名日との連携で、自分の低燃費運転データが、全国レベルでどのくらいなのかを教えてくれ、楽しみながら低燃費運転のテクニックを磨けるのだという。
言いたいのはアイドリングストップから発進するときゆっくり踏み込めば不具合は起きないが、急にアクセルをあおると「ウフフっ」とクルマは一瞬躊躇する点。このあたりはすぐ直してほしいね。
ここ数回続け、このコーナーはハンドツール漬けである。
映画と同じで、一度興味を抱くと新しい工具はないものかと3日にあげず工具屋通い!?
そこで、見つけたのが、TOP工業の「両口ストレート・メガネレンチ(超ロング)」である。超ロングを強調したいわけだから、商品名の最初に≪超ロング≫を持っていくべきところ、最後に、しかもカッコ付きで(超ロング)と表現するあたり、なにやら奥ゆかしい!?
そんな与太解説はともかく、エンジンルームの奥にあるボルトを緩めようとこのレンチでアタックしてみた。普通、メガネレンチは30度ほどオフセット、といって軸とボルトのメガネ部がずれていて、それはそれで使いやすいケースがあるのだが、このレンチはストレート。オフセットした工具ではどうにもなりません! というときに威力を発揮するのである。ストレートなので、相手のボルトに対してトルク伝達フィールが高く、いわゆるシュアな感じで上々だ。しかも超ロングゆえ、てこの原理で小さな力でも楽々回せる。メーカーによると7割の力で同じ締め付け力が得られるとのことだ。堅く締まったボルトの脱着がスムーズと見た。10×12ミリで全長300ミリ、価格は2069円。TOP工業のホームページは、http://www.toptools.co.jp
先日、9万7000キロを後にしたファンカーゴのタイヤを新品に取り替えた。いままで、リサイクル&ケチケチ精神を発揮し中古タイヤで更新してきたのだが、175/65R14というごく一般的なタイヤサイズなら新品でもさほど高くない(1本込み込みで8000円だった!)。ということで思い切って交換したのである。
残り山自体はまだ3分ほどあり、1万キロぐらいは楽に使えたのだが、経年劣化でサイドウォールに小さなクラック(オゾンクラック)が入っていたし、気分を変える意味で投資したのである。当然、乗り心地が改善し、静粛性も新車に近いところまで取り戻せた(ような気がする!)。
このタイヤ交換で、思わぬ効能を知ることになった。
走行9万キロあたりで発生したインパネのガタピシ音がすんなり消滅したのである。もちろん、それ以前にガタピシ音対策としてインパネの隙間に浸透潤滑剤をしみこませたり、隙間にホームセンターで手に入れたウレタン片を詰め込んだりしたのだが、ラチがあかない。インパネ内部のボルトが少し緩んだりして路面の突き上げで微妙なキシミ音が出ていたのである。
タイヤを交換することで、路面からの振動が変化し、インパネ内部との共振が消え、そこから出るキシミ音がなくなったと想像できる。意外と忘れがちだが、タイヤがもたらす性能にも時々目を光らせておきたいね。
3輪トラックメーカーの地位を確立した東洋工業。社長の松田重次郎は、かねてより4輪車計画を立てており、乗用車を含めた3輪・4輪自動車の総合メーカーに発展させる野心を抱いていた。すでに鮎川義介の率いる日産が、昭和10年横浜にダットサンの一貫工場を完成し、フォードとシボレーの輸入車全盛時代に割って入るかたちで、日本初の小型乗用車の量産を成功させていた。
東洋工業が、小型4輪車の生産を視野に入れた計画に着手したのが昭和11年の末だった。翌12年4月にイギリスのオースチン・セブン(750㏄)を購入する一方、4輪車開発担当技師・竹林清三を工作機械購入の目的でアメリカに派遣。庶民がクルマを軸とした生活を営むアメリカのモータリゼーションを肌で感じさせている。デトロイトの自動車工場を視察、4輪車生産のための参考資料を入手するのも竹林の使命だった。昭和13年にはドイツのオペル37年式(1100CC),イギリスのMG37年式を購入し、リサーチと研究をスタートさせた。
乗用車製造には、3輪トラックにはない工作機械も必要となる。竹林をアメリカに派遣させた目的のひとつもまさにそこにあったのだが、投資した額は当時の金額で約55万円。55万円と聞いてもピンとこないが、当時の家賃が約13円だったというから、ここからアバウトに換算すると、ざっと見積もって100億円ほどだと考えられる。購入した工作機械は…プラット&ホイットニー社のケラーマシン(自働形彫盤)、グリーソン社の捻じれ傘歯歯車歯切り盤、フェロース社製の小型歯車歯切り盤、レーベ社製のカムシャフト盤など。
ところが、こうした4輪車生産の着手しはじめていたところ、暗雲が垂れ始めた。中国との戦争(日中戦争)が始まり、東洋工業は陸軍から命令された小銃の大量生産(写真は小銃工場)と軍需工場向けの工作機械の生産に専念せざるを得なくなったのだ。しかも戦時社会になるに従い、統制経済がしかれ徐々に民生用の資源や物資が自由に手に入らず、昭和15年に小型乗用車の試作が終わった時にはすでに乗用車生産の見通しが立てられなくなり、3輪トラックの生産自体も昭和12年に年間3000台をピークに、太平洋戦争が始まった昭和18年後半より断続的となり、19年には104台、敗戦の年の昭和20年には69台に落ち込んだ。
やむなく、重次郎たちの夢は戦後へ持ち越すことになるのである。
189万円というかなり衝撃的なロープライスで、新型ハイブリッドカー・インサイトが発売された。 ハイブリッド車が、通常のガソリンエンジンに比べ、価格が高くなる理由は、モーター、電池、制御ユニットの3つが追加されるためだ。この面で重くなり、メカニズムの複雑化を招くため、旧来のメカニズム重視評論家のあいだではいささか疑問符が付けられた。
ところが、3年前にデビューしたシビック・ハイブリッドの比べ、今回のインサイトは、バッテリーと制御ユニットをそれぞれ約30%、モーターを約15%も軽量化している。エンジン排気量も1300ccと通常のガソリンエンジン車に比べ、ダウンサイジングしている。それで車両重量は1200㎏である。
どうやら、ハイブリッド技術のキモは、より高効率なパワートレイン技術のほかに、超軽量化が大きな課題のようだ。
インサイトの場合、トヨタのプリウスとは異なり、エンジンをモーターが補助する≪パラレルハイブリッド方式≫。プリウスよりもシンプル構造ではあるが、燃費性能(カタログ上)では後塵を拝する。これをカバーするために、楽しく低燃費運転ができる≪マルチ・インフォメーション・ディスプレイ≫なるものを搭載している。エコ運転を自己採点して、さらにエコ運転の技術向上につなげられるというのだ。いずれにしろ、クルマは乗ってナンボの世界。次回は試乗し、エンジニアに取材したうえでインサイトの正体にせまりたい。