モンキーレンチというのは、アゴ部分を相手のボルトの大きさに合わせてウォームギア式で調整して使うため、どうしてもガタが多く、どちらかというと緊急の工具の色合いが強い。言葉を換えればアバウトな要素が強い。
そのモンキーレンチにラチェット機構を組み込んだタイプがこれ。ウォームギアの根元にスプリングを付けていて、レンチを戻すときに下アゴが下に動くことで、ボルトの山を越える。これがラチェット機構の仕掛け・・・と言葉で説明してもたぶん意味が十分伝わらないが、とにかくグリップ部と上アゴが通常は1ピースなのだが、これは2ピースで実に凝った作り込みをしているのである。使ってよく観察するとなかなか面白く、飽きることがない。これを考え出した人物に会ってみたくなるほど。グリップ部の根元に固定とラチェットONの切り替えノブがあり、片手で操作できる点も悪くない。
最大口幅25ミリ(品番RM-200)と最大口幅32ミリ(品番RM-250)の2タイプがある。本体はクロームバナジウム鋼で、グリップに滑りにくいエラストマー樹脂を配している。発売元はスイストゥールジャパン 電話047-449-8384。
高圧洗浄機で汚れたクルマを洗う。とくに塩水がかかった下回りの洗浄には高圧洗浄機は最高の使い勝手である。洗車だけでなく、家の外壁の清掃や庭の石やコンクリートにこびりついた苔(こけ)落とし作業などに威力を発揮する。
ところが、この高圧洗浄機、ともすれば音がすさまじく、隣を気にするあまり使うのも控え勝ち。そんな声にこたえて、従来よりも「体感音半分!」という静音タイプの高圧洗浄機が登場した。ケルヒャーのK400というのがそれ。家庭用の洗浄機としては世界初の水冷式モーターを内蔵しているため、モーター音が静かで、しかもモーターの寿命も長くなっているとのこと。
電源は単相100V,消費電力1350W、常用吐出圧力2~7.5MPa,常用吐出水量360リッター/h、本体重量11.6㎏、寸法長さ334ミリ、幅333ミリ、高さ837ミリ、電源コード5メートル。定格連続使用時間は1時間・・・というのがおもなスペック。http://www.karcher.co.jp
こうして苦心の末、約3年がかりで作り上げたのが明治23年に完成した「豊田式木製人力織機」である。これは従来のバッタン機に比べ織り上げた製品にムラがなく、能率も5割ほど高まったもので、これにより佐吉は始めて特許を取得したのである。
その後佐吉は、30歳になった明治30年、日本初の小幅動力織機である「豊田式木製動力織機」を発明。明治34年には経糸(たていと)をその張力を一定に保ちつつ自動的に送り出す「経糸送出装置」を完成、これも翌年特許を取得し、織機自動化への足がかりをつけたのである。
2年後に完成した「自動杼換え装置」は画期的なものだった。これは従来の動力織機では緯糸(よこいと)がなくなるたびに運転をストップし糸を補充していたが、運転を止めずに補充と交換が出来るシステムなのである。これを装着したのがいわゆる杼交換式の小幅自動織機で、杼交換時によくある緯糸の二重通過を防ぎ、経糸が切断すると自動的に運転を停止させる工夫を凝らしている。これにより自動織機の開発も一応めどが立った。
ところが、こうした佐吉の発明(モノづくり)と製品の販売、この2つの両輪がうまく行かないと事業は失敗する。後者の販売面で当初は、2度3度と足踏みしたり、倒産の憂き目をあってきた。ときには、佐吉の研究中心の考え方と、経営陣の思いがすれ違い、溝が深まったことも少なくなかった。それまでの豊田商会を発展解消して明治40年に設立した豊田式織機株式会社(現・豊和工業株式会社)は、東京・名古屋・大阪の一流財界人から資金を得て設立した企業で、経営陣はプロパーであった。3年後、経営陣との溝が深まり、佐吉は辞任する。
太陽光で発電してモーターを回すソーラーカーは究極のエコカーである。
製作過程ではCO2の発生が多少あるものの、一度つくってしまえば、走行中いっさい化石燃料を消費しない。地球温暖化の原因CO2を発生せず、燃費は無限大。まさに理想のクルマである。
このソーラーカーは、現在どのくらいの進化具合なのだろうか? 近い将来実用化されるのだろうか? このほど東海大学で製作し、世界最大級のソーラーカー・レースに出場するマシンを取材してみると、現時点でのソーラーカーの実力度が見えてきた。
東海大学が参加するレースは、オーストラリアの北部の街ダーウィンから南部の街アデレードまでの約3000キロ。参戦するソーラーカーには、宇宙用に開発された高効率のシャープ製ソーラーパネルを6㎡敷き詰めている。ミツバ製のダイレクトドライブモーターに高精度の制御を組み込み、ボディはカーボンファイバー製である。東海大学では世界クラスのソーラーカー・レースには、1992年からすでに5回ほど参加し、マシン作りも過去に7台の実績を持つ。昨年の南アフリカでのレースでは見事優勝を勝ち取っている。
ソーラーカーのレースの成否は、ソーラーパネルの性能、ボディの空力、それにエネルギー・マネージメントの3つだという。エネルギー・マネージメントというのは、事前にチームが天候を分析し、出し入れする電気エネルギーを考慮し、回生ブレーキを効率よく使うなどソーラーカー特有の知的な駆け引き。ただ、ガソリンエンジン車のレースのように、むやみやたらにアクセルペダルを踏み込めばいいというわけではない。エコランを組み合わせたレースと考えると分かりやすい。
ちなみに、このマシンは、車両重量約150㎏で、理論上最高速度150㎞/hだが、実際には100㎞/hがやっとだという。つまり、ソーラーカーが大量生産され、公道を自由に走るには、コストだけでなく、居住性、信頼耐久性、動力性能、操縦安定性など無数の越えるべきハードルがある。ソーラーだけをエネルギーにするには困難が大きすぎる。となると、電気とソーラーとのハイブリッドカーが20年後に出るかどうか!?
プロが使い工具のなかで、時として光り輝く製品を見つけることがある。
「フラット板金ハンマー」もそのひとつ。
板金ハンマーというのは、いうまでもなくフェンダーなど外装パーツを修復するときに使う板金業者が使うハンマーである。高度のスキル(経験と技術)が要求されるので、素人が紛れ込む余地はない。でも、高いハードルを見ると試してみたくなるものだし、自己責任でやれば問題ない。
そんな思いの読者にぜひ教えたいのが、この≪打撃面をへこませない!≫というセールスポイントを持つオーエッチ工業製の「フラット板金ハンマー」である。オーエッチ工業は、大阪にあるハンマーの専門メーカーだ。http://www.ohnet.co.jp/ である。
通常の板金ハンマーだと、どうしてもハンマーのヘリが相手に当たり傷がつきやすい。この製品は、内部の耐震ゴムを内蔵していて、ヘッドの首や少し振る構造。しかも打撃時にヘッドが少し回転する仕組みが組み込まれているので、従来型ハンマーにくらべ、格段に打痕が付かないというのである。しかも内蔵の耐震ゴムは万が一へたった時は交換がきくので、一生ものの工具ということらしい。
林道を走行中、フェンダーがめくれた! サーキット走行中に小クラッシュしてバンパーが破損した! トリムを何度も剥がしたので樹脂クリップの一部がバカになり浮いている! 少しクルマを乱暴に扱うユーザーにはさほど珍しくないシチュエーション。
そんなときにトランクに入れておくと便利なものに「パワーテープ」という製品がある。このパワーテープ、“強力粘着・多用途”という枕詞がつく製品で、たとえばホースやパイプの水漏れ補修、住まいの樋(とい)の補修、アウトドアでのテントの補修、ガーデニングの添え木作り、ゴム長の破れの補修、もちろん梱包や結束・・・実に多方面で使える万能テープ。通常のガムテープや布テープよりはるかに耐久性と粘着力があり、頼りになる。
このパワーテープは、天然ゴム系粘着剤とポリエチレン・フィルムの間にポリエステル・メッシュをサンドイッチした3層構造。水に強く、強い粘着力を持ち、手でらくに切れ、しかものりが残らずきれいに剥がせる。70℃の高温化、マイナス5℃の環境でも十分使えるという。接着面のほこりや油分を取り去り、よく乾かした後、手で貼り付けるだけ。使い方は通常のテープと同じ。
発売元は、アサヒペンhttp://www.asahipen.jp である。
だが、何を発明するべきなのか? 具体的に何をどう取り組むべきなのか? 若い佐吉にとっては皆目見当がつかない。そこで、19歳の春にこれまで節約してためた二円(現在の貨幣価値で約20万円ほど)を懐に入れ東京に出る。といっても東海道本線が開通する以前、佐吉は2本の足を頼りにして多い側を渡り、箱根の山々を越え、野宿同然の旅を続けながら東京にたどり着く。東京では近代的な工場で使われる機械類を見て回った。横須賀まで足を伸ばし、当時艦船だけでなく紡績用の動力・蒸気機関を造っていた官製の横須賀造船所にも立ち寄っている。
こうした見学ののち佐吉は、米搗き機や無限動力といったものの製作にチャレンジしたが、いずれも実現にはいたらなかった。指導者がいるわけでもなく、系統だった学問があるわけでもなかったからだ。発明の対象を絞り込むことに気がついた佐吉は、もっとも身近な機械である織機作りに挑戦することになった。背を丸め、糸くずにまみれてうち働く母親の姿があった。この母のチカラになりたい気持ちもあった。
当時の織機は、地機(じばた)とか高機(たかはた)といわれた昔からのものだった。縦に並べて張り詰めた経糸(たていと)に緯糸(よこいと)を一本一本通していくと機織の基本動作。緯糸を通す際に緯糸の入った杼(ひ)を左手から右手に、右手から左手に交互に往復させなければならなかった。能率からいえばよくなかった。この点を改良したのがイギリスで発明され、明治の初めに日本に輸入された織機、いわゆるバッタン機。これまで両手でおこなっていた杼の往復が、片手で出来るように工夫されていた。これによる能率は2倍に向上したが人の手に頼っているという意味では生産性に限界があった。
発明をこころざした佐吉はすでに二十歳を過ぎていた。息子を大工にしたかった父・伊吉。その反対もあった。納屋の中を研究所とし、新しい織機の開発に打ち込んだが、基礎知識の不足から思うようにはことは進まなかった。理解者である友人知人のところに押しかけ研究にも打ち込んだ。東京上野で開かれた内国博覧会に約1月通い詰め、朝から晩まで機械館に座り込み、まるで機械とにらめっこをしている佐吉が、守衛に怪しまれて口論をしたのもそのころだった。
女性から見て男性はいつの時代も不透明さを持った存在であるかもしれないが、男性から見ても「女性は理解しているようで、理解できていない存在」である。
なにやら哲学めくが、意外と話は簡単。女性向け、それも若い女性向けのクルマ作りに自動車メーカーのエンジニアは苦心を重ねているという話である。
このほどデビューしたダイハツのミラ・ココア。男性から見てもたしかに≪可愛い≫カタチをしている。おもな購買層である若い女性から見て≪とてもかわいいクルマ≫に仕上げるのに、おじさんたちダイハツのエンジニアは苦心したという。いつもそばに置いていたい、という願望をともなうのがここでいう可愛さのひとつの要素だそうだ。実は、おじさんが思い描く≪可愛い≫と、若い女性がイメージする≪かわいい≫との間にはずいぶん距離があるという。エクステリア・デザイナーは、複数のスケッチを作り上げ、グループインタビューというカタチで20代30代の女性に見てもらい≪評価≫を得て作り上げていったという。
その作業の中でハンメイしたのは3つのキーワードだったという。
「クルマっぽくないこと」つまりガンダムのようなメカメカぽくないことがひとつ。2つ目が、「このプレスラインはこうした意味がある」といった理屈がまとわりつかない点。3つ目が「肩の力が抜けた感じであることだ」という。ユーモラスやジョークがどこかにある。ハズシが存在するということらしい。こうしたことはいずれも、数値では表せない価値観。
ダイハツの場合、軽自動車のジャンヌは、機能満載と最新技術投入のムーヴ、実用重視のミラ、それにファミリーカーのタントがあり、質感重視のムーヴ・コンテがあるなかで、ミラ・ミルクは「若い女性の慣性を満たす軽自動車」という位置づけだという。
こう考えると、日本の軽自動車の世界も大変な領域に突入しているのである。