レンジ・エクステンダー(RANGE EXTENDER)」とはあまり聞きなれないが、直訳すると“航続距離延長装置”のこと。ふだんはEVとして走り、バッテリーが空になるとエンジンで発電しながら走るハイブリッドカーのことを指すのだ。エンジンは直接ホイールを回さずに、バッテリーの充電に専念するのである。純粋のEVのように、高価で重いバッテリーを大量に搭載する必要がないため、コストを下げられ、軽量化にも大いに貢献する。しかも駆動系をEVに近いシンプルな構造。
メリットはそれだけではない。通常のEV車では必須である急速充電機も必要ない。
スズキは、日本で始めてこのレンジ・エクステンダーEVという新ジャンヌのEVを64台つくった。充電所要時間は100VのACで1.5時間、200Vの交流ならわずか1時間なのである。スイフト・レンジ・エクステンダー(定員5名)は、エンジンルームにワゴンRと同じK6A(排気量660cc)の3気筒エンジンを搭載。EVで約15km走行でき、バッテリー残量が少なくなると、エンジンを適宜稼動させながらモーター(交流同期電動機:最大出力55kW,最大トルク180Nm)で走行する。信号待ちなどの停車時にはエンジンを停止させるアイドルストップ機能を持っているし、ブレーキをかけると、回生ブレーキ機構が働きバッテリーへ充電される。
このレンジ・エクステンダーというジャンヌのハイブリッドカーは、実は欧米の自動車メーカーに1日の長がある。来年発売予定のGMのシボレー・ボルトがこのたぐいである。ボルトは、1400ccの4気筒エンジンを備えている。このボルトのほかに、クライスラーの「タウン&カウントリーEV」もレンジ・エクステンダーEVである。今年3月ジュネーブショーでお披露目となったプジョーの「A1 e-tron」も荷室下部に小型のロータリーエンジン(20PS)を載せたレンジ・エクステンダーである。こちらは満充電で約50km走行可能だという。
スズキのレンジ・エクステンダーは、すべてナンバーを取得し、25台を浜松市内で、残りを全国のスズキ・ディーラーで実証実験をおこない、それを踏まえ本格的に量産すると思われる。リチウムイオン電池のコストダウンとコンパクト化、それにEV走行での航続距離の延長など、課題をいかに克服するかに成功の鍵がかかっている。
1917年に三菱造船、三菱製紙、1918年に三菱商事、三菱鉱業、1919年に三菱銀行、1920年に三菱内燃機製造、1921年に三菱電機と次々に分割化していった。満州事変から第二次世界大戦にかけて軍需の膨張拡大を背景に三菱の事業は飛躍的に拡大したのである。
今回は少し自動車から離れた話をしよう。
いわゆる三菱財閥は、三井、住友とともに3大財閥と称される。三井と住友の2つが江戸時代からの呉服屋など300年以上の長い歴史をあるのに対し、三菱は岩崎弥太郎が明治期の動乱に政商として、巨万の利益を得てその礎を構築した。
三菱財閥の名残をいまにとどめるものとして3つを挙げておこう。ひとつは、東京・湯島にある「旧岩崎邸」で、3代目岩崎久弥が別邸として使っていたもの。戦後接収され司法研修所になる際に大部分が取り壊されたが、上野の東京国立博物館や鹿鳴館をデザインしたイギリス人ジョサンナ・コンドルの設計の洋館を見ることができ、岩崎家の栄華を偲ぶことができる。2つ目は、東京江東区にある「清澄(きよすみ)公園」。岩崎弥太郎が社員の慰安や貴賓所として造成した回遊式の庭園。全国から取り寄せた銘石をどんな手段で運んだのか推理するだけでも面白い。
3つ目は岩手にある「小岩井(こいわい)農場」。小岩井と聞いて三菱と関係がないものだと思いがちだが、実は、この小岩井という漢字3つにナゾがある。この農場は、明治24年に開設されたのだが、共同創始者が3名いて、小野、岩崎、井上というそれぞれの頭文字を取ったもの。2つ目の岩は弥之助の弟で2代目の岩崎弥之助である。3代目久弥は明治32年から小岩井農場の場主となっている。日本人の体位向上のための畜産振興の始まりだった。
ここ数年自動車部品のリサイクルは、環境意識の高まりからか、ずいぶん認知されてきたようだ。リビルト部品も、中古部品と同じくらいポピュラーになりつつある。
リビルト部品というと、ドライブシャフト、オルタネーター、スターター、エンジン、トランスミッション、パワーステアリングのラック、噴射ポンプ、ターボチャージャーなどが思い浮かぶ。大型トラック&バスの世界ではブレーキシューなどが昔からリビルト事業がおこなわれている。ところが、意外と知られていないが、クラッチディスクの再生事業というのがあるのだ。
川崎にある「東京クラッチ」という企業は、半世紀以上、再生クラッチの製造をおこなっている。スタッフ数10名ほどの小さな工場だが、そこで月に500~600個のクラッチディスクを生産されているのだ。クラッチといえば、マニュアル車。とくにクラッチ操作の頻度の高い路線バスがおもなお客様である。コア(素材)として入庫してくる中古のクラッチは摩擦材が紙のようになっていたり、ところどころベースの金属が顔を出しているものなど、限界まで使われたものばかり。10年前までは比較的景気がよかったので、再生率が70%近くまであったが、リーマンショック以降メンテナンスにお金をかけたくないせいか、再生率が40%だという。価格は、新品にくらべ30~40%安いが、まだまだ新品信仰があるせいか、市場の1割も満たないシェアだという。
KO-KENが創業50周年を記念して、まったく新しいソケットツールシリーズを誕生させた。
ZEAL(ジール)というのがそれで、ZEALとは英語で熱意とか情熱を意味し、エボリューション・オブ・オートモーティブ・シリーズ・ラインナップの頭文字でもある。
ソケット、ユニバーサルジョイント、エクステンションバー、スピナーハンドルなどソケットツール全般が一新したのだが、今回はラチェットハンドルを取り上げたい。
新しいラチェットハンドルは、従来にくらべひとまわりコンパクト・軽量化されている。従来の内部構造は、“逆ハの字”構造だったのだが、スナップオンやKTCのネプロスなどと同じ一体型の爪でギアを押し上げる構造。ところが、この手法だと、空転時に重くなるのと、使用時の切り替えレバーが逆方向になり、しかも使うたびにレバーがカクカク動く。そこで、内部構造を独自のオリジナル構造にすることで、こうしたデメリットをクリア。ギア数は36ギアと細かくし、振り幅の取りにくいところでの作業性を高めている。グリップは、油脂類に対して耐性を備えたエラストマー樹脂としている。グリップフィールはとても上質だ。いまのところセットツールだけの販売だが、販売価格が従来とあまり差がない設定だという点もうれしい。http://www.koken-tool.co.jp/
スバルのエンジンは、軽をのぞき基本的にすべて水平対向エンジン。クランクシャフトを中心に、左右対称にピストンを配置、ピストンの運動の様子がまるでボクシングの選手が繰り出すパンチのようであることから、別名「ボクサーエンジン」とも呼ばれる。ライバルの直列エンジンやV型エンジンなどにくらべ、エンジンの全高がぐっと低く抑えられるので、車両の重心を下げられ、そのぶん運動性能を高められるメリットを持つ。
そのボクサーエンジンが21年ぶりに全面的に改良された。11月にデビューするマイナーチェンジ版のフォレスターに搭載される。水平対向4気筒DOHCという基本は変わりない。排気量は2リッターと2.5リッターの2本立て。
従来のFJエンジンは、パワー重視のエンジンだったが、今回の新世代(1966年デビューのスバル1000から数えて3代目)ボクサーエンジンは、時代を反映して環境重視型エンジン。限られたエンジンルーム幅から困難とされてきた、ロングストローク化を実現したのが一番の目玉。従来の75ミリだったストロークを90ミリにしている。タイミングベルトからタイミングチェーン化、直打方式のバルブレイアウトからロッカーアーム方式に変更し、コンパクトな燃焼室で、燃費向上とトルクアップを実現している。具体的な燃費性能は、従来とくらべ10%アップ、加速性能は2%向上し、アクセルレスポンスも確実に高まったという。基本の燃焼を向上させることで、排ガス浄化のためのレアメタルの使用量を約30%も削減できた。これは触媒コストに直すと、約半減だという。
この新世代のFBエンジンは、自然過給(NA)を念頭に開発されたエンジン。ターボチャージャーを付けるには相当の補強をやるしかない。だが、開発者いわく「直噴エンジン化やハイブリッド化を視野に入れたエンジンだ」という。
ところで、もともと三菱A型の生産を指示してきた本社の「三菱合資会社」とはどんな企業だったのか? その成り立ちはどういう流れなのか、を調べてみると実に面白い。幕末から明治にかけて活躍した土佐(高知)の岩崎弥太郎が創設した三菱商会をルーツとしている。
土佐藩は、坂本龍馬が1967年に京都近江屋で暗殺されたことで解散した海援隊(海運に従事しながら航海術を磨いた龍馬を隊長としたグループ)の後身として、大阪の土佐藩蔵屋敷ではじめた九十九(つくも)商会が設立。その監督を明治3年に岩崎弥太郎が当たる。翌年の廃藩置県後、九十九商会は個人事業となった。
弥太郎は、県から土佐藩所有の船3隻を買い受け、1973年(明治6年)に三菱商会と改称、海運と商事を中心に事業を展開する。弥太郎の事業がぐんと伸びるのは、明治10年の西南戦争(西郷隆盛の乱)である。政府側の軍隊・軍需品の輸送を一手に引き受けたばかりか、戦争終結で余った軍需品の処分までをまかされ、一挙に莫大な利益が転がり込んだのである。
海運業においては三菱の独占かに見えた。だが、これを快く思わなかった実業家・渋沢栄一や政治家の井上馨などが結集して三菱に対抗できる勢力を結集し、共同運輸会社を設立。三菱との露骨な価格競争を約2年間にわたり展開。両者消耗戦になり、この状態では共倒れという事態を避けるため政府がなかに入り、対等合併となった。これが「日本郵船会社」である。明治18年、西暦では1885年のことだ。このとき、三菱は中心事業であった海運業を一時的に失ったが、数年後には人的にも経営の実権を握ることになる。
1885年の弥太郎死後、その弟の弥之助が後継となる。弥之助は三菱社と改名し、1881年(明治14年)に買収した高島炭鉱(日本最初の洋式炭鉱で、現在軍艦島として注目を浴びる)と1884年(明治17年)に借り受けた官営長崎造船所(もともとは江戸幕府が開いた溶鉄所で、のち国内最大のドックを誇る三菱重工業長崎造船所)を中核にして事業の再興を図った。さらに1887年には東京倉庫(のちの三菱倉庫)を設立。
1893年(明治26年)に商法が施行され、三菱社は「三菱合資会社」と改組されたのである。同時に弥太郎の長男である久弥が三菱合資会社の3代目社長に就任。総務、銀行、営業、炭鉱、鉱山、地所の各部を設置して分権体制を敷き、長崎造船所の拡張と神戸、下関造船所の新設、麒麟麦酒(キリンビール)の設立など、幅広く事業展開していった。1916年(大正5年)に今度は弥之助の長男・小弥太が4代目社長となった。
自動車ジャーナリストを生業にしていて、よかったと思うことはあまりないが、たまにはある。時に近未来のクルマのハンドルを握れることが、そのひとつ。
世界の3大自動車部品メーカーのひとつであるコンチネンタル・オートモーティブが先日、技術を公開したなかで、興味が大きかったのはESAという仕掛け。ESAとはエマージェンシー・ステアリング・アシストの略。日本語でいうと緊急操舵補助装置。ときいてもピンとこない!?
早い話、走行中前方の障害物にハンドルを切って避けようとしたとき、その補助をしてくれる仕掛け。レガシーやボルボなどに付いているプリクラッシュ・セーフティ(障害物衝突防止補助装置)があればいいじゃないかという読者がいるはず。ところが、実際にはハンドルで障害物を避けようとして、避けられず、あえなく衝突というアクシデントがある。EASは、これを防ぐ装置。
ステアリングの切り方が不足したり、あるいは車両が不安定になり2次的事故に遭遇する・・・そんなシチュエーションである。ESAの構成部品は、77GHzのレーダーシステムで障害物をキャッチし、ESC(横滑り防止装置)でリアタイヤを制御、かつリアタイヤをステア(操舵)することで、危険を回避するというものだ。ESCが早めに作動し、リアタイヤを低速では逆相、高速では同相(フロントタイヤに対し)させることで車両をすばやく姿勢変化させ、安定方向に持っていく。実際、ESA付きの車両をドライブして試してみると、いささか違和感があるもののベテランドライバーもできないような素早い事故回避ができた。まるで忍者の如し!?
ところが、これを実際実用化するとなると、ブレーキとステアリングの依存度をどうするかなど、多くの課題がある。たぶん2~3年後あたりに登場するのではなかろうか?
モノをつかむ工具といえば通常プライヤーをイメージするが、太いパイプなどをつかむとなるとウォーターポンプ・プライヤーの出番である。つかむものの大きさに合わせて複数段で調節が利くのと、柄が長いためつかむ力が強力で、通常のプライヤーにはない便利さがある。
ところが、これまでのウォーターポンプ・プライヤーは、上あごと下あごの状態が2枚合せ。これだと強いチカラで締めたとき、剛性感がない。長いあいだ使ううちにガタが大きくなり、まことに心もとなくなるのだ。頼りない工具では愛着もわかない。
新潟三条市にある老舗工具メーカーTOP工業(℡0256-33-1681)が満を持して発売したのが3枚合せの「ウォーターポンプ・プライヤーWP3-250」である。上あごが下あごの中央に挟まる構造なので、チカラを入れて使ったときのバランスに優れる。口幅の調整は9段階で、パイプならφ6~φ51ミリのパイプまで幅広く咥えることができる。しかも咥え部の形状が菱形をしているので、確実かつ強力に食いつく。上あご部にストッパーを付けているので、万が一の指はさみの心配がないのと柄の開閉がスムーズにゆくのも美点。ちなみに、歯部には高周波焼入れをして耐摩耗性にすぐれるという。