「もし5000円余計にあげるといわれたら・・・どんなことをしますか?」
これは、ニューモデルを開発したエンジニアに対して、筆者がほとんど決まっておこなう質問である。走行性、燃費などの性能とコストなど100以上の要件を満たすなかで開発される現代の自動車。なかでもコストは、開発者にとって大きな壁でもあり、越えるべきハードルのひとつである。同じコストなら、ライバルのクルマより性能が少しでも上回りたい、というのが開発陣の正直な気持ちでもある。
だから、冒頭の質問をぶつけることで、エンジニアの本音を引き出せるのでは? と思う。だが、いつも上手くいくとは限らない。いくら待っても、あるいはこちらから助け舟を出しても答えが返ってこないケースもある。≪いくらもらえる≫という逆からの“発想”ができないエンジニアだ。これをまじめなエンジニア魂ととるか、逆に駄目のエンジニアの烙印を押すか、とても難しい。この質問の旨みはもうひとつある。文字通り予算ぎりぎりだったので、そのクルマの弱点(あるいは特徴)をさらけ出すことができるケースもある。
先日デビューしたフィットシャトルハイブリッドのエンジン屋さんにも同じ質問をしてみた。
すると「そうですね、5000円ですか? VVT(バリアブル・バルブ・タイミング機構)を付けて、さらにクールドEGRを付けたいですね。でも2つ付けると5000円では間に合わないですね」・・・この2つの機構、燃費と動力性、それに排気ガス対策に有効な手段。このエンジン、排気量1339ccなのだが、シングルカムの2バルブである。いわば“昭和のエンジン”と見られてもおかしくない。ツインプラグではあるが、見かけはローテク・エンジンなのである。ハイブリッド化するには、ざっくり言って2割り増しのコストがかかる。価格競争力を高めるため、インテリアではダウンサイジングしてきたユーザーがガッカリしない豪華さを維持しつつ、見えないところで主動力エンジンでは、できるだけ“既存のメカニズムをフル活用“している。このことを≪5000円あったらどうしますか?≫といういやらしい質問が浮き彫りにしてしまった!?
パナール・ルヴァッソール社の最大の功績とされているのは、1891年にフロントエンジン・リアドライブ、つまりFR方式を開発したことだとされる。それは開発者の名前にちなみ、「システム・パナール」と呼ばれた。FRの駆動方式の優秀性は、世界初の自動車レースである「パリ~ボルドー往復レース」(1895年)や、その後の欧州の都市間レースで証明された。これらのレースは、パリーマルセイユ、パリーアムステルダム、パリーベルリンなどパリを基点にしたレースが大半。年に数回、多いときには年に4回も開かれた。ちなみに、パナール・ルヴァッソールの第1号車はFRではなく、エンジンを中央に置いた、いわばミドシップ。だが、これは走行安定性で課題があったという。翌年FRに切り換え、これがキッカケでレースの世界で華々しい活躍を遂げる。
パナール・ルヴァッソールが現代のクルマに大きな影響を与えたのは、FR方式だけではなかった。1895年に実用化した密閉式のギアボックス(トランスミッション)である。これは、摺動平歯車選択式と呼ばれたもので、前進3段、後進1段。入力軸と出力軸とが段違いにレイアウトされ、入力軸上の摺動歯車が、出力軸上の歯車にかみ合う構造。歯車は露出した状態で出力軸端のべベル・ギアでカウンターシャフトを回し、シャフトからチェーンで後輪を駆動するというスタイル。ギアボックスの開発のほかにも、冷却性が向上する車体前端へのラジエーター設置、これまでのティラーと呼ばれる棒状のステアリング(第1回のベンツ・パテント・モトールヴァーゲンがそれ)から今につながる丸ハンドルの採用など、その後の自動車の基礎技術を先んじて開発したのである。
なお、FRレイアウトの話だが、1901年にダイムラーがパナール車に勝てるクルマとして開発したのが「メルセデス35HP」である。これは低重心でロングホイールベースを特徴とした車両で、自動車の性能を大きく塗り替えた。このクルマの登場で、これまでガソリン車は「馬なし馬車」という、いささかシニカルなイメージを払拭し、現代の自動車という新しい乗り物に脱皮したとされる。
乗用車の世界では、エンジンオイルとオイルフィルターの交換インターバルは、走行1万~1万5000キロごと・・・というのが通り相場。ターボチャージャーなど過給機付きとなると熱負荷が高いので、5000キロごとに交換という認識。
トラックエンジンはエンジンオイル容量が多いので、かなり長いとは聞いていた。が,今回UDトラックスの中型トラック≪コンドル≫の試乗会に出向いて聞いたところ,さらに長くなり、「走行3万5000キロごとです」という。タマゲルとはこのことだ。乗用車の3倍以上。従来は2万5000キロごとだったという。「これまでは鉱物油でしたが、今回からは100%化学合成油を純正にすることで長くできました。エンジン清浄性能、燃費性能、耐摩耗性能などを高めています」という。化学合成油が通常の鉱物油に比べ1割ほど値段が高いがそれにしてもすごいロングライフ。トラック業界は、厳しい環境のなかさらなる低コスト化を求めていて、トラックメーカーはその回答のひとつだという。
ちなみに、コンドルの4気筒新エンジンGH5は、直噴ディーゼルインタークーラー付きターボエンジン。排気量4675cc、圧縮比17.0で215PS。エンジンオイル容量は11.9リッター。ところが、日本のトラックはこれでもまだオイル容量の世界で欧州トラックと比べると少ないほうで、欧州製トラックのオイル容量は1.5~2倍ほどあるという。いつか、このナゾを解明したい。
一昔前のハンドツールのユーザーから見ると、「よくこれが750円で販売できますね」というに違いない。
≪フィンガーチップラチェット≫と聞いただけでは、どんな製品かピンとこないが、手にすれば“破顔一笑”ではないが、即座にわかり、プライスを見て笑みがこぼれる。ハウジング自体をアルミで作っているようで、秤(はかり)で測定すると60gときわめて軽量だ。差し込み角3/8インチ。エクステンションバーとソケットをつなげることで、文字通りフィンガー(指)のなかでクルクル回転させ、ボルトやナットをすばやく脱着することができる。
歯車が、72ギアなのでいちノッチ5度。タイトな場所でも、きわめてスムーズな作業ができる。左右の切り換えは上部のRとLの文字があり、本体を保持したままで、つまみを回せば切り替えることができる。耐久試験をすると破損するかもしれない。でも、750円なので、心置きなく使えるし、コンパクトなので、工具箱の隅に入れておけるのもいい。
大人になると、ふと子供時代に遭遇した少し変わったオジサンのことを思い浮かべてみるときがあるものだ。筆者の場合、大工の幸七オジサンがそれで、お汁粉をなめながら酒をチビリチビリしていた光景が目に浮かぶ。特段の野心を持つことなく、器用な人物。退屈そうな私を見かけ、廃材を使い、あっという間に船を作ってくれたものだ。小市民だが、幸せの何たるかを承知していたような人物だった。
このおじさんと、どこか共通点のある人を一度見かけたことがある。1970年代後半、駆け出しの自動車雑誌記者だったころ。鈴鹿サーキットで見かけた本田宗一郎(1906~1991年)だ。確かホンダのアイディアコンテストの取材のときだった。二人三脚でホンダを世界のホンダに育て上げた藤澤武夫(1910~1988年)と一緒だった。社員であるホンダの若い人たちが各自のアイディアを元にモノを作り上げるコンテスト。量産品にはない、人間味あふれる“もの”を目を細めながら見て歩いていた。そのときはなんだか、「お偉い人なんだな~」と単純に思ったものだ。
いまやホンダは、かつてのような風通しのいい企業ではなくなったかもしれないが、ホンダの製品のどこかに本田宗一郎が宿っていると思いたい。とくにホンダファンではないが、本田宗一郎という一人の男には、大いに刺激されるものがある。昨年、彼のふるさとに『本田宗一郎ものづくり伝承館』なるものができたという。浜松から電車とバスを乗り継ぎ、小一時間の天竜川近くである。かつて町役場だった建物を活用した、吹けば飛ぶようなミニ博物館。90分もあればすべてに目を通せる。エッセイ集「私の手が語る」にもある、宗一郎の左手のキズの詳細イラストが、出迎えてくれる。旋盤を使っていたときバイトが突き抜けた痕、機械にはさまれた傷、ハンマーでつぶれかけた指先・・・45年間で約15個、小さい傷を入れると50個近い。こうしたキズはみんな私の“宝”だと宗一郎は告白している。「私がやってきたことのすべてを私の手が知っている。私の語ることは私の手が語ることなのだ」と。
ベンツが、自動車の祖とするなら、フランスのパナール・ルヴァッソールは、現在の自動車に通じる、自動車技術の“もと”をつくったといえる。フロントエンジン・リアドライブ(FR)などのレイアウトがそのひとつ。
パナール・ルヴァッソールと聞いても、よほど自動車の歴史に詳しくない限り説明できない。実は私もそのひとり。「ああ、フランスの自動車メーカーで、世界レベルでもプジョーと並ぶもっとも老舗のメーカーだったかな・・・」という程度ではなかろうか。ところが、調べてみると、このパナール・ルヴァッソールというメーカーは、19世紀末からはじまる自動車勃興期から、1965年にシトロエンに吸収されるまでの約70年間、レースの世界で圧倒的な強さを発揮したばかりでなく自動車技術をリードしたメーカーであった。このメーカーなくしては、現在の自動車は存在しえなかったともいえる。
パナール・ルヴァッソールは、1896年に学生時代からの友人同士だったエミール・ルヴァッソールとルネ・パナールがもともと家具製造やミシンの生産をしていた工場を、ダイムラーエンジンのライセンスを取得した。このことから自動車の製造とそれを使ってレースに打ち込み始めたことからスタートする。
余談だが・・・実は、ダイムラーがエンジンの製造権をパナール・ルヴァッソールだけではなく、もうひとつ同じフランスのメーカー・プジョー社にも供給している。つまり1880年代の後半には、ドイツとフランスに2社ずつのガソリン自動車メーカーが誕生していたということだ。ドイツは言うまでもなくゴッとリー・ダイムラーとカール・ベンツの2人がそれぞれ興したガソリン自動車メーカーである。2社が合併するのは1926年のことである。
「オイルパン用のシートプラグ」と聞いて、はじめ何を言っているのは皆目わからなかった。ドレンボルトの相手のメスねじが、こさえてある“小さな部品”のことだった。このシートプラグを月に80万個も生産している名古屋市にある工場に取材に出かけた。水野鉄工所という従業員300名ほどのモノづくり工場である。エンジンのバルブ周辺で活躍するコッター(バルブスプリング・リテーナーロック)とか、ATのバルブボディ内に使われるスプールと呼ばれるアルミ製のバルブ、エンジンのシリンダー付近で使われるリングピン・・・こうしたごく小部品を月間数千万個という途方もない数を作り出している。
ところで、シートプラグは、3つの突起(足)を持ちオイルパンにプロジェクション溶接で取り付けられるという。コイル材を素材にしてパーツフォーマーと呼ばれる機械で圧造・成型され、最後にタッピングマシンでネジ切りがおこなわれる。ネジ径は、数種類あると思いきや、12ミリと18ミリの2タイプだという。よく見ると切り欠きが付いているものもある。これは廃油をできるだけ排出させたいための工夫だ、という。上から抜くことが多く、昨今あまり意味がないのだが・・・。意味がないといえば、例の3つの突起を作るとき、逆側は凹むのが普通。ところが凹みなしのフラットである。「設計図がフラットなので、こうしています。ただし、このためにはかなりのノウハウがあり、苦心しました」(担当者)という。凹みがあろうが、性能上はまったく問題ないはずだが、このあたりが日本のモノづくり(美意識)へのこだわりなのかもしれない。
ハンドツールの世界にも“脇役”というのが存在する。
数多いソケットのコマを整理し整頓して、必要なときにすぐ取り出せる役割をするソケットレールも、まさに脇役のひとつである。ソケットレールというと、一昔前までは、へたをすると指が切れる感じの板金製のタイプが主流だったが、最近は樹脂製も増えつつある。
KO-KENの新シリーズのZ-EAL(ジール)に、このほど新感覚のソケットツールが登場した。品番がRSAL200-3/8×8とRSAL200-3/8×12の2タイプ。前者はクリップ数が8個、後者がクリップ数12個の違い。価格はそれぞれ2150円、2650円。もう少し安いとうれしいが、まあリーズナブル。
さっそく使ってみる。ソケットの着脱フィールが一番のポイントだ。大きいサイズだと引き抜きやすいのが道理だが、サイズの小さなソケットになると指が滑りやすいものだ。あれこれ使うと、従来品よりもはるかに着脱性能が高い。ほぼストレスなく着脱できる。ハウジングはアルミで、アルマイト処理をして、色はブラックだ。レールの両端にマグネットを内蔵していて、ツールキャビネットの裏側などスチールにぺたりと張り付くことができる。マグネットが強いと具合悪く、弱いのも問題だが、マグネット自体も弱くもなく強くもないので、この点でも二重丸を与えていい。愛着度の高いソケットレールといえる。