みなさん!知ってますCAR?

2012年8 月15日 (水曜日)

TOP NEWS

セレナS-HYBRIDは見かけ倒しのハイブリッドカー?

セレナ  「平家にあらずんば人にあらず!」
  松山ケンイチ主役の大河ドラマ「平清盛」が佳境に入ったせいか、ふと、こんな故事のこじ付けで「ハイブリッド車にあらずんばクルマにあらず!」というコトバが頭に浮かぶ。
  日産のセレナも、そんなイマドキのクルマ風潮に影響されたせいでもあるまいに、なんと「ハイブリッド仕様」を投入してきた。でもよく見ると「スマートシンプル・ハイブリッド」。いわゆるハイブリッドとは異なる。
  プリウスのようにモーターだけで走行し、ガソリンをケチることで燃費を飛躍的に高める。そう考えたら大間違いのハイブリッドなのだ。ただ単に、これまで以上にアイドリングストップを積極的に活用し、回生ブレーキ(下り坂でエネルギーを貯める)をフル活用し、エンジンルームに載せたもうひとつの鉛蓄電池で、電気を蓄えることができるというだけ。だから、クラスNO.1の燃費とはいえ、JC08モードで、15.2km/lにすぎずない。これはノーマルのわずか1.4km/lのアップ、率にして10%アップに過ぎない。いわゆる“第3のエコカー”ともいえるかどうか? 
  価格は、従来の価格帯に収めている。中心車種でも1万円以下のアップに過ぎない。2WDで238万円台から。
  セレナは、日本市場の3列シートミニバンのトップを走るクルマ。日産は唯一胸を張れるジャンヌのクルマでもある。室内の広さ、使いやすさ、燃費性能の3つの高バランスが認められてのことと日産のエンジニアは強弁するが、わずか燃費10%アップで「ハイブリッド」という言葉を付けることで、売り上げを狙う・・・そんな姑息な世界が垣間見える。日の丸を掲げてきた日産の歴史を知る一人としては、残念だ。

カーライフ大助かり知恵袋1

大正100年 日本人のクルマはじめて物語 第12回

三菱A型 2  三菱合資会社本社から、乗用車の生産が指示された。
  当時、その乗用車設計にたずさわった人物によると・・・・「自動車の製作をしようという機運がどのような経緯で出てきたのかは、新入りの私には分からないが、どうも神戸造船所だけから盛り上がってきたものではなく、あくまでも本社の意図から出たものだと思っている」(三菱の社史から)90年以上も昔のことであり、いまとなってはそのあたりの経緯はつかみきれないが、とにかく、イタリア製のフィアットをモデルにして乗用車製造をスタートさせている。当時はフォード、ビュイック、ハドソン、ダッジといったアメリカ車、ルノー、シトロエン、ベンツ、ロールスロイスといった欧州車がごく少数ながら輸入されていた時代。なにゆえにフィアットだったかというと、本社の三菱合資会社で社用車としてフィアットを用いており、当時としては堅牢で経済的だという判断があったようだ。
  当事者であるエンジニアが書き残している内容を一言でいうと、“ただがむしゃらに作り上げた”というのが三菱A型自動車だったようだ。30馬力ほどのエンジンは、4気筒一体の鋳鉄製だったが、鋳鉄技術の未熟さから、200ポンドの水圧試験にかけると30%しか合格しなかった。また車体枠や作動歯車箱(デフ・ギアのこと)はハンマー打ちで仕上げたもので、芯出しに苦労したという。まさに手探りのクルマ作り。エンジンのカムおよびカムシャフトの製作のためには研磨機はあったが、タイミングの誤差がはなはだしく、手作業で修正。ときには作り直しも再々あったという。現代のように嵌合の標準が決められていないので、作業者の勘に頼るありさま。そのため焼き付きトラブルは頻発。そうした苦い経験の積み重ねで次第に公差を決めるというものだった。現代の量産とは、程遠い世界のモノづくりだった。

カーライフ大助かり知恵袋2

バッテリーのターミナルのナットにまつわるトラブル

バッテリーのターミナル・ナット  まわりを見渡すと、車歴が長くトータルの走行キロ数が多いものの、年間の走行キロ数が少ないクルマが増えている。年間1万キロをあとにするクルマは、珍しいほど。
  そこでいきおい、1か月も乗らずにそのままにして、いざエンジンをかけようとするとバッテリーが自然放電していた・・・・なんていうことはよくある。とりわけ、バッテリーの値段は材料高騰で、高値安定だからつらい。
  それを防ぐためには、カーオーディオなどのメモリーが失われる弊害はあるが、バッテリーのマイナスターミナルを取り外すのが一番だ。この手段を取れば、もともと弱ったバッテリーでない限り、半年でもバッテリー上がりの心配は、まずない。
  バッテリー・ターミナルのナットの2面幅は10ミリ(ネジ径は5ミリ)が多い。スピーディに締めたり緩めたりするには、スパナが便利だが、暗がりでおこなったり、そもそもメカに不案内なドライバーがおこなうと、ナットを緩めるつもりが逆に締める方向にねじ込み、ついにはナットの角が丸くなる事態というのもありえる。メガネレンチでも回せないというケースもある。でもこれは重大な失敗ではない。もしこんな事態になれば、プライヤーで無理やり回すとか、ロッキングプライヤーで無理やり掴まえ回す・・・という手があるからだ。あとは手持ちのナットに替えればOKだ。

愛車メンテのプラスアルファ情報

ラプター・フラット・バンジー

フラット・バンジー  今回は少し毛色の異なる用品を紹介しよう。
「RAPTOR FLAT BUNGEE(ラプター・フラット・バンジー)」である。米国式の巨大スーパーマーケットCOSTCOで手に入れたもの。要するに、長さ1.2メートルの両端にフックの付いたゴムバンドである。フック自体が指で押さえることで簡単に開く。通常は閉じたカタチなので、万が一にも外れての事故が考えにくい。
  トランクに入れる複数の荷物を縛ったり、バイクで運ぶ荷物を荷台に縛り付けたり・・・ルーフの上のサーフボードをこれで保持したり・・・使い方はいろいろ。2本以上をつなぎ合わせることができるので、トラックで引越し作業をおこなうときにも大活躍しそうだ。もちろん、家のなかや庭での作業、キャンプのシーンでも使えそうだ。
  価格は10本入りで、1398円と格安だった。

2012年8 月 1日 (水曜日)

TOP NEWS

トヨタが標榜する“プチバン”とは何か?

スペイド2  “プチバン”というジャンヌのクルマが登場し始めた。
  ミニバンというのはなじみがあるが、よく考えればミニバンも、定まった決まりはなく「室内スペース効率を高めた背高気味で、全長に比較して室内長と室内高が高いクルマ」でしかない。プチバンというのは、それよりも小さな車両寸法のミニバン、ということらしい。となると、現在半年で2万台以上を売り上げたホンダのNBOX、そのルーツというべきダイハツのタントあたりもプチバンである。社会背景を考えると、コストパフォーマンス意識の高まりからプチ家電、プチ旅行、プチギフトが最近のトレンドだともいえなくもない。
  トヨタからこのほど販売されたポルテとその姉妹車種スペイド(写真)は、“プチバン”を標榜しているのである。1.3と1.5リッターで価格は145万円から。コンパクトカーの扱いやすさとミニバンとしての使い勝手、それに高いコストパフォーマンス・・・この3つを備えているのがプチバンだという。プチバンであるポルテ&スペイドは、「女性視点で未来を生み出す」ことを目的に400名以上の女性メンバーで作り上げた。トヨタの女性社員、販売スタッフ、それに一般モニターがその中身だ。女性ならではの価値観を提供したという。男性の視点のその「女性らしい価値観」の具体例をあげつらうと・・・可愛いエクステリア、ショッピングバッグなどをかけるフック、運転席前のアッパートレイ、ボディカラー・シートタイプ・装備の組み合わせを選択できる・・・というところ。
  これまで男性が設計開発し、造ってきた自動車はいまや、女性の声を無視しては商品として成り立たなくなっている。それはわかるが、だからといって女性の視点丸抱えでクルマを作って成立するものなのか? 成立するとしても長続きできるのか? ただ単に女性視点といってもそれは上っ面に過ぎないのではないのか? へそ曲がりの男性はそんなヨシナシゴトを思い描くのである。

カーライフ大助かり知恵袋1

大正100年 日本人のクルマはじめて物語 第11回

三菱A型  大正中期の3つ目の視点は、それまでの個人レベルの自動車生産への挑戦から、既存の大手企業が本腰を入れて自動車造りにチャレンジしたことだ。投資できる金額の彼我である。
  大正7年に、国産初の量産自動車とされる「三菱A型」が世に出ている。このクルマに関して筆者は、以前に三菱自動車の社史などで詳細を調べた経緯がある。少しややこしいが、おさらいをしてみると・・・
  このクルマは大正10年までの約5年間にわたり計22台量産された。不思議なことに、このクルマを生産されたところは、三菱造船株式会社神戸造船所。その当時、神戸造船所では内燃機関の研究と開発をおこなっていた。三菱造船は、長崎にも造船所を持っていて,大正4年(1915年)、東京瓦斯が発電機用にドイツから250馬力のディーゼルエンジンを購入し、その検収(けんしゅう:送り届けたものを点検して受け取ること)を長崎造船所が担当した。このとき、部品の一つ一つをスケッチしたのが、≪三菱がディーゼルエンジンを手がけた≫記念すべき最初だ、とされる。
  大正6年、神戸造船所に内燃機工場を新設、先のエンジン各部品のスケッチをもとに、研究を加え、350馬力の発電機用のディーゼルエンジンを製作したという。もともとこの造船所というのは、潜水艦と航空機用のエンジンの開発をメインとしていた工場で、大正6年海軍からフランスのルノー製の70馬力空冷V型8気筒ガソリンエンジンの試作依頼を受け、翌年夏には試作エンジンを完成し、5年間で15台のV8ガソリンエンジンを納入している。これと並行して、スペインが生んだ天才エンジニアであるマルク・ビルキヒトゆかりのイスパノ・スイザ社との技術交渉を進め、大正8年春から200馬力の水冷V8気筒ガソリンエンジンの生産に着手、大正11年までのほぼ4年間で154機のエンジンを製造。神戸造船所には、航空機用のガソリンエンジン、潜水艦用のディーゼルエンジンなどの開発を通して、エンジン全般、開発の基本理念など当時としてはかなり進んだモノづくり技術が開花していたと思われる。

カーライフ大助かり知恵袋2

イマドキのクルマは吸気系に赤信号!?

インジェクター  ハイブリッドカーもそうだが、いわゆる第3のエコカーといわれるクルマも、こぞってアイドリング・ストップ装置を身にまとい、少しでも燃費をよくして商品性を高める努力をしている。これって、考えてみれば再始動時には当然スターターが動かすばかりか、吸気の汚れを招く原因を作っているようなもの。しかもエコカーは排気ガス再循環装置のEGRを組み込み、排ガスをもう一度吸気に戻したり、ブローバイガスも吸気側に戻している。これすべて、排ガス浄化、燃費向上、ひいては地球環境への負荷を減らすという“お題目”。
  ところがこの“お題目”のおかげで、ときには肝心のクルマ(エンジン)が痛めつけられている結果になっている!?
  意外と知られていないのがシビアコンディション。パトカーや宅配便のクルマをイメージして欲しい。チョコチョコ低速で運転し、エンジンをかけたり、切ったり・・・実はこれはいっけんクルマにやさしい運転に見えるが、まったくの逆。エンジンオイルの劣化を進め、吸気系にひどい汚れを付着させる原因ともなる。ときにはインジェクターを詰まらせ、燃費悪化を招いたり、排ガス悪化に陥ったり・・・。シビアコンディション状態は、通常の半分でメンテをおこなう。たとえばエンジンオイル交換は通常1万キロごとなら5000キロごととかだ。
  では、宿痾(しゅくあ)とも言うべき吸気系の汚れやインジェクター(写真)の汚損は、どうするか? 定期的な洗浄が理想だが、なかなか難しく、現状ではお手上げというのが実情のようだ。

愛車メンテのプラスアルファ情報

新感覚のインパクトドライバー

メガドラインパクタ  インパクトドライバーという工具は、固く締められたネジを上からハンマーで叩いて緩める役目の工具。値段が高く、重いこともあり、あまり使用頻度が高くない。というか、金属製の箱入りが多いせいか、持っていても億劫で使わないケースが少なくない。
  ドライバーの老舗メーカー・ベッセルの「メガドラ・インパクタ」という名称のドライバーは、樹脂グリップの、いっけんなんでもない貫通ドライバーだ。ところが、ハンマーでグリップエンドを叩くと、刃先が瞬間的に約12度逆回転(左へ)して、丸くなったネジを比較的簡単に緩めることができる。これはグリップ内部に叩いたチカラを円方向に変換、つまり緩めるチカラを発生させるコイルスプリングと軸(刃先)が回る構造にしているためだ。樹脂グリップはコア部分と表面を異なる素材で形成し、軽量化に寄与するだけでなく、手で握ったフィールを高めている。写真は軸長が100ミリで2番の+ドライバー。ホームセンターでの購入価格は1380円とリーズナブルだった。重量も140グラムと軽い。+3番タイプもある。ちなみに、このドライバーは、緩める方向だが、本格的なインパクトドライバーは逆ネジなどに使える右回しもできる。つまりインパクトとしては、逆方向には使えないが、実践ではこれで充分だ。


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