庶民に受け入れられる軽自動車はどうあるべきなのか? そのディメンジョン(寸法)、性能はどうあるべきなのか? 百瀬は考え続けた。技術者は大きな具体的な課題をみずからに課せ、モノづくりをおこなう。4人乗りのセダンを軽自動車の枠、つまり全長が3メートル、幅1.3メートル、高さ2メートル、360ccのエンジン。百瀬は当時としては、次のような高いハードルをかかげた。
・軽自動車の枠内で大人4人が乗れること
・悪路でも時速60キロで快適に走る(加速性能はバス以上、登板能力はバス並み:当時のバスは国産セダンが登れない山坂道を走ることができたとされる)
・車両重量は350kg
・値段は庶民に手が届く35万円
こうしたコンセプトを知ってまわりは驚き、次に絶望的な気分になったようだ。テストドライバーの福島時雄氏もその一人だった。昭和7年生まれの福島は地元伊勢崎工業高校機械科を卒業し、バスの動力艤装、サスペンションまわりやエンジンまわりを担当してもいた男だ。P-1開発では台車の時点からハンドルを握ったドライバーだ。「こんなクルマはできるんですか?」とストレートに聞いたところ、「この程度のクルマはできる。航空機の技術を使えばできる」と百瀬は言下に言い切ったという。百瀬の口癖のひとつにこんなのがある。「出来ねぇ、ということはやる気がないからだ」。困難な挑戦課題を目の前にしたとき、百瀬は表情ひとつ変えずに、涼しい顔で必ずこう言った。「ひとつ、やってみようじゃないか」