かれこれ20回以上にはなるのだろうか? 他でもない、筆者のユーザー車検の体験数だ。
だからといって何度やっても、慣れないところが残る。そもそも2年に一度の車検だが、人間2年前のことはほとんど忘れている面もあるが、もともと決められたことをきちんとおこなうことは苦手な性分だからだ。
前日、メンテナンスノート(定期点検記録簿)に従い、できうる限り点検したつもり。だが、2人一組でやらないとできないところがあることに気づいたのは、車検当日のこと。迂闊にもウインカーなどの灯火類のチェックを抜かしていたのだ。でも、車検で不具合があれば直せばいい。そもそも,先回りして不具合でないところまで部品交換するのは理屈に合わない。検査してから修理、というのでもOKなのだからと、自分でも驚くほどの陽性反応。
書類を揃え、車検ラインに突入。まっすぐ走らせるだけで判定するサイドスリップ試験は合格。次のローラーの上に乗せ時速40キロでパッシングすることで、速度計が正しいかの関門もすんなり合格。ブレーキテストも問題なし! よしよし・・ところが、ヘッドライトテスターでバツが出た。ロアビーム状態でのバツだった。ハイビームでは両方ともに○。「ロービームは来年からおこなう新テストで、現在たいていのクルマはバツになります」との係員。だから、今回は○だという。驚かせないでよ! ホゥッと胸をなでおろしたのも束の間、次の排ガス試験で、COは大丈夫だったが、なんとHCが500ppm近くも出た。係官がやってきて、すこしエンジンを空吹かししてもういちどとアドバイス。それでも、規定値の300ppm以下にはならず。
やむなく、近くの修理工場に飛び込み事情を説明すると・・・「それは触媒が暖まっておらず、反応しなかったからですよ。もう一度、コースに入る前に十分空吹かししておけば大丈夫」と。そういえば、かつてエンジン開発者にインタビューした際、エンジン直下型触媒の効用を聞いた覚えがある。早期暖機に苦労していたという歴史。触媒は暖まらないと機能しないのだ。
勇気百倍で、再検に臨んだところ、今度は、限りなく0ppmに近かった。“オントシ15歳、走行18万キロ以上をあとにしたクルマ”でも、充分イマを走れるのである。費用は? 重量税3万4200円、自賠責2年間2万7840円、検査費1700円、申請書類代20円、計6万3760円。これでガソリンさえ入れれば、この先、2年間公道を走れるのだ。
ところで、シトロエンの2CV(写真)は、実は百瀬たち当時の技術者に大きなインパクトを与えたクルマであった。第2次世界大戦が終わって3年後の1948年パリ・サロンで発表された2CVは、戦後のフランスの大衆に生活道具として大歓迎され40数年間で400万台を世に送り出したベストセラー。
設計開発を担当したシトロエンの3代目社長ピエール・ブーランジュは2CVのコンセプトを「こうもり傘の下に4つの車輪を付けたもの」と表現。375ccのOHV水平対向2気筒エンジンに1200cc並みの大きなボディは、軽量化のためなんの飾りもなく、ユニークなコイルスプリングによる4輪独立権が方式で、独特の乗り心地をもつ。「籠いっぱいの生卵を載せ農道を走ってもひとつの卵も割れることなく走行できる」「クルマのことを知らない主婦でも簡単に運転できる」など割り切ったコンセプトで大成功したクルマでもある。
K-1も、割り切り具合については2CVに負けてはいない!?
「大人4人を乗せる」という命題を実現するため、開発初期段階でタイヤの径を10インチとした。当時日本のタイヤメーカーが商品化しているのは12インチが最少だった。それより小さいとなるとスクーター用の9インチとなるため、10インチとなるとタイヤメーカーに特別誂えを依頼するしかない。百瀬は、軽量化と室内空間の確保を考えると、10インチタイヤが必然だった。
「真実は小説よりも奇なり!」とはよくぞ言ったものだ。
先日、ねっころがって眺めていたヘンリー・フォードの伝記「藁(わら)のハンドル」(竹村健一訳)にこんなくだりがあるのだ。ヘンリー・フォードはいうまでもなくフォード社の創業者で、「資本主義の基礎を築いた企業家の一人。自動車の大量生産方式を確立し、大企業とサラリーマンをこの地球上に発生させた人物」(竹村)である。
この本の中ごろに、「T型フォードを造りはじめてから数年前までは、ハンドルに木材を使用していた」とある。
いまでも高級車にはウッドハンドル仕様があるので、ここは少しも驚かないが、「木のハンドルは最上級の木材しか使えない、つまり精密さを要するので、高級材になる」ということの意味。そこで、ヘンリーは一計を案じ、よりやすく量産することが至上命題ゆえ、その当時大量に有り余っていた麦藁に着目。この麦藁にゴム、硫黄、珪土などの材料を混ぜ合わせ、チューブ状にする。あたかもミンチ肉のようになったカタマリを斜めに切断し、その外部をゴム状の物質でコーティング。1平方インチあたり2000ポンドの水圧で加圧し、1時間近く蒸気で熱して成型する。「取り出されたときには、このハンドルはまだ軟らかいが、すぐ火打石のように硬くなり・・・」最後に研磨され、鋼鉄の十字棒をはめ込み完了。コストは木材のときの約半分だったという。間違いなく当時のT型のハンドルは藁が使われていたのだ。
このゴムそっくりの素材は、「フォーダイド」を呼んで、電気系統など約45の自動車部品に使われたという。それにしても・・・成功者とはいかに貪欲な存在だということがわかる!?
先日、近くにあるホームセンターを散策していたら、思わぬ商品に出会った。
ドイツのWERA(ベラ)のドライバーである。品番350PHである。ベラといえば、ドイツの先進的なドライバー専門メーカー。ここ数年のカタログを見ると、斬新なラチェットハンドルやユニークなコンビレンチもラインナップされているので総合ツールメーカーを目指すようだ。
工具の世界もグローバル化しつつあるのか、ドイツの工具がこんなところ(横浜郊外のホームセンター)にあるとは少しオドロキ。先端部にレーザーチップを施した軽量バージョンのドライバーだ。丸軸で、しかも、ボルスターがないので、10%ほど軽い89グラム。軸径はφ6ミリである。
ベラのグリップは、2つの樹脂素材を使っているのが常道だが、注目したいのはその完成度である。コンペティター同様にインジェクション成型でカタチをつくっているのだが、ざっくりいって日本製よりも1枚も2枚も上手のようにみえる。グリップのデザインにしても同じことがいえる。それでいて、売値が1229円プラス税なので、隣に並ぶKTCの1.5倍だから、がぜん魅力的に写る。
前号のKTCの貫通ドライバーと合わせ考えると、日本と欧州のドライバーは同じドライバーだけど世界観が異なるのかもしれない。ドライバーに関しては、日本のモノ作りがまだ欧米をキャッチアップしているとは言いがたい、とする業界人に会ったことがある。が、どうもそうではなく、その狙いが異なるようだ。貫通ドライバー大好きなジャパニーズドライバーに対し、欧州のドライバーは、美しくネジを回す道具という位置づけ。あれこれ触りまくるうちに、同じねじ回しという機能でありながら、なんだか同床異夢の感じがしてきた。
三菱ふそうから、川崎工場の見学会の案内が舞い込んだ。≪昨年から中型大型トラックの車両ラインをストレート化して、より効率的になり、エンジン組み付け工場も一新したので見て欲しい≫というものだ。
量産工場についてのプロでもなんでもないが、工場見学ほど面白いものはない。根っこは小学生の社会化見学と同じノリで、取材した。1941年創業だから、すでに75年もたつ工場だけに、『ツギハギだらけだったラインを、約100億円をかけて、10年がかりで少しずつストレート化しました』(担当者)というだけに、500メートルほどの中型と大型トラックの組み立てラインは、以前見たときに較べ、わかりやすく壮観だった。
何が驚いたかというと、逆転の発想をしているのである。トラックはフレームにアクスルをまず取り付け、エンジン+トランスミッションを組み、さらにキャブと呼ばれる運転席ボックスを取り付けるのだが、フレームにアクスルと取り付ける段階で、フレームを反転していた。この方が作業者にとり高さをアジャストしやすく、作業性がいいという。エンジンを載せる前に太いチェーンを巻き付け、ゆっくりゆっくりフレームを正対に戻すのである(写真)。ちなみに、となりの小型トラックのほうは、従来通り正対のまま作業していた。
エンジンとトランスミッションを組み付け、ラジエーターなどの冷却系部品を取り付ける工程は、かつてのごみごみした感じから、コア生産といって少人数で、コンパクトに仕上げていくラインに変貌していた。ただ、残念なこともわかった。三菱ふそうは、ダイムラーグループの一員になっているため、小型から大型エンジンまで一貫してつくっていたかつての姿から、国内需要中心の中型エンジンだけを造り、小型はイタリアから大型はダイムラーから購入しているカタチ。国際的な相互依存構造である。これを裏付ける数字もある。国内需要の長引く冷え込みで、輸出比率が90年代から伸び、いまでは75%が輸出だという。自動車メーカーとして向き合うのは、どうも海外のようだ。
ちなみに、この百瀬の軽自動車におけるRR方式は、2年後の1957年、イタリアのフィアット社のダンテ・ジアコーザ設計部長の主張とまったく同じだった。「室内スペースを稼ぐためにはリアエンジン・リアドライブ(RR)が有利」だという研究結果をイタリア機械学会で報告しているのである。この考えは、英国のアレックス・イシゴニスがフロントエンジン・フロントドライブ(FF)の「モーリス・ミニ」を設計するまで、小型自動車のメインストリームとなったのだ。ちなみに、FFには欠かせないドライブシャフトには等速ジョイントと呼ばれる機構が必須。当時この等速ジョイントがまだ安定した技術ではなかったことも背景にはある。
昭和30年12月、百瀬の案が正式に認められ、開発がスタートした。
エンジンはラビット・スクーターで成功を収め、シトロエン2CVなど外国製小型自動車をサンプルとして乗用車エンジン開発に着手し始めていた三鷹製作所が担当することになった。百瀬が所属する伊勢崎製作所では、ボディの開発と全体を統括することになった。こうしてコードナンバー「K-10」(スバル360)の開発がスタートした。
3週間ほど前、マツダから奇妙な封書が届いた。
「広島中央郵便局」の美しい消印が押されたその封書を開けてみると、黒い一枚のカードと真っ赤な6角形をした風車をイメージする「折り紙」がでてきた。英語で、「マツダワールド・プレミアム」とあり、「ニューヨーク国際オートショーで新型車をお披露目するのは、喜びとするところです」とある。裏側には折り紙の開け方が、これまた英語で記してあり「花紋折り」という折り紙であることがわかる。その真っ赤な折り紙をおそるおそる開けてみると、「ニューヨーク・オートショーで“フタ”を吹き飛ばす手伝いをしてください」と英語で書いてある。
何だろう、このナゾめいた封書は? 当初は何のことかさっぱり推測できずモヤモヤが続き、思い切ってマツダ広報のIさんに電話した。でも、電話の向こうで笑っているだけ・・・(そりゃそうだ、言うわけない)翌朝、ふとひとつの考えが浮かんだ。赤い6角の折り紙が、まるでロータリーエンジンのように見えなくもない。そこで、東京モーターショーに展示していた新型ロータリーエンジン・スポーツカーがNYでデビューする!? うん、そうに違いない。
そしてこの原稿を書いている数日前、くだんのショーがはじまるや、その全貌が明らかになった。推理は大外れ。「ロードスターMX-5 RF」のことだったのだ。リトラクタブル・ハードトップ。直訳すると「引っ込めることができるハードトップ」、つまりソフトトップではなくハードトップ(たぶん樹脂か軽いアルミ合金、はたまたスチールか、素材は不明)をトランクに収められ、屋根付きだとファーストバックスタイルになる。RFは、リトラクタブル・ファーストバックの略だ。車速10km/h以下なら開閉でき、しかもソフトトップモデルと同じ容積のトランクルームを確保するという。それにしても、ナゾの封書は3週間ほど、ぼくを楽しませる結果となった。
先日、近所のホームセンターを物色していたところ、思わぬ工具を見つけ出した。
KTCの木柄ドライバー 貫通タイプである。KTCには白いグリップの木柄があるのは、むかしから知っていたが、黒塗り(正確には茶色塗り)の木柄ドライバーは握るのが初めてかもしれない。迂闊さに気づいた反省と比較的安い(857円プラス税)こともあり、買ってしまった。
自宅にもどり、しげしげ眺めたり、触ると、悪くないのである。「天然木のやさしさに機能を加えたカタチ」とキャッチコピーにあるが、深くうなずいてしまうのである。握ってみて「オッ!」と小さく声をあげたのは、グリップエンド部の段差である。この段差に小指がうまい具合に収まり、エルゴノミック・デザインには負けるものの、悪くないグリップフィールなのである。にじみ出るような素朴さに好感がもてるのである。
ただし、洗剤をつけて握ると、まるでグリップ感がなく、スルスルするは、表面にニスが塗ってあるので致し方がないところか。先端はブラックポイントでマグネット付き。
一言でいえば、このドライバー、昭和の香りがするわりにはなかなか機能的に合格点が与えられるのである。ちなみに重量はプラス2番で120グラムと貫通タイプとしては、比較的軽い部類といえる。プラス2番にはこの全長230ミリタイプ(軸長100ミリ)のほかに全長280ミリタイプ(軸長150ミリ)もあり、価格は約1.5倍だ。