日本のクルマ初めて物語は、“軍用”という頭文字が付くことからわかるように、どうやら、きな臭いニオイのする軍需輸送機関がその目的だったのである。
ちなみに、フォードが日本進出を果たした大正14年(1925年)には、陸軍自動車学校が東京の世田谷に創設され、軍用自動車の運転手を養成するほか、それまで陸軍自動車隊でおこなわれていた軍用自動車試験の業務および軍用自動車調査に関する業務を引き継ぎ、その後の軍用トラックの生産への布石としている。
当時フォードとGMが日本で展開した「ノックダウン生産方式」とはどんなものだったのか。
完成車ではなくて、エンジン、シャシー、アクスル、ボディなどの主要パーツを部品のカタチで本国アメリカから持ち寄り、現地の日本で組み立て、生産・販売するというシステム。
輸出側にとっては完成車輸出に比べて関税面で有利なほか、現地の安い労働力がフルに使えるし、輸入側では技術の習得につながり、自国の工業化へのよき刺激となる。現在でも、中国やインドなどで、本格的工場設立の前段階として導入されるシステムである。
写真〔トヨタ博物館「国産車を創造(つく)った人々」から〕は、日本GMの工場内部。