年を重ねると、なかなか新しい世界に踏み出せない。理由はいくつか挙げられる。
身体が若いときにくらべ反応速度が鈍くなり、観察力も悪くなり、たぶん好奇心も薄れてきているのかもしれない。守りの精神構造になっているため、とくにリスキーと思うことに挑戦できない傾向にある。昨日と同じことをするのが心地いいから、さらにこの傾向は加速する。
10数年前のクルマを後生大事に使い続けているのは、そんなところにあるのでは? と先日ふと気づき、少しの勇気を振るいイマドキのクルマに乗り換えることにした。本当はこういうとき、破産を覚悟で1000万円以上のベンツかレクサスに乗り換えるのがかっこいいのだが、差額でフルコースのフレンチが何回楽しめるかと思うと、イマドキの売れているクルマに食指を伸ばした。安直と思われそうだが、トヨタのシエンタである。ハイブリッド仕様の6人乗りだ。普段づかいで、1000キロほど走ったので、気づいたことを報告しよう。
乗り心地と静粛性は、20年前の高級車にせまる。エンジニアたちの絶えざる努力だ。燃費はハイブリッドなので、街中で約17~18km/l。車重が1.7トンなので、同じエンジンを載せる車重1トンそこそこのアクアのモード燃費37.0km/lには遠くおよばない。
バツ(×)なところは、リアビュー。イマドキのクルマはリアビューモニターが付くので、デザイナーがこれに甘えて、ドライバーが後ろを振り向いての視界確保に手を抜き、そのぶんエクステリア・デザインを重視していることがわかる。もうひとつの×は、このクルマ3列シートなのだが、3列目に座ると運転席との会話がとてもやりづらいことに気づいた。思わず・・・「糸電話」で会話しようかとジョークを飛ばしたほど。レシーバーとスピーカーを追加するといいかもしれない。いまのところ、100点満点中85点。今後気づいたことがあればリポートしたい。
ちなみに、ひさびさに自分で車庫証明をとり陸運事務所に足を運び、登録もしてみた。車庫証明には土地台帳の証明が不要になっていたり、登録はむかしとほとんど変わらなかったが、体験自体は手続きの内実がリアルにわかり、新鮮だった。
日本のクルマ初めて物語は、“軍用”という頭文字が付くことからわかるように、どうやら、きな臭いニオイのする軍需輸送機関がその目的だったのである。
ちなみに、フォードが日本進出を果たした大正14年(1925年)には、陸軍自動車学校が東京の世田谷に創設され、軍用自動車の運転手を養成するほか、それまで陸軍自動車隊でおこなわれていた軍用自動車試験の業務および軍用自動車調査に関する業務を引き継ぎ、その後の軍用トラックの生産への布石としている。
当時フォードとGMが日本で展開した「ノックダウン生産方式」とはどんなものだったのか。
完成車ではなくて、エンジン、シャシー、アクスル、ボディなどの主要パーツを部品のカタチで本国アメリカから持ち寄り、現地の日本で組み立て、生産・販売するというシステム。
輸出側にとっては完成車輸出に比べて関税面で有利なほか、現地の安い労働力がフルに使えるし、輸入側では技術の習得につながり、自国の工業化へのよき刺激となる。現在でも、中国やインドなどで、本格的工場設立の前段階として導入されるシステムである。
写真〔トヨタ博物館「国産車を創造(つく)った人々」から〕は、日本GMの工場内部。
乗用車とトラックの整備は、同じクルマなのにこんなに違う!とたまげることが少なくない。
たとえば、ブレーキの摩擦材を考えたい。ディスクブレーキならブレーキパッドだが、ドラムブレーキならブレーキシューである。ブレーキパッドは裏金ごとASSY交換だが、トラックのブレーキシューは、ライニングと呼ばれる摩擦材を取り替えて使うのである。シューごと取り替える乗用車の世界と違いリサイクル思想が昔からあるのだ。
ところが、このライニング交換、リベットでベース素材に留められているライニングを取り外すには、リベットをひとつずつ取り外す作業が必要。このリベット、φ6ミリと8ミリの2種類。10トン・トラックで、片側だけで計36個あるという。これが、4軸タイプだと、合計36×2×16=1152個のリベット。
これをいちいち手作業で抜いたり、カシメたり・・・は大変このうえない。
そこで開発されたのが「BSリベットル」というツール。重いライニングを作業台に置いた状態で、写真のように、すぱすぱと古いリベットの抜き取り&新品リベットのカシメが安全かつ確実にできる。特段のスキルなしにどんどん作業が進む。新入社員はもちろん、アルバイトさんでもできるという。本体重量5.2kg。製造は富岡市の㈱三協だが、扱いは安全自動車㈱だ。
クルマやバイクの世界ではずいぶんむかしから製品の色が、売り上げに大きく響く、といわれてきたが、工具の世界でも底流には、むろん色の良し悪しはあったとしても、あくまでも二儀的だった。機能性がまずトップにきて、見た目がその次、3番目に価格、4番手にカラーリングではないだろうか?そう考えると、≪漆黒ギアレンチ≫は、ある意味、野心的!?
漆黒(しっこく)とは、辞書を引くと「漆を塗ったような光沢のある黒色」のことで、よく推理小説などに出てくる『漆黒の闇(やみ)』とは、黒色を塗りこめたような濃密な闇。目の前に人が近づいてきて鼻をつままれるまでわからないような暗闇を指す。
この『漆黒ギアレンチ』の漆黒度は≪つや黒≫という程度。渋い黒味、と言い換えられる。つや黒は、海外でも実は人気となっていて、ヤマハの海外向け大型バイクにつや黒仕様がラインナップしているほど。どこか不確実性を感じる時代にあって、懐かしさと威厳を感じさせるにふさわしい≪ツヤ黒≫が受けるのだろうか。
工具にツヤ黒を使っても悪くない感覚だ。ぴかぴかツールにいささか飽きている向きには新鮮な印象だし、工具箱にこれが入ると、どことなく大人びた感じがしないでもない。この製品、メイド・イン・台湾なのだが、面白いのは、保証トルクが明記している点。ギア数72(送り角度5度)のめがね部のラチェット部分は91Nm(ニュートン・メーター)で、スパナ部が49Nmだという。自信があるのだろうか? でも、こう言われても他のデータがないので比較のしようがない!? サイズ12ミリで、全長は170ミリと標準で、重量は81グラムとやや重い部類。発売は、大丸興業㈱。ホームセンターでの購入価格は849円。
実はあまり知られていないが、今年5月に「自動運転標準化研究所(NTSEL)」が、国土交通省のもとに設立されている。これは来るべき“全自動運転システム投入”を見越して、オールジャパンで対応するため、官民あげて取り組もうという体制固め。早い話、日本の自動運転技術を国際標準とするための、基準づくりや調整作業が狙い。もし日本の自動車メーカーが構想する技術が、世界標準と大きくかけ離れたり、イニシャティブを取れない事態となれば、国益が大きく損なわれるという危惧が、その背景にある。
ところで各国の「自動運転技術」の統合についてはどうか? 驚いたことに、言葉(用語)の統一がなされていない。それだけでなく、「自動運転技術」の評価について、ほとんどなにも決まっていないという。技術だけが先行している状態といえる。
「自動運転は、高度運転支援の先にある技術であるとは、ほぼ共通した認識ですが、たとえば日産の矢沢永吉を使ったTVCMでは“やっちゃえ、ニッサン!”で運転中手放しシーンをお茶の間の向こうにいるユーザーに見せ、自動運転技術をユーザーに示しています。一方トヨタは、馬車に乗った御者が“馬は道をはみ出さないが、御者は手綱を握っている”というTVCMを流していました(写真)。完全自動化の前の運転支援システムを訴えている。このように自動車メーカー自体も統一が取れていないので、ユーザーは混乱している」(NTSELの河合英直さん)
これを受けて、「実はアメリカでもほとんど同じです」というのはIIHSのエイドリアン・ランド氏。「世界を駆け巡った例のテスラモーターの自動運転車における死亡事故は、自動運転技術に冷水を浴びせた印象です。でも、一部にはオートパイロットという言葉でこのシステムを説明したメーカー側に非があるという意見もあります」自動運転に限らず、新しいメカニズムというものは、当初さまざまな説明不足や製品の完成度不足などで、初期トラブルが起きる。ABSなど、運転の上手なひとから“機械にまかせるより人の感性のほうが優れている”と強い拒否反応があったが、今では、ごく当たり前の装備となっている。いつの時代も新しい技術は、いくらかの誤解をともないながら浸透する!?
GMは、日本への進出については、フォードに先を越されていた。
2年前の大正14年2月にフォードが、一足先に「日本フォード自動車」を資本金400万円で横浜の新子安に設立し、ノックダウン方式でモデルT(T型フォード)の生産のスタートを切っている。フォードがいち早く日本進出を決めたのは、関東大震災後の需要を経験したからだ。
当時の日本の自動車をめぐる状況は、どんな感じであったのだろうか?
明治44年にのちのダットサンの前身となる快進社自働車のDAT号(2気筒12馬力)が完成するが、性能的に未成熟。この自動車の動の文字が、働く、つまり自働車になっているところが、いかにもその時代の人々の心意気が反映していて面白い。しかもこのDAT号は、いまのようにマスプロダクションではなく、手作りに近いシロモノ。内山駒之助らがかかわったA型フォードをモデルにしたとされる「タクリー号」は17台生産されて、その後大正10年には白楊社で「オートモ号」という小型自動車が生産され、これは250台ほど造られているが、まだまだ量産には程遠かった。
それでも、大正7年に施行された「軍用自動車保護法」は、当時の企業家に来るべき自動車の時代を予感させるものだった。トラックの製造業者と購入したユーザー双方に補助金が出る法律。つまり日本のモータリゼーション前夜は、軍需用トラックが中心でスタートしたといえる。よく言われるように、アメリカがこの地球上に始めてモータリゼーションを現出した。ヘンリー・フォードがT型フォードを、フォードの工場ではたらく労働者みずから手に入る価格で生産するシステムを完成させたのだ。欧州では当時、クルマは華族をはじめとするお金に余裕のある人びとのためのチョー高級品だったのと好対照。日本の庶民がクルマを持てるようになったのは、終戦後15年以上の時間が必要だった。
21世紀の産業革命を一堂に見ることができる、という触れ込みの見本市CEATEC(コンバインド・イグジビション・オブ・アドバーンスド・テクノロジー)2016が幕張で開かれた。さっそく覗いてみた。
注目はモノのインターネット(IoT:インターネット・オブ・シングズ)だが、オット足を止めさせたのは、いっけん何の変哲のない1台のフォークリフト。燃料電池式のフォークリフトだという。
つくったのは、乗用車のエンジンのシリンダーブロックなどを製造している豊田自動織機。豊田佐吉ゆかりのモノづくりメーカーだ。近くにいた開発に携わった女性をつかまえ聞いてみると、「トヨタ・ミライの燃料電池のシステムを参考にさせてもらいつくりました」とのことだが、あちらは確か70MPaと高圧だが、こちらはその半分の35MPaで、独自に開発した部分も少なくないという。
水素の充填時間は約3分で、稼働時間は8時間というから、ライバルのバッテリー方式やディーゼル方式のフォークリフトなどと十分戦えるという。倉庫の一角を占める充電機やスペアのバッテリーが不要となることも、このフォークリフトの優位性だという。ちなみに、車両重量は、3920kgと乗用車の約2倍なのは、フォークリフトの常識。だが、コストが、いまのところバッテリー式フォークリフトの3~4倍というのでは、いくら環境に優しいといっても誰も見向きもしない。今後、素材やデザインの見直しなどで、1.5倍近くにまで下げられるかどうかが注目だ。
1980円! という価格からして、「フン! 台湾製だろ!」と一瞥(いちべつ)だにくれない読者がいるかもしれない。ちょっと待ってもらいたい。
実はこれ、バリバリの日本製、メイド・イン・ジャパンなのだ。
よく見ると柄のところにFLAGの文字が刻まれている。その横にはCr-Vの文字、つまりクローム・バナジウム鋼だということらしい。格安の台湾製のツールで、日本市場でここ10年以上大活躍しているストレート・ブランドの工具である。≪ストレート=台湾ツール≫という図式で観られがちだが、いつの間にか、スペードのエース並みの日本製ツールを製品群に忍ばせていたのである。FLAGは旗のことで大阪の㈱秦製作所製とのこと。
それにしても差し込み角1/4インチの日本製プッシュ式ラチェットハンドルが2000円切るとは信じられない。どこかに落とし穴でもあるのでは? そんな疑いの目で見て弄繰り回してみたが、使えば使うほど、触れれば触れるほどに魅力的な工具だと思えてきた。ヘッドが実にコンパクトで、しかもギア数が60ギア、つまり歯送りわずか6度。持ったときのバランスが悪くないのは、柄の内部を中空にしているからだろう。全長115ミリは手のひらサイズで、機動力の高さを裏付けるコンパクトさ。担当者いわく「台湾製にくらべ、オーバートルクによるヘッド内の修理も確実、かつスピーディですから長い目でみればお買い得です」。まんざらウソではないようだ。3/8インチもスタンバイしていて、こちらは2800円だという。