従来型のスズキ・スイフトに乗ったとき、思わずこんな本音を漏らしてしまったことを今も覚えている。「これが、欧州車のバッチを付けていたら、2倍は売れるのに・・・でも、乗り心地の堅いクルマは日本ではなかなか苦戦する・・・」日本車なら堅い乗り心地も欧州車なら許せる、そんな日本人ユーザーの一筋縄ではない評価基準があるからだ。
2004年というから、すでにデビュー13年目を迎えたスイフトは世界販売の累計530万台。でも、日本では50万台に過ぎない。ならしてみると月3000台程度。10位以内には入るものの、アクアやフィットなどに比べ大きく水を開けられている。このデータを踏まえ3代目も月に3000台が販売目標台数と控えめ。
競合がひしめきあうコンパクトカーの市場が、いかに厳しいかということだ。
今回のウリは、プラットフォーム(土台)を一新することなどで、車両重量を約1割も軽くし、車両重量を1トン未満に抑えた。ボディ剛性も大幅に改善したという。単眼カメラとレーザーレーダーによる衝突軽減ブレーキシステムも進化したようだ。入念なCAE解析と吸遮音材の採用などで、静粛性の向上にも気を配ったと胸を張る。
1.2リッターのマイルドハイブリッドをラインアップすることで、燃費は27.4km/lとライバルとタメをはるし、今後より燃費に有利なストロング・ハイブリッド版も投入するという。面白いのは、走り重視の1リッター直噴3気筒ターボユニットのダウンサイジング版(こちらはリッター20km/lで、価格も170万円台とやや高い!)もある点だ。
この世界戦略車、「今後インドにも投入する一方、スズキの国内年間小型車販売の新記録樹立(昨年は10万台)を更新したい」(鈴木社長)という。価格は130万円台から。
リアルタイムで当時の福島村の空気を吸っていた人物から話を聞いてみよう。
取材当時82歳になる松田鶴義さんは、昭和15年に故郷の愛媛県の宇和島から、単身大阪の町にやってきた。都島(大阪城の北側)で修理工をやっているおじさんの伝手(つて)で福島の自動車部品商「二葉工業」の丁稚となった。当時16歳だった。二葉工業という自動車部品商は、いまはないが、松田さんが入社したころは7名ほどの部品商だった。松田少年の仕事はもっぱら自転車で、大阪府内にあるタクシー会社に補修部品を配達することだった。
大阪のキタを代表する飲食店街のある新地や、その東に位置する都島に、そのころタクシー会社やハイヤーで商売をする会社が集まっていた。注文が来ると商品である部品を自転車に積み込み、配達する。自動車部品に接することで、いつしか部品にまつわる知識や「このクルマはこの部品がようけ出る(売れる)」という情報が蓄積し、なにやら世の中の役に立っている自分を見出し、楽しくなったという。
たとえば、フォードは過積載が原因でよくリアアクスルが折れたという。これはいまの言葉でフェイルセイフ対策。高価なハブやデフが壊れるより前に、比較的安いドライブシャフトが折れるようにして、過度の修理代がかからないように設計されていた。
松田少年が大阪の水に慣れ、仕事がようやく身につきはじめた昭和16年12月、太平洋戦争が勃発した。満州事変から始まった日本の軍事優先政治は、支那事変(日中戦争)へと拡大、さらにアメリカ、イギリス、オランダなどを相手にした第二次世界大戦へと突入したのである。
ばくぜんと図書館というと「すでに死んだ本がずらり並ぶ場所」というイメージを持つかもしれない。でも、目的意識をいだいて図書館に赴けば、世界はちがって見えてくる。
これまで取材で何度も訪れた愛知県長久手にあるトヨタ博物館に1月の連休を活用して、出かけた。その時は、とくに何がという目的意識を持たなかったのだが、グググッと好奇心が頭をもたげたところに出くわした。
新館ができたとき3階に併設されたライブラリーだ。
ふつうの図書館から見たらミニであはるが、すべてクルマに関する本や雑誌がこのなかに整理して留まっていると思ったら、エンジン音が聞こえてくるのではないかと思えるほどドキドキした。自動車の歴史、伝記、企業史、アメリカ、ドイツ、イギリス、フランス、イタリア、日本という国別のクルマの単行本、自動車工学、自動車のデザイン、モータースポーツそれに自動車のコミックというカテゴリー別にずらりと開架方式で整理されている。もちろん外国語の本もある。開架方式というのは、閉架式の逆で利用者が手にとれるカタチで整理されていることだ。雑誌のバックナンバーや新刊雑誌も見ることができる。筆者が長年関わった「オートメカニック」は残念ながらなかったが、10年以上執筆者の一人として関わった「自動車工学」は全巻揃っているようだ。カタログも充実してストックしている。旧いクルマの詳細を知る聖地、と呼んでいいようだ。
とにかく自動車について広く学べるところであることは間違いない。姿勢を正して資料を読み解く机もあるし、ゆったりとくつろぎ名車アルバムを楽しむソファーもあり、半日は楽しめる。ただし、コピーサービスや館外貸出しは行なっていないのが残念。問合せは☎0561-63-5151。
「あのときの作業で、この工具があれば・・・・もっとスピーディにいけたのに!」
工具店を歩いてみて回ると、ついそんな思いに駆られるときがある。「Sタイプ・リバーシブル・ラチェットレンチ」は、まさにそんな工具だ。・・・・かつてロードスターのオルタネーター(交流発電機)を取り外すとき、苦労した。手のひらサイズのショートスパナで何とかボルトを緩めることができた。だが、振り角度が小さく作業時間がずいぶんかかったことをいまでも覚えている。このとき、この工具さえあればスイスイといけたはずだ。
S字タイプなので、邪魔な部品を上手く避けられるのが大きなアドバンテージ。もうひとつは、ギア数が72山のラチェットなので、送り角度がわずか5度。スピーディに緩め作業も締め作業もおこなえるはずだ。サイズも使用頻度が高い10ミリと12ミリというのもうれしい。柄自体がやや角張ってはいるが、とくに問題はなさそうだ。左右の切り換えのスライド部の操作感も悪くはない。タグには≪本締めOK!≫とあるが、台湾製なので、もしギアが破損したら、多分それまでだろう。重量は87グラム。
それをエクスキューズする意味だろうか、裏には、ごく小さな文字で、10ミリで71Nm(ニュートンメーター)以下、12ミリで91Nm以下とあり、一応の目安とはなるだろう。発売元は、三木市の藤原産業(☎0794-86-8200)だ。ホームセンターでの購入価格は2181円だった。
今年は平成29年だが、これが30年前の昭和時代にもどったら、「すげっ、クルマじゃん!」と褒めちぎられていたハズ。世界のカーオブ・ザ・イヤーを総なめ間違いなし。
昨年10月にデビューした新型スバル・インプレッサのことだ。このクルマに乗って3ブロックも走らないうちに思わず冒頭のツブヤキを発してしまった。おじさんの心をぐっと掴むのだ!
前を走るクルマのブレーキランプを識別して、さらに性能向上したアイサイトのバージョン3や歩行者エアバックを標準装備。これらの安全装備は、21世紀のハイテクであることは認める。ステッチ入りの小洒落れたシートデザインは、乗るたびにオーナーに満足感を与えることもわかる。それでもこのクルマはハンドリング・ファーストを標榜している。なにがなんでもハンドリング!
操る喜びを重視のクルマづくりは、昭和時代からスバルが追い求めてきた一大テーマ。
「上州生まれのスバルのモノづくり」がここに結実した! てな感じ。おちょくっているわけではない。イマドキの自動車メーカーは、「燃費ファースト」と「広さファースト」に血道を上げているが、このクルマはそうした流行には背を向け「究極のハンドリング・ファースト」なのだ。
先日、近くのスバルディーラーで試乗して、このことがよく確認できた。10分ほど走っただけで、遊びのないシャープなハンドリング、ボディの剛性感の高さ、ググッとくる直噴2リッターNAエンジンの加速力で、走りの実力はすぐわかる。ふだんダルな6人乗車のファミリーカーのオーナーを自分の選択にほぞを噛む?! こんなクルマに乗っていれば世界観まで変わるかも。やはりクルマは“官能に訴える乗り物”と再認識させられた。
面白いことに、客が押し寄せているという。たぶん昭和時代にいいクルマに恋焦がれたおじさんたちに違いない。燃費と広さを追求するだけのクルマに日本の一部のユーザーは飽きつつあるのだろうか? ちなみに試乗した2.0ⅰ-Sアイサイトは258万円台から。けっして安くはない。しかも燃費はJC08で、17.0km/l、横浜市内走行で約8~9km/lとけっして誉められたものではない。筆者のシエンタHVは、この2倍の好燃費なんだから。
一瞬の走りの鋭さに感動するか、GSでお金を払うときに思わず笑みを浮かべるのを優先するか、それが問題だ。どっちも欲しいのが人間だけど。
日本でのノックダウン方式でつくられた乗用車の価格は、昭和初期にフォード(写真:T型フォード)が1台2800円。GMのシボレーは3200円。当時の月給取り(サラリーマン)の月収が50~100円だったというから、年収の30~50倍以上。個人所有など数えるほど。もっぱら法人仕様やハイヤーやタクシーで使われた。むしろトラックの需要のほうがはるかに多かった。もっとも中小企業での当時の物流はもっぱら自転車、リヤカー、大八車で、トラックは、ごく限られた例外的な大企業、あるいは軍需用トラックとしての需要しかなかった。
大阪府下にも複数のタクシーやハイヤーを生業としたサービス業者があった。
当時の道路事情はお世辞にもよくなかった。非舗装路が大部分で、舗装路はごくわずか。そのためもあり、フォードやシボレーを使ったハイヤーやタクシーの故障率は、いまとは比べものにならないほど高かった。それにあわせて補修部品の需要も、とんでもなく高かった。
いまでは知る人がごく少なくなった福島の戦前の姿が、雑誌『大阪春秋』(平成10年9月号)にはこんなふうに描かれている・・・・。
「戦前の福島には、トヨペットやシボレーの代理店だった豊国自動車とフォードのエージェントだった福田自動車、それに岩山商店やアメリカ商会(現・大洋株式会社)、京屋などあったくらいで、部品商は港区の市岡1丁目から夕凪橋(朝潮橋)1丁目あたりまでに集中していた。中古車の解体、いわゆるセコ屋さんが多く、ほかにタイヤ販売からバッテリーや、修理工場、エンジンボーリング、部品メーカー、卸業者、小売業と自動車に関する一大メッカを形成していたという。また一軒一軒の商業ベースの大きいところは(西区)川口周辺に集まり、それぞれ大連、旅順、青島(チンタオ)、上海など中国や満州、東南アジアと貿易をしていた・・・」
水素社会に向けて政府などが音頭取りで、水素ステーションの建設がただいま展開中だが、当初1昨年中に全国に100軒のはずが、1年遅れで100軒に達したという。これはあくまでも東京、名古屋、大阪、福岡など4大都市を中心。地方都市は今のところ対応なし。地方都市など全国ほぼくまなく、となるには1000軒を構築しなくてはいけない。そうなるのは平成30年がメドだというから、まだまだ先の話。
足踏みしている背景は、膨大な建設費。一般的なガソリンスタンドが7000~8000万円に対し、水素ステーションは5~6億円もかかるのだ。いくら補助金ができるといっても、民間事業主から見ればリスキーな高い投資だ。
そんななか比較的格安なホンダのコンパクト水素ステーションが注目を集めている。
太陽光やバイオ発電で電気をつくり、この電気で水素をつくる、という小さなプラント。岩谷産業と数年前から共同で開発したもので、すでに官公庁や大手企業などで、徐々に増えている。寸法は3.1×3.2×3.1(高さ)メートル。こちらは、総建設費1億3000万円程度。2/3補助金が出るので、8600万円ほどで設置できるという(それでも高い!)。しかもユニットタイプなので、設置が容易だけでなく工期もごく短い。ただ、これまで70MPaの半分の圧力だったので、燃料電池車には、十二分に対応できずにいた。これが、70MPaの圧力タイプを目指して、現在東京の江東区青梅で実証実験中だという。
ただ、このコンパクト水素ステーションも、取材すると大きなネックがあった。内部にある電解幕の交換を定期的におこなう必要があり、その費用が数千万円もするというから驚く(だからいまのところ公官庁中心だ!)。こう考えると、水素社会が実現するにはまだまだ大きな壁が立ちはだかっているというのが現状のようだ。
無印の工具をどう評価するか、手こずることがあるが、この場合もそれが言える。
従業員が10万人以上という世界最大の家具量販店のイケヤ。暇つぶしにはちょうどいい場所だ。いつのまにか日本に馴染み始めている。そのイケヤ横浜港北店にぶらりと出かけたところ、999円の工具セットに出会って、つい購入してしまった。見てのごとし、丸い打撃面に付属の樹脂キャップをかぶせプラハンもどきに変身できる250ミリハンマー。これを取り囲むように・・・150ミリのモンキー(アゴ幅最大20ミリ)、同じく150ミリの小型ペンチ、ビット差し込みタイプのドライバー・・・文字通り家庭で使うことを目的にした工具が納まる。これさえあれば、家具の組み付け、おもちゃの修理ぐらいならできそうだ。ファミリーエントリー・ツールだ。
なかでも注目したのは、ビットが12本付きの差し換え式ドライバーである。
ドライバー先端に1/4インチ(6.35ミリ)のヘコミを設けていて、そこに、相手のボルトの頭形状に合わせて、12個のビットを付け替え使うというものだ。ややこしいラチェット機構など持たないので、結果としてガタが少ないダイレクト感を味わえる。驚くべきはビットのバリエーション。プラス1,2,3番は当たり前として、欧州でよく使うポジドライブが3本、ヘキサゴンビットが4,5,6ミリの3つ、さらに先端が尖ったポンチ用のビットもある。この豊富なビットを眺めると欧州の暮らしがなんとなく透けて見える! 面白いことにドライバー本体の長さが170ミリとやや短く、日本人の手に合わせたのではないかと勘違いするほどジャストフィット。グリップフィールも悪くない。
ケチをつけるとしたら、大して役に立ちそうもない開閉が重い小型ペンチぐらいか。ちなみに、樹脂のケースの裏側に、MADE IN CHINAの文字を見つけた。スエーデン製と思ったら大間違いでした。