点火装置から始まって、ディーゼルやガソリンエンジンのエンジンマネージメント、シャシーセーフティと呼ばれる衝突安全システムなどクルマのいたるところに、幅広く活躍しているボッシュは、じつはそんじょそこらの自動車メーカーよりもはるかに規模がでかい。なにしろ売り上げが年730億ユーロ(約9兆円)で、従業員数38万人と聞いただけでなんとなくすごさが理解できる。
そのボッシュが、一番遠い距離と思われてきた農業分野にこのほど進出した。
といって大規模農業経営に参入したという話ではない。得意のセンサー、ソフトウエア、それにサービスを駆使して、革新的ともいえる“病害予測システム”を完成させたのだ。トマトを代表とするハウス栽培は、これまで病害虫により収穫が大きく損なわれることがあるという。
そこで、ボッシュは、温度、湿度、日射量、それに2酸化炭素量を測定することで、病害予測を立て、タイミングのいい農薬散布を促すというものだ。数年前から約100棟以上のハウスのデータを蓄積し、知見を積み上げた結果いまのところ、病害予測率92%だという。
つまり、データをクラウドに送信し、ユーザーはスマートフォンやパソコンで、ウエブ上のアプリを介してハウス内環境を確認したり、過去のデータを見ることができる。これまで経験則や勘に頼ってきた農薬投入がより合理的かつ自信のあるものになり、収穫が想定以上に伸びるという。すでに2割以上の収穫を伸ばした実例があるという。初期費用なしで、月々9000円弱でこのシステムを活用できる。いまのところトマトだが、今後キュウリ、イチゴ、ナス、それに花卉(かき:観賞用の植物)などハウス栽培のあらゆる作物に広げていくという。
こうした技術は、モノのインターネットIoT(インターネット・オブ・シングス)、あるいはAI(アーティフィシャル・インテリジェント:人工知能)といわれ、今後あらゆる分野にどんどん浸透していくのは必至。人工知能が近い将来人間の知能を超える「シンギュラリティ」(技術的特異点)が来るといわれる。産業革命以上の労働力不要時代を招くといわれているのだが・・・。
松田さんは30歳のとき、二葉工業のご主人の妹さんと夫婦になり、それから5年後の35歳のときにノレン分けをしてもらい、現在の福島3丁目に店を構えた(資材当時)。
「独立してここで商売を始めたのは1960年ごろでした。私の店から指呼の距離に6軒の自動車部品商がありました。うちはトヨタ車が中心だったのですが、他はたとえば日産車、ホンダ車、輸入車をメインとしているという具合で、いわゆる棲み分けいうんですかね、仲良くやってましたわ。お客さんにとっても、こうした形態が都合よかったみたいですね」
一方、松田さん同様、自動車連隊の一人だった上田さん(写真)は、終戦を武漢で迎えるが、アミーバ赤痢、発疹チフス、マラリア・・・という病気のデパートのごとく病に次々に襲われ、ほうほうのていで氷川丸に乗せられ福井県舞鶴に降り立った。ちなみに、終戦後約660万人の日本人が海外に残された状態となり、うち約66万人がこの舞鶴港に引き揚げ船で到着したという歴史がある。現在これを記念して「舞鶴引揚記念館」が建っている。
氷川丸といえば、戦前はブラジル移民の輸送で活躍し、戦時中は日本海軍に徴用され病院船となり、戦後は引き揚げ船としてはたらき、その後は客船として使われ、晩年はごく最近まで横浜港で船上ホテルになっていた歴史的な船だ。
横浜のみなとみらいの一角にあるパシフィコ横浜で、毎年5月に行われる「自動車技術展」は、素人には難しすぎて、大半が木を見て森を見ずの感じ。でも、なかにはがぜん興味を引く展示物にぶつかり、思わず立ち止まり話を聞いてみたくなる・・・・。
「ダッシュパッド」といってもピンとこないけど、要するにエンジンルームと車室の境にあるパッド。エンジンの音が車室に侵入しないように隔壁に張り付けてあるものだ。
「少し前まで吸音材がメインの考えだったんですが、電動化つまりモーターでクルマの動力をアシストしたり、モーターだけに頼るクルマだと、モーター音を車室に入りづらくする遮音材が再注目されていますね」というのは、岡山県総社市にある三乗(みのり)工業の眞田達也社長。
そこで、今後の提案製品として、こんなダッシュパッドがあるという。
上部が吸音タイプ、下部が遮音タイプ。面白いのは、使っている素材だ。吸音材には再生綿と呼ばれるリサイクル品を用いているのだが、具体的にはジーンズやジャージの端切れ。
実は、岡山は知る人ぞ知る! 日本ジーンズの発祥の地であり、ジーンズやジャージの生産量が高い地域なのである。遮音をになうのは再生オレフィンシート(ポリエチレン系)に炭酸カルシウムを混ぜ合わせたものだという。重量は従来品が3㎏で、今回のが2㎏弱なので、約35%も軽量化されたというから驚きだ。
CAE(コンピューター支援エンジニアリング)で解析してのモノ作りだけでなく、作り込みや擦り合わせ技術と呼ばれる作業者の経験則がまだまだものをいう世界だという。
1949年以来トルクレンチ一筋にモノづくりをしてきた東京・大森に本社を持つ東日製作所は、今や世界のブランドTOHNICHIを築き上げた。
部品同士を締結するときに最重要となるのは締め付けトルクである。ところが、ボルトの数が多くなったりすると、ついポカをして締め忘れたり、締めすぎたり、逆にゆるく締めたり・・・というトラブルが起きがち。
そこで、ここ数年工場の組付けラインでは「発信機を組み込んだトルクレンチ」が普及しているようだが、整備工場などではそこまでの設備投資は無理だし、非現実的で必要ない。
今回登場したマーキング・トルクレンチは、昔ながらの規定トルクに締めた確認の意味で、マークをする…そんな昭和時代をホーフツとさせる職人気質じみた愚直な手法をよりスマートに行おうとするシステムである。
ヘッド交換式のスパナ部のへこみに棒状のマーカーが組み込まれている。既定のトルク値に達すると自動でマーカーが少し押し出され、ナットの辺にマーキングする。一つのマーカーで約2000回マーキングができ、マーカーが乾燥する時間は3~4時間だという。
マーキング・トルクレンチの品番はMCSPで、トルク範囲で、3タイプあり、10~50Nm(全長282ミリ/重量0.65㎏)で4万9100円、20~100Nm(355ミリ/0.9㎏)が5万2300円、30~140Nm(418.5ミリ/1.0㎏)が5万4400円。地味な工具ではあるが、日本のモノづくりや信頼耐久性を支えている製品だ。
モノづくりという営みは、どうしても≪土着性≫みたいなものが顔を出すものらしい。精神性といってもさほど遠くないかもしれない。
それが色濃く出たのがダイハツの「ミライース」というクルマだった。
2011年9月デビューの初代ミライースは、東日本大震災の電力不足による節約ムード、日本国民総パニック精神状態を背景に、「とにかく他をぶっちぎる高燃費で、低コストのKカーを創る」という思いで世に出したクルマだ。
たしかにカタログ燃費はその当時エポックメーキングだった。リッター30㎞の壁を破ったんだから。話題にもなった。でも、試乗してみると、なんとも面白くもなんともないクルマ。30分もハンドルを握っているとやるせない気分が襲ってきた。ボディ剛性は軟弱だし、走り自体のきびきび感もなく、乗っていて少しも楽しくない。家事万端(かじ・ばんたん)は及第点だが、共に時間を過ごしてもワクワク感のかけらもない、キラキラ度ゼロの女性みたい! というとセクハラ発言だとしてお叱りを受ける? まぁ、大きな声で言えないけど、女性に譬(たと)えるとそんな感じ。すいません。
で、6年後に登場した今回の新型ミライースは、かなり進化したようだ。
燃費自体は35.2㎞/lで、とくに群を抜いてはいないが、車両重量を730㎏から80㎏軽い650㎏(重い4WDは740㎏もあるが)になったのはホメていい。リアゲートやフロントフェンダーを樹脂にしただけでなく、燃料タンクを樹脂製にボディと足回りを見直し軽量化に力を注いだという。日本最軽量の13インチのタイヤとホイールの開発も評価すべきか。加えて、トヨタ流(とにかくダイハツはトヨタの子会社だから!)のDNGA(ダイハツ・ニュー・グローバル・アーキテクチャー)を導入した第一弾がこのクルマだという。ちなみに、耳にはするが意味不明なアーキテクチャーという英語は、そもそも「建築などの構造」のことで、簡単に言えば、クルマの構造変革ということのようだ。自動ブレーキはじめとする安全装備もKカーとしては進んでいる。
気になる価格は、84万円台。一番高いモデルでも150万円台どまり。足元をしっかり見据えたいいクルマに仕上がっているようだ。
ここにきて、ダイハツの大阪あきんど魂(たましい)も、正常進化したようだ。
敗戦という、社会のみならず個人的にも爆弾が頭上に落とされたような前代未聞の一大ショックのなかでも、人間は今日を生き明日を生きていかなくてはならない。過去の経験をできるだけ生かす職場、かつて属していた組織に戻ることは手っ取り早い選択だったであろう。
しかし当初は仕事らしい仕事がなかったという。売るものもなかったし、クルマだって終戦からまだ間がない頃ゆえ走っていなかったのである。
ところが、そうこうするうちによくしたもので、商売の糸口らしきものが見えた。
松田さんを知る昔の顧客から、あるいは二葉工業が仕事を始めていることを聞きつけた人達から、部品の注文が舞い込んだのである。「フォードのアクスルが欲しいのだが・・・」「シボレーのトラックのエンジン部品がなくて困っている・・・」といった類だった。
当時福島から南西に位置する港区の大阪湾にほど近い市岡(いちおか)界隈にはセコハン屋、つまり中古部品屋さんが50軒ほど軒を並べていた。市岡は昭和25年9月3日未明に上陸したジェーン台風(当時は占領軍が故国の慣習と同様に、台風に女性の名前をつけていた)による高潮の被害を受けたところ。松田さんは、1時間近くかけて自転車あるいはリアカーを引いて市岡でセコハンの商品を仕入れ、それを顧客に販売するという商売をしたという。
当時トラックを使った運送業が上げ潮の時代だった。戦前からのフォード、シボレーのトラックが依然として主役であり、フォードとシボレーの部品なら、仕入れれば何でも売れたという。「数日に一度、市岡に商品を仕入れにゆき、たとえば500円で手に入れた商品を2倍の1000円ぐらいでさばきましたから、それで十分食って行けました」。松田さんは遠くを見る目でそんな風に語った。(写真は、昭和30年代の浄正橋筋で、いまのなにわ筋。このころには国産車が活躍し始めていた)
ハイブリッドカーは、オルタネーターやパワステポンプが付かない、つまり電動パワステそろそろ梅雨時だ。
ワイパーブレードという存在は、晴れていると何の役にも立たないが、雨の日はこれがないとクルマを走らせられない、そんな大きな存在。だから、いざ使おうとすると、拭きムラが出たり、ゴムが切れていたりして、慌てふためくことがある・・・・。
ちかごろのクルマのワイパーブレードは、空力を考えたフラットブレードである。従来のトーナメントタイプに比べると、金属部がごく少なく高さが低く、軽いので、実にスマートだ。それに高速走行での浮き上がりを抑制する、という機能上のアドバンテージもある。
従来タイプを簡単にこの新タイプのフラットブレードに換えられるタイプが登場した。商品名『バウアーブレード』。バウアーって例ののけぞるスタイルなんだろうが、見るからにスマート。650ミリタイプで、45%も軽量化されたという。
しかも、このブレードのすごいのは、撥水(はっすい)効果があるシリコンラバーで、高付加価値タイプ。ふつう、中国製がはびこる自動車部品の世界だが、どっこい、これは純日本製だ。ガラスに押し付ける効果のあるゴム内部の金属バネのクオリティが日本製にはかなわないという背景があるという。
価格も通常1万円前後するところ、これは左右2本で6000円ほどだという。しかも内部のゴムだけを交換する(価格は1000円以下)こともできるので、とても経済的。純正品のように専用品ではなく、汎用替えゴムが使える。発売元は、タイヤショップショウワの吉川店(電話048-981-6946)と越ケ谷店(電話048-970-0505)。
いざというとき困らないように、左右2本をスペアとして、トランクに忍ばせておくことをお勧めするね。
マルチサイズを持つレンチは、たとえばバイクツーリングのお供だけでなく、日常のちょっとしたメンテナンスにも何かと便利である。
みなとみらいにあるホームセンターで見つけてきたマルチサイズのレンチを紹介したい。
「ギアーテック4in1 ラチェットレンチ」(品番MGR-0813)である。8ミリ、10ミリ、12ミリ、13ミリの4サイズが組み込まれている。8ミリの裏側に10ミリが、12ミリの裏側に13ミリがスタンバイしている。左右の切り替えノブは8ミリと13ミリ側の2つ付いている。つまりそれぞれ裏返して使う感じ。切り替えレバーのフィーリングはスパッスパッという感じで、いいし、ラチェットフィールもシュシュッという具合で悪くない。全体は鏡面研磨仕上げで、光り輝いている。
測定重量は、99グラムで比較的軽い。全長が100ミリとほぼ手のひらに載る長さで使い勝手は上々だ。ギア数72、つまり送り角度5度となかなかのスペック。本締めOKとあるが、オーバートルクで内部のギアは破損したときはリペアパーツで対応できそうにないのが玉にキズか。
というのは、台湾製だからです。発売は、兵庫県三木市にある藤原産業。購入価格は、1625円だった。この上のサイズの14-16-17-19ミリタイプもあるようだ。