上方の用語には、関東人にはちと分かりづらい用語が登場することがある。
この“折れて曲がる”なる言葉も、なかなか意味深長だ。文字通り解釈すると≪使うとすぐ折れたり曲がったりするほど信頼性の低い商品≫という意味であるが、それを生産し販売する側からの思いは深い!? ≪じきにダメになるけど、顧客はまた買うしかないので、つくるそばから売れて儲かる≫という意味があったようだ。いまなら詐欺に近いビジネス感覚ではあるが、市場の要求度も低く、誤解を恐れずいえばそのレベルの自動車補修部品の世界だった。しかしその後、日本人のあくなき好奇心というスパイスが加えられ、世界に冠たる信頼耐久性の高い日本製自動車部品の誕生を見た。
上田さんは、大同自動車興業でのモノづくりの経験を活かし、昭和36年(1961年)独立し、コイルスプリング、板バネなど自動車の発条(ハツジョウと読み、バネのこと)の卸業を展開した。スプリング類も、昔は未舗装路が多くて、過載積が少なくなかったのと材料がいまほど優秀でなかったなどで、折れたり曲がったという。そこで“増しリーフ(リーフスプリングの枚数を増やすこと)”などの裏技でも上田さんのビジネスは大きくなったという。
物語はすべからく≪起承転結≫の流れがある。大阪福島の自動車部品街も、4つの時代に区切られる。≪起≫が戦前の自動車部品勃興期、≪承≫が終戦から日本にモータリゼーション前夜まで、≪転≫が昭和40年から始まったモータリゼーションの時代、≪結≫は日本の車社会が成熟期を迎え、福島地区には卸業者の大手10社ほどと自動車部品商20軒ほどが活躍しているよほど目を凝らしてみないと見えない・・・・現在。(写真は昭和30年代の大阪市内。3輪トラックが懐かしい)