このところ日本のモノづくりの根幹が、揺らぎ始めている。
東芝の一連の問題、神戸製鋼所のアルミや銅製品の強度データの書き換え問題。それに日産の完成車検査の偽装問題。いずれも日本を代表する老舗のモノづくり企業の不祥事である。とりわけ神戸製鋼所の金属製品の強度データのインチキ行為は、自動車から航空機などあらゆる産業に影響するため、その余波が今後広がる恐れがある。
大企業ともなると、経営者が、現場の本当の姿を確認するのは極めて難しいとされる。いきなり現場に足を運ぶのが一番だが、部下のメンツを重んじるためか、たいていはしっかり予告して現場に行くようだ。だから、隅から隅まで掃除をした、普段とは異なる“よそ行きの現場”を見ることになる。心を鬼にしてまでも、いきなり現場を見るべきだ。優秀なトップを目指すなら。
それにつけて、15年ほど前、こんなことを目撃した。
張富士夫さん(現在80歳)が、トヨタの社長だったころ、都内で開かれた新車発表会でのあいさつを下から見上げていたら、彼のズボンにポッコリと膝の痕が出ていた。膝の部分に癖がついて丸くなっていたのだ。アララッという感じで眺めていたのだが、「忙しそうだな、この人、愛知から、新幹線に飛び乗り、着替える暇なくそのまま東京に来たんだ。現場から・・・」という想像をしてしまった。
その数日後、日産のニューモデルのお披露目の会場。あいさつに立ったカルロス・ゴーン(現在63歳)を見ると、一部の隙もない(アルマーニだろうな、たぶん)スーツでビシッと決めていた。への字の眉毛で強い意志を示すゴーンさん。付け入る隙なし・・・・さすがだな……と納得。「でも、この服装だと、現場に行くのは憚られる……」という思いが頭をかすめた。
現場の人である張さん、カッコマンのカルロスゴーン。どちらも違って、どちらもいい! でも、今回の事件があると…このふたりの光景が強く思い出される。
昭和40年に花開いた市場がある。
業界用語でいうところのアルファベット3文字“TBA”である。タイヤ、バッテリー、アクセサリーの頭文字をとったものだ。この3つの部品・用品が飛ぶように売れたのである。当時はいまでいう大型自動車部品商はおろか、カーショップなどはほとんど存在しなかった。ユーザーにいわゆるTBAをユーザーに販売する窓口はSS(ガソリンスタンド)だった。ここ10数年レンタカーに衣替えしたり、なかにはカラオケ・ショップに変身したりの超低空飛行のガソリンスタンドであるが、幹線道路から離れていない限り、当時はあきれるほど儲かった業種だったようだ。
このガソリンスタンドに、タイヤ・バッテリー、それにアクセサリーの3商品を置いてもらい、売り上げを伸ばしたのである。「アクセサリーの世界では、現在では想像もつかないもの、たとえばルームミラーにぶら下げる人形が大人気で、いまでいうフィギュアは誰のクルマにも付いていたものです。当時はマイカーというのは動く応接間的存在で、シートカバーも飛ぶように売れました。レース仕様、カラフルな色物など・・・とにかく自分のクルマを飾りたい、差別化したいというユーザーの要望を満たす商品でした」。
そういえばそのころ土足厳禁とか、高級車でもないのに毛バタキを新車購入時に必ず付けるという、いまから思えば笑いを誘いそうな奇妙な“習慣”もあった。
(写真はファンベルトの在庫。ファンベルトも当時から、よく売れた部品だ)
ディーラー工場に出かけた経験のある人は、人的構成がセールスマン、整備士、フロントマンの3つで構成されていることが薄々感じているはず。ところが、もう一つパーツマンというのがいる。2万点ともいわれるクルマの部品を検索する専門職である。街の自動車部品商や整備工場からの問い合わせにスピーディに答えるプロフェッショナルだ。
でも、セールスマンやフロントマンなどとくらべると、一番地味な存在だ。整備士もいまどきは直接顧客と対話しなくてはいけないが、パーツマンはひたすら部品のことを考えればいいだけ! そんな職種だと思い込んでいたところ、「いやいやとんでもない! あなたの認識、間違ってます!」という答えが返ってきた。
先日、三菱ふそうトラック・バスのサービスマンコンテストを取材したら、そんな声が聞こえたのである。パーツマンの競技で、顧客に新商品の用品を説明しセールスする能力を競うプログラムが展開されていた。具体的には、先だって紹介した後付け可能な衝突安全装置「モービルアイ」を売り込むか? 接遇能力、商品知識が問われた。
競技を眺めていると、なかなか想定問答集のようにはうまくいかず、子供の学芸会ののどかな雰囲気を醸し出していたが、本人たちは必死である。
この競技とは別に、一昨年からできたパーツマンの認証資格をめぐる「3分間スピーチ」もあった。3分間は、意外と長い。アタマのなかで練り上げても、うまくゆかないものだ。ふだんの言葉遣いで、ジェスチャーを交えてしゃべるだけでいいのだ! と思うが、「それができればしゃべりの商売に鞍替えするよ!」といわれそう。外野席からは「接客能力が高い人はもともとパーツマンはやらないと思うし、そもそも、こんな場所に出てこないね」
う~ん・・・・困難を楽しめる気持ちで向き合う人でないと、いまの世間は渡れない! 若い人の苦労を垣間見た思いでした。
ドライバーメーカーの老舗であるベッセルは、家庭向けのときどき疑問を付けたくなる製品を世に出すものの、プロ向けの製品には、他メーカーの追従を許さない製品をリリースして、筆者をうならせる。
貫通ドライバー「S-930」も、そのひとつ。
まず、手に持った時の剛性感が高く、ずしりと重い。一番使用頻度の高いプラス2番だが、全長216ミリは、ごくごく標準的だが、重量が160グラムは、重い部類。かつて、内外のプラス2番の貫通タイプのドライバー10数本をそろえ横一列に、比較したことがあるが、その時のデータを横に置いてくらべてみると、このS-930が一番重いのだ。軽いのになると110グラム台で、多くても150グラムどまりだった。これよりも10グラムも重い計算だ。
S-930のアドバンテージは、先端部に「ジョーズフィット」(サメの歯のように食いつく、意味だろうか)と呼ばれるギザギザが施されていることだ。カムアウトと呼ばれる、相手のネジ山から外れ、ねじをダメにすることを防ぐ狙いである。グリップは6角断面で、作業台から転がり落ちる心配のない形状。しかも2種類の樹脂を使い分けることで、グリップ感を高めている。
これで価格は、990円(ホームセンターでの購入価格)というから、日本のモノづくりも頑張っている感じである。
このところ絶好調なマツダから、新エンジンの発表があった。
「スカイアクティブX」である。スカイアクティブG、スカイアクティブGというエンジン技術で、他メーカーの技術者を驚かせたマツダは、今回は、「予混合圧縮着火」エンジンの実用化のメドがついたとしたのだ。これは、理想の内燃機関といわれたCCI(コントロールド・コンペレッション・イグニッション)である。ディーゼルエンジンのように、スパークプラグを使わずに圧縮着火による内燃機関。燃費と出力向上を大いに期待できるものの、これまで制御が極めて難しいとされてきた夢のエンジンである。ただし、極冷間時にはスパークプラグで点火するそうだ……。
マツダによると、従来の14.7という理論混合比(ガソリンと空気の割合)の約2倍の超リーンバーンで、出力とトルクが劇的に向上。つまり走りと燃費の上場のバランスで、燃費向上率はスカイアクティブGよりも20%も高いという。ということは、モーターや高価な電池を使ったハイブリッドカーに迫る燃費と出力ということになる。ハイブリッドカーを蹴散らすに足るエンジン!?
“ところが!”である。
VWはじめジャガーなど欧州の自動車メーカーは、2035年ごろまでに化石燃料車を生産中止にし、電気自動車に切り替えるとしている。スバルやホンダも欧州向けのディーゼル乗用車の生産中止を決めている。乗用車の世界で、発展途上国では、コンベンショナルなガソリンエンジンが依然として残ることはあるものの、少なくとも先進国では、こぞって電動化に動きつつある。大型トラックなど一部のクルマはディーゼル(化石燃料エンジン)を使い、≪地球上に残る最後のエンジンはディーゼル!≫ともいわれる。とにかく乗用車のパワーユニットは、電動化に大きくかじを切ったといっていいだろう。
残りの30年余り、このCCIエンジンは、大きく花開かせる余地があるのか? つい悲観的に見えなくもない。となると、“悲劇のレシプロエンジン”とも“遅れてきたレシプロエンジン!” となるやもしれない! 神のみぞ知るのだが!
昭和30年代の日本は誰しもがビンボーで、銀幕のなかでしか豊かな暮らしを味わえなかったのだが、長安さんのような恵まれた青年もいたのである。昭和30年代といえば、まだまだ戦前に造られたフォードとシボレーが街中を走っていた時代。当時のクルマのエアフィルターは、オイルバス方式もしくはデミスターと呼ばれるタイプ。板金製の箱のなかに切り子状の鉄製繊維があり、底にはオイルが入っていて、箱の中を通過する吸入空気中のゴミをそこでキャッチするというプリミティブなタイプだった。オイルフィルターは車種にもよるが付いてはいたのだが、日本の当時の整備士あるいはユーザーには「それがどんな役割をするものなのか、カイモク理解できず」、たいていのクルマは適当に塞いでしまっていたという。
これは筆者の想像だが、先代の長安社長のイマジネーションはこんなふうだったのではないか・・・自動車時代が到来すれば、クルマのケアは大きな関心事になる。手間隙を惜しまない日本人は補修部品をこまめに交換するはずなので、必要交換回数の多い部品を手掛ければきっと事業は成功するはず。先代の予想はみごとに的中した。堂島での創業時にはわずか4名ほどだったスタッフが、堂島が手狭になり現在の福島区鷺洲(さぎす)に移ったときには尼崎の工場を入れ全部で50名ほどの社員を抱える企業になっていたという。鷺洲に移ったのはまさにモータリゼーションのはじまったとされる昭和40年の翌年である。勢いを増した事業は、一方では競争の激化をもたらしている。ライバル企業も増え、乱売合戦が始まったのである。その意味では昭和40年は、福島地区ばかりでなく日本の自動車補修部品業界の大きな曲がり角でもあった。
博物館や図書館は、すでに死んでいる“過去の遺物”を置いてる倉庫にすぎない!
学問から背を向けて青年期を送った筆者は、実は、そんなふうに長く博物館のことを考えてきた。
ところが、当方が大人になったせいなのか、はたまた博物館の方がじょじょに「見せる技術」が向上したせいのか、なかなかに侮れない存在であることに気がつきはじめた。
いすゞの創業当時の古いトラック・バスの復刻版を見ることもできるし、エンジンのモノづくり、シャシーからボディのモノづくりの動画を楽しめる。話には聞いていた「大型トラック一台が走れるシャシーダイナモ」の模型の断面を眺められる。このダイナモは、いすゞ独自のもので、気温・湿度・気圧を自在に設定して、世界中どこの環境の道路でも再現でき、詳細なデータをとることができる装置。メディアですら入れないとされている。模型だが、このなんたるかが分かるのである。
このほか、新旧のディーゼルエンジンの外観を眺められるし、トラックのドライビング・シミュレーションを楽しむこともできる。
幼児から大人まで、奥行きの深い展示物、好奇心を揺さぶられる展示品が並ぶ。今年3月にオープンしたいすゞの「いすゞプラザ」は、なかなか見ごたえがあった。最寄りの駅から1時間に2本のシャトルバスが走るし、駐車場も備えるだけに、盛況だ。平日は予約だが、1月先まで予約でいっぱい。ただし、土日は予約なしで入れる。土曜日に出かけてみたところ、ファミリーや昔を懐かしむシニアたちでいっぱいだった。入場料無料というのも魅力である。
グリップ部が球形をしたドライバーである「ボールグリップタイプのドライバー」は、どちらかというと、自動車整備用というよりも電工用である。でも、このボールグリップを好む読者もいるようだ。丸いので、握りやすく、回しやすいというのである。
今回見つけてきたのは、老舗のドライバーメーカーであるベッセルが、創業100年を記念したドライバーだ。もともとは木柄のボールグリップタイプだが、平成のいまは、当然ながら樹脂製である。硬めの樹脂の上に手が触れる部分を柔らかめの樹脂をあしらうというハイブリッド構造。その柔らかめの樹脂に、ゲル状のタイプを採用している。指で押すとグニュッという感じで、へこむ。ネジを締める感じで握ると、密着度が確かに高いのが感じる。
「なるほど、これが新感覚というのだな!」と確認できた。
1/4インチ(6.45ミリ)幅の軸の両端は、プラス2番とマイナスの6ミリで、差替え式のドライバーである。軸に磁力を与える小道具が付いているので、ネジを取り付けたり取り外したりするとき、ネジがぽとりと落下する恐れがまずないのもいい。ただ、軸自体を指で揺さぶると、がたが少なからずあり、ややがっかりさせられる。そのぶん剛性感が薄れるというわけだ。
やはり、これは、家庭用のドライバーにとどめておくのが無難。本格的な整備には向かないようだ。価格は、698円だった。