昭和30年ごろ、エンジンを前に置き、駆動輪をリアとするFR(フロントエンジン・リアドライブ)レイアウトが常識だったが、スズキはあえてFF(フロントエンジン・フロントドライブ)方式を採用した。
VW,ロイトLP400、シトロエン2CVなどを購入し、事前に徹底的な分解・研究をおこない、シャシーにエンジンを載せただけのものだが、3ヵ月後には試作車を完成させている。≪2サイクル2気筒エンジン、排気量360㏄,FFレイアウト≫というコンセプト。ロイトLP400に強く影響を受けた試作車だった。
軽自動車用の部品はもちろん、それを作る専用の工作機械もない時代。溶接や板金作業も人の手が頼り。トライ&エラーの連続で研究室はいつしかシリンダーブロックの山ができたといわれるほど。それにテスト基準も何もあるわけではなく、ただ走るかとまるか、折れるか壊れるかの繰り返し。失敗の山を積み重ねていったという。
休日も返上して、こうしてまともに走る試作車2台が完成し、箱根登坂テストを兼ねて、東京まで試走する。いまでは想像できないが、当時のクルマは、全山砂利道の箱根の山坂を満足に走れるかどうかが大きな課題だった。(写真は、試作車の箱根登坂テスト。真ん中の黒いスーツ姿が鈴木道雄初代社長。「歴史写真集・スズキとともに」から)