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2018年7 月15日 (日曜日)

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冒険心をくすぐるジムニーが20年ぶりのフルチェンジ!

新型ジムニー

新型ジムニーフレーム

  スズキのコンパクト本格4WD車のジムニーは、その成立過程(下記の記事参照!)を振り返ると、まことに偶然の世界に満ちている。不遇時代の鈴木修氏(現会長)の人間関係から誕生した異色のロングセラーの軽自動車だからだ。それだけでなく、開発者に言わせると、このジムニーがあったからこそ、アルトやエスクードが誕生したという経緯もある。だとするとジムニーはスズキにおいてモノづくりのベースを構築したクルマだといえる。
  そのジムニーが、20年ぶりにフルモデルチェンジされた。しかも「機能美」に一段のこだわりをいだいてのチャレンジだという。初期型の発売が1970年、今回で4度目の全面改良である。普通のクルマは、5~6年ごとにフルチェンジであることを思えば、トラック並みの時間の経過。トラックは「生産財」といわれる。レジャー目的で購入する向きもあるが、山岳地帯の生活の足になったり、営林所でのプロが使う道具であることを考えると、ジムニーも「生産財」。いわゆるBtoBの商品かもしれない。
  このジムニー、日ごろは地味な存在に見えなくもないが、年間1万台以上が着実に売れていて、世界累計285万台と大健闘。一時期ライバルだったパジェロミニが2013年に発売中止に追い込まれているので、「日本が世界に誇る唯一無二のコンパクト4WD」だと大書するスズキの自慢も許されていい。ちなみに、パジェロミニは、モノコックだった。本格4WDにはフレーム必須なのは分かり切ったことだが、コストを考えると当時の三菱経営者はその一歩を踏み出せなかった。
  ジムニーは相変わらずラダーフレーム方式、しかもエックスメンバーと前後にクロスメンバーを追加することで、先代より1.5倍の剛性を高めている(写真)。FRのレイアウト、副変速機付きパートタイム4WDや3リンクのリジッドリアサスなどを踏襲しながら、今回「ブレーキLSDトラクションコントロール」が追加され、泥濘地での走破性に磨きがかかったという。
  トランスミッションは、6速を導入も考えたようだが、スペースの関係で5速にとどまり、結果的には5MTとアイシンAW製の4速ATのどちらかを選択できる。価格は145万8000円から。同時発売の『ジムニーシエラ』はエンジン排気量1.5リッターで、年間1万200台。価格は176万円台から。

カーライフ大助かり知恵袋1

あまり語られなかった“浜松スズキ物語”(第14回)

初期型のジムニー  現会長の鈴木修(現在88歳)が、常務の時代アメリカ支社から日本に戻り、東京支社駐在を命じられたちょうどそのころ、人脈を深めるべく様々な人と出会っていた。本人に言わせると「不遇な時代」だったようだ。早い話、干されていたのだ。人は不遇のときどんな時間を過ごすかで、その後の運命が違ってくる。修の場合は、とにかく異業種の人たちにどんどん会いに行ったという。そのとき、たまたま面白い人物と遭遇している。
  修より9歳年上のモノづくりの工場経営者。
  聞けばおもに遊園地向けのアミューズメント・マシンを作る下町の小さな工場で、4輪駆動の面白いクルマを作っているというのだ。それがホープ自動車の開発した「ホープスターON360」だった。社長はアイディアマンの小野定良さん(1921~2001年)。修とはすぐ気が合った。
  もともと“不整地万能自動車”として開発されたこのクルマは、スズキのキャリイが29万円だった時代、他社のエンジン(三菱製2ストローク2気筒)を載せ67万円で販売していた。価格が高いこともあり、わずか15台が市場に出回っているだけの超マイナー車両。しかもエンジン供給が途絶えていることもあり、ほとんど知られざるコンパクト4輪駆動車だった。
修は、この小野さんという男に惹かれるとともに、不整地をものともせずに走ることができる小さなクルマに魅せられた。自伝でも書いているが、恥ずかしいことに、自動車メーカーに身を置きながら、2輪駆動と4輪駆動の区別がつかなかった。だからこそなのか、富士山の八合目までグイグイ登る、この小さな車に過剰に魅せられたのかもしれない。(写真は1970年にデビューした初期型ジムニー)

カーライフ大助かり知恵袋2

都営バスの整備工場の潜入!(その3)

都営バス シート掃除  エンジンを元気よく動かすうえで欠かせないクルマの電気部品の消耗も激しいという。
  スターターとオルタネーターには、ブラシなどの摺動部分があるし、ギア部分の摩耗にも気を配る必要がある。そこで、4名の専従整備士を置き、電装部品の分解整備を日々行っている。工房の隅には、テスターがあり、組み上がった電装品を全品テストしていた。
  その隣では、床の張替え作業をしていた。
  床の張替え、といっても東北などで見られた路線バスの床の鉄板が融雪剤で腐食し、穴が開き、当て金(鋼板)をあてるというリストア的修理ではない。ロンリウムと呼ばれる樹脂のフロア材と床の鉄板のあいだにしつらえた約15ミリ厚の合板。これが経年劣化で腐り床がボコボコになっているのを修復していた。「いわゆるフロアの床材が腐るというものです。乗客が雨の日に持ち込んだ雨水が、上部の床材であるロンリウムの隙間から侵入し、やがて内部の合板が腐るのです」(木下工場長)ロンリウムは樹脂なので、夏場と冬場で伸び縮みして、月日が経つと隙間が生じ、そこに水が侵入するのだ。一番下の鉄を錆びさせるまでには至らない。とくに都営バスは前乗り、後ろ降りなので、入り口部分と中間扉の周辺の合板が腐りやすいとのことだ。
  驚いたのは、シートの清掃と修理をおこなう部署があることだった。
  8年をめどにしてすべてのシートを取り外し、シートバック、座面部、それぞれを水洗いする。なかには、内部のウレタンがつぶれてクッション性が低下している場合は、表皮をはぐり、旧いウレタンをカットし、新しくウレタンを追加し、表皮をかぶせなおす。ドライバーシートの場合は、正対するだけでなく、運賃箱に向いたりするし、乗り降りも激しい。そのため、表皮との摩擦が激しく、表皮が数年で擦り切れることが多い。そこで、表皮を新しく造り替えたりもするという。小さな縫製工場を抱えているということだ。なぜ、8年なのかは聞き忘れたが、たぶん16年でお役御免になるので、切りのいいところで、その半分、ということなのか?
  ともあれ……「ALWAYS 三丁目の夕日」を思い起こすノスタルジックな光景。民間の整備工場から整備士さんがここに再就職したい気持ちも、わからなくもない。

愛車メンテのプラスアルファ情報

サンフラッグの「ピカエモン」

ピカエモン1

ピカエモン3

 

  関東から見ると、好き嫌いはあろうが大阪人の心根の奥にはユーモアが根付いている。
  工具に、そもそも「ピカエモン」と命名しているのである。人気キャラクターの「ピカチュウ」と「ホリエモン」を足して2で割ったネーミングである。「ホリエモン」とは言うまでもなく、先日ロケット打ち上げに失敗するも、クラウドファウンディングや月額制のオンラインサロンで稼ぎまくる実業家兼タレントの堀江貴文氏。
  なぜ、「ピカエモン」といういささか怪しげで、軽いノリのネーミングにしたかというと……以下は半分関西人である筆者の推理だが、“ピカっとLEDのランプが光り、暗がりでも、ばっちり相手のねじの頭が見える、そんな「エエモン」(大阪弁で良きモノ、のこと)”ということではないだろうか。(ここまで考えて、ホリエモンは直接関係ないことが判明する!)
  発売元は、ドライバーの老舗の大阪東成区にある㈱新亀製作所である。ブランド名が「サンフラッグ」である。一度伺ったことがあるが、たしかに老舗だが、どこか面白みのある工具屋さんだ(だいたい定まった工具であるドライバーをつくっていること自体に可笑しみがある!)。
  本体重量はわずか5g、内部にボタン電池(LR41)3個が内蔵され、スイッチひとつで遠くを的確に照らし出すことができる。ドライバーやヘキサゴンレンチの軸に取り付けられるので、便利ということだ。ただし、写真にもあるように太い軸には取り付けられない。でも、工具に取り付けなくても、手持ちで懐中電灯のめっちゃ小型版と思えば、なかなかイケてる製品だと理解できた。なにしろ全長37㎜の親指サイズなのだ。ちなみに、この電池の基本寿命は約10時間ほどだが、プラス00番の精密ドライバーを使い2本のビスを緩め樹脂ケースを取り外せば、簡単に電池交換ができる。価格はホームセンターで480円。480円でここまで妄想の翼が広げられる。悪い買い物ではなかった!

2018年7 月 1日 (日曜日)

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深夜バスによるゼロ泊3日の旅に耐えられた?!

深夜バスたち  ここ数か月“バスの世界”にすっかり嵌っているせいか、長距離の深夜バスへの好奇心が高まる一方。
  たまたま、北陸小松にあるJバスの取材のため、ゼロ泊3日の旅を計画した。世にいう「弾丸ツアー」である。
  木曜の深夜に横浜を立ち、翌金曜日の朝小松に着く。午前は同市にある日本自動車博物館、午後Jバスの工場取材、そのあと最寄りの小松駅に戻り、夜8時半発の深夜バスで帰路。横浜に戻るのは3日目の早朝、という強行軍だ。乗車前にあらかじめ調べておいた最寄りの銭湯でリフレッシュし、ゆったり地元飯も楽しむ予定だ。
  行きも帰りも、日野のセレガの一代前の貸切バスだった。薄手のダウンジャケット、耳栓、空気枕、それに睡眠導入のためのトラベルミンを携え、いざ乗車。3列シートなので、リクライニングはほぼフラットに倒れ、悪くない。ところが、タイヤが路面の継ぎ目を超えるたびにガタガタっと突き上げが来る。最近の大型バスは、電子制御式サスで、ダンパーの減衰力を好みに変えられる。たぶんドライバーの好みの“高速での安定性を重視して”一番硬くしていたようだ。このおかげでなかなか寝付けなかったものの、帰りは微妙にその突き上げが少なく、おおむね快調。
  ところが、帰路で「なんだなんだ!」という体調異変が不意に襲いかかった。明け方、埼玉の三芳サービスエリアでバスを降りトイレに行こうとしたら、足がふらつくのだ。同じ姿勢で9時間ほどじっとしていたため、「エコノミー症候群」の兆候を見せ始めたのだ。やはり、眠い目をこすりながらも、休憩時には積極的に体を動かす必要があるようだ。トイレから戻ると、さっきは気づかなかったが、お仲間の深夜バスがずらりと並んでいたのには驚く(写真)。年間の深夜バス利用者はいまや1億人を突破したということがリアルに迫る。
  後日譚は、帰宅後疲れがたまっていて、仕事ができず一日ごろごろしてしまった。ちなみに、往復のバス運賃は行き5000円、帰り8000円だった。

カーライフ大助かり知恵袋1

あまり語られなかった“浜松スズキ物語”(第13回)

山羽蒸気乗合自動車  鈴木修の故郷下呂温泉は、名古屋から約100キロの地。
  有馬温泉や草津温泉とともに日本三大温泉の一つとして有名だ。調べてみると昭和6年、岐阜から富山を結ぶ高山本線の開通に合わせ、湯ノ島館という巨大温泉施設を2年がかりで造り上げている。筆者も一度だけ日帰り温泉で利用させてもらったことがある。いまでも、この旅館は見事なもので、総工費100億円、延べ6万人で造ったいわば巨大リゾートは中京の実業家の癒しの地として計画されたものだ。中京の軽井沢を目指したもので、人気を博したころはテニスコートも備えていたという。
  この温泉施設建設プロジェクトの中心人物が、靴の有名ブランド「マドラス」などで成功した2代目岩田武七(1884~1948年)。私財を投じてのちの愛知県立旭丘高等学校の前身である名古屋市立第3高等女学校の創設に尽力した。
  初代岩田武七(1847~1915年)は、明治41年に蒸気自動車を輸入し、名古屋初の乗り合いバス事業に乗り出した人物。日本初の乗合自動車を運行したとされる京都の「山羽乗合蒸気自動車」(写真)のころである。岩田武七のこのバス事業は、車両の故障が頻発し、あえなく失敗している。山羽虎夫の作った乗り合いバスもタイヤのトラブルなどで運行が上手くいかなかったようだ。こう調べてみると、見えない糸でつながっている気がしないでもない。

カーライフ大助かり知恵袋2

都営バスの整備工場の潜入!(その2)

バルブフェイス  都営バスの工場には、バス全体を上に持ち上げ下回り整備などをするための”2柱リフト”が8レーンある。うち6レーンが車検専用のレーンで、あとの2レーンがエンジンをオーバーホールするためのレーン。
  路線バスは、平均速度こそ遅い(平均時速11㎞/h台)が、走行キロ数が、月3000㎞とべらぼう。速度自体が遅いこと自体が、エンジンの水温が上がりづらく、吸気系が汚れやすいなどエンジンには大きなストレスを与えている。つまりシビアコンディション。自動車工学的に見ると酷使されている。その証拠に、エンジンだけでなく、走行系統、制動系統、電気系統、インテリアなどなどあらゆる面で、痛みや劣化が激しいようだ。
  東日本大震災以前は、都営バスはだいたい「10年40万キロ」で買い替えていた。
  ところが、それ以降は、15年60万キロまで乗り続け、そこでお役御免となる。
  「ですから、お役御免の15年までに必ずシリンダーヘッドのオーバーホールのタイミングが訪れます」(工場長)実際、エンジンオーバーホールのエリアに行くと、一人の作業員がシリンダーヘッドを相手に、タコ棒を手に持ちバルブフェイスとヘッドのバルブシートの当り面を光明丹を塗布し確認しているところだった。バルブのすり合わせ作業だ。当り面の修正は、バルブフラッパーというエア式ツールでおこなう。フラッパーというのが「おてんば娘」という意味もあり、それを思うとなんだかおかしい。
  30万㎞走行のいすゞの4バルブ6気筒の6HK1型エンジンだ。「このエンジンは、まだいいほうです。最近のエンジンはダウンサイジング・ターボなので、押し並べてストレスが大きく、オイル消費大や吹き抜け、水漏れ、オイル漏れなどの症状を引き起こし、なかには3年でこうしたオーバーホールを強いられるケースも珍しくないです」とくだんの工場長の言だ。

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メイドイン・ジャパンの超ロングプライヤー

ハイパーロングプライヤ  クルマの整備をしていると、ときどき奥のほうにある部品をつかんだりひねったりする作業の必要性が出てくる。通常のプライヤーでは、短すぎるし、ラジオペンチタイプだと短すぎるだけでなく、先端部の剛性が不足してしっかりつかめない。
  そんな時に抜群の使い方ができるのが、超ロングプライヤーの「ハイパーロングプライヤー」である。329gと片手で長く持つとバランスが悪いこともあり腕が疲れる感じになる。これが玉にキズ。だが、全長が実測で290ミリ、相手を捕まえる上下のあごもしっかりしていて頼もしい。ピボット部のガタも、ごくありがちだが、少なめに詰めているのも好ましい。
  先端部がまるでワニの口のように、ギザギザがつけられ、咥えたら二度と離さない感じで捕まえられる。メッキ部品やプラスチックを掴むときは、傷つけやすいので、ウエスをかますなどの工夫が必要だ。口開きは、2段階で最大25ミリほどまで。
  はじめに言ったとおり、やや重いのが難点だが、軸をさらに肉抜きするなどの工夫をすれば、20%ほどは軽くできるのに惜しい。メイドイン ジャパンゆえか、ホームセンターでの購入価格1705円。リーズナブルといえる。製造元は、(株)五十嵐プライヤーhttp://www.ips-tool.co.jp/


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