こんなことを発言する立場ではないかもしれないが、このところ日本列島は、異常気象、台風、大地震といった自然災害にこれでもかこれでもかと襲われている! 思えば2011年東日本大震災以来の異常事態である。先月、北陸小松にある「日本自動車博物館」に足を踏み入れたところ、7年前の震災に活躍したトラックなどが出迎えてくれた。その中に、少し異色のバスがあった。
「ビューティバス」と銘打った、どこか華やかなカラーリングの小型バスである。
じつは、このバス、「移動式ビューティサロン」として、震災の3か月後、つまり2011年4月から2015年3月の丸4年間にわたり、岩手県、宮城県、福島県の被災地にある市区町村、合計13の仮設住宅地などを回り、ボランティア美容師さんによる、地元女性のヘアスタイルとメイクアップを提供してきたのだ。震災のあわただしさのなかである。オシャレなどどこかに置き忘れてきた地元の女性に大いに喜ばれ、明るく晴れやかな笑顔をたくさん見られたとのこと。震災を受けた美容師さんには、働く場所を提供した役割も果たしたという。協力した美容師さんは全部で157名、この試みに参加したボランティアは238名にのぼったという。
実家が理容店だった筆者は、子供のころダイハツミゼットで、こうした移動美容室の夢想に一時熱中したことがある。それだけに、このバスの内部を見渡すと、感無量である。自動車が、ただ目的地までの移動手段だけでなく、もう一つの付加価値を持たせることで、世の中を少し住みやすくできる、そんなビジネスモデルのひとつ、といえなくもない。
ちなみに、このバスは、日産のシビリアン(エンジンはガソリンOHV直列6気筒4.5リッター)である。
低価格車戦略を打ち出したアルトの成功は、1979年(昭和54年)である。
スズキには、その前に長いトンネルをくぐる時代があった。1970年代初頭から社会問題化し始めた排ガスの問題である。クルマのテールパイプから出る排気ガスをよりきれいなものにするべく決められた法律は、いまでこそほとんど社会問題化されてはいないが、当時は、自動車産業を長い期間、大きく揺さぶる大事件だった。
アメリカのマスキー上院議員から提案されたマスキー法案(大気浄化法)は、一酸化炭素CO,炭化水素HC,窒素酸化物NOⅹの排出を段階的に抑制するというものである。1972年にホンダが発表したCVCCエンジンは今でもその厳しい排気ガス規制をクリアした輝かしい第1歩としてことあるごとに追憶され、記憶をよみがえらせるが、その陰で数多くの排ガスメカニズムが消えていった。
そのひとつが、スズキのEPICエンジンである。2ストロークエンジンのスズキ独自の排ガス浄化システムだった。
「子供のころにこんなイベントがあったらな~っ!」
思わず、そんな思いが込み上げてきた。先日、パシフィコ横浜でおこなわれた小学生のための「キッズエンジニア」である。日ごろ、次世代型車両や新しい自動車部品などを研究開発している大人のエンジニアたちが、子供のために自動車のメカニズムをやさしく説明したり、科学する喜びを体験してもらおうと様々に工夫を凝らしたイベントだ。
そのひとつに『ファンビークル:クルマの仕組みを体験しよう』(本田技研が担当)というプログラムがあったのだ。クルマといっても、写真でもわかるように一人乗りのレーシングカートだ。F1マシンのミニマム版! いまにも、音速でサーキットを駆け抜ける、そんな思いに子供心を掻き立てるマシンである!
実際には、電動アシスト自転車の電池を使った歩くほどの速度しか出ないマシンなのだが、子供のココロには突き刺さるフォルムだ。
しかも、このマシンのタイヤとサスペンションを4人一組で、子供たちの手で交換するのだ。
柔らかいタイヤとサスペンション、逆に硬いタイヤと硬いサスペンション。この2つの部品(といっても1台に各4個だから、トータル8個)を交換して、乗り心地を味わう! というものだ。生まれて初めて工具を持ち作業する様子は、初々しくて新鮮だ。
コースの途中に突起を設けいているので、乗り味はすぐわかる! 「タイヤとサスペンションを替えただけなのに、ガタガタしていたのが、スイスイいくようになり、僕びっくりしたよ!」そんな黄色い声で、自動車評論家真っ青な鋭い感想を述べた坊やもいた。ちなみに、女子の小学生は、おしなべて運転が上手だった。たぶんこれは、ふだん運転するお父さんの横で、ドライビングを観察しているからだと感じた。
「いや~っ、ドライバーもここまできたのか!」
思わず嘆息せざるを得ない。ドライバーのなかでは一番、使用頻度の高い2番のプラスドライバーである。
いわく「軸が4角断面、作業台の上で転がりづらい7角形の樹脂製グリップ、つぶれたネジが外せる先端部、カムアウトしづらいギザギザ付きの先端部」。
ラーメンでいえば、味付け卵、海苔、メンマ、チャーシューなどトッピングをフルに載せた感じ。
あまりに多機能なので、わかりづらいかもしれない。なかでも、一番のウリは「つぶれたネジに対して、あらかじめハンマーを使い打撃を加え、頭の溝に食い込ませ、緩めることができる!」というものだ。しかも、ノーマルでの使用で、ドライバーは押して回さないとカムアウトといって、工具がそとに外れ、ネジの頭を痛めがち。このカムアウト現象を極力抑えるために、先端部にギザギザ加工を施しているのだ。
モノづくりの世界から見ると、どういう手段で、このギザギザをつくりえたのか?
ギザギザのピッチが細かすぎ(4mm幅に7つギザギザがある!)なので、通常、金型でこのギザをつくるのは困難。でも、ルーペでのぞくと、後加工でつくったとは思えない!?
しかも価格が649円ということからも、そんな手間はかけられない! となると、金型で、ギザギザ形状を作った、と推理するするしかない。台湾工具、ますます恐るべしである! ちなみに重量130gは2番の貫通ドライバーとしては平均的な重さ。
販売は、三木市の藤原産業(℡0794-86-8200)である。
「完全自動運転」(写真は自動運転のイメージ:出典はコンチネンタル)は、大げさに言えば人類の夢だ。
出発の際に、行き先を入力すれば、自動車が勝手に目的地に運んでくれる。その間、ハンドルを握りアクセルペダルやブレーキペダルを踏まなくてもいいので、乗っている人は楽ちん。障害物をよけたりして自動でクルマがスイスイ走ってくれるので、疲れません。車内では、向き合ってお茶を飲みながらおしゃべりを楽しめる。それに、たとえば観光地に出かけた時、行きはハンドルを握って運転を楽しむ、帰りは疲れたから、ドライバーは電車で帰宅。クルマだけ、自動で自分ちのガレージまで自走で帰らせる、なんて芸当もできるかもしれない。
これがトラックやバスなら、いま、どこも人手不足で悩んでいる運転手不足がいっきに解消する。
ところで、自動運転という技術は、5段階で進化するといわれる。レベル1は「運転支援レベル」。レベル2は「部分的な自動運転」のこと。現在販売されている一部のクルマにすでに登場している。高速道路を走行中に、前のクルマと適当な距離を置きながら自動で走行してくれる。カメラやレーダーで前のクルマをとらえながら、前方車両自動追従装置、車線維持装置などの働きで、自動運転を行う。もちろんハンドルから手を離すことは許されません。レベル3では、さらに自動運転の領域が広がる。高速道路など特定の場所で走行中に、クルマが自動で走ってくれる。この限られたところでは、ハンドルから手を離し、たとえば、流れる風景を愛でながらコーヒーブレークを楽しめる。ドライバーはストレスからかなり解放される。でも、緊急時や自動運転システムが作動困難な時には、ドライバーにハンドルを握ることをクルマが委ねます。
レベル4では、さらに自動運転の領域が増える。「高度自動運転」。緊急時の対応も自動運転システムに操作をゆだねます。もちろん、ハンドルやアクセルペダル、ブレーキペダルなどは付いてはいて、ドライバーの気分で手動運転を楽しめる。でも、自動運転のシステムが働いている限り、ドライバーは運転操作をする必要がない、そんな世界。レベル5は、あらゆる状況においても操作自体が自動です。クルマにゆだねられている。「完全自動運転」。クルマが交通状況などを認知して、クルマ自体が自立して動く。だから、この場合、ハンドルやペダルが付いていない、といわれる。(次回に続きます)
当時、専務だった鈴木修は、従来コンセプトで売り出そうとしていたクルマを1年間凍結。「もっと安く、もっと軽く、常識破りのクルマを作ろう」という合言葉のもと、コストカット! 徹底した工程の合理化と部品削減を断行。本当にお客様の欲しがるクルマ作りを練り直した。コストカッターといえば日産に乗り込み大ナタを振るったものの、トヨタの章男社長の3倍の10億円という年収を受け取るカルロス・ゴーンを思い浮かぶが、修氏の年収は同じ頃、2億円を切ったそうだ。
横道にそれたが、とはあれ・・・生まれたのがアルト。「全国統一価格47万円」という当時としては中古車並みの価格だった。当時はたとえば北海道のユーザーは輸送代5万円前後を払わなくてはいけなかったのだが、これを全国統一価格にした。それだけでなく、当時3~4グレードほどあったランクを1グレードにして量産性を高め、そのぶんコストを下げた。助手席のリクライニングシートを廃止するなど徹底した工程の削減と部品点数の削減をおこなった。
4ナンバーの貨物扱いで税金も少なくてすんだ。生活の足を求めていた消費者の心をつかみ、アルトはあっという間に月販1万台を軽く超え、ベストセラーに躍り出た。
以来アルトは、スズキの看板商品となり、デビューして30年で、世界規模で累計1000万台を達成。このアルトの成功でスズキはバイクメーカーから4輪車メーカーへの基礎固めができたのである。
「僕の妹とだいたい同じ重さなので、26㎏だと思います!」
小学3年生ぐらいの坊やが、鉄の塊、「トルセン」というクルマの部品を手にして、重さを推し測って思わず口から飛び出した言葉だ。なんだか坊やのファミリーシーンが目に浮かんでくる一言だ。
パシフィコ横浜でおこなわれた「キッズ・エンジニア」は、小学生のための自動車セミナーである。これはそのイチ光景。
30分前、樹脂製の「トルセン」が机の上にあり、「これをバラして、組み立ててください。組み立てるときのことを考え、途中メモしながら、分解するといいね」そんな紙切れ一枚を、頼りに樹脂製のトルセンをバラしていく。横には、お父さんかお母さんが熱いまなざしでアシストしている。ジェイテクトという自動車部品会社のセミナーだ。そもそも、「トルセン」とは、トルクセンシングLSD(リミティド・スリップ・デフ)のこと。リア駆動のスポーツカーのリアデフに使われる。高速コーナリングや悪路走破性の限界性能を高め、高次元のドライバビリティ(運転性能)を可能とする! というとますます分かりづらいが‥‥。
そんな大人ですら理解困難な自動車部品を樹脂製のフェイク部品とはいえ、バラして、組み立てる。最後に、本物の「トルセン」を子供に持たせて、その重さを体感させる。実際には6.5㎏なのだが、現代生活のなかでは大人ですら重さを推し測る機会が少ないため、かなりスリリングで非日常空間。
こうした体験が月に1度ぐらいでもあれば、たぶん子供の心に科学の波紋が広がるんだろうな。そんな思いを強く抱いた。
ハンドツールのなかで、いわば「見捨てられたアイテム」というのがあるとすれば、プライヤーをイの一番に挙げる人が多いハズ。
いまでは、クルマを購入しても車載工具が付いてこない(あってもオプションで高いものがあるが)。ところが、10数年前まで、いかにも粗削りなプライヤーがオマケで付いてきた。バラせたので、タイヤレバーとして使ったものだ。
「モノを掴む」という作業だけなら、このオマケのプライヤーでなんとか作業が完了した。そのため、とくにプライヤーに力点を置いた整備士さん(サンデーメカニックも!)はごく稀だった。ということは、逆に言えばプライヤーに関しては「思考停止!」であり、まるで空気のような感じで、オマケのプライヤーに甘んじていたのである。大げさに言えば、この感覚は四半世紀以上、整備に携わる人を蝕んできた! といえなくはない。
そうした目で、IPS(五十嵐プライヤー)の「軽プラ」(商品名。軽いプライヤーからの命名らしい。型式名はLPL-165)を見ると、なかなかに意欲的だ。
ブリスター(パッケージ)が主張するように、従来のプライヤーの25%軽量化されている。手に持つとなるほど軽さを感じる。これなら、バイクのツーリングのお供にもってこいだ。数か月前取り上げたKTCのPJ-150(価格1229円)に比べ、33%も軽い。しかもアゴ部の形状に工夫を凝らし、ナットなどをしっかりつかむスタイル。遊びも比較的少ない。ピボット部の出っ張りもなく、その点では使い勝手も悪くない。
ただ、惜しむらくはグリップと金属の肌仕上げ。ショボいグリップと粗っぽい梨地仕上げは、いずれも“昭和の工具”をホーフツとさせる。愛着を感じさせるには程遠い工具といわざるを得ない。
それで価格が、1490円とやや高い。KTCより200円近く高プライスを付けている。狙いはいいのに残念だ。