文筆業というのは、実に厄介なものだ。
先日、バスの単行本を半年かけてようやく書き上げ、胸をなでおろし、何の気なしに資料をあれこれあさっていたら、大きなミスをしでかしていたことに気付いた。出来上がった本を手に取ると、約束したかのように、なぜか2つ3つ誤植が目に飛び込んでくる。今回、臍(ほぞ)をかんだのは、それだけではなかった。古い資料の中に「日本初のガソリンエンジンのバス誕生」の話があったからだ。
日本初のバスといえば、明治36年(1903年)の「二井商会の京都の乗合自動車」と馬鹿の一つ覚えをしていたら、これは蒸気エンジンのバスで、ガソリンエンジンのバスは別にあった!
当時京橋で自転車販売と自動車の修理をしていた「オートモビル商会」が、1905年に12人乗りの乗合自動車を改造して、広島のバス営業をもくろむ業者に販売していた。エンジンは、オートモビル商会の社長の吉田真太郎(1877~1908年)がアメリカで買い求めた水平対向2気筒ガソリンエンジンで、ボディは名古屋のボディメーカーに依頼。もともと鉄道車両の欅(けやき)製のボディは、重く、これに耐えられるタイヤが当時は見つからず、担当エンジニアの内山駒之助もお手上げとなり、ついにバス営業は取りやめになったという。日本のゴム工業ができるずっとずつと前のお話とはいえ、実に人間味ある物語。この歴史的事実が抜け落ちていたのである! あとの祭り、とはこのことだ。