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2018年11 月 1日 (木曜日)

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1931年式シボレーが語りかけてくるもの?!

シボレー1

シボレー2

  『1931年式シボレーを楽しむ、ユニークな自動車メディア・イベント2018』そんな少し毛色が変わった催しが、先日都内であった。戦災孤児から身を起こし、1986年に世界第6位の大富豪ともてはやされたバブルの紳士の一人渡辺喜太郎氏の御曹司・渡辺春吉氏主宰の「麻布私塾会」&アンクレア(株)の主催。
  シボレーの直列OHV6気筒3.3リッター・エンジンは、創業初期のトヨタがお手本としたエンジンで、トヨダA型エンジン(この時代のトヨタはトヨダと濁るのである)は、まさにこのフルコピーといわれる。フロントエンジン・リアドライブ(FR)の駆動レイアウトに、観音開きのドア、たっぷり大人4名が乗れる室内。まるでセダンのお手本のようなクルマである。90年近くたったクルマだが、軽井沢の車庫から渡辺さんみずからがハンドルを握り都内まで運転してきたという。いまでも十分日常の足として信頼性が高いという。
  実は、このクルマ、渡辺さんの解説で、もう一つのエピソードを持っていた。太平洋戦争末期、硫黄島の激戦で破れたとはいえ果敢に戦った栗林忠道陸軍中将(1891~1945年)。梯久美子のノンフィクション作品「散るぞ悲しき」やクリント・イーストウッド監督、渡辺謙主演映画「硫黄島からの手紙」で描かれる名将だ。この栗林が、若き日にアメリカ赴任時、手に入れたクルマがシボレー1931年式だった。このクルマのハンドルを握り、アメリカの軍事施設などを視察して回りながらアメリカ大陸横断をしたという。
  このとき栗林は、アメリカの圧倒的国力を肌で感じ、そのことを帰国後説いて回った。だが、そのことで逆に親米派のレッテルを張られ、皮肉にも1944年上司の命で硫黄島の指揮官としてアメリカに対峙することになった。
  そんな因縁のシボレー1931年式は、秋の日にさらされ2トーンカラーがひときわ映えていた。

カーライフ大助かり知恵袋1

あまり語られなかった“浜松スズキ物語”(第21回)

初代カルタス  スズキの海外戦略については、1980年代のGMとの提携が思い起こされる。
  当時の経済記者は「巨大なGMに東洋の弱小メーカーであるスズキはいとも簡単に飲み込まれるのがオチ…」と大いにその提携に危惧を抱いた。ちょうどアルトのヒットで社業が好調な時になぜあえてそんな挑戦をするのか? そんな心配もあった。だが、鈴木修社長は、GMとの提携を北米への足掛かりにしたいだけでなく、「技術面で一流メーカーの教えを請いたい」という思いだった、と振り返る。
  GMにとってもコンパクトカーをラインナップに加えたいという狙いがあり、スズキとの技術提携は、悪くない話だったようだ。こうして誕生したのが「カルタス」(写真)である。
  1984年にデビューし、北米にも輸出された。アメリカではシボレー・スプリント、ポンティアック・ファイアーフライという車名で販売された。スズキの4輪車が北米大陸の地を踏んだ最初である。筆者も北米取材でレンタカーとして数日間を共にしたが、チープ感が強く、正直あまり出来のいいクルマではなかった気がする。いまから見ればスズキの小型車生産のきっかけが、カルタスだった。
  カルタスは、その後90年代中頃まで活躍し、95年にカルタス・クレセントという名称となり、2000年にスイフトにバトンタッチするまで販売。15年間にわたり、スズキの登録車の代表選手として名を挙げたのである。

カーライフ大助かり知恵袋2

これがガソリンエンジンの日本初のバス!

最初のバス  文筆業というのは、実に厄介なものだ。
  先日、バスの単行本を半年かけてようやく書き上げ、胸をなでおろし、何の気なしに資料をあれこれあさっていたら、大きなミスをしでかしていたことに気付いた。出来上がった本を手に取ると、約束したかのように、なぜか2つ3つ誤植が目に飛び込んでくる。今回、臍(ほぞ)をかんだのは、それだけではなかった。古い資料の中に「日本初のガソリンエンジンのバス誕生」の話があったからだ。
  日本初のバスといえば、明治36年(1903年)の「二井商会の京都の乗合自動車」と馬鹿の一つ覚えをしていたら、これは蒸気エンジンのバスで、ガソリンエンジンのバスは別にあった! 
  当時京橋で自転車販売と自動車の修理をしていた「オートモビル商会」が、1905年に12人乗りの乗合自動車を改造して、広島のバス営業をもくろむ業者に販売していた。エンジンは、オートモビル商会の社長の吉田真太郎(1877~1908年)がアメリカで買い求めた水平対向2気筒ガソリンエンジンで、ボディは名古屋のボディメーカーに依頼。もともと鉄道車両の欅(けやき)製のボディは、重く、これに耐えられるタイヤが当時は見つからず、担当エンジニアの内山駒之助もお手上げとなり、ついにバス営業は取りやめになったという。日本のゴム工業ができるずっとずつと前のお話とはいえ、実に人間味ある物語。この歴史的事実が抜け落ちていたのである! あとの祭り、とはこのことだ。

愛車メンテのプラスアルファ情報

ユニバーサルジョイントのダブルで「ダブルジョイント」!

KO-KENダブルジョイント  「工具」という製品は、それだけ見ると“謎の物体”に見えるときがある。
  ソケットツールの老舗メーカーKO-KENの「ダブルジョイント」も、遠くから見ると「光り輝く芋虫!」に見えなくはない。
  製品名の「ダブルジョイント」もなんだか真新しい。でも、よくみると、わかる! ソケットツールはそもそも単独では使うことはなく、つなぎ合わせて初めて他の工具にはないパフォーマンスを発揮する。ラチェットハンドルなど、まさにそれだ。≪奥まったところにあるボルト、それも少しまっすぐに見えるところではなく、横にずれているボルトやナット≫を脱着するとき、便利なのがユニバーサルジョイントだ。エクステンションバーとソケットのあいだに付けて使う。
  ところが、普通のユニバーサルジョイントだと、曲がり具合が不足して目的にボルトの頭に行きつかないときがある。曲がり角度がだいたい25度しかないからだ。
  そこで、ユニバーサルジョイントを2個付け(関節が2つ!)、曲がり具合をより深くすることで、ようやくアクセスできた! そんなシチュエーションもある。そこで、いっそのことダブルのユニバーサルジョイントがあってもいい! そんなコンセプトで製品化したというのが、「ダブルジョイント」。写真は差し込み角1/4(価格4100円)と3/8インチ(価格4580円)だが、1/2インチも登場しているようだ。カタログデータだと、通常の25度→50度になる。値段がそれなりだけあり、6面体のボールジョイントの関節はスムーズに動いてくれる。


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