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2018年11 月15日 (木曜日)

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アロー号のルーツ ドディオン・ブートンとは?!

ドディオン・ブートン  初夏、北陸・小松市にある日本自動車博物館にお邪魔した際、初めて目にした古いクルマ。初対面にもかかわらず、どこか懐かしく感じたクルマのことを秋の終わりになって急に思い出した。
  1899年製のフランス製「ドディオン・ブートン4輪車」(写真)である。
  かつて、福岡に赴いたとき日本最古の乗用車である「アロー号」のことを取材したことがある。弱冠24歳でアロー号を作り上げた矢野倖一(1892~1975年)が初めてクルマというものに接し、修復までまかされたクルマが、3輪車と4輪車との違いはあるが、同じコンセプトのクルマだった。依頼したのは、戊辰戦争のときに物流を任され大儲けした村上義太郎(1947~1922年)。日露戦争の勝利品として伊藤博文の懐刀・金子堅太郎(1853~1942年)から村上が譲り受けたという因縁のクルマらしい。
  村上は、物流だけでなく、港湾や都市事業などのビジネスにも手を広げ、当時「博多の一代男」の異名を持った。その村上のスポンサードで、村上の屋敷内の一部を工場にして、苦心惨憺4年の歳月を経て作り上げたのが、「アロー号」だ。アロー号のエンジンは、水冷2気筒4サイクル・サイドバルブ式排気量1054㏄、12馬力。4人乗りで、車量重量320㎏。日産がダットサンを量産する20年も昔の話だ。
  ちなみに、日本自動車博物館所有のドディオン・ブートンは、空冷単気筒サイドバルブ、排気量250㏄、2.25馬力。2人乗りで車両重量は300㎏だという。この頃のクルマは、今の軽自動車の半分の重さもなかったのだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

あまり語られなかった“浜松スズキ物語”(第22回)

鈴木修  じつはスズキの海外展開は、北米よりも先にインドだった。インドでのビジネスの始まりは、1982年のことだ。
  鈴木修社長(写真)は、「とにかく、どんな小さな市場でもいいからナンバー1になって、社員に誇りを持たせたい」というのがかねてからの信条だった。
  当時スズキは排ガス規制をめぐる技術的な失敗から屋台骨を揺るがす危機に陥ったが、何とかアルトの大成功で持ち直したところ。そんな時、未知な市場であるインドに挑戦したのは、修氏の先見性、それに指導力と決断が大きくものを言ったといえる。
  いまでこそインドは資本家たちには、地球上最後の巨大市場として大注目されているが、30年以上も前のインドに自動車産業が確立されるとは、誰しもが想像できなかった。そのため世界の大手の自動車メーカーは、どこも手を付けなかったのだ。
  だからして、当たり前のことだが、そうやすやすとインドへの足掛かりを確立できたわけではなかった。

カーライフ大助かり知恵袋2

1931年式シボレーのころの日本の自動車事情は?

59P_HA型ダイハツ号  前号登場したシボレー1931年を身近に接したことから、あらためて栗林忠道中将のことを描いたノンフィクション『散るぞ悲しき』(梯久美子著)を読み直してみた。
  陸軍士官学校を優秀な成績で卒業した栗林は海外留学の栄誉が授けられる。大半がドイツやフランスを希望するのだが、栗林は英語が得意だったこともあり、単身アメリカ留学する。そこで軍事研究の傍ら、ハーバード大学やミシガン大学の聴講生として語学やアメリカ史を学ぶ。
  当時最新のシボレーK型2ドアタイプを手に入れ、カンザス州から首都ワシントンまでの1300マイル(2080㎞)を走破したのは、1929年の冬だ。この長距離ドライブでは、いろいろなクルマ体験をしている。なかでも砂漠でタイヤがパンクしたとき10代後半の娘さんに、パンク修理を手伝ってもらい・・・・「アメリカでは16歳以上なら届け出をすればすぐ運転ができ、簡単な修理はみな自分でおこなう」ことを実の兄の手紙の中で報告。さらには、栗林の身の回りを世話してくれた年配のメイドでさえ、クルマを手に入れ自動車を生活のなかで活躍させている様子(つまりモータリゼーションがすでにアメリカでは成立しているということ)を描いている。
  このころ、日本の自動車事情はどうだったか?
  東洋工業(現・マツダ)や発動機製造(現ダイハツ)などから3輪トラックがようやく世の中に出始めたころなのだ。すべて英国などの製品をお手本にしたものだった。日本初の自動車メーカー快進社の橋本増治郎(1875~1944年)が、ダット号を苦心の末作り上げるも、ビジネスとして成り立たず、やむなくその権利を鮎川儀介に譲り渡したのが1931年であった。それから10年後に日米大戦があり、栗林中将は終戦の年の春、硫黄島で5倍以上の米軍と対峙するのである。
  ※写真は、昭和5年(1930年)発売のHA型ダイハツ号。エンジンは、空冷単気筒サイドバルブ、排気量500㏄。

愛車メンテのプラスアルファ情報

12個のビットがグリップ内部に収まる精密ドライバー!

精密ドライバー1

精密ドライバー2

  精密ドライバーと聞くと、クルマやバイクの整備で、まず使うことがない。でも、メガネ、カメラ、時計、電子機器などを補修するとき、必要になるのが精密ドライバーである。
  通常は、単能工具(0番のプラスならゼロ番だけという!)で、横一列に6本入りというタイプがある。グリップエンドが空転するタイプをよく見かけるし、筆者もこれを愛用している。
  ところが、先日近くのホームセンターに足を踏み入れたら、ビット差替え式の「12in1マイクロ精密ドライバー」が並んでいた。6本12種類のビット(両頭ビットだ)が付いて1274円と比較的お手軽価格。悩むことなく購入した。グリップ内部が2重構造になっていて、インナーの赤い円頭部をアウターの穴から回せる構造だ。ハンドルエンド部に小さな穴があり、その穴とビッドの位置が合えば、両頭ビッドがストンとこぼれ落ちる仕掛け。
  さっそく使ってみると、悪くないフィーリングである。
  軸自体をテレスコピック機能を付け、最短135㎜、最長200㎜(従来品は約100㎜)、もちろん途中の長さでもOKという付加価値を付けている。そのため、軸とグリップ部のガタが気になるところだが、それほど気にならないレベルだ。計6個のビットをおさめた重量は、39gとこれも、通常のタイプにくらべちょうど3倍の重さである。従来品とは劇的に使用感覚は異なるものの、普通のドライバーのフィールに近づいたと思えば、いいのかも。
  この差し替えタイプ、なによりも美点なのは、12in1である。1本で12種類の先端部!プラスが0番、00番、000番、マイナスが1.5,2.0,2.5の各3種類、それにトルクスT4、T6,T7,T8、T10、T15の6種類と豊富なことだ。発売元は、兵庫県三木市の「(株)イチネン ミツモト」(℡0794-84-1620)。台湾製だ。


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