カリスマ経営者の名をほしいままにしていたカルロス・ゴーン(64歳)。
その彼が、日産所有のコーポレート・ジェット機(機体にはNISSANをもじったNI55ANの文字があった!)で羽田に降り立った。待ち構えていた東京地検特捜部の捜査員が機内に乗り込み、空港内で逮捕された。11月19日夕刻のことだ。有価証券報告書に虚偽記載がその罪状。ありていに言えば、年収20億円だったのを10億円と記載していたという。
自動車業界の誰しもが、激震ニュースとしてとらえたが、「こういうこともあるかもな?」とどことなく予測していた向きもある。
“愚直を本分とする日本のモノづくり”これを信奉する人から見ると、あまりにも“強欲”だったからだ。
潰れかけた日産を短期間でV字回復した手腕には、高い評価を与えるのは吝(やぶさ)かではない。歴代の日産の経営者が、柵(しがらみ)に縛られ、実行できずにいた改革を次々に実行し、悪弊を取り除いた功績は認めないわけにはいかない。でも、その裏に全社員14%にあたる2万人余りを切り捨てた。そのなかには取材で知りえた優秀な社員もいたことを思えば、諸手を挙げてゴーンさんを賛美する気にはなれなかった。
ゴーンさんが社長になった頃、張富士夫(81歳)がトヨタの社長だった。新車発表会場で見かけた張さんのズボンは、膝がポコッと抜けていた。いかにも「いま名古屋の工場から新幹線に飛び乗り東京に着いたばかり・・・・」。そんな現場の社長という空気感を漂わせ、街の零細企業のおやじのようで、親しみを覚えていた。いっぽう当時のカルロス・ゴーンの新車発表会では、アルマーニとおぼしきスーツを身にまとい、一分の隙もない印象を筆者には感じさせた。言うところのグローバル・ビジネスマンかもしれないが、廃油が指の先にこびりついているような現場の人ではない。ちなみに、この当時の張さんの役員報酬を調べてみると、1億3000万円。ゴーンの1/8にも満たない。
もう一枚の写真をクリックして見てほしい。このミミズが這いずったような写真は、いまから4年前の2014年9月横須賀にある追浜工場を取材したとき撮影した。海外生産拠点で活躍する人材を養成するマザー工場としての役割を担い、そのひとつの「シール剤の塗布の仕方」の良し悪しのサンプル。平面に30センチほどの直線でシール剤を塗布するというもので、右がプロの仕事。左が実はカルロス・ゴーンの作品である。素人は初めと最後にドバっと押し出してしまうものだ。カルロスは、奇しくも、この悪い見本をすでにこのとき日産の社員に披露していたのである。
社員のだれに聞いても、カレーが好きな社員は少なくないが、インドなど行ったこともなければ、修自身もインドを訪れた経験がない。インドは、お釈迦様の誕生の地ぐらいの知識しかなく、まったくの未知の世界だった。
2週間後、インドから「基本合意書を結ぶから、訪印されたし」との連絡が入った。社長になって4年目、52歳の修は、インドに飛んだ。そのなかで、ガンジー首相にもあいさつに行き、インド政府が自動車製造に並々ならぬ意欲があることを感じた。
ニューデリーの近くのガルガオン(地図参照)というところに作りかけの工場があり、そこを修復して新工場とした。インド人の社長から「日本的な経営で構わない。全面的に任せます」というお墨付きをもらった。地元のインド人を雇い、経営にあたろうとすると数々の難問が怒涛のように襲いかかった。
無断で工場内に幹部用の個室を作ったり、カースト制度のため社員食堂でカーストの異なるほかのスタッフたちと食事をとることを嫌がったり…「掃除はやらない。それはカーストの低い人たちの仕事だから…」と主張するものが出てきたり……同じ理由で「作業服も着ない!」とする社員もなかにはいた。当時のスズキの担当者から言わせると、「カオスの世界」に投げ込まれた気分だったようだ。
ひさびさに栃木の「ツインリンクもてぎ」に出かけた。
一般ドライバー向けのドライビング・スクールが、このところキャンセル待ちも珍しくないほど人気だという評判に誘われたからだ。いったいどんな人が、どんな目的でわざわざ都内から2時間ほどかかるもてぎまで出かけているのか? これを探るためだ。
中級から上級まで10クラスほどあり、ランチ付きで2万円前後と決して安くはない。取材したのは上級の中クラス。受講生14名。持ち込み車両は、RX-7,RX-8,BMW、アウディ、インプレッサ、トヨタ86、ロードスター、ロータス・エリーゼなどスポーツカーもしくはスポーティカーである。驚いたことに50歳前後の女性が2名、60歳代のシニアが4名ほど、20歳代はわずか1名で、平均すると40歳代だ。若者のクルマ離れがこんなところに如実に出ている!
一周約1.2㎞の舗装路ショートコースの一部を使い、ブレーキングの練習、コーナリングの練習など正味5時間ほど、みっちりスポーティ走行が楽しめる。レシーバーでインストラクターが、その都度アドバイスを与えてくれたり、褒めてくれたり……。いわばマンツーマンで教えてくれる。
受講者にインタビューすると、「一度事故をしたことがあり、限界の走りの体験の大切さを知ったから」とか「いまはクルマを持っていないけど、スポーツ走行の面白さに目覚めまして」「バイクの事故で車椅子ですが、もともとクルマが好きなので」。女性の一人からは「フルブレーキングをしたかったのがきっかけですが、いまは毎日でも来たいです!」という声も聞こえた。最後に、インストラクターの厳しい評価表までもらえ、今後の課題を教えてくれる。
一日受講者に寄り添い眺めていると、たとえば「首都高でコーナリング中に障害物に出くわし、とっさに速度を落としたり、ハンドルで逃げる」そんなアクシデントに対応できる技量が身に付く。普通の教習所ではご法度な急ブレーキなど、“急の付く運転”を体験するこのスクールの偉大さが見えてくる。
「貧乏人の銭(ぜに)失い!」
子供の頃さんざん聞かされた、そんな格言がふと頭に浮かんだが、面白そうなので買ってしまった。なにしろ181ピースの工具、それもすべてブラッククローム仕上げ! ときている。樹脂ケースにぎっしりと入った工具セットなのである。それがラチェットハンドル1本分の価格で手に入る。
49×38×10cmのビジネスバッグの大きさで、重量が10.3㎏もある。コストコの特価で1万1780円(税込み:ちなみにアマゾンではジャスト2万円です)。コストコ特価で計算すると、1ピース当たりなんと65円!
内容は、ソケットレンチのシリーズが差し込み角1/4インチ、3/8インチ、1/2インチが、それぞれmm(メトリックといいます!)とインチのフルサイズ。たとえば、使用頻度の高い3/8だと、6ミリから18ミリのスタンダードソケット計13個のほかに10ミリから18ミリのディープソケット8個、1/4インチから13/16インチのスタンダードソケット10個にスパークプラグソケット2種類、ユニバーサルジョイント1個などなど。これだけ見てもサイズが多すぎて目が回る。このほか、コンビネーションレンチが10ミリから17ミリ、5/16インチから5/8インチまで各6丁ずつの計12丁。それにミリとインチのヘックスビットが40個以上。
とにかく、この工具セット、ドライバー類は手薄だが、自動車やバイクの整備の世界でおよそ6~7割はカバーできる勢い。でも工具は、その中身というか、使いやすさ、性能、愛着度数などが大切。次回から数回アイテムごとにリポートしてみたい。
旧いクルマ、それも歴史的に意味があり、いまでも金銭的価値のあるクルマ、そんなクラシックカーがパレードする明治神宮絵画館での「クラシックカー・フェスティバル」は、なんとなく気になるイベントだ。面白いのは、そうしたオーナーさんに立ち話ながら、直接話が聞ける点だ。
インタビューという作業は、相手が口を開いてもらわないと成り立たない。クラシックカーのオーナーは、例外的に話が聞きやすい。イチを聞くと拾(じゅう)を語りだす感じ。たぶん、自分のクルマを自慢したくて仕方がない、あるいはそのクルマの所有するエピソードを人に聞いてもらいたい。そんな気分が頭の中に充満しているからだと思う。だから、ふだんよりもかなり饒舌になり、こちらもつられて、とても気分が高揚する。
今回、静岡から〈自走で走ってきた〉というロータス・イレブンMKⅡのオーナーさんもそんな感じだった。クルマを取り巻く10人以上がじっとクルマを見つめ、口々に質問を浴びせる……。
1956年製というから、すでに還暦を越えている。アルミフレームに鋼管フレーム。コンベントリー・クライマックス水冷4気筒排気量1098㏄。車重は412㎏と軽自動車の半分ほど。200㎞/hを超え、ルマン24時間などで大活躍したレーシングカー。古いクルマは排ガス装置もエアコンなどの快適装置など付かないから、ひどくシンプル。「メンテナンスはとても楽です」というオーナーさんの言葉を待つまでもなく、納得。ふだんはフランス車に乗っているというオーナーさん、たまに奥様とこのクルマで静岡の郊外を走るそうだ。なるほどね……。
スズキの会長である鈴木修氏によると、インドでの自動車ビジネスが始まったのは偶然の産物だった。
当時インドには、国民車構想というのがあり、インド政府直々に世界で自動車づくりのパートナーを求めていた。
スズキがこれに前向きな返事を送ったことから、インドから調査団がやってきた。ひいては日本の自動車メーカーを見学に来たのである。1982年3月のことだ。
ところが、ちょうどそのころ修氏はビッグスリーの一角であるGMとの交渉で北米に向かわなくてはいけなかった。とりあえず表敬訪問ということで、逗留する都内のホテルに向かい30分のつもりで調査団に合うことにした。この会談は、想定以上に話が弾み3時間の懇談となったという。北米から帰国後、修はインドの調査団は既に帰国したと思っていたら、修を待っているという。
当時の日本の自動車メーカーのトップは、北米自動車摩擦の対応に追われ、インドへの目線を欠いていたようだ。ひとり修だけが、結果として、インドへの何か熱いものを感じたのかもしれない。ビジネスとは単に銭儲けではないということだ。
●写真はインドでも生産された2代目カルタス1989年式。
2年半カーポートに放置していたコンパクトカーのファンカーゴ平成13年式(排気量1300㏄、走行18万7000キロ)を事情があり、復活させることになった。抹消状態の中古車、車検を改めて取り公道を走らせるというわけだ。俗にいう≪中古新規の手続き≫を取ろうというのだ。
バッテリーを交換し、いざエンジン始動。
ところが一向にエンジンはかからない。2年以上もたてば、当然ガソリンが腐っている、ということもある。とりあえず、燃料ポンプはスターターを回すとカチカチカチッと問題はなさそう。
そこで、エアクリーナーとエンジンのあいだ、今回はブローバイのホースを外し、ここに、新鮮なガソリンをスポイドを使いポタポタと注入した。ググググググッと苦しそうだったエンジンが、そのうちググググッとばかりクランクシャフトが回り、ブルブルブルッとようやく始動した。
でも、調子がいまいち。この状態で、友人の1級整備士は「多分プラグがダメかも?」とアドバイス。でも‥‥イリジウムプラグで、ノーマルの3倍の1500円もしたんだから・・・・「いや、イリジウムプラグが、確かに順調な時にはいいのですが、何か不具合が起きると途端にだめになるタイプなんです」えっ!疑いを抱きながら、予備のノーマルプラグに4本とも交換した。するとどうだろう? エンジンはこれまで以上に吹き上がりがよくなり、完調に近い感じになったのだ。「技術的な理由は知らないのですが、経験的に、イリジウムプラグは逆境に弱いんですよね」1級整備士は苦笑いを浮かべて眺めていた。
“軸のところにスライド式のコンパクトなマグネットを取り付け、ネジを迂闊に落下させない!” そんなドライバーをホームセンターで見つけてきた。
いかにも大阪人が思いつきそうな「こざかしい」感じのするドライバーであるが、使ってみると、案外便利。締めたり、緩めようとした小ねじが、ついうっかりドライバーの先端から外れ落下して慌てふためいたことが二度や三度ではないからだ。とくにエンジンルームなど手が入りづらいところに落下した場合は、難儀する。
このマグネット、説明書には重量が5.5gと「超軽量」で、3500ガウスを誇る強力マグネットだという。ガウスとはもともとがドイツの数学者ガウスから来たようで、1ガウスは、1平方センチの面積を通る磁束密度のことだそうで、3500ガウスがどのくらいかは、実感できないものの、使ってみると、剥がれづらいほど強くはなく、いい感じである。
このマグネット部は、取り外しができるので、丸軸であれば、手持ちのドライバーに付け替えが利く。購入したのは2番のプラスだが、全長180ミリで、重量93gとやや短めで軽い。価格は918円だった。製品名「パーフェクトⅡ 3300」。発売元は、サンフラッグのブランド名でおなじみの大阪にある老舗工具メーカー㈱新亀製作所(http://sunflag.co.jp/)である。