ワゴンRの予想を上回る成功で、ダイハツとの販売数に大差がつき始めた。あわてたダイハツは、2年後の1995年ムーブをデビューさせ、結果として日本の軽自動車市場にワゴンという新ジャンルを誕生させたのである。
実は、このクルマのパッケージング(全体像)は、インテリア・デザイン担当の若者が、一人で黙々と考えデザインスケッチをほとんどそのまま生かして結実させたものだ、といわれる。どことなく、温かみのあるたたずまいを感じるのは、そのためかもしれない。デビューから累計で約460万台以上だというから間違いなく、スズキの稼ぎ頭である。
ちなみに、ワゴンRは鈴木修の意見で「ジップ」という車名を用意していたところ、役員の一人に「よくないね」と茶々を入れられた。修の面白いところは、自分の美学にあまりこだわりを持たないこと。常に「目線を低くしておきたい」という気持ちを持ち続けている。何となく自分も「いま一つだ」と思っていたらしく、その意見に強く促され、「じゃあ、スズキはセダンもある。セダンもあるけどワゴンもあ~る。ということでワゴンRというのではどうだろう・・」ということで決まったという。そんなユーモアの源泉は鈴木修のどこから湧いてくるのか、不思議である。(写真はワゴンRプラス)
参考文献;「スズキ・ストローリー」(小関和夫)、「俺は、中小企業のおやじ」(鈴木修)、スズキ歴史館での資料ほか
●次回から『知られざるダイハツの歴史』を眺めてみます。ご期待ください。