みなさん!知ってますCAR?

2019年4 月15日 (月曜日)

TOP NEWS

いまどきの軽自動車のチョイスの理由とは!

EKクロス  う~ん、やはりこれって「事実は小説よりも奇なり!」てことなのかしら?
  先日、都内でおこなわれた軽自動車の新型発表会に出かけてみた。三菱自動車の「ekワゴン、ekクロス(写真)」である。例のカルロス・ゴーンの退場後、あれこれ話題をさらう日産と三菱自動車の共同開発“軽カー”だ。2社のジョイントベンチャー会社NMKVが企画開発し、三菱の水島工場で組み立てるという軽自動車。
  プロジェクトリーダーの話が、興味を引いた。
  いまや軽自動車は、日本の新車市場の54%を占め、うち30%は、ハイトワゴンと呼ばれるタイプ。そのうちの1/4がカスタム系だという。ここまでは、ある程度納得できる。ところが、軽自動車のアンケート調査の結果を聞いてたまげた!
  軽自動車を選択する理由を顧客に聞くと、「少し前までは①税金・保険の安さ、②価格の魅力、③燃費の良さ、④車体色の豊富さ」だというのです。ところが、ごく最近の調査では選ぶ理由のランキングが変わった。「①車体色の豊富さ、②価格、③スタイルの順です」。少し前までスタイルは8番目に過ぎなかったのに、いまや3番目に躍り出た。
  20年近く前から、「車体色でクルマを選ぶ。それは女性ユーザーが選択の主導権を持っているから!」ということを小耳にはさんで、「へ~っ、すごいことになった!」と思わず天を仰いだものだが、いまや車体色やスタイルは、クルマ選びの“鉄板”なんだな。
  ちなみに、ekワゴン、ekクロスは、それぞれ価格が129~150万円台、140~170万円代と安くない。その背景は、自動運転の初歩版である同一車線運転支援技術、衝突軽減装置、車線維持支援装置などの安全装置やいわゆるコネクティド装置など先進技術を満載していること。「過去のクルマとは全く異なるクルマ。このことを消費者にご理解願いたい」そんな益子社長のやや悲痛とも聞こえる発言が印象的だった。

カーライフ大助かり知恵袋1

知られざるダイハツの歴史―国産エンジン開発の情熱から始まった!(第4回)

内山駒之助  内山駒之助が頼った吉田真太郎は、江戸時代、横浜・関内近くの吉田新田を開拓した吉田勘兵衛の子孫ともいわれている。父親は横浜の大手の土建業者で成功を収めており、真太郎も東京の京橋に「双輪商会」という屋号で、自転車商を開いていた。
  ここで“自転車”の登場だ。
  いまでは想像もつかないが、当時の“自転車”という乗り物は、今でいえばスーパーカーのような憧れの存在。あるいは自分を変えられる魔法の乗り物だった?「当時の稲作農家の若者たちが、田んぼで自転車競技を行い、それは、それは熱いものだった」そんなエピソードを明治30年生まれのじいさんから、中学生時代の筆者は直接聞いたことがある。
  そんな真太郎が26歳の年、1902年、自転車の仕入れと視察を兼ねてアメリカに出かけている。当時のアメリカは、フォードのT型(1908年)が登場する前で、電気自動車、蒸気自動車、それにガソリン自動車がいわば三つ巴のバトルを展開していた時代。
  電動化しつつある100年後の自動車世界を知るわれわれにとって、興味深いことに、このとき電気自動車が1馬身先を抜けていた。ところが、1901年、テキサスに大油田が発見されたことがきっかけで、ガソリン車がシェアを握ることになるのです。このあたりはテキサスを舞台にしたジェームス・ディーンの映画「ジャイアンツ」を観るとリアルに理解できる。

カーライフ大助かり知恵袋2

東大教授堀先生が語る! キャパシタEVの可能性

上海のキャパシタ路線バス  電気自動車といえば「航続距離ガソリン車並みを目指す、2次電池リチウムイオンを使ったタイプ」と思われてきた。が、この常識にガツンと言わせる「もう一つのEV」を提唱する人物がいる。このひとにインタビューした。
  東大工学部の堀洋一教授(63歳)である。子供の頃ラジオ少年だった堀教授は、東大入学後、秋葉原電気街に入りびたりの電気オタク。伺うと、実にフレンドリーなお人柄。
  卒業後パワー・エレクトロニクスの世界で活躍され、自動車にキャパシタを組み込み、走らせる実験を始めたのは、実に1990年代から。キャパシタというのは、要するにコンデンサーだ。2次電池のように化学変化する電池は寿命が数千回だが、キャパシタはただ帯電し、放電するだけで化学変化がないので、その寿命は約200万回。しかもパワーは約10倍で、グイグイとモーターを回せ、加速も悪くない。加えて、4輪の制御が楽にできるので、路面のミュー(摩擦係数)を感知した4WDとしての期待値も高い。
  ただ、課題は、エネルギー密度が、わずか1/10という点。だから、せいぜい20㎞ぐらいの航続距離。
  そこで、堀先生が提唱するのが、走りながら充電するというコンセプト。ガードレール、あるいはマンホールの鉄の蓋にワイヤレス充電装置を組み込めばいいと。つまりちょこちょこ充電ながら走るEVなら、十分実用化できるというのだ。このインフラ整備は約5000億円と試算する。
  ちなみに、中国・上海の路線バスでは、バス停に停止中に充電するキャパシタ路線バスが活躍しているという(写真)。

愛車メンテのプラスアルファ情報

これなら、角がつぶれたボルト・ナットを外せる!

サイクロンソケット  6角ボルトの角が丸まったとか、つぶれた場合、取り外すのに実に厄介だ。
  ロッキングプライヤーがかませる空間があれば、なんとかなりそうだが、タイトな場所だと難しい。そんな時、スーパーマンのように活躍をするのが、この「サイクロンソケット」といえそうだ。
  ソケットのドライブ部(ボルトの頭にかぶせる側)を見ると、確かに“サイクロン“を思わせる形状である。ギザギザ形状というか、タービン型というか。角が丸まった6角部の頭は、通常のソケットだとなすすべもなくクルクル回るだけだが、このドライブ形状では、ガシッと捉えてトルクを伝達できる! という理屈。
  ただ、極端にすり減ったケースだと、さび付いて動かない場合は、取り外せないこともあるようだ。
  写真は、差し込み角3/8インチのサイズが12㎜で、重量が38gだ。価格はホームセンターで449円だった。台湾製だからだ。
  手持ちの通常の6角タイプのソケットで同じサイズが22~27g。ということは、2割がた重いつくりである。ちなみに、ネットで調べると、3/8タイプでは8,10,11,12,13,14,15,17㎜。その上の1/2インチ角だと14,15,17,19,21,22,24㎜がラインナップしているようだ。扱いは、(株)高儀 ℡0258-66-1233。

2019年4 月 1日 (月曜日)

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ル・マンの優勝車は、プリウスを凌ぐ熱効率!

トヨタのル・マン エンジン  過酷なレースとして知られるル・マン24時間に、トヨタはようやく勝利した。文字通り、悲願の優勝であった! その背景に興味深い事実がある。「トヨタのル・マンのエンジンは熱効率のうえでは市販車の燃費チャンピオンのプリウスやアクアをしのぐ!」という。先日東工大・大岡山キャンパスでの講演を傾聴して、そのことを知り軽い衝撃を覚えた。
  新型プリウス2ZR-FXE型エンジンの最大熱効率は40%とされる。昨年のトヨタのル・マンのマシンのV6 2.4リッター直噴ターボチャージャー付エンジン(500PS以上の最大出力)は、約5年かけて熱効率を40%から45%に高めたという。エンジン本体の熱効率を高めたほかに、リチウムイオン電池を高温でも充放電効率の高い電池セルに変更、加えて電池冷却システムの改善、モーターの小型、高出力化など合わせ技を動員した成果である。
  トヨタ車優勝の陰には、エンジン以外の世界でも目を見張る努力があったという。
  レースはいつも何が起きるかわからない。24時間となると、たとえトップを走っていてもヒヤヒヤだ。2016年ではあとわずか3分でレース終了! という土壇場でマシンが故障し、ライバルのポルシェに優勝を掠め取られた。そんな悔しさがある、今回は3200項目にわたり、「もし不具合が出たら…」のシミュレーションを実行し一個ずつ潰していった。それと、わずか1アイテムに付き20個ほどしか作らないスペアパーツについても、部品メーカーに頼み込み、量産部品並みのクオリティコントロール(QC)を施したという。悲願の優勝の裏には、前例を打ち破る分厚いレース対応布陣の構築があったということだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

知られざるダイハツの歴史―国産エンジン開発の情熱から始まった!(第3回)

タクリー号  ダイハツ(当時は発動機製造㈱)が4輪を試作するのは、創業から約30年もの時の流れを待った昭和12年(1936年)になる。ここで、歴史を振り返ってみたい。
  実は発動機製造㈱が設立された明治40年(1907年)というのは、国産ガソリン自動車の「タクリー号」がデビューした記念すべき年なのだ。「タクリー号」とは、エンジンやトランスミッションは輸入品ではあったが、A型フォードをお手本にして、日本人の手でつくり上げられた木骨鉄板構造の乗用車である。10台ほどつくられたが、現存する車両はなく、トヨタ博物館に1/5スケールの模型があるのみ。“ガタクリ、ガタクリ”とばかり走ったところから「タクリー号」(写真:自動車工業振興会所有。「20世紀の国産車」より)といわれた。
  迷惑を承知で当時の日本の草創期の自動車づくりについて、寄り道ついでに眺めることにする。モータリゼーション以前の人間味あふれたドラマが展開されていたのである。舞台は、大阪から東京に変わる。
  ここでの主人公は、日本最初の自動車エンジニアといわれる内山駒之助である。
  駒之助は、18歳で、機械技術を習得するためウラジオストックにわたり、2年間機械工場の徒弟として働くことで、自動車のエンジニアとしての知識と技術を身に付けたようだ。帰国した駒之助は、京橋にある逓信電気試験所に職を得て数年が過ぎたが、自動車への関心が強かった。そんな時、横浜生まれの吉田真太郎(1877~1931年)に出会うのである。

カーライフ大助かり知恵袋2

BSのタイヤのデザインシミュレーションに驚愕!

BSのタイヤシミュレーションマシン  タイヤと路面との接地部分はわずかハガキ1枚分の世界。4個のタイヤなのでハガキ4枚分。これだけの面積のなかで、クルマのタイヤは常に格闘している! これでもってクルマの走りや乗り心地、操縦安定性などの性能に大きく貢献しているのである。
  …‥やや飛躍するが、だからこそタイヤの性能向上に欠かせないのは、限界を追求するレースが舞台になる。
  4輪レースの頂点F1に挑戦すること14年のブリヂストンは、タイヤ業界のトップシェアを握る存在となったのは、サーキットでどこよりも多く戦いデータを集め分析したおかげだ、といえる。
  そのBSが、数年前に完成させたシミュレーション・マシンが、『アルティメット・アイ』というシステムだ。直訳すると「(タイヤを開発するときの)究極の目」である。
  回転するドラムにテストするタイヤを押し付け、回転させる。試験タイヤの内部には複数のセンサーが付けられ、接地圧、横力、円周方向の力などを測定。実車さながら、左右のコーナリング時、フロントタイヤを想定してのアライメント角度もつけて、なんと最高400㎞/hまで…‥実走行でのダイナミックな挙動を接地力分布というカタチで“見える化”ができるという。これまでのシミュレーションでは把握できなかった世界が数分という短時間で分かるというから、すごい。
  これを踏まえ、材質、構造、形状、路面に接するところのコンパウンドなどタイヤのあらゆるデザインが、より素早くできるようになった。しかも、レーシングタイヤだけでなく、エコタイヤ、高級車のタイヤ、オートバイのタイヤ、バス・トラックの大型タイヤまでの開発がこれで可能だという。当分、BSが世界のタイヤをリードするようだ。

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2番のプラスドライバーに見る台湾ツールのやる気!

ストレート+ドライバー  「工業製品を見れば、その国の技術レベルがわかる!」台湾製の工具は、少し前までは「安いがヤバいかも!?」という評価だったが、いまや一流工具に迫るクオリティのものも珍しくない。
  たとえば、工具専門商社ストレート(℡06-4257-1159)で420円で先日購入した「プラスドライバーNo.2(Art.12-726)」。
  なかなかに魅力的なプラス2番の非貫通タイプのドライバーである。手に持つと、やや重い。はかりで測ると実測120gもある。これは筆者コレクションの中で、平均100gなのでかなり重いほうだ。全長も長い印象だ。メジャーをあてると、230ミリ。これも平均210ミリ程度なので、1割ほど長い勘定だ。グリップ長を長くするために、この寸法になった? あるいは、グリップエンド部にひもを通せるように、穴を設けるため長くしたのか?
  そのグリップは、見た目は3角断面でシャープな感じを受ける。握ってみると、やや日本人の手のひらでは持て余すほど長いことがわかる。よくよく見ると親指の当たるところにスクリュー状のデザインを施し、グリップ力を高めていて好感が持てる。
  恒例の家庭用洗剤を手のひらにまぶし、リアルに使ってみるという意地悪試験の洗礼を与えた。う~ん、やはり滑ることは滑るが、悪条件(実際、こんな意地悪な条件はまずない!)のなかでもなんとか使える感じを受けた。軸の根元には、ボルスターといって2面幅10ミリの6角部を持ち、固く締まったネジを緩めるとき、重宝。このドライバー、結論を言えば、手のひらが大きくなくても、悪くない選択だと思う。


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