札幌に住む友人・自動車ジャーナリストの山崎英志さんに電話したところ、クルマのサビについての本を書いている最中だという。そこで、ちゃっかりクルマのサビにまつわる最新情報を聞くことができた。
誰もが想像するように、一番の大敵は冬場の雪国で、路上に撒かれる融雪剤だそうだ。塩化カルシウムとか、海水とかを凍結が予想される橋の上とか、幹線道路のあちこちに撒かれる。これは、もちろん路面がコチコチになりスリップ事故が起きない処置。でも、クルマのボディにとっては、たまったものではない。クルマのボディは鋼板、つまり鉄の薄板。厚さ0.8ミリしかない。
もちろん、塗装を念入りに施され、ふつうならなかなか錆びることはないようにはできてはいる。ところが、海水などの融雪剤をまかれると、クルマの下回りに塩分が付着し、ほんのわずかなキズから錆が発生し、やがて大きな錆症状となり、ひどいときには穴が開く事態になる。
そういえば筆者も1年前、仙台の修理工場で、15年ほど使った路線バスのボディの修復現場を見た(写真)。座席やフロアのカバーなどを取り外したバスの車内に入ってたまげました! 驚いたことに、ホイールアーチのところがボコッと穴が開き、下の路面が見えていた。
現場の修理屋さんに聞いたら、「これは普通です!」というのです。融雪剤が犯人だという。だから、乗用車も油断できない。とにかく雪国のクルマは、融雪剤のおかげであちこちが錆び被害を被っている。「8年前の大震災の時エネルギー危機があったじゃないですか、あの時冬場街中の雪を解かすためのロードヒーティングが止まり、代わりに海水をまいたという雪国が多かった」そう山崎さんが言う。
なかには、海水などの融雪剤に加えて、砂利をまくケースもある。そうなるとピッチングといって、飛び石ですね、クルマの下回りの塗装に細かいキズが付き、そこに海水などの塩分が加わり、まさに泣きっ面にハチというか、文字通り、傷口に塩をこすりつけられる感じで、ひどいことになる。しかも、このところの異常気象で雪が多く降るということも、融雪剤散布が増え、クルマのボディが悲鳴を上げる要因となっているようだ。
さらにさらに山崎さんは、軽自動車のオーナーさんに警告を発しています。次号でお伝えします。
ダイハツの前身発動機製造(株)が設立された時代の民間での自動車への取り組みは、実にか細かったわけだ。いっぽう、日露戦争を経験した日本の陸軍は、広大な大陸戦線での兵站(ロジスチックス)の輸送には、人馬による輸送には限界があることを痛感させられる。
そこで、発動機製造(株)が設立されたちょうど1907年に、陸軍次官から陸軍技術審査部長に自動車に関する調査研究命令が発せられている。これを受けて、1908年、フランスの「ノーム」という車両を購入し、東京・青森間の試験運行。翌年1909年には、フランス・スナイドル社の貨物トラック2台を入手し、東京・盛岡間を運航試験している。加えて、1911年には英国のソーニクロフトやドイツのベンツ社「ガッゲナウ」という貨物トラックを購入し、調査研究をおこなっている。
こうした研究をもとに、陸軍部内では、1911年(明治44年)つまりタクリー号デビューの4年後には、大阪砲兵工廠にて国産の「軍用貨物車第1号」が完成「甲号・自動貨車」(写真)と命名された。大阪砲兵工廠は、大阪城の東側に広がる220万㎡の広大な敷地に最大6万4000名の工員を擁したアジア最大規模の軍需工場。続いて第2号車も完成し、国内だけでなく中国東北部・満州での運航試験が行われている。ちなみに、「甲号」の仕様目標は、積載量1.5トン以上、総重量4トン、エンジン出力30馬力以上、最大時速16㎞以上だった。いまから見ると、重くて、非力で鈍重な車両の印象だ。
クルマのパンクのトラブルが、このところ増えているという。
背景に、ガソリンスタンドのセルフ化とハイブリッドカーの増加。この2つで、カーユーザーがガソリンスタンドに出かける頻度が減ったことにあるようだ。たしかに筆者も、ハイブリッドカーに変えてから月3回から月2回に減っている。
それにセルフ化で、店員さんとの会話もなく、自分でしこしこ、エアのチェックしているのが現状だ。これって結構、味気ないし、コミュニケーションがなくなった感が強い。それに、女性などエアチェックできないオーナーもいるはず。たまには店員が声をかける必要があるようだ。
データによると、パンクの件数が9年連続で増加し、昨年度は10年前の1.5倍の42万件ほどだという。タイヤ協会が昨年10月高速道路のサービスエリアでリサーチしたところ、乗用車98台のうち42台、つまり半数弱が空気圧不足だったという。
空気圧不足は、言うまでもなく、事故の元だし、事故らなくてもハンドルがとられたり、タイヤが偏摩耗してタイヤの寿命を短くしたり、いいことは一つもない。よく知られるように、1月で、空気圧はホイールとの隙間やエアバルブ周辺などから自然に5~10%は抜けるものだ。そこで、月に一度の点検をやるべきなのだ。
新潟の五十嵐プライヤ―製の「全長200ミリのウオーターポンププライヤー」である。
ズバリ、これは、超軽量だ。従来品の約15%レスの165グラム。見ただけでそのモノづくり努力は判る。そぎ落とせるところは極力肉をそぎ落としているのだ。とくに、グリップ部はほとんど棒状だといえる。むろん鍛造品であるが、がくがくと肉をそいだことで、ブッとい針金のイメージである。
アゴ部は、五十嵐プライヤ―自慢の「ダイヤモンド・シェイプ・ジョー」である。上下のアゴ部のモノを使うギザギザが粗目と細めのハイブリッドデザインで、挟んだら離さない感じだ。ジョイント部分は、いわゆる3枚合わせではないが、遊びが少なく、この面での使い勝手は文句ない。ちなみに、どのくらい太い、あるいは細いパイプをつかめるかというと、最大で直径42ミリ、最小8.5ミリのパイプをつかめる。アゴ幅調節は5段階。
ところが、嫌な面もある。やはり細すぎるグリップデザインのおかげで、素手で持つと、人にやさしくないフィールだ。工具は、人間の手が直接、長時間触れている存在だ。だとしたら、やさしくないと失格だ。樹脂コーティングすべきだと思う。
価格は、2127円と、ドイツ製のクニペックスなどに比べ格段に低価格。プライヤーという工具に関しては、まだまだ価格とクオリティの面で、彼我の差があるようだ。
おじさんという存在は、「いまどきの学生は勉強していない」とか「本を読まない!」と自分のことを棚に上げ、ついつぶやくものだ。かくゆう私も、おじさんの仲間。たぶん、軽々しく“断を下す”のは、若者とふだん接していないからだ。
先日の取材は、このことが目から鱗が落ちるように合点した!
都内で開かれた、自動車技術会主催「学生による安全技術デザインコンペ」である。
大学生による、次世代のクルマの安全性をデザインするというもの。予選を勝ち進んだ4つの大学が、決勝に進んだ。東京都市大学、東京大学、広島市立大学、日本大学の4校。優勝チームは、6月にオランダで開かれる国際大会に参加できるという。
……でも、待てよ、いまさらクルマの安全性のデザイン?死者数はすでに激減しているし、今後自動運転になれば、事故自体が少なくなり、死傷者数も激減するはず。安全性を議論する意味が、あるのかしら?
そうノー天気にとらえていたら、ガツンとやられた。
「自動運転になると車内はサロン化し、ゲームをしたり、おしゃべりに興じる。となると、シートバックが寝かされ、万が一ほかのクルマがぶつかったとき、エアバックはきちんと機能しない!」なるほど、もぐら叩きではないが、別の問題が起きて、新たな安全性が脅かされるわけだ。
そこでド~するか? たとえば、それに合わせたダミーを考えるとか、衝突時の乗員へのダメージを根本から見直す……はたまた、シート自体が水平に移動し、むち打ち障害をやわらげる、などなどいろいろなアイディアが提案されていた。
写真は、優勝した日大チームの新型ダミーの開発。腰椎や腹部損傷を評価するもので、バイクや自転車のチューブを活用したり、Tシャツに内蔵をプリントし、デモンストレーションしたりして、会場を沸かせていた。
真太郎がこのときアメリカから持ち帰ったのが、「水平対向2気筒のガソリンエンジン2基。12馬力と18馬力」だとされる。
真太郎の自転車販売は、「オートモビル商会」と名を変え、東京市内で稼働するクルマの修理などに携わった。明治42年末(1909年)の警視庁管轄登録自動車が全部で38台、うち8台が国産車(日本製車)なのである。この8台(実際には10台作ったとされるので、2台は地方で使われていたようだ)は、実は、オートモビル商会の技師である内山駒之助とその子弟が造り上げた「吉田式自動車」だ。これが国産自動車第1号である。
ボディは、顧客の一人である有栖川宮威人親王(ありすがわのみや・たけひとしんのう)のフランス車ダラック号の模倣である。エンジンは、真太郎がアメリカから持ち帰った水平対向2気筒だが、そのコピーを駒之助は寝食を忘れ無我夢中で1年ちょっとで完成したといわれる。そのうちの数台は、甲州街道を立川まで遠乗りに出かけているが、イタリアのフィアットやドイツのメルセデス、フランスのクレメントなどと伍して走りほとんどそん色はなかったとされる。
この「吉田式自動車」は、ガタクリガタクリと走るということから、いつしか「タクリー号」という異名が付き、その異名が自動車の歴史に残っている。このタクリー号は、輸入車との市場争いの中で、消えていき、吉田真太郎、内山駒之助も、それ以後は華々しい活躍することなく、歴史のかなたに消えていった。
●写真は、タクリー号に乗る有栖川宮(左から2人目)。
日本人は“モノづくりが得意”とはよく言われる。いっぽうで、そのモノづくりが危ないともいわれる。レースに参加する面白みは、勝ち負けもあるが、自分たちの作ったものがすぐに明白に評価されることである。そこには、日常生活では、味わえないダイナニズムがある。
リスクはあるが、挑戦する喜びを知っている集団は、生き生きしている。福島県にある(株)エヌ・ティー・エスというわずか50名ほどの精密金属機械加工のモノづくり工場も、その一つといえる。もともと社長自らがバイクのレースに青春を打ち込んだという。23台の5軸マシニングセンター、10台の3D金属プリンター、精密計測機など、小規模とはいえ最新のマシンがそろう。精鋭の職人による部品作りは世界レベルという。オートバイのレーシング・フレーム、カウル、エンジンのシリンダーヘッドなど多岐にわたる。たとえばカウルひとつとっても、空力特性だけでなくラジエーターの冷却性がダイレクトに影響。これらを一つずつに詰める工程は、量産品では得られない苦労と楽しさだ。
世界選手権Moto2に挑戦するこのチームのマシンが、このほど初ポイントを獲得し、世界に優秀性を証明したカタチだ。
この初ポイントゲットで得たものは、「突破力」だと社長の生天目将弘(なまため・まさひろ)さんは説明する。精鋭マシンのパーツを生み出す力は、複合的かつ多角的な解決力が大きなパワーとなるという。
大げさに言えば、オイルフィルターレンチは、星の数ほどある。
エンジンルームに手が入りやすかった1970年代後半ごろまでのクルマなら、いわゆる汎用(ユニバーサル)のオイルフィルターレンチが大活躍していた。オイルフィルターの外径に合わせて回すタイプ。ところが、1980年になると、排ガス関連の装置がエンジンルームに取り付き、汎用タイプのレンチは使えないことが多くなった。
そこで、登場したのが、俗にいう“お椀型のレンチ”だ。フィルターの外径に合わせるタイプ。このタイプは、クルマを買い替えるとその都度フィルターレンチに悩むことになる。ところが、“案ずるより産むが易し”で主要国産乗用車のオイルフィルターの外径はだいたい5~6種類ほど。だから、いまではオイルフィルターレンチといえばお椀型を指すほど。
今回見つけたのは、ランプメーカーのPIAAのお椀型フィルターレンチだ。どこが目新しいか、というと、「トルクメーター付き」だという点。新品のフィルターを取り付ける際、オイル漏れがないといいが……と思いながら締め込む。私の場合は、手でしっかり締めてから1/2回転ほどレンチを使い、締め足している。取り付け後数分エンジンをかけ、オイル漏れがないかを確認する。
この製品を購入後、どこに「トルクメーター」なるものが付いているか、穴が空くほど観察した。どこにもそれらしき機構は組み込まれてはいない。
ただ、外周に90度間隔で、1,2,3,4という数字が刻まれている。このことを指して、「トルクメーター」と呼んでいるらしい。日本国語大辞典によると、「メーターとは、物の量や度合いを測る器械」とある。測る器械など何処にもない!
「こりゃ、羊頭狗肉! 詐欺じゃない!」と思わず叫んだほど。数字を刻むことで締め付け角度を確認できるという理屈らしい。ところが、この刻まれた数字が読めるほど、フィルター回りの環境はよろしくない。たとえばシエンタなど、フィルター脱着作業はクルマの前に横になった状態で、ラジエーターの下に片手を入れ手探りでフィルターを見つけるのだ。この作業、慣れればどうってことないが、とてもお椀の上の数字など読めるものではない。
総括すれば、どうも机上で考えただけの製品と断定できる。というか現場を知らない開発陣が思いついた製品。そんな不可思議でイリュージョンめいたフィルターなのである。100歩譲って「トルク目盛付き」とすればよかったかも? 価格は、1490円だった。