前回の前代未聞の大失敗はこうだった・・・・。
「魔が差した!」というあいまいな原因とはいえ、ブレーキパットの交換で、よりにもよってピストンを完全に飛びださせた。クリアランスがギリなので、とりわけ“不器用大魔王”の筆者にはもとのシリンダーに収められない! そこで、レスキュー役の1級整備士君に来てもらい、なんとかピストンを戻してもらった。すごいぞ! 職人技!
アバウトなエア抜きをした後、翌日恐る恐るディーラー工場に自走し、エア抜きをしてもらった。
その修復には、約5000円かかった。部品代のブレーキ液910円と工賃約4000円。
この事件の後、仕切り直しの整備作業に取り掛かれなかった! 失敗を踏まえ、次は楽々できるはずなのに・・・・と振り返ると1週間以上がたっていた。
なんだか心のなかにトラウマが棲みついた感じで、やる気が起きなかった。ふたたび同じような失敗をしでかす! と悪魔がささやいているのである。そんな説明のつかない黒い気分を克服して、あらかじめ頭のなかでシミュレーションしたうえで、曇り空で風のない日を選び、作業を始めた。
今度は、失敗をすることなく、無事にパッド交換ができた。ただ、シエンタのブレーキパッドには、おそらく異音対策のための3つのシムが付いていて、これを慎重にはがし、新品のブレーキパットに付け替えた。エッジ部の摺動部には、ブレーキグリースをわずかだが塗布した。
うん、これで完璧とばかり試走し、ブレーキをかけたりした。とくに問題はなさそうだ。
とそのとき、「あっ!」と頭に豆ランプが点いた! エンジンルーム内にあるブレーキリザーバータンクの水位というか油位(レベル)が高くなっているはずなので、これをスポイドで吸い取り許容範囲内に収めないといけない。すり減ったパッドでレベルを合わせているので、新品パッドに交換するとそのぶん水位が持ち上がっているのだ。
ボンネットを開けて、リザーバータンクを見ると、やはり口元までブレーキフルードが入っていた。
でも、オーバーフローはしていない。ここがすごいと感じた! スポイドで余計なフルードを吸い上げながら、思ったのは、こうしたシチュエーションでもオーバーフローしないようにリザーバータンクに余裕を持たせている、そんなエンジニアの親切な顔がほのかに見えた気分がした。ちなみに、ブレーキパッド代(部品代)は1万円。ディーラーでお願いすると工賃0.8時間で8、424円だそうだ。
「本当の価値が理解できていない町工場に、クルマづくりを任せてはいられない!」
当時の発動機製造(現ダイハツ)の経営陣は、そんな思いに駆られたようだ。そこで、オート3輪車そのものを全部自社で作り、売り出そうということになった。エンジンメーカーから「自動車メーカー」に大きく舵を切った瞬間である。
市販第1号のオート3輪は、HB型ダイハツ号なのである。昭和6年3月のことだ。「ダイハツ」という名称、つまり“大阪にある発動機製造株式会社”を用いるようになったのは、これがスタートだった。
大正末から昭和初期にかけて発売されたオート3輪は、オートバイのホイールベースを長くして、後輪を2輪にし、荷箱を付けたシンプルな構造。駆動方式も、オートバイ同様にチェーンドライブだった。ところが、これだとカーブを曲がるとき後輪の内側と外側の回転差を吸収(内側がゆっくり、外側は速く回る必要がある)しきれず、操縦安定性や乗り心地が良くない。そればかりか、ローラーチェーンそのものの耐久性にも不安があった。外気にさらされているので使用過程で埃や泥が雨水にかぶり、チェーンが伸びたり、切れたりする。チェーンの張りを調整したり、スプロケットやチェーンの定期的な交換も必要となる。
(写真は、市販のHB型より1年前に製作されたHA型ダイハツ号)
スマートシティ構想というのをご存じだろうか?
いわゆるIoT「モノのインターネット」、あらゆるものをインターネットで結び、生活の質の向上を目指す、というものらしい。一昔前のインターネット革命ということと底の部分では通じている?
今後さらに人口の減少にあえぐ横須賀市が、近い将来“スマートシティ”を構築し、街を活性化させようというプログラムに取り組もうとしている。横須賀は、御多分にもれず高齢化社会になりつつあるしとにかく傾斜地が少なくない。でも、さいわいにも観光資源・文化遺産、それに海の幸山の幸ともいえる物産も豊富。都心からも1時間少し。
横須賀にはYRP(ヨコスカ・リサーチ・パーク)と呼ばれる通信の企業研究施設が集まっているゾーンがある。人工知能AI,ビッグデータの活用、5Gの高速通信システム、CASEといわれる自動車の進化、つまりコネクティド化、自動運転技術、カーシェアリング、電動化という高い技術、それにモビリティの連携サービス化であるMaaS(モビリティ・アズ・ア・サービス)といった先進技術の司令塔だ。
こういった流行の新技術をできるだけ取り込み、「誰も一人にさせない街」「活力あふれる街」「新モビリティで魅力ある街」こうしたスローガンで、日本中から羨望される街に変身させていこうというのだ。いまなにかと話題の小泉進次郎氏も顧問となり、その活躍が期待される。
いっけん、何の変哲もないボックスレンチだとみられそうだ……。
8㎜と10㎜この2つしかない。でも使用頻度がかなり高い。エンジンルームのボルトの半分は対応している、そんな感じ。しかも、貫通しているので、ボルトが長く出ている、たとえばバッテリーのステーのナットなどには最適ツールといえる。
ただし、スイングハンドル付きとはいえ、大きなトルクを掛けられない。となるとあまり頼りにならない工具とも思える!? 延長ハンドルもどうかと思うし……。つまり早締め&仮締め専用のレンチである。
手に取ると、表面が実になめらかで、すぐ愛着がもてるツールだとわかる。キーホルダー代わりにするのもこの工具の活用法だと気づいた。重量46g、ソケット部の長さ55㎜だ。大きさといい、重さといい、キーホルダーとして使えそうだ。工具の「色物」という位置づけにしては、魅力ある。
価格は、ホームセンターで429円だった。中国製だが、発売元は、新潟県三条市にあるベストツール(株)である。
簡単には使いたくない言葉だが、「魔が差した!」としか説明が付かない。
他でもない、愛車のシエンタHV。残り厚さが3㎜程度となったフロントブレーキパッドの交換を行うつもりで、フロアジャッキでジャッキアップ。まずは左側からとタイヤを外し、ブレーキキャリパーのボルトを緩めキャリパーを上に持ち上げ、ブレーキパッドの顔を出させた。このとき、ふと「そうだ、ハンドルを左にフルロックさせて、パッド交換作業をやりやすくしよう!」。そう考えたのが、そもそもの間違いだった。
運転席に座り、ハンドルを左に切ろうとしたところ、ハンドルロックがかかっている。
そこで、エンジンをかけるのだが、いまどきのクルマはブレーキペダルを踏んだ状態でスタートボタンを押す。ノー天気にブレーキペダルを踏む。すると「スコ~ン!」とばかりブレーキピストンが飛び出したのだ。
パスカルの原理が働き、ピストンが飛び出るのは当たり前! ガ~ン! 一度出たピストンは容易には戻せない。クリアランスがごくわずかしかなく、どうしてもうまくゆかないのだ! そして戻そうとすると、ブレーキフルードが容赦なく零り落ちてくる・・・・これは手に負えない!
仕方なく、友人の1級整備士君に電話し、状況を説明。運悪く、その日彼は多忙。翌朝1番で来てくれ、ツナギに着替えると、わずか5分で苦も無く、ピストンを戻しゴムシールのストッパーリングも首尾よく装着しなおした。さすが職人だ!
そんな技にうっとりしていると、現実に戻された。簡略なエア抜きをおこないとりあえず低速でゆるりゆるりと走行できるレベルまで持っていった。近くのディーラーできちんとエア抜きをおこなえば、つまり診断機を取り付けるエア抜きのほうが信頼性が高いということなので、完璧を期して近くのディーラーに修理依頼することにした。ところが、その日は運悪くトヨタディーラーがみな休店。とりあえずペダルを漕ぎ、カーショップに向かいブレーキフルードを購入し、規定量注入した。
翌日、恐る恐るクルマを走らせ、2キロ先のディーラーに入庫し、そこでエア抜きをおこない、無事ふだんのクルマに戻ったのである。料金は5000円だった。
アタマがぼんやりしている真夏の時期に、慣れない作業はやらないほうがいい! そんな教訓を僕に教えてくれた、記念すべき大失敗のこれが顛末である。
いまからちょうど100年前、大正時代の後半から、昭和の初期にかけてイギリスなどからの輸入エンジンを使ったオート3輪トラックが日本の都市部で流行し始めた。
背景にはこんな事情があった。中小企業が徐々に育ちつつあり、小口の物流の手段として比較的安価で手に入る3輪自動車の需要が増えてきたのである。エンジンは舶来品、シャシーは日本国内の小規模のシャシーメーカーが造り上げていた。
当時の所轄行政の商務省は、産業の育成を想定し、いまではおよそ考えづらいことだが、排気量500㏄までなら無免許で運転しても良しとした。2輪あるいは3輪車ではあるが、無免許でクルマを運転できた時代があったのだ。モータリゼーションのすそ野を広げる狙いがあったようだ。
ダイハツの前身である発動機製造会社もこれに目を付けオート3輪のエンジンづくりを始めている。輸入品のガソリンエンジンを参考にして図面を引き、試作エンジンを作り上げた。昭和5年のことだ。4サイクル・サイドバルブ単気筒空冷500㏄である。このエンジン、展覧会で優秀品として選ばれ、品質については外国製に引けを取らないものであった。営業と技術担当がコンビで、販売に尽力した。ところが、容易に受け入れてもらえなかった。舶来品への崇拝、というか、“国内品=粗悪品、舶来品は優秀品”という図式が根強く日本人一般の価値観を支配していたからだ。
カリスマ敏腕経営者カルロス・ゴーンの逮捕という事件の陰で、実は、日産は昨年末世界初のエンジン技術を実現している。
しかも、それは1998年以来日産内で粛々と研究し続けてきたエンジン技術。その昔私も日産エンジニアから直接研究していると伺ったことがある、夢の技術でもある。「可変圧縮比エンジン」だ。正式にはVCターボ。VCとは、バリアブル・コンプレッション!
通常のエンジンは、ピストンとクランクシャフトを結ぶコンロッド(コネクティング・ロッド)という構成なので、燃焼室の容積は一定だ。これを変化させれば、より理想に近いエンジンが完成する!つまり、ピストンの上死点位置を変えることで、圧縮比を変え、排気量まで変えちゃう!そんなドリームエンジンなのである。
北米仕様のSUVインフィニティQX50という車両に搭載されたKR20DDETという排気量2リッターのターボエンジンだ。このエンジンは、圧縮比8から圧縮比14までシームレスに変化させ、排気量も1997㏄から1970㏄まで変化する。圧縮比を高めて燃費向上できるし、低圧縮ゾーンではターボを利かせパフォーマンスを高める。1個のエンジンで、いろいろなシチュエーションにより理想に近づく、そんなコンセプトエンジンだ。
ところがやはり、仕組みを見てたまげた。通常のコンロッドが2段式のリンクとしているし、クランクシャフトと司令塔であるアクチュエーターのあいだにも同じく2段式のリンク。エンジンのクランクケース内になんだかハリウッド映画に登場する“トランスフォーマー”が組み込まれている複雑な仕掛けが内蔵されているのだ。
試乗記などをのぞくと、さほどの感動を覚えるでもなく、燃費もハイブリッドのほうがよさそうだし、コストが高く横展開はできそうもないし。となるといまのところ、ユーザーそっちのけの技術者のマスターベーション的新技術と言わざるを得ない。
ラチェットドライバーは、ひと昔前までは家庭用のすこし蔑んだ感じの「なんちゃって便利ツール」の部類であった。つまり、プロの整備士には使い物にならない! そんなカテゴリーの工具だった。それが、90年代だったかスナップオンのかなりお高いラチェットドライバーが登場したころから、俄然プロの整備士が注目するツールとなった。スイスのドライバー専門メーカーPBあたりからも、それに刺激され信頼性の高いラチェットドライバーがデビューしている。次いで日本のKTCやベッセルも、台湾メーカーも続々と2匹目3匹目のドジョウを狙い、ラチェットドライバーをリリースしている。
今回取り上げる製品も、台湾製だ。しかも軸が伸縮タイプでハンドル部にある赤色のボタンをスライドさせると、スルスルと長くなったり短くなったりできる。206㎜から278㎜のあいだで自在に使える。この製品は、近くのホームセンターで1480円で購入したものだが、驚くべきは、ハンドル内に収まるビットの多彩さだ。なんとプラス1番、2番、3番、マイナス、ヘックス2.5,3,4,5,6、トルククス10,15,20とあわせて12アイテムもある。スナップオンなど2つしか入っていないのに、実にここだけ見れば出血大サービスだ。
で、肝心のドライバーとしてはどうかだ? はっきり言って軸のガタが悲しいほど大きすぎる。軸を指で持ち揺さぶるとカタカタ鳴るほどだ。伸縮タイプという仕掛けもあるかもしれない。それに、左右の切り替えは、軸根元のリングでおこなうのだが、節度がよろしくないし、このへんのデザインも一考を要する。総合評価は、ホーム用のツールといえる。プロ向きではない。
でも、グリップは一部透明で、悪くない。重量もさほど重く無い部類だ。発売元は、藤原産業(株) TEL0794-86-8200。