すでにTVなどのメディアで伝えられるとおり、全国のガソリンスタンドの数がどんどん減っている。
1994年時点で6万店舗をピークにして、減少する一方でいまや3万店を割り込み2万9000店舗だという。燃費のいいハイブリッド車の増加、電気自動車の登場、若者のクルマ離れなどいろいろな原因が頭に浮かぶが、業界ツウに言わせると「ガソリンスタンドが激減したのは、8年前の消防法の改正が大きかった」という。
“40年をめどに地下のタンクの回収または交換をしなければ営業ができない”ということになった。
いっぽう昭和時代のビジネスがおしなべて高齢化に向っている。ガソリンスタンドの経営者も例外ではない。高齢化を迎え、多額の費用がかかる地下タンクの回収の前に、廃業という選択をするところが増えたという。
ところが、こうした逆風は、逆にビジネスチャンス! とばかり新規オープンしたガソリンスタンドもある。
たとえば、昭和メタル直営の越谷市花田(はなた)にある「エネオス花田SS」がそれ。いまや、セルフ式が主流なのだが、この「エネオス花田SS店」は、フルサービス店なのである。お客様みずから給油するセルフ店なら、スタッフが少なくて済むが、フルサービス店なら少なくても4~5人が常駐だ。人件費が高くなり、算盤に合わないのでは? と思いきや、昭和メタルの栗原社長は、「むしろビジネスチャンスだ」ととらえる。
「人がいるぶんたとえば手洗い洗車を売りにできるし、お客様にフルサービスの気持ちよさを再認識してもらえば、車検、点検、タイヤ交換、バッテリー交換などのサービス業務に結び付きます。カーオーナーにじかに接することで、ビジネスの広がりは拡大します。それに、もともとフルサービス店のSSをつくってほしいという声が少なくなかった。たとえば自分でガソリンのノズルを扱うのを怖いと感じる女性ドライバー、挨拶一つないセルフ店に対する違和感を抱いていた中年のベテランドライバーなど、聞いてみるとフルサービス店を望むオーナーさんがいるんですよ」
ちなみに、洗車を待つあいだ、お客さまには、淹れたてのコーヒーを楽しめる、そんなサービスもあるという。いずれにしろガソリンスタンドの在り方も、今後大きな変化が起きる、そんな予感がする。
昭和20年8月15日、長かった戦争が終わった。
同年3月の大阪空襲では市の1/3が焼失したが、幸いにも発動機製造株式会社の被害はほとんどなかった。主要モノづくり工場である池田工場の被害もきわめて軽微だった。
オート三輪の生産は、昭和21年から再開し、翌22年には生産台数が1900台となった。復興の槌音ひびく都市部の道路を、小回りのきくオート3輪車が生活物資の輸送に大活躍した時代だった。都会の路地の奥の奥まで、あるいは田舎の未舗装のガタガタの、乾けば埃がたち、雨が降ればぬかるみとなる道なき道(いまから見ると!)を物資を積んでかけ回ったのである。
昭和22年の戦後最初の3輪はSE型。そんな単気筒670㏄と750ccの2本立て。いずれも500㎏積み。標準車SE型は車体寸法が3m、大型車のSSE型は3.57mだった。
同年12月、輸送力増強を目的に、排気量1000㏄のオート3輪が認可された。これに続き、1200㏄、1500㏄と拡大。25年には100㏄V型2気筒空冷4サイクルの750㎏積みのSH型をデビュー。その大型タイプのSSH型は全長3.68mだった。従来の機械式ブレーキのほかに、油圧式ブレーキも採用されクルマとしての機能も徐々に向上した。日本の戦後の飛躍的な経済復興は、昭和25年の朝鮮戦争による「特需」がきっかけとなり歴史の教科書には大文字で記されるが、意外とダイハツはじめとする3輪トラックが、このときの復興に大いに貢献していたのである。このことは小文字であっても太文字で記すべき事柄なのかもしれない。
写真は、昭和22年発売のSSE型500㎏積みで、全長が3.57mとスタンダードより57㎝長い大型車。エンジンは750㏄。
カルロス・ゴーンの不正疑惑から端を発して経営危機に立たされている日産。だが、戦前の日産は、鮎川義介(あゆかわ・ぎすけ)に率いられ、とくべつに輝いていた。
たとえば、1920年代、昭和一桁台、アメリカのグラハム・ページという、つぶれそうな自動車メーカーから機械設備、工作機械類を購入し、横浜の工場を充実させた。そればかりか、エンジンの設計図を手に入れ、アメリカ人技術者を数か月雇い入れ、エンジンまで作ったのである。
そのエンジンの現物を、いま日産のエンジン博物館で見ることができる。
1953年というから、いまから66年前のエンジンだ。6気筒のサイドバルブ水冷エンジン、排気量3670㏄ 95PS/4400rpm、24㎏m/1600rpmというスペックだ。圧縮比がいまどきのエンジンのなんと半分の6.6だ。サイドバルブという機構上、この程度しか上げられない! ちなみに、いまどきのV6排気量3リッターエンジンは約300PSなどで、いかに60有余年で、いかに技術が進んだかがわかる!
このエンジンは、主にトラック(80型トラック)に載せられ、当時の日本軍が主な買主で、民間にはほとんど出回らなかった。でも、このエンジン、多少の改良を施され戦後もしばらく生産され、トヨタのランドクルーザー(ランクル)のライバルの日産パトロールなどにも載せられたのである。
6角レンチが活躍するところは、バイクが多いのだが、4輪の整備にも最近はヘキサゴンボルトが少なからず使われている。だから、いまさら言うのは変だが、6角レンチセットは、いまやメカニックの必需品である。
ところが、6角レンチにもいろいろある。ソケットツールタイプ、ナイフタイプ、ドライバータイプ、T型レンチタイプなどなど。たぶん、多数派は、L字型タイプではなかろうか?
ところが、このL字型は、振り角、つまり反復角度が60度である。6角レンチだから、当たり前だ。360÷6=60度である。この60度というのが曲者で、まわりの邪魔な部品があり、うまく使えないことがあるからだ。そこで、考え付いたというのが、この「反復30度レンチ」である。
卍の片一方の形状である。ついスルーしがちだが、このレンチよ~くよ~く見ると、軸の中央が、少しひねってある。ツイストされている。どのくらいひねっているかというと、30度である。だから、先端部のかどの位置が、30度ずれている…‥‥。と言葉で書けば書くほど、たぶん頭が混乱する……と思う。書いているほうも、混乱する。
試しに使ってみるのが一番だ。振り幅が、半分になり、タイトな場所にある6角ボルトが楽々脱着できるのである。思わず“えらい!”と言いたくなる。
それにしても、よくこんな考えが商品に反映されたものだ。見れば見るほど奇妙なツールである(写真を見てもゆがんで見える!!)が、アイディア・ツールに終わる恐れもある。ねじってあるところに、サイズと素材のSNCM20V(特殊合金クロームバナジウム鋼)とあるのは、いかにも“品質に自信あり!”と誇っているようだ。
製造元は、新潟のWISE http://www.niigata-honmono.jp/wise/
このほど、半自伝的小説『クルマとバイク、そして僕』(写真)ができました。内容は、70~80年代の自動車雑誌編集部員の青春迷走小説で個性あふれる男たちが登場します。文庫本、311ページ、価格800円(税別)です。AMAZONなどのサイトでも購入可能です。クルマやバイクに興味のない方にも面白く読める本にしています。
この小説を5名様にプレゼントします。①お名前、②ご住所、③ブログ記事の感想などを添えて、下記のアドレスに応募ください!! 締め切りは、11月末。発表は発送をもって代えさせてもらいます。
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かつての国民車の代名詞「カローラ」が、このほどフルモデルチェンジした。初代から数えて12代目である。
初代は、例の元航空機設計の長谷川龍雄(1916~2008年)のチーフデザイナー(当時は主査)で、1966年、昭和41年に発売されている。「隣のクルマが小さく見えま~す!」というライバルの日産サニーをうえから見下したCMが、なぜか今でも耳に残っている。“他人と比較したがる日本人のココロネ”をうまく掬(すく)い上げたキャッチコピーである。累計5000万台にならんとしているというからすごい!
でも……いまやその明確なライバルもいなくて、振りむけば同胞でもあるプリウスやアクアといった異母兄弟と実質的な戦い!?
というか、上級のコロナやマークⅡがいなくなったあと、かつての日本にあった家族の理想や夢を具現化するファミリーカーが、すでに遠い昔の幻想になっている。でも、カローラは、生き残りをかけ新たな魅力を見つけなくては!
そう考えると、今回のカローラは、頑張っているといえなくもない。リアサスペンションをウイッシュボーンにしたり、エンジンを1.8リッター(NAとハイブリッドの2本立て)と1.2リッター直噴ターボ(マニュアルだけ)とシンプル構成。
ボディも、思い切ってすべて3ナンバー(全幅がプラス50㎜の1745㎜)としている。だから、おじさんにはこれは抵抗があるかも。ホイールベースも40㎜伸ばし2640㎜としているのだ。スペックだけ見ると、かつてのカローラとは名乗れないほど大きく、立派なのである。細かい話では、スマホと連動して、地図アプリや音楽が楽しめる機能が付いた。
セダンのカローラ、ワゴンのカローラツーリング、それにカローラスポーツ、この3つのボディ構成だが、全体の予定販売数はトータル約1万台、うち主力の「カローラツーリング」は半分以上の5400台を見込んでいる。価格は消費税込みで、200万以上、上限300万円である。
オート3輪は、とにかく日本の国情だけでなく、国民性にもフィットしたらしく、右肩上がりで需要が伸び、ダイハツ号は最盛期とされる昭和12年ごろには年間生産5000台を超えた。工場設備を増設し、販売会社が国内28社、海外5社、内外の特約店を含めると国内外で131店舗を数えている。国内におけるシェアは57%に上っている(昭和9年)。
技術陣は、次なる目標として「小型4輪自動車」の開発をもくろんでいた。
昭和12年、陸軍自動車学校の主催による「4輪駆動式自動車比較審査会」が開かれ、試作車を出品している。空冷2気筒、1200㏄強制通風型エンジンを載せた2人乗りで、最高速度70㎞/h以上、前輪独立懸架、後輪別駆動方式の4WDで急こう配や泥田を走行したという。同じころ、これとは別に「小型4輪トラック」を製造・販売している。全長2.8m、全幅1.2m、全高1.58m、空冷水平対向2気筒、732㏄サイドバルブエンジンで、トランスミッションは前進3段。車両重量790㎏。改良を加え、本格的に販売しようとしたものの、不幸にも日中戦争が起き、軍需生産が優勢となり、資材不足もあり、約200台の生産販売にとどまっている。
モータースポーツの最高峰F1で生み出された技術が、一般車にも落とし込まれるように、パラスポーツから生まれた技術を、日常の人々の暮らしに落とし込み、人間のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)の向上につながる。
技術系のベンチャー企業RDS(杉原行里社長:社員数30名ほど)では、モータースポーツ・ロボットなどの先行開発で生まれた技術を医療や福祉の現場に活用するという。その一つの挑戦が、車椅子陸上アスリートの伊藤智也(いとう・ともや)選手の競技用車椅子の開発だ。
伊藤選手は、北京パラリンピックやロンドンパラリンピックで、金メダルや銅メダルを複数獲得したベテラン選手ではあるが、来年には58歳になるので、東京パラリンピックには、無理だとしてあきらめかけていた。
ところが、杉原社長と知り合い、新たなマシンづくりを共同で開発し、記録更新への道筋が見え始めたという。マシン素材のCFRP(炭素繊維強化プラスチックス:軽くて強度が鉄の約10倍、しかも変形しづらい)を駆使したモノづくりノウハウと、モーション・キャプチャーと呼ばれる最新鋭のシミュレーション・システムで、選手のパフォーマンスを120%発揮するための車椅子のデザインを完成させたという。ちなみに車両重量は約7.8㎏、価格は250万円ほどだという。
このテクノロジーは近い将来、小さなチカラで効率的に動かせる車椅子の実現や、普通の人が長時間座ってもあちこちが痛くならない疲れにくい椅子の開発につながるという。
“チタン・コーティングのドリルセットが、オシャレで重厚な樹脂製プラスチックボックスに入って、なんと977円!”(注:9770円ではなく977円。1000円で23円のお釣り!)
毎日、どこかのTVのチャンネルをのぞくと、通信販売の甲高いセールストークが聞こえてくる。独特の構文で、視聴者を引き付ける。「何かを買わないと時代に遅れる!」とでも思わせるのかしら・・・・。
今回取り上げる「チタン・コーティングのドリルセット」は、いっけん魅力あふれるTVの通販を連想させる。
なにしろ1.5㎜から始まって、2.0,2.5,3.0,3.2,3.5,4.0,5.5,6.0,6.5,7.0,7.5,8.0,9.0,10,11,12(単位:㎜)と21サイズのドリルビットが複数セットされている。合計131ピース(本)。使用頻度の高いサイズ、たとえば1.5㎜は22本、2.0,2.5㎜はそれぞれ18本もある。サンデーメカニックならざっくり30年分ほど? 11㎜以上のサイズは咥えるチャックは、細く仕上げているので9.5㎜でOKだという。ブランド名はMASTER GRIP という中国製だ。
それにしても価格が、間違いではないかと思うほど、とんでもなく安い。税込みで977円だ(消費税8%の時期に購入)。COSTCOでの購入品だ。しかも、オシャレだというのは、ケースである。360×250mm厚さ90㎜のゴールドに淵取りされた黒色の樹脂ケース。重量1.9㎏。穴をあける相手は「鉄、樹脂、木」のどれでもOKとあるが、今後使っていくうちに真価が判明すると思う。穴あけ作業は、あまりないけど……。