1908年デビューしたT型フォードは、その後19年間で1500万台以上を売り上げ、アメリカ合衆国という限られた地域ではあったが、この地球上にモータリゼーションを実現させた。モータリゼーションというのは、庶民が自分たちの暮らしの中に自動車を持ち込んだことを意味する。平たく言えば「自動車のある暮らし」をほとんどの人たちが満喫したことを意味する。
現在愛知県にあるトヨタ博物館では『100年前のイノベーション/T型フォードが変えたこと』という企画展が開かれている。この展示会を取材して一番驚いたのは、畳2枚ほどに引き伸ばされた大きなモノクロ写真2点だ。いずれもNYの街中なのだが、ひとつは1900年の街並みで映し出されているのは馬車ばかりである。それが20年後の1920年、つまりT型がデビューして12年後のNYの街中はT型フォードで埋め尽くされている。
「T型の登場で、人やモノの移動が劇的に活発になり、都市計画やライフスタイル、それに人々の意識ががらりと変わった! あるいは変わらざるを得なくなった!」ということが、この写真2枚が如実にモノ語っている。
朝しぼりたてのミルクや収穫されたばかりのリンゴがT型の荷台に乗せられ、街に運ばれた。農村では駆動輪のリアアクスルをジャッキアップして、そこに駆動ベルトを巻き付け脱穀機を動かしたり、汲み上げポンプを駆動させた。あるいは、休日にはT型は家族揃って郊外にキャンプに出かけさせもした。T型が人々の労苦を開放したり、楽しい時間を過ごせる手段だったのである。庶民の暮らしをがらりと変えさせた“革命的な存在”だった。
シンプルで、壊れにくいT型。T型を組み付けていた労働者も、少し仕事に励めば自分のものになった!
こうしてアメリカを走るクルマの2台のうち1台がT型という圧倒的人気を博した。
だが、T型の終焉の時を迎える。1927年5月26日である。ヘッドライトすら付いていなかったシンプルさで売ったT型は、装備類が豊富なシボレーに負けたのだ。ギアの低さで高速走行で不利だったT型はシボレーで負けたのだ。月賦販売や、下取り販売をちらつかせたシボレーにT型は破れたのである。かつてあれほど熱望されたT型だが、庶民は、ヘンリー・フォードの提唱した質実剛健で、シンプルなT型のコンセプトに、わずか20年もたたないうちに飽きたのだ。
T型を過去のものとしてしまったのだ。庶民の変わり身の早さを嘆くなかれ、商品は、その時代の人たちの嗅覚に応じて変化を遂げない限り、次の時代には過去の領域に追いやられる運命なのである。定番商品など、幻想なのかもしれない。
ミゼットの開発は、昭和28年ごろから始まっていた。最初に発売したのが昭和33年1月デビューのバーハンドルのミゼットDKA型で、当初500台だったが、人気を呼び、その年の8月には月産800台となった。
翌年になると他社の追従が激しくなり、次々にマイナーチェンジをおこない、スターター付きのDK2型、積載量を当初300㎏から350㎏に増大したDS2型をデビューさせた。昭和34年3月には、対米向けのMPA型も開発した。これは丸ハンドル、全鋼板製のキャビン、電動式のスターターを備えていた。
ミゼットは、初期型のDK,DS系、後期型のMP,LMP系の2タイプに大別できる。一般に初期型は2サイクル単気筒 排気量249㏄、300㎏積み、オープンフレームの一人乗り。後期型はエンジン排気量305㏄、350㎏積みのフルキャビンの二人乗りモデルだ。
初期型のDK,DS系を「街のヘリコプター」と称し、狭い路地にも分け入る優れた機動性を持つクルマとしたのに対し、後期型のMO,LMP系は「横町からハイウエイまで」と、仕事だけでなく、ドライブも楽しめる、そんなアピールをしている。いまから見ると、当時の庶民の見果てぬ夢というか、貧しさのなかに背伸びしているようで、ほろ苦さや悲しさを覚える。
自動車が庶民のものとなり、世の中ががらりと変わるきっかけをつくったT型フォード。その運転方法は現在のクルマとはかなり異なる。面白いので、そのことをお伝えしよう。
まずエンジンをかけるには、ハンドブレーキレバー(運転席にある)が手前いっぱいにひかれていることを確認。ハンドルに付いている2本のレバー(右がスロットル、左がスパークレバー)のうちスロットルレバーを少し下げ、スパークレバーはいっぱい戻しておく。この状態で、クルマから降り、クルマ前方のクランクハンドル(例のケッチンがきそうな金属棒で、バイクのキックスタートと同じ!)を回すとエンジンがかかる。
これでスタンバイOK。フロアには3つのペダルがある。左からクラッチ、リバース、ブレーキの各ペダル。そこでクラッチペダルをなかほどまで踏んで、ニュートラルの位置にキープ。次にハンドブレーキレバーを最前方まで倒して、そこからクラッチペダルをいっぱい踏み込むとクルマが動き出す。
走り出して速度が出たら、クラッチを離しハイギアにする。あとはスロットルレバーで速度をコントロール。ハイギアは時速7~8㎞/h以上で使える。ハンドル左側にあるスパークレバーは、エンジンを不調にしない範囲でできるだけ下方に下げ、点火時期を早めてやる。
停まるときはスロットルレバーを戻し、エンジン回転を下げ、クラッチペダルを中ほどまで踏み込んでニュートラルにし、ブレーキペダルを踏んで止る。停まったら、ハンドブレーキレバーをいっぱい手前に引く。バックするには、まずハンドブレーキレバーを垂直、つまりニュートラルにし、パーキングブレーキが解除した状態で、真ん中のリバースペダルを踏む。
・・・・どうです。現在のクルマしか知らないわれわれには、T型の運転は難しく思えるが、これでも当時のクルマとしてはとても簡単だったのである。
星の数ほどある! というと大げさだが、世の中にプラスドライバーは、実に多数存在する。
わたしのコレクションにも、プラスの2番が、実は100本近くスタンバイしている。そもそもドライバーには、貫通タイプと非貫通の2カテゴリーあり、それぞれグリップだけでも、木柄、樹脂、エルゴノミック。軸も丸軸が多数だが、なかには角軸もある。グリップの根元にレンチがかけられるタイプ(ボルスターとも呼ばれる)など、たかがドライバーでも驚くほど、いろいろある。
今回手に取ったのは、新潟のWISEの樹脂グリップの貫通タイプ(品番:KD-6100P)である。
一見何の変哲もない印象だが、これが意外と特殊なのである。
どこが特殊だというと、とにかく最軽量でコンパクトなのだ。ライバルが120~130gであるのに、これは100gを切り96gしかない。6ミリ格の角軸で、ハンマーがヒットする座金の径が18㎜もある(16.5㎜が多い)にもかかわらずである。軽い理由は、長さが195㎜しかないためだと思われる。ライバルは、205㎜というのもあるがたいていは210㎜、なかには225㎜という長いタイプもある。
グリップの太さもライバルが32㎜を超えているところ、24㎜とかなり細身だ。これでは滑りやすいのでは? と心配する向きもあるが、3角断面基本で、各頂点から凹みを設けているので、意外とグリップしやすい。
そして、MADE IN JAPANと誇らしく刻まれた透明の紫色グリップ。実勢価格が800円で、手に入るこのドライバー、悪くない選択だと思う。ちなみに、同じ銘柄でマイナスの貫通は軸が丸型である。
このほど、小説『クルマとバイク、そして僕』(筆者・広田民郎)ができました。
内容は、70~80年代の自動車雑誌編集部員の青春迷走物語で個性あふれる男たちが登場します。文庫本、311ページ、価格800円(税別)です。AMAZONなどのサイトでも購入可能です。クルマやバイクに興味のない方にも面白く読める本にしています。
この小説を5名様にプレゼントします。①お名前、②ご住所、③ブログ記事の感想などを添えて、下記のアドレスに応募ください!! 締め切りは、すこし延長して12月末とします。発表は発送をもって代えさせてもらいます。
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2年に一度の東京モーターショーを振り返ると、驚きの発見に出会う。
意外にスルーしそうになったのが三菱自動車である。長い販売上の低迷とルノー・日産の傘下に入ったことで、このところ元気のなかった三菱。ところが、アッと驚くSUVのコンセプトカーをお披露目していたのだ。
「三菱MI-TECHコンセプト」がそれ。
まるで大きな鑿(のみ)で外観を造形したような、見るからにざっくりした荒削りのデザイン。台形の4つのホイールを制御するのは、それぞれの4つのモーター。三菱がアウトランダーPHVで長年培ってきたハイテク技術と車輪制御技術を投入。光センサーを用いたセンシング技術で、フロントウインドウに情報を表示する近未来世界。ブレーキキャリパーを電動化することで、車両姿勢の安定化を高める・・・・。これだけでもハイテクのてんこ盛りだ。
このコンセプトカーのとりわけ大注目なのは、従来のレシプロエンジンを補助エンジンとして使うのではなく、タービンジェット・エンジンを採用している点だ。
タービンエンジンは、ヘリコプターをはじめ航空機では広く使われるエンジンだ。燃料を燃やして生み出す高温のガスでタービンを回転させる内燃機関。安い軽油だけでなく、燃料の自由度(雑食性)が高い。冷却水不要ということもあり軽量コンパクト。でも、耐熱性の優れた素材が必要なのでコスト高。しかも回転数を緻密に制御することが難しく、停止時と低速時に燃費が悪い。だから、低回転時はEVでまかなうというイメージかもしれない。
1960年ごろから各自動車メーカーはガスタービン車の研究をしてはいるが、量産車での成功例はゼロに等しい。クライスラー、ボルボ、GMなどがこれまで世界のモーターショーでコンセプトカーをお披露目している。70年代トヨタもガスタービン車を東京MSでお披露目してはいるが、量産化の気配はない。
となると、“窮鼠猫を噛む”はたまた“破れかぶれの新技術のパフォーマンス!?” そんな皮肉な見方をする向きもあるかもしれないが、三菱自動車の底力が垣間見える。近い将来の新型パジェロの原型かもしれない。そう好意的に受け取ったほうが、世の中面白いと思う。
いよいよ、昭和の自動車史を飾ったミゼットの話題だ。
昭和33年に登場し約15年間のロングセラー、ダイハツ史上空前絶後のミゼットである。昭和を語るうえで、卓袱台、ブラウン管式のTVとともに欠かせない“昭和のアイコン”となっている愛すべきダイハツ・ミゼット。発売初期にはわずか月500台に過ぎなかった軽3輪ミゼットが、ピーク時には月産8500台をマークしたのか? この謎を解くには、当時の世相を観察しなければならない。それでも累計台数は30数万台と意外と少ない。
昭和20年代後半、オート3輪市場は、円熟期を迎えていた。ユーザーの要望と好みに合わせて、車種は多様化し、サイズは大型化。その結果価格が4輪自動車に近づき、オート3輪が持つ本来の魅力が薄れていった。いっぽう、オートバイがそのころ(つい先ごろ世界累計1億台を超えたホンダのカブ号のデビューは昭和27年である)。バイクはオート3輪の下のクラスの運搬手段として人気を博したのである。でも、バイクで運べる荷物の重さはせいぜい50~60㎏程度。
この結果、4輪自動車化するオート3輪と、運搬能力に限界のあるオートバイのあいだに潜在的な需要が生まれていたといえる。この間隙にジャストフィットしたのが、まさにダイハツ・ミゼットというわけだ。ミゼットとは英語のMIDGET、超小型の意味である。いわばニッチ商品だともいえた。
「いまLAでは電動キックボードがシェアリングサービスの筆頭乗り物です!」
なんて聞くと、流行に敏感なLAならさもありなんと思っちゃう。“ファースト&ラスト1マイルの乗り物”というのが、このところの自動車業界の新語である。駅から自宅まで、あるいは駅からオフィスまでを環境負荷をできるだけかけずにスマートに移動したい! “ファースト&ラスト1マイル“にはそんな気分が込められている。そのナンバーワン候補のビークルが、電動キックボードというコントのようだ。
じつは、今秋の東京MSでも、オープンロードで、この手の次世代モビリティに試乗できた。うち1台に乗ってみたのだが、悪くない感じだ。自転車ともバイクとも違う、新感覚のモビリティ!? ますます意味不明ですよね。歩くほどの速度で、ゆったり移動できる乗り物なのである。
今回取り上げるのは、最高時速24キロ(速度制限可能だが)というからかなり早くも走れる電動のキックボード。キックボードなので、スタート時にはエイとばかり地面を蹴ってある程度(時速4キロ以上)の速度に乗らないとモーターが作動しない。だから少しコツがいる。でも慣れると、あとはスイスイとアクセルONである。本体重量も30㎏少しなので、自転車の2倍ほど。15度の坂道ならストレスなく走れるというから横浜でも使えそうだ。航続距離は40~55㎞だという。
この電動キックボード、なぜか世界最速ランナーのウサイン・ボルト(33歳:写真)が開発に携わり、グローバル・ブランド・アンバサダーとして登場している。
エンジンルーム内での作業で、取り外した、あるいはこれから取り付けようとするボルトやナットが、工具の先端からポロリと外れ、落下する・・・・そんな体験はできるだけ避けたいものだ。とくに下向きになると、当然ながら落下の危険が伴う。
そこで、この工具が重宝する。「ナットグリップ・ソケットドライバー」である。6角の開口部に、2つのスチールボールとスプリングが仕込まれていて、ボルトやナットの6角部をカチッとホールドしてくれる。軸自体が差替え可能なので、サイズにより取り換えができる。差替え式ドライバーにありがちな軸度グリップのガタはほとんど感じない。グリップのホールド感もすでに定番になった。
サイズは7,8,10,12ミリの4サイズ。6ミリではなく、7ミリというあまり見かけないサイズが気に入らないが、使い勝手は悪くない。せっかくなら、ヘキサゴンレンチでも作ってもらいたいものだが、いまのところない。
このほど、小説『クルマとバイク、そして僕』(筆者・広田民郎)ができました。
内容は、70~80年代の自動車雑誌編集部員の青春迷走物語で個性あふれる男たちが登場します。文庫本、311ページ、価格800円(税別)です。AMAZONなどのサイトでも購入可能です。クルマやバイクに興味のない方にも面白く読める本にしています。
この小説を5名様にプレゼントします。①お名前、②ご住所、③ブログ記事の感想などを添えて、下記のアドレスに応募ください!! 締め切りは、すこし延長して12月末とします。発表は発送をもって代えさせてもらいます。
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