「えっ! こんなこと、一昔前では考えられなかった!」
朝の新聞を開いて(写真は1月8日付の朝日新聞)、おじさんは思わずそう叫んだほどだ。開発中のテクノロジーを住民が実際使い、そのなかで暮らしてみることで実証する、そんな街づくりを、いち自動車メーカーがスタートさせるというのだ。トヨタ自動車の豊田章男社長が、ラスベガスで開かれたCES(電子機器の見本市)で発表した。
富士山のふもとにある工場の跡地約70万㎡(ポルテやJPNタクシーを組み立てていた東富士工場)で、広さは東京ドーム約15個分もある。ここを自動運転や人工知能(AI)などの先端技術とサービスの開発を目的とした実証実験都市「コネクティド・シティ」をつくるべく、世界中の企業や研究者などの参加を呼び掛けるというのだ。
この未来都市は別名「ウオブン・シティ(WOVEN CITY);網の目のような情報を張り巡らした都市のイメージ」とよばれ、街は3つの道路で構成されるという。
「クルマ専用』「歩行車専用」それに「低速者と歩行者共用」。スマートホーム技術、ロボット、モビリティ・アズ・ア・サービス(MaaS)などが投入され、自動運転のEVである「eパレット」をはじめとする近未来車がヒトやモノを運んだり、移動店舗として活躍……。
この未来都市、来年の2021年に着工し、5年以内に人が住みはじめ、整備が進めば2000人以上の住民が住む町になるという。この都市をゼロからデザインするのは、NYの第2ワールド・トレードセンタービルやグーグルの本社ビルを手掛けたデンマーク生まれの新鋭の建築家ビアルケ・インゲルス(45歳)だという。
それにしても、21世紀は家電メーカーがクルマ業界に乗り込んだり、自動車メーカーが都市づくりや家づくり(トヨタホームは昔からあるが)に手を伸ばす、そんな境目が見えずらい世の中なんだろうか?
ミゼットの爆発的活況に恵まれるなか、ダイハツは軽4輪トラックの時代が早晩やってくる、という予想のもとに、軽4輪トラックの開発を昭和33年ごろから始めている。当時は、この分野の需要はせいぜい月数百台であった。
開発から2年後の昭和35年11月にピックアップタイプの軽4輪「ハイゼット」を世に送り出している。駆動方式はフロントエンジン・リアドライブのFRレイアウト。エンジンは、強制空冷2サイクル2気筒356㏄で、17PS、前進3段後進1段のフロアシフトタイプだった。
前輪には独立懸架式のサスペンションで、注目を集め販売開始から半年後の昭和36年5月には累計3000台を超えた。その後「ハイゼット・ライトバン」も発売し、乗用車的な要素を加味することで「ビジネスだけでなくレジャーに使えるクルマ」として好評を得ている。
この時代、ハイゼットのエンジンは、ミゼット同様2サイクル。取り扱いしやすく出力が大きく軽量ということで、当時としてはごくポピュラー。エンジンの潤滑には燃料のガソリン内に2サイクルオイルを混ぜる混合タイプ。ところが、当時のSS(ガソリンスタンド)には混合油を常備していないところもあり、ユーザーには不便。そこで、昭和37年に「ダイハツ・オイルマチック方式」という潤滑方式を採用した。これは、ガソリンとオイルを別々に給油し、自動的にこの2つを混合してエンジン内に送り込むというものだった。
スズキのハスラーと聞くと、いまではオフロードバイクの「ハスラー」を思い浮かべる人はあまりいない。4輪の軽自動車である「ハスラー」をイメージするはず。例の個性的なスタイルの軽のクロスオーバー車。
その4輪のハスラーがこのほどフルモデルチェンジした。ちょうど6年前の初代デビューから数え、2代目である。この4輪のハスラー、スタイルが斬新で、なんだかアウトドアぽい感じがあったので、「なんとなくアウトドア派」にも大いに受けて、累計48万台を販売した。ダイハツからキャストというライバル車が出たほどなので、スズキとしては、そこそこ成功したクルマだ。
「そこそこ売れているクルマだから、何も大きく変えることはない!」
スズキの首脳陣は、そんな守りの意識が働いたと見え、2代目のハスラーは、エクステリアはキープコンセプト。初代とほとんど見分けがつかない。
そこで、従来車のユーザーのココロに波が立つ。「これならわざわざ新車に乗り換える必要ないか!」と思うか、逆に「ディテールが異なるから、やはり新車にしたほうがいいかな?」の二つに分かれる。
この場合のディテールとは、リアのシートは荷室側からも操作ができるようになったとか、夜間の歩行者も検知する衝突被害軽減装置(早い話、自動ブレーキ)や後退時の衝突被害軽減ブレーキ、追従機能のアダプティブクルーズ、車線逸脱抑制機能などの安全装置類が追加された。エンジンも新型になり燃費もよくなった(NAエンジン車で最高30.4㎞/l)、それに前席の左右乗員間の距離が30㎜拡大したことも魅力と映るハズ。
……キープコンセプトは成功するかどうかは、ひとえに後者の“わずかな進化、わずかな変化をしっかり受け止め、これに大金を投入できる”そんなユーザーが多数派を占めれば、大成功となる。クルマを取り巻く世界とクルマのユーザーの気持ちの変化など、とかく変化の大きな時代といわれる今日、ハスラーの今後がとても気になる! なお蛇足ながら、今回の新型ハスラーの広告には、80年代のポップアートのパイオニアというべきキース・ヘリング(1958~1990年)の漫画が起用されている。この広告戦略の手法は一昔前のホンダを思い起こさせる。新型ハスラーの価格は、136万5100円~174万6800円。
リチウムイオンの開発でノーベル賞を受賞した吉野彰(よしの・あきら)さんのおかげかどうか知りませんが、リチウムイオン関連商品が、ここまで及んでいるとは知りませんでした。
たかがタイヤに空気を入れるのに、リチウムイオンでおこなう装置があるのだ。
中国製だけど「リチャージャブル・インフレーター」という商品がそれ。倉庫型スーパーマーケットのCOSTCOで3898円で手に入れたものだ。
本体は、外皮がステンレス製である。長さ200ミリ、45×55㎜の断面は楕円形のずしりと重い魔法瓶状のものだ。この中に、タンクとポンプ(モーター)、それにリチウムイオン電池が内蔵されているらしく、あらかじめ充電しておくと、いつでも空気が入れられるというわけだ。充電時間の目安は約1時間30分。作動させると、ガガガっと意外とうるさい。
充電は、AC100Vでも12Vのシガーライターソケットからもできる。乗用車のタイヤなら、ゼロからスタートして約10分で240kpa(2.4㎏/c㎡)まで充填できる。やや小さいがLEDの表示で、空気圧の表示を見ることができる。DC12VとAC100Vの充電器も付属しているので、過不足なく使える。あらかじめ設定した空気圧になると自動的に停止する機能もある。
重量が約460gと意外と軽く、コンパクトなので、エマージェンシー用としても使える。なお、本体には2つのLEDランプがついているが、あまり役に立ちそうもない。自転車用、レジャーボール用、浮袋用などのアダプターも付いている。ただし、すべてを入れる袋がないので、百均で適当な収納袋を探すしかない。輸入元は、福岡市の徳士ジャパン(株)。
何処の博物館に出かけても、多かれ少なかれ「ぼぉっと、生きてんじゃないよ!」そんな叱責のお言葉が頭上から聞こえる気分にさせられる。でも、昨年4月にトヨタ博物館に併設された「クルマ文化資料室」に足を運ぶと、そんな叱責のお言葉を聞くだけにとどまらず、尽きせぬクルマ・カルチャーにグイグイ好奇心が燃え上がる。
たとえば「自動車雑誌のコーナー」では、19世紀の末1894年にすでにフランスで「ラ・ロコモーション・オートモビル」が創刊されている。パリ・ルーアン間の自動車レースのニュース記事が載っている。その後アメリカとイギリスでクルマ雑誌が続々と創刊されている。なかでも、この博物館のすごいところは、英国の「THE AUTOCAR」を1985年の創刊からいまに至るまで、全巻保有しているという。そして、クルマ雑誌のなかの広告にも目をやる。自動車部品やタイヤだけではなく、手袋やコートといった衣料品までクルマ雑誌で見ることができる。
たとえば車のカタログは、12万点所有しているという。旧いクルマのカタログを眺めていると、当時の庶民がわくわくしながら次のクルマをどれにしようか? そんな気持ちが伝わってくる。たとえば「自動車切手」のコーナーもすごい。世界には1万5000種類もの自動車切手が存在し、うち1200種類をマジカにみることができる。ドイツの切手で、カール・ベンツの奥さんが息子のベルタと長距離ドライブをした際の有名なショットが切手になっている。当時ガソリンスタンドなどなく、途中の薬局でベンジンを手に入れる、そんな図柄だ。女性初の長距離ドライブ、である。
そのほか多色刷りの浮世絵版画「錦絵」で描かれる明治期の自動車、馬車の美しい姿を見ていると、どこからともなく走行音が聞こえてきそうだ。
このほか、カーバッチ、おもちゃ、プラモデル、小説、絵画、ポスター、ライセンスプレート、音楽などなどクルマそのものではなく、クルマに関わる文化物をここの博物館は開館30年間にわたり約22万点収集し、所有しており、そのうちの約4000点を展示しているという。
実車だけでは語りつくせない、クルマをめぐる物語。ここに来ればそのすべてが見渡せる気がする! 言葉を換えれば…・クルマそのものに関心の薄い来場者の受けがいいのも分かる気がする。
ミゼット人気を支えたのは、クルマそのものの機動性、低価格、軽免許で乗れる手軽さの3つがあった。実はこれを後押ししたのが、TVコマーシャルだった。人気コメディアンの大村崑(1931年~)と佐々十郎(1930~1986年)によるユーモラスなCMが、昭和33年から全国のお茶の間に流れ、ダイハツ・ミゼットの名が瞬く間に全国に広まった。
昭和32年にデビューした軽3輪トラックのダイハツ・ミゼットの爆発的人気はあったものの、実はオート3輪そのものが、そのころすでにピークを過ぎ下降線をたどりつつあった。オート3輪の生産台数を4輪自動車が抜き去ったのが、昭和31年だったのだ。背景には、既存の4輪車メーカーが価格の安い1トンクラスのトラックを市場に投入し、さらに需要に応じてロングボディの1.75トン車や2トン車も出そろうなど、市場の要請にこたえていたからだ。
こうした「3輪から4輪へ」という時代の趨勢をキャッチして、ダイハツ開発陣は、昭和30年初頭から2トン積みの小型4輪トラックの設計に着手し始めている。こうして生まれたのが、小型4輪トラックの「ベスタ」である。全長4690㎜、全幅1690㎜、全高1980㎜。ホイールベース2600㎜。エンジンは水冷4サイクルOHV2気筒、1478㏄53PS/3600rpm。後輪にダブルタイヤを装着したトラックだ。
「ベスタ」がデビューしたのは東京タワーが完成した昭和33年のことである。ちなみに、翌年ミゼットにバーハンドルだけだったのが、丸ハンドルが追加されている。
スペイン製のガスガスというトライアルバイクを、どういうわけか1台保有している。
一時は3台のトライアルバイクを所有して、ながらく家人の顰蹙を買っていたのだが、泣く泣くGASGAS250の1台に絞り込んだ。
このバイクを乗せて山の中に運ぶには、現在のシエンタではどう考えても無理。ハンドルが天井にぶつかるので、あらかじめハンドルのクランプ部のボルトを緩めカクっと前に倒すことで低くし、さらにハンドルとフロントアクスルにタイダウンベルトをかけフロントフォークを100㎜ほど沈め、車高を下げた。これで高さ問題はクリアした。この状態で試しにシエンタに乗せようとした。
するとどうだろう? リアタイヤが外に20センチほど飛び出し、これではリアゲートを閉じることができない。ピックアップトラックならOKかもしれないが、SUVでは、おそらくお巡りさんにとがめられる。そこで、セカンドシートの片一方を取り外すという手を思いついたが、シート自体が重くとても一人で降ろしたり、乗せたりはできそうもない。
次に、思いついたのが、フロントタイヤ(21インチ)を取り外し、小径のタイヤに付け替えれば車両の全長がうんと短くなり、楽々載せられるはず。「フロントタイヤ・リプレースメント作戦だ!」
小径タイヤは、スクーターの10インチタイプを解体屋さんで1000円で手に入れた。一計を案じ、というか選択肢を増やすため工事現場で活躍する猫車(手押し車)のフロントタイヤも手に入れた。こちらも8インチで、900円ほどだった。こちらのほうが断然軽い。
ところで、いざバイクのフロントタイヤを取り外す段になり、ハタと困った。
このバイクのフロントアクスルは、M5ミリのヘキサゴン・ボルト左右各2本でアクスルを締め付ける「割り締めタイプ」。M5のほうは対辺4ミリの6角レンチで楽に緩んだのだが、アクスルシャフトそのものを緩める道具がない。
アクスルシャフトは6角レンチで緩めるタイプ。メス側の対辺をノギスで測ると16㎜、たぶんインチなので換算すると5/8インチである。普通の6角レンチセットは8㎜、10㎜が上限。とても16㎜の6角などあろうはずがない。ネットで調べてもみつからない。「こんな時、外6角ボルト、4輪のホイールナットあたりにあるかも?」そう推理して調べると、これが17㎜、19㎜、21㎜はあっても16㎜はない。16㎜のボルトを手に入れ……という手もあるが……あまり美しくない。
工具という工具、あれこれ捜索すること約50分。なんとまわせる道具を見つけた。差し込み角1/2インチの四角部である。ちょうど6角部の内壁のフラット部の中央に1/2インチ角部の頂点が当たることでグリップする感じ。でも、これだと数回でどちらかがだめになる恐れ大だ。それにどう見ても、美しくない!
そこで、ふたたび冷静に工具カタログを探索。
これがあったのだ。ソケットツールの専門メーカーであるKO-KENのカタログを見ていたら、差し込み角1/2インチのカテゴリーのなかで、16㎜も5/8インチ両方スタンバイしていた。しかも2ピースタイプ、一体タイプ、それにそれぞれに全長が50㎜、75㎜、160㎜(一体タイプだと全長が43㎜、60㎜、75㎜、100㎜)と実に豊富なバリエーション。(こんなにバリエーションを多くして在庫が大変だと余計な心配までしてしまったほど)
選択したのは、4012A-43というヘキサゴンソケット(頭の4という数字は4/8、つまり1/2インチという意味だ。差し込み角1/2インチ。最後の43は全長43㎜)。価格1540円。重量100gとさほど重くはない。(ちなみに全長100㎜だと2倍近い192gもある)
これを手に入れ、さっそく使ったところ、1/2角部で無理して一度だけだが、使っていたので、アクスルの6角部内部に擦過傷のようなバリができており、すんなり入らず少し焦る!
そこで、祈るような気持ちで、ハンマーでコツコツ叩き、根元まで挿入した。すると運よく張りが消滅したと見え、完璧に使えたのだ。間に合わせの4角部を何度も使っていたら、たぶんひどいことになっていたに違いない。
ひさびさに適切な工具のありがたみを味わうことができた! ちなみに、小径タイヤは、断然軽い猫車のフロントタイヤを採用した。余裕で、シエンタの荷台(セカンド、サードシートを畳んだ状態の)に収まった!(写真)
工具の世界は、人の英知とモノづくりの融合である。あるいは、「必要は発明の母」という言葉もそこには生きているし、困ったら自作工具をつくればいいわけだ。
だから、地球上の言葉をすべて話せる人が存在しないのと同じように、世界中の工具を持つ人はいない。いっきに買い揃えるのではなく、その都度、必要に応じて手に入れればいい。
今回紹介するのは、上のコラムに影響されたわけではないが、6角レンチである。
ボールポイントタイプのドライバー型6角工具とT型6角レンチの2タイプだ。前者は、クリスタルの樹脂グリップで、サイズが2,2.5,3,4,5,6㎜の5サイズ。かなり長めである。写真の6㎜で235mmもある。でも、重量は、79gと軽い。軸はφ6㎜。バランスのいい工具だ。
T型6角棒レンチのほうは、2.5,3,4,5,6,8,10mmの7サイズがある。写真の4㎜で全長が256㎜とかなり長め。重量は183gとやや重い。ハンドル部の幅は、120㎜。軸のほうは、φ6→φ10→φ14mmと徐々に太くなっているのは、手で回した時のバランスを考えてのことか?
いずれも大は小を兼ねるので、奥にあるネジを脱着するだけでなく、近くのネジにも対応できる。念のために付け加えると、いずれも日本製である。