みなさん!知ってますCAR?

2020年4 月15日 (水曜日)

TOP NEWS

知られざる木炭自動車とは何だったのか?

木炭自動車  いきなり質問ですが、「木炭自動車」というのをご存じだろうか?
  じつは、かくいう私も、実際目にしたことはない。子供の頃、大人から何度も話に聞かされたくらいだ。「木炭バスに乗り合わせ、坂を登れずに乗客全員が降りて、みんなしてバスのお尻を押したものだよ……」そんなエピソードを、面白おかしく語るおじさんもいた。
  ふと資料を漁っていたら、トヨタ博物館が、四半世紀前に木炭自動車を構内で走らせた記録が残っている。
  ベース車は、ビュイックの1937年製。エンジンは、V8 OHV排気量5247㏄。後ろのトランクルームに「木炭ガス発生装置」をすっぽり収め、木炭を燃料にガスを発生させ、それをキャブレターを介してエンジンに導入させ、ガソリン同様(あるいは、これってプロパンガスに近い?)走らせるというものだ。
  背景には、ガソリンの入手難があり、戦中戦後のごく短期間だと思っていたら、戦後しばらくのガソリン車は大半が木炭または薪を燃料にした代替自動車だったというデータまで見つかった。そもそもこうした代替燃料車は、古くは欧州車が始まりで、イギリスではコークスを使った歴史もあるという。日本では、日中戦争が起きた昭和12年(1937年)の2年後あたりから木炭車が増え始め、戦後の1950年あたりまで走っていたという。だいたい13年ほど、日本の道を走ったことになる。戦後すぐに名古屋のタクシー会社に入社した運転手によると、保有台数20台のうちほぼ100%が炭や薪の代替燃料自動車だったというから驚きだ。
  「チカラがガソリン車より4割ほど少なくなるくらいで、とくに、困った記憶がない。それに名古屋市内から岐阜までの往復がらくらくできたので、100㎞は走れました」という。が、実際トヨタ博物館で、製作し走らせると、炭をガス発生炉に入れ、なかをかきまぜ、いろいろな手順をおこなうと、約20~30分後にようやく走れるようになる。出てくるガスはCOなので、これを吸い込むとガス中毒の恐れもある。
  しかも、排気管をときどき清掃しないとパイプ内に脂が溜まり、どうしようもなくなるなどなどメンテナンスが必要だ。室内とトランクルームの間仕切りには、遮熱板にアスベストを使うため、2次公害の恐れもあったようだ。ちなみに、自動車評論家の五十嵐平達氏によると、進駐軍のGIからは「ストーブ付きのタクシー」と揶揄されていたようだ。なんだか、コンニャクイモと和紙で作った風船爆弾の陸上版を見る思いだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

日産をつくった男・鮎川義介の光と闇!(第1回)

鮎川義介  劇映画さながらの逃走劇を演じたカルロス・ゴーン氏の消息がこのところパタッと聞こえてこなくなった。
  いまや遠くレバノンの地で平和な暮らしを送っているようだ。すでに過去の人になったのか、はたまたハリウッド映画に自身の経験を描く映画が近いうち登場し、再び脚光をあびるのか? すでに忘れ去られた存在に近い日産の創業者と同じように、歴史のかなたに消える運命なのか?(先日、横浜市神奈川区宝町にある「日産エンジンミュージアム」に出かけたら、カルロス・ゴーンの名前はほとんど消されていた!)
  …‥よく知られるように日産が窮地に陥ったとき、さっそうと登場したカルロス・ゴーンは救世主そのものだった。マッカーサー元帥の統治時代、“元帥の子供を授かりたいという大和撫子からのファンレターが山のように来た”(ジョン・ダワーの「敗北を抱きしめて」)というが、それに近いリスペクトだった! 
  カルロス・ゴーンは、その後20年近く日産に君臨。2019年に突如として子飼いの部下たちの手で、様々な金銭上の不正が暴かれ逮捕。それ以来、揺れにゆれている日産。フランスのルノーとの関係、三菱自動車とのアライアンスなど不透明な要素を抱えながら、迷走する日産。でも立ち止まって考えると、いまやホンダの後塵を拝しているものの、日本の自動車業界の名門だった日産。
  そもそも昭和8年創業の本格的な量産自動車ダットサンを世に送り出した自動車メーカーなのである。創業者は、戦前から戦中にかけて10以上の業界に関連する日産コンツェルンの総帥であった鮎川義介。自動車産業はすそ野の広い産業構造が必要とされる。昭和一桁といえば、欧米社会とくらべ、モノづくりの面ではいまだ未熟。時代背景としては、だれが見ても自動車づくりは大きな困難が伴う事業だった。既存の三井や住友、三菱などの財閥すら手を出さなかったことからも想像がつく。
  あえて、こうした時代に「確固たる自動車産業をこの国に築き上げたい!」そんな野心を抱き、大いなる冒険に乗り出した鮎川義介とはどんな男なのか? 今回から、知られざる鮎川義介を追いかけてみよう。

カーライフ大助かり知恵袋2

これは意外! 自動車のポスターで見る、かつてのフランスは自動車大国だった?

自動車のポスター1

自動車のポスター2

  自動車ジャーナリストなる職業を長年続けているが、取材すればするほど知らないことが現れ、なんとも不思議な感覚に襲われる…‥。
  先日、トヨタ博物館にある「自動車文化資料室」でなんとなく佇んでいたら、ふと「自動車のポスター」のコーナーに目が向いた。『自動車のポスター』。ディーラーで見かけるぐらいである。若いころはたしか駅の構内などで見かけ、クルマへのあこがれを掻き立てられたものだ。その自動車のポスターの嚆矢は、フランスだという。この博物館には、フランスとアメリカの自動車ポスターを300枚ほど所有しているという。
  まず、写真を眺めてほしい。アールデコ風の画風である。20世紀初頭のフランスのポスターだ。
  フランスでは、ガソリン自動車が登場した19世紀のすえには、すでに近代的な自動車ポスターが登場しているという。フランスのパリは当時アートの中心地で、芸術家やポスターのデザイナーが集まっており、芸術性の高いポスターが数多く生み出された。ちなみに、1900年のフランスには自動車メーカーがおよそ150社もあり、世界最大の自動車大国だった。だから、自動車ポスターは、圧倒的にフランスのものが多く残されている(写真上)。現在フランス車といえば、シトロエン、プジョー、ルノーぐらいしかないので、その落差に愕然とする。
  ちなみに、初期の自動車ポスターは、具体的にクルマそのものを描くのではなく、華やかな女性をモチーフにして、人々の関心を引こうとする意図が見える。でも、自動車の普及とともに、その描かれ方も変化していったようだ。
  いずれにしろポスターは、自動車とそれを取り巻く人々の意識を色濃く反映し、当時の流行やトレンドが端的に表現され、その時代の香りをプンプンと感じさせる。(下の写真は、1970年登場のトヨタ・セリカのポスター。キャッチコピーは「未来の国からやって来たセリカ」だった。いまから見ると、なんともエグイ感じだ!)

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トリッキ―だけでは語りつくせないユニークなコンビレンチ!?

フレックスエクストラクターギアレンチ1

フレックスエクストラクターギアレンチ2

フレックスエクストラクターギアレンチ3

  いやはや・・・・「たかが工具、されど工具!」である。
  先日、要あって家具の分解をしていたのだが、そのとき使った工具がプラスドライバーとハンマー。
  ドライバーはプラスの2番だが、当初使ったのは、居間にたまたまあった軸差替え式のグリップの細いタイプ(ホーザン製)。1個2個のビスの脱着ならまだしも、6個7個と多くなれば、細身の樹脂グリップだとトルクがうまくかけられなくて腕と指が痛くなった。そこで、PBのドライバーに切り替えたところ、俄然作業がはかどった。グリップがちょうどいい具合の太さだったからだ。
  一方ハンマーは、家具のつなぎ目を力任せに叩き、強引に分解する作業で使った。当初、これも手持ちのプラ班を使ったら、チカラが伝わらず全くダメ。工具箱の奥にしまっていた大ハンマーに切り替えたところ、たちどころに、これまた作業はどんどん進んだ。当たり前のハナシだが、選ぶ工具で、これほど異なる。
  ことほど左様に、作業工具は、手の延長上にある道具であることを、痛いほど再認識した次第。
  ……そこで、あらためで今回取り上げる新型のコンビレンチを手に取ることにした。商品名は、「フレックスエクストラ―ギアレンチ DEG」である。
  コンビレンチ(正式にはコンビネーションレンチ)は、いまから90年ほど前にアメリカのプロトの前身である「プロムツール」が初めて世に送り出した工具とされる。同じサイズのスパナ部とメガネ部を両端に設定した、いまや定番の工具である。プロトはその後どこかのメーカーにM&Aされ、いまやブランド名も市場で見かけなくなった。でも、コンビレンチをつくったメーカーであることは知る人ぞ知る事実だ。
  メガネ部も実は時代が進むにつれ進化している。ラチェット機構を組み込んだギアレンチが登場したことで、作業性が高まった。スパナ部もボルトの角に点当たりするためなめやすい、という宿命を克服する面接触が登場し、劇的に進化した。そんな語るべき歴史を秘めた工具がコンビレンチなのである。
  そこで、ふたたびあらためてこの工具を眺めると、いたるところに工夫が凝らされていることに気がつく。
  まず、メガネ部が、180度首を振る。これは、邪魔な部品をよけて作業ができるメリットがある。しかもメガネ部には、内面に逃げをもうけカドが丸まったボルトのアタマでも、しっかり捉える機能を秘めているのだという。どのくらいのなめならOKかというと約8割なら大丈夫だという。これは、頼もしい。しかもギア数が72ギア。つまり送り角度5度で着実に回せるのである。台湾製といえども、このへんの工作制度が確実に向上している。
  ひるがえってスパナ部はどうか? こちらもよく見ると、角をすこし凹ませることでボルトのアタマにできるだけガチッととらえる形状のようだ。
  このユニークなコンビレンチの最大の新機軸は、軸自体にひねり(ツイスト)が入っていて、メガネ部とスパナ部がクロスしているのである。スパナ部とメガネ部を切り替えるとき、従来品だと180度回転させるが、これなら半分の90度でOK。それだけでなく、柄をツイストさせることで、柄の中央が肉厚にでき、指により効率よくトルクをかけられるのである。
  こう観察してみると、工具を使う人間はあまり進化が見られないかもしれないが、工具自体は人間により進化され続ける、そんなことが見えてくる。サイズは10,12,14mmで,写真は10mm。価格は、3本セットで1万600円。10mm単品で3200円。発売先は、スエカゲツール(株)TEL:0794-82-5264

2020年4 月 1日 (水曜日)

TOP NEWS

自分の好きなクルマをつくりたい! それが実現する1年間

カスタムボディ   巷間言われる「いまどきの若者のクルマ離れ」。
  少し上の世代から、「俺たちの若いころは、ラーメンすすってでもクルマを手に入れたい、そんな情熱があったのに……」という“嘆き節”が同時に聞こえる。いまどきの若者はクルマに関心がないのか?
背景を調べてみると、およそ2つに集約できる。ひとつは、クルマの所有には相当の資金がいる。むかしの若者にはなかった「スマホにかかる諸経費」という重荷も見逃せない。それに、「クルマ自体があらゆるところが電子制御化が進んだせいで、自分流に改造する喜びを味わうことが難しくなった」というのも、若者のクルマ離れの遠因になっているようだ。
  自動車整備士志望の若者が少なくなりつつあるなか、毎年250名ほどの整備士を世に送り届けている埼玉にある「埼玉自動車大学校」。ここを先日取材して、いまどきの若者のもうひとつの姿を発見した。
  通常の2級自動車整備科を卒業後、「カスタムボディ科1年」というコースを選択する学生が20~30名いるという。この科を履修すると、板金・塗装・溶接というボディリペア技術を取得でき、車体整備士の資格を得られるというだけではないという。「4月から7月ごろまでは、車体整備技術を勉強するのですが、7月ごろからカスタムカーづくりに取り組みます」(菊地学生募集室長)12月にはそのカスタムカーを完成させ、1月の東京オートサロンでお披露目し、賞賛を浴びる・・・・という流れ。子供時代から温めている「自分のクルマを自分の手でつくりたい」そんな夢が実現するのだ。だから、このカスタムカーはあえて車検を取らない、枠にとらわれない、クルマのイメージをめいっぱい広げたモノづくりを目指すという。
  今年出品したのは、グリーンカラーの「S-ROCK(エスロック)」(写真)。“軽自動車の4WD”コンセプト自体も学生みなで持ち寄り煮詰めたものだ。
  2人乗り軽スポーツカー・ホンダS660とスズキの軽4WDのジムニーをベースにした「スポーツ4×4」。S660のパワートレインにジムニーの足回りを合体させ、FRPボディで架装。ヒッチキャリアにはスーパーカブをオフロード仕様にしたバイクを取り付け、ドアはパイプタイプ、外径880㎜のタイヤ……ひとめ見ただけで、「ワオッ!」と声をあげそうになるほど、迫力ある過激なカスタムカー。
  シャシー班、ボディの前後担当2班、インテリア班、それにバイク改造班の計4つの班に分かれ、5か月ほどで仕上げたという。ちなみに、ここの卒業生は、トラックやバスの架装業務に携わる人が多いという。

カーライフ大助かり知恵袋1

知られざるダイハツの歴史―国産エンジン開発の情熱から始まった!(最終回)

384P_コペン  シャレードは、昭和58年フルチェンジされたのだが、このとき登場した3気筒1リッターのディーゼルエンジンは、より衝撃的だった。世界最小の1000㏄ディーゼルエンジンCL型は、時速60キロの定値燃費で実に37.1㎞/lをマークしたからだ。
  ただ、このシャレードの成功は、その後このクルマが育たなかった。深読みかもしれないが、トヨタから見るとあまり面白くない事例だったようだ。それから数年後、平成元年に排気量1600㏄の小型車セダン「アプローズ」を世に問うことになる。このクルマも、リコール問題が起きたこともあり、そこそこの成功に終わった。平成14年、貴金属の使用を抑制した「インテリジェント触媒」を開発し、英国の科学誌「ネイチャー」で高い評価を得ている。ダイハツの技術陣の快挙である。
  快挙といえば、同じ年の平成14年、軽自動車の2シーターのオープンカー「コペン」を追加したことだ。電動式のルーフ開閉、専用のチューニングを施したDOHC4気筒エンジンなど、しかもほとんど手作りの組み立て工程でのモノづくり。
  ダイハツはすでにトヨタのグループの一員であるが、独自色を持ったダイハツのクルマの登場に期待するユーザーは少なくない。外野席からモノを言えば、日本市場だけの軽自動車づくりで競合するスズキやホンダと三つ巴の戦いを繰り広げている。いわば消耗戦。ドメスチックな4畳半の世界(軽自動車のこと)から世界を広げてもらいたい。初代ミゼットのような街の風景を変えた偉大な商品を、大阪発のモノづくり思想から生み出せないか? そんな発想のクルマ、顔の見えるクルマが登場すると面白いと思う。
  参考文献/「ダイハツ工業100年史」(2007年刊)、「自動車技術」1996年6号、「カーグラフィック」1972年4月号、「国産車100年の軌跡」(1978年刊)、「三菱自動車工業株式会社史」(1993年刊)

カーライフ大助かり知恵袋2

3年前、ロシアで発見されたトヨダAA型の意味とは?

発見されたトヨダAA   トヨタが“トヨダ”だった時代。いまから83年ほど前、トヨダこと「豊田自動織機製作所・自動車部」が1台の乗用車を作り上げ、7年間で合計1404台を世に送り出した。言わずもがな‥‥これ佐吉の息子豊田喜一郎が中心に命がけでつくったクルマだ。
  このクルマ、エンジンはシボレーの8気筒、ボディはクライスラーのエアフローをお手本として満を持して造り上げた記念すべきクルマだ。ところが、トヨタのルーツともいうべき、初期の物語をいっぱい詰め込んだ「トヨダAA型」は、不幸にして1台も現存していない。でも、トヨタ博物館にも、名古屋駅近くの「産業技術記念館・クルマ館」にもあるじゃない! そんな指摘をする読者もいるかもしれないが、実はそれらは、設計図から苦心して作り上げた復刻バージョン、つまりコピークルマというべきクルマなのである。いくら良くできていても本物だけがもつアウラが伝わらない!
  もし現車があれば! ボロボロでもいいから、80数年前に作ったAA型が残っていたら!? そんな悲痛な思い(夢?)を抱くトヨタマンは少なくないという。
  「事実は、小説よりも奇なり!」とはよくぞ言ったものだ。なんと3年前現車が見つかったのだ。80年ぶりに!
  なんとロシアのウラジオストックで、長いあいだ農家の納屋に眠っていたところをたまたま発見されたという。推測だが、第2次世界大戦中にロシアの戦利品として、接収されたものらしい。
  ある筋から、この情報をオランダのローマン・ミュージアム(経営者はトヨタのディーラーでもある)にもたらせれ、トラックでモスクワに運ばれ、いまはオランダの博物館に鎮座しているという。すぐに、喜一郎の孫にあたる現トヨタの社長・豊田章男氏が現地に赴き、祖父が創ったクルマの前で感慨にふけったそうだ。
  写真で見るように、車体はベコベコ、ドアがへしゃげ、内装もかなり欠落しているところがあり、グリルもなんだか改造されている。計器パネルの文字はロシア語にかえられている。泥の海から引き揚げられた遺跡のようだ。
  でも、よくぞ時空を超えて生き延びていたものだ。おそらくは、モノ不足で貧しかったロシアだからこそ、生き延びていたのではないだろうか? これが先進国なら、とっくの昔にスクラップにされていただろうに。
  不躾ながら……このクルマ、けっきょくいくらでトヨタが買い取るのだろうか? 飾るとしたら、どこにどんなふうに飾るのだろうか?

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新技術を投入した非貫通ドライバーの決定版!?

SEKドライバー1

SEKドライバー2

  このことは以前、お話ししたかもしれない…‥。ドライバー(スクリュードライバー)ほどハンドツールのなかで競争が激しい世界はないってこと。ホームセンターのドライバーコーナーに足を踏み入れるとわかるけど、1本1000円程度とあって、いつもひしめき合っている。
  手の延長に一番近いハンドツール。しかも押す力が必要とされる。この押す力をいかに引き出すか? ポピュラーな道具なわりに、きわどさが付きまとう。こう考えると、ドライバーは工具の多数派ではあるが、かなり特異体質を秘めている。世間の人からは“ただの退屈なネジ回し”に過ぎないと思われがちだが、実は工具の世界では一番エキサイティングである所以(ゆえん)がここにあるのだ。
  今回は、SEKのプロオートのドライバーの商品群の一つである「ダイヤモンドチップドライバー」。
  チラシを眺めると、「スクリュードライバーの革命!」という太文字のキャッチコピーに最初は少しひいてしまったものの……気を取り直し、現物を眺める。外観はなんの変哲もない非貫通タイプのプラス2番のドライバーである。手に取るとやや重く(実測102g)貫通ドライバーに限りなく近い重さ。でも、グリップが樹脂製で、とくに見た目で“何かある”とは感じさせない。ここまではなんの感動を呼び起こされなかった。
  ところが、恒例の“ドライバー”の独自テストをして驚いた。
  独自テストとは、何のことはない、手に石鹸をたっぷり刷り込み、実際使ってみるという意地悪テストをやったのだ。これまで9割以上のドライバーが、手に界面活性剤(石鹸のこと)を付けただけで、スルスル滑ったものだ。見た目フツーのこのSEKのドライバーは、クルクルと滑るに違いない、という期待を裏切り(?)何の痛痒もなく使えてしまう。しょうじき、これは神業に近い!?
  秘密はグリップにありそうだ。いわゆるエルゴノミック形状の丸断面のグリップだが、手のひらが当たるところに、細かいイボイボが無数についている。従来の競合ドライバーにもイボイボ付きがあったが、これほど多いのは見たことない。たぶんこれが、グリップを劇的に高めているに違いない。それに、軸付近が6角部で、少ししゃくれ上がっている。そのおかげで親指がピタッと落ち着き、トルク伝達に貢献しているのである。ドライバーという道具は≪ただ回すだけではカムアウトといってネジのアタマから先端部が外れ、最悪ネジの溝を壊してしまう。だから押す力を加える≫ 親指の安定はこれに貢献しているわけだ。このあたりのデザインは、いっけん同じように見えるが10年前にくらべずいぶん研究が進んだようだ。
  じつは、このドライバーの美点は他にもある。先端部にダイヤモンドコーティング加工を施している。従来だと数回でダイヤモンドのありがたみが失せていたが、この製品ではダイヤモンドの微粒子を焼結合金に混ぜている(つまり先端部は、軸と焼結の2重構造)ため、“使い込むほどに相手のネジの溝に食い込む(先ほどのカムアウトと同じ!)“というのだ。このへんは使い込まないと自信をもって明言できないが、とりあえず使ったところではグリップ感は体感できた。
  見た目は非貫通タイプのドライバー。ハンマーで叩ける貫通ならグリップエンドに金属の台座が付くが、これにはない。貫通ドライバーに近い重さに気になった。
  そこで念のため、発売元の兵庫の三木に電話して確認したところ、意外な答えが返ってきた。
  「あえて貫通ドライバーとは謳ってはいないのですが、軸をグリップエンド近くまで延長しており、しかも樹脂グリップにコットン繊維を配合して衝撃に対処している、そんなこんなで、貫通ドライバーとして使ってもらってもいいんですよ」とのこと。試しにハンマーで思いっきり叩いてみたが、とりあえずOKだった。金属の軸がエンド部近くまで伸びているので、構造上重くなるはずだ。謎が解けた。
総合的に評価すると、このドライバー、かなり意欲的だ。キャッチコピーの「ドライバーの革命」というのもまんざら嘘ではない気がしてきた。ただし、価格が1600円と通常の1.5倍ほど。発売先は、スエカゲツール(株)TEL:0794-82-5264


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