みなさん!知ってますCAR?

2020年6 月15日 (月曜日)

TOP NEWS

日産よ、どこに行く?

日産ロゴ  いわゆる業界の人間にとって日産というブランド、日産という企業は、“すでに終わっている感が強い”となるかもしれないが、市井(しせい)の人たちに日産のイメージを聞いてみると「なかなかいい」のである。
  多分これは、1970年代、いまから40数年前日産の国内シェアが30%もあったからかもしれない。
  いまはわずか12%の充分な体たらく。これが軽自動車をふくむシェアになると、ホンダ、スズキなどに抜かれ、5位にまで転落する。
  そして今回のコロナショックによる大きな落ち込みである。
  新聞報道によると、今年3月期の連結決算で最終赤字額が6700億円。これが拡大路線が原因として、今後インドネシアやスペインの工場を閉鎖するという。つまり生産能力を2割も減らす。三菱自動車とのアライアンスは、軽自動車の共同開発という目に見える成果はあるものの、ルノーを含めた3社連合のアドバンテージは、特段目立ったものは、いまのところ見えない。
  振りむいて思い起こすと、たしか1980年代末ごろから、多くのクルマ雑誌が「がんばれ、日産!」という特集を組んだものだ。日産と日本、日産と日本人、日産と日本のクルマ……そんな自己投影がおこなわれたのである。
  そして、(いまとなっては)幸か不幸か、コストカッターのカルロス・ゴーンが登場し、残酷という名が付いた大ナタで、あっという間にV字回復させた。表面的には日産の復活が仄(ほの)見えた。ところが、ゴーンさんの“あと知恵”のような強欲さが露出し、いきなり被告人となり、昨年暮れ、日本人をあざ笑うがごとく、まんまとレバノンに逃れてしまった。気がつけばドメスチックな企業だった日産が“外資系”のいち企業になっていた。
  そして…・日産にとって大恩人だったゴーンさんは、いまや憎き人物ゴーンになった。ゴーンという鐘の音を聞くのも嫌だというほど。
  でも、愚痴ばかりでは前に進めない。昨年新任したCEOの内田誠氏に大いに期待したい。
  月刊文藝春秋でのインタビューを読む限り、内田氏は「クルマが好きだ」といい、「日産にブレークスルーを導入して」経営を立て直したい、という。「ワクワクしたクルマをつくりたい」ともいう。ワクワクしたクルマとは何だろう? たぶん内田氏も、記事を読む限り、クルマに対してワクワクした経験がないとしか思えない。強烈なクルマへの愛、モノづくりへの挑戦、そんな泥臭いものから遠く離れた人物、そんな印象だった。「日産よ、どこに行く?」そんなフレーズが口をついて出る。

カーライフ大助かり知恵袋1

日産をつくった男・鮎川義介の光と闇!(第5回)

労働する鮎川  このころの鮎川のすごいところは、数少ない休日には東京やその近郊にある工場を足で歩いて見て回ったことだ。ビール工場やしょうゆ工場、砂糖をつくる製糖工場など70~80の工場を見ている。このときもおそらく大叔父である井上馨の手配があったと思われる。
  当時の技術はすべて西洋の技術の模倣だということに強く気づき、進んだ西洋の技術を直接自分の目で確かめたいという気持ちが高まり、アメリカにわたることになる。当時の日本は富国強兵の名のもとに軍事力が優先され、民間の工業技術はほとんど育っていなかった。
  鮎川義介は、明治38年25歳のとき横浜港からシアトル向けの船に乗った。船尾のスクリューの近くの移民向けの4等船室で、時化のときには、スクリューが空転し、とんでもない騒音に耳を襲われたというエピソードを先の「私の履歴書」では語っている。でもシアトル港に着くと、三井物産の社員が丁重に迎えてくれている。やはりこのあたりも井上馨の意向が働いている。
  アメリカでは5大湖の近くにあるグルド・カプラー社という名前の金属工場、正確には可鍛鋳鉄工場の工員として生活する。このときも、芝浦製作所と同様に、大学卒のキャリアを隠して、週給5ドルで働いた。ここで、のちに役立つ鋳造技術を会得したといわれる。

カーライフ大助かり知恵袋2

器用と不器用のあいだ

器用・不器用   自分のことで恐縮なんですが……子供の頃から機械ものが好きで、こんな仕事をやっているので回りのたいていの人は「とても器用な男だ」という印象を持つ人が多い。
  ところが、先日自分の不器用さに呆れ果てる事態に遭遇した。たぶん世界で一番不器用な男、と痛いほど自覚した。
   数年使わなかったハンドツールのラチェットハンドルのヘッド部が、固着してスムーズに動かなくなっていた。
   とりあえず、外から浸透潤滑剤を吹き付けてみた。が、そんな姑息で安直な手段では解決できなかった。
   なかをバラシてみるしかない。大げさに言うと「分解整備」。写真では分かりづらいかもしれない。円の一部が切れている形状のサークリップで留められているので、ラジオペンチを使い、サークリップを広げればいい。
   この「ラジオペンチでサークリップを広げる」言葉でわずか17文字(期せずして俳句と同じ!)だが、これが私には難しい。当初、使い古したラジペンでやっていた。そこで、手持ちの新品3ピークスの「軽いラジオペンチ」(これ商品名:品番LR125S)に持ち替えたら、10数回のトライでできました。「弘法は筆を選ばず」ではなく「不器用こそ筆を選べ!」である。
   ハンドツールは、ボルトナットを脱着する作業が大半。不器用であろうがなかろうが、あまり関係ない。デジタル式ともいえる。
   だが、サークリップを脱着するとか、ブーツカバーを取り付ける、キャリパーにピストンを収める。こうした「あいまいともいえる作業」「わずかなチカラ加減やチカラの向きが決め手となる作業」「アナログチックな作業」は、まさに起用と不器用が、天国と地獄につながる。バイクのタイヤ脱着、細いマイナスドライバーでおこなうステアアリング・ダストブーツの取り付けなど……友人や先輩たちは、不器用な男を横目に、みな神業のように、なんの苦も無くこうしたアナログ的スキルを発揮した!
   だから・・・・プロの整備士の工具箱には、かなりお高いクニペックスのペンチやニッパーが収まっているのか? 変なところで感心してしまった。

愛車メンテのプラスアルファ情報

ピックアップツールの定番!?

ピックアップツール1

ピックアップツール2

  うっかりして、ビスやボルトを込み入ったところに落下させる! よくあることだ。
  エンジンルームなどでは、よほど注意して作業しないと、小さなビスを落としたら、面倒なことになる。
  こんなとき、頼りになるのが、「ピックアップツール」だ。
  先端がマグネットになっていて、UFOキャッチャーのように、釣り上げる。このピックアップツール、個人的にはテレスコピックタイプを長年使っていたのだが、奥まった所へのアプローチがいま一つである。ストレートでしかアクセスできない。かゆいところに手がとどかない、そんな感じ。
  そこで、入手したのが、プロオートの「スーパースリム・ピックアップツールPU-4100」。
  自在に折れ曲がるので、アクセスしやすい。それと、この手の工具で課題になるのが、収納性だ。工具箱のなかでうまく収まってくれない。その点、この製品は、スーパースリムと謳うだけあり、手でぐるぐるっと丸め込め、工具箱のなかで邪魔にならない。33グラムと軽い。軸がφ3㎜と細くできているのが効いているようだ。グリップは、精密ドライバーの高級版のような感じで、好印象だ。
  ピックアップ能力は、最大100gとあるが、実際トライしたところ63gのメガネアンカーなら楽々持ち上げられた。(写真)
  全長480㎜なので、エンジンンルーム内ではまず問題なさそう。スエカゲツール(株)TEL:0794-82-5264

2020年6 月 1日 (月曜日)

TOP NEWS

知られざるエイミング作業とは?

エイミング ターゲットボード  一般ユーザーはほとんど知るところではないが、ここ数年自動車整備業界を震撼させている“課題”がある。
  エイミング作業という新メニューだ。
  いまどきのクルマは、自動ブレーキ、車線逸脱防止装置、前車との車間距離をキープする追従装置、死角をアシストするブラインドアシスト機能などなど。カメラやセンサー、レーダーといった装備で武装して、いわゆる『ドライバーアシスト機能』がてんこ盛り。軽自動車なら数えるほどしかないが、高級車になるとセンサーとカメラの数が10個近くにもなる。
  たとえば、高級車のフロントバンパー1個取り外し、取り付けるとなると、5個6個のセンサーが埋め込まれているので時間のかかるエイミング作業を行うことになる。実は、こうした整備はこれまでの整備とは異なるので、国交省が「特定整備」という新たな枠組をつくったほど。ちなみにエイムとは英語のAIMとは「狙う、照準」という意味だ。辞書を引くとhold a rifle in the aiming point(ライフルを照準点に構える)なんて例文が見つかる。
  このエイミング作業は、一体どんなふうにおこなわれているのか?
  現場を見てみたくなり、たぶん日本で一番作業頻度の高いBP(ボディ・ペインティング)工場に伺った。横浜港北区にある「ヤナセオートシステムズ」のBPセンター横浜。そこの専属担当者に直撃インタビューを敢行。トヨタのディーラー工場あたりだと月に0.5台(つまり2カ月に1台)ほどのペースだが、この工場は、月250~300台のペースで作業に取り組んでいる。
  トヨタディーラーに聞くと、エイミングの作業自体はさほどのスキルはいらない。でも、「車種やグレードにより、やり方が異なるので、常にマニュアルで確かめ、自動車メーカーの指定するやり方を厳守する。情報をしっかり頭に叩き込んでおくこと」日に1台やるとなると高いスキルが要求されるようだ。
  「もちろん、足回りを正規にし、タイヤの空気圧を規定値にするのは当然の話です。わが社ではベンツ、VW,アウディの輸入車3社のほかに、フェラーリ、ランボルギーニ、マクラーレンといったスーパーカーのBP作業も展開しています。国産車の場合は、ターゲットボードを前方の指定距離のところにセットし、OBD(オン・ボード・ダイアグノーシス:故障診断機)でつなぎ校正(キャリブレーション)をおこなう。アウディやVWもそうした静的状態でおこなうのですが、ベンツのなかにはダイナミック、動的つまりクルマを走らせて校正を行うタイプもあるのです」
  そして、いずれにしろ最後はロードテストで、こうした安全装置などを確認するのだそうだ。
  このエイミング作業、30~40分で終わるケースもあるが、なかには3時間4時間となるクルマもあるという。センサー1個の単価が10万円、20万円もすることがあるので、工賃を含めると莫大な修理費用になりそうだ。ブツカルことが少ないいまどきのクルマだが、でもいったんブツケ凹ますと、修理費用がこれまでのクルマの数倍になることもありうる!? となると、車両保険をかけておかないと、愛車を手放すことになる!? 自分のクルマにどんな安全装置が付いているかぐらいは把握しておいて損はないようだ。

カーライフ大助かり知恵袋1

日産をつくった男・鮎川義介の光と闇!(第4回)

学生時代の鮎川義介  ここで、20世紀初めの日本の自動車事情から、少し離れ、主人公の鮎川義介に注目したい。
  義介の生まれた家系は、長州の貧乏士族のひとつではあった。だが、当時の長州には、他の地域にはなかった恵まれた環境があった。明治維新の原動力となった長州には、面白いことに東京よりもいち早く西欧の文明が吹き込まれているのだ。たとえば山口には、幼稚園、キンダーガートゥンがあった。6歳の鮎川儀介は、西洋式の教育法が行き届いた幼稚園で、東京のお茶の水女子大の前身を出た女性がつきっきりで教育を受けたという。
  思わず「へ~っ!」といいたくなるエピソードだ。そのときの服装は、ルイ王朝時代の様相だった、そんなふうに昭和40年、1965年の日本経済新聞「私の履歴書」に本人の鮎川が書いているのである。
  貧乏なわりに、当時の幼稚園で優雅に幼少期を送ったというのは、なんだか変な感じだが、おそらく明治の元勲・井上馨が大叔父だったからに違いない。鮎川の母親が、井上馨の姉の次女にあたる人物だったのだ。
  鮎川義介の少年時代は、田舎のわんぱく小僧だったようだが、旧制の山口高校を卒業し、東京帝国大学の工科機械科に進み、ここを卒業し、現在の“東芝”にあたる芝浦製作所に入社する。当時の東京帝大の卒業生は、約300名、うち工学部系は約1/3だったというから、かなりのエリートである。大学卒の初任給が月45円の時、鮎川は現場の仕事にじかに接して学びたいという気持ちで、あえて身分を隠して日給48銭の職工になっている。1日48銭ということは月30日働いても14円ほどにしかならず、大学出の1/3である。ちなみに、このころの職工さんは、月給ではなく日払い制である。
  (写真は東京大学工科大学入学当時の鮎川。日本経済新聞社「私の履歴書」より)

カーライフ大助かり知恵袋2

クロスレンチを考えると…

クロスレンチ  「スペアタイヤ」がいまや死語になりつつある。
  いまどきのクルマには、スペアタイヤが付いておらず、付いているのは万が一の時のタイヤ内部注入液とシガーライターから電源を取り使う手のひらに載るほどコンパクトな12Vエアポンプ。スペアタイヤは重量物で、しかもコストがかかるが、ポンプとエアゾルなら格安だ。燃費とコストが下がり、自動車メーカーにはメデタシメデタシなのである。
  タイヤが走行中にパンクする経験は、通常のドライバーレベルでは一生のうち2回か3回しかない(チューブ入りタイヤのときはごく日常的だったが)。そんなデータを知ると、何も無駄なスペアタイヤなど乗せて走るのは合理的じゃない、という考えにいきつく。
  だから、タイヤをクルマから取り外すとき使うホイールレンチ(クロスレンチ)も不要となるわけだ。
  ホイールレンチをクロスレンチとも呼ばれる理由は、もちろん十字の形状をしているからだ。
  先日、ガラクタを整理していたら、写真に載せたほど(あるいはそれ以上)のクロスレンチが出てきた。みな、懐かしいものばかり。ときに、左端の折れ曲がり式のものは、80年代にカーショップで買い求めた無印製品(たぶん台湾製)だが、やや重いが、コンパクトにたためて便利なので、長く使っていた。真ん中上と下の製品は、いずれも新潟のKDR製で、上のが「棒一本にすべて収まる」というSPADAという洒落た名前のクロスレンチで、その下が「楽太郎」という噺家みたいな名称のクロスレンチ。SPADAの方は、一度しか使わなかったが、楽太郎は、軽い(重量が0.365㎏で、通常の半分以下)。パイプ製だからだ。やはり工具はすべからく軽いのに越したことはない、そんな思いにとらわれた工具だ。
  右の2つは、ソケットツールなどを専門とする工具メーカー製のものだが、あまりにストレートすぎで、色気(というか工夫?)がないので、使わずじまいである。

愛車メンテのプラスアルファ情報

これって、定番のワイヤーストリッパー?!

ワイヤーストリッパー1

ワイヤーストリッパー2

ワイヤーストリッパー3

  クルマやバイクの整備の世界で、昔はよく使ったけど、いまはごくたまにしか使わない、そんな道具がある。
  「ワイヤーストリッパー」という工具もその代表格ではなかろうか?
  ワイヤーハーネス(電気配線)の被覆を剥(む)く専用工具である。ペンチもしくはプライヤーのカタチをした工具。
  80年代クルマ雑誌にいた時、秋葉原で買い集めてきて、どれが一番使いやすいか? なんていう企画を立てたものだ。70年代から80年代にかけて、クルマにはいろいろな便利用品が登場し、それをDIYで取り付ける機会がごく普通におこなわれていたからによる。
  このとき活躍するのが「ワイヤーストリッパー」という道具。
  今回取り上げるベッセルの「ワイヤーストリッパー3500E-2」は、いまも昔も定番である。あらかじめ電線の寄り線の太さに合わせ、上あごと下あごで挟み込み、あとは左手で電線をしっかり保持したまま、右手に持つ「ワイヤーストリッパー」をグイっと右手方向に引っ張れば、「アララッ!」見事に被覆がぐいっと抜け落ちる。芯線の太さが不明のときは、あらかじめ先端部(10㎜ほど)で試してみるといい。(予測に反して芯線が細ければブレーキがかかるし、逆に太ければ芯線が痩せるだけ)
  いずれにしろ、一度体験すると、なかなか気分のいい道具である。
  グリップのところにAWGという見慣れぬアルファベット3文字。これはアメリカン・ワイヤーゲージ(米国ワイヤーゲージ規格)の略で、番手が大きくなるに従い径が小さくなる。たとえば1Gだと7.35㎜が、10Gになると2.59㎜だそうです。この穴径は、ボディピアスでもっぱら使われているようです。
  ちなみに、この工具、ロングセラー商品で少なくても40年以上前から存在するようだ。価格は1500円ほどとリーズナブル。


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